時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
「私は太陽である」と叫ぶとき
昨日の続き。「至高性」の概念を出しておきながら、これを取り上げないのは片手落ちの誹りを免れないだろう。ジョルジュ・バタイユに「太陽肛門」と題する散文作品がある。翻訳にして十数ページだが、向こう見ずを承知で感想を書き記してみる。
バタイユによれば世界の主要な二運動は回転運動と性的運動であり、両者の結合関係は機関車のピストンと車輪のイメージで表されるという。つまり、地球は回転することによって人間を交接させ、人間は交接することによって地球を回転させるわけである。
やがて地球と太陽の有機的な交接が起こるのだが、「人間の眼は太陽にも、交接にも、死体にも、暗闇にも耐えることができない、もっともその場合の反応は区々である」と説く。ここに、否定神学の影響が見られる。太陽はあまりにも「過剰」なものであり、人間の認識能力を超えているということだ。
太陽は「夜」を愛し、地球へそのきらめく暴力を向けるのだが、それは結局「夜」にも人間の視線にも到達し得ないという。「太陽」にしろ、「夜」にしろ、いずれも絶対的なものであり、決してお互いに到達し得ない、ということになるのだろうか。
本作は、世界の諸原理のようなものを独自の視点から構築してみせた作品といえるが、何とも判じかねる要素が多い。散文詩として考えてもいいし、何らかの思考の手がかりを掴んでみるのもいいだろう。読みながら頭をひねってみるのも一興である。
この難解なテクストは、次のような印象的な一文で幕を閉じる。
「太陽の輪は十八歳の肉体の穢れのない肛門であり、肛門は夜であるにもかかわらず、それに較べうるほどまぶしいものは太陽をのぞいてはありえない」

bataille
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首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
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