時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
全体への意志
バルザックやゾラの膨大な作品を前にすると、ある種の十九世紀の作家達には、全体性への希求のようなものがあったのではないかと思えてくる。「全ては書物の内にあり」。社会の全てを自らの著作集のうちに封じ込めること。この野心は「人間喜劇」にも「ルーゴン・マッカール叢書」にも共通する。こうした壮大な夢を追い続けたのが、彼らの生涯であった。私は花田清輝の言葉を思い出す。生涯をかけてただ一つの歌を、それは果たして愚劣なことであろうか。
哲学の面でこれを希求したのはヘーゲルであろう。歴史小説では大デュマ、そして、わが国ではあまり言及されることが無いのだが、冒険小説のジュール・ヴェルヌの名を挙げることが出来る。<驚異の旅>と題された彼の一連の小説(六十四作に上る)の登場人物達は、まさにオデュッセウスとテレマコスの末裔なのだ。アフリカから始まり、インド、シベリア、南極と、この地球上で彼らの足の及ばなかった場所を探すことは困難である。
世界を自らの体系のうちに所有しようという試み。この観点から、十九世紀文学としてのヴェルヌについて考えてみたい気がする。とはいえ浅学菲才ゆえ、なかなか思うようにいかないのが情けない限りだが。
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のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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