時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
ヴェーユの戦争論に関する考察
やたら、振り回される一日だった。思い出すとムシャクシャするし、罵詈雑言で埋まってしまうので、取り敢えずパス。
過去に書き散らした文章を整理しているうちに、シモーヌ・ヴェーユに関する文章が見つかったので以下に紹介する。堅苦しい語彙はヴェーユ自身の文章(翻訳だが)に見られるものなので、ご容赦願いたい。

シモーヌ・ヴェーユの戦争論は、以下のように纏められると思う。

戦争は経済競争の延長上にある。そこにおいて兵士達は国家機関、すなわち自らは戦わない者達によって動かされる。彼らは自国の兵士達を強制的に死に追いやることによってはじめて敵に打ち勝つことが可能となる。この強制力を維持するために兵士達に対しては常に権力による処刑の威嚇がつきまとうこととなる。すべて戦争を行う国家は敵がこの方法を用いる以上同じくそうした方法を用いざるを得ない。兵士達は死に身をさらすのではない。大量殺戮に送り込まれるのだ。この殺戮こそ、権力によるあらゆる抑圧の中でも最たるものである。
無論、そこに人民を駆り立てるためには国家はすさまじい強権を行使しなければならない。その過程、すなわち戦時体制において、国家はきわめて抑圧的、反人民的な存在となる。
戦争とはある種の戦略行為を指導する機関を大衆の上に押し付け、かれら大衆を無理やり戦闘行為に駆り立てるものである。
こうした抑圧機関はひとたび出来上がれば破壊されるまで生き続けるものだから、戦争というものはたとえ革命家達に指導されるものであっても、すべて反動の一要素とみなさなければならない。

ヴェーユの主張には基本的に反駁すべき点はない。だが、植民地の解放などを語るとき、彼女の平和主義はひとつの困難を迎えることとなる。こうした課題に如何に答えるべきか。これが我々に残された宿題である。
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首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
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