時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
死者に対する礼節は、<誠実>である。
アレクサンドル・デュマ「王妃の首飾り」(上)を読了。途中で中断したため、えらく時間がかかってしまった。上巻だけで六百ページの大部の本だ。ちなみにこの作品は、「三銃士」(ダルタニャンシリーズ)と同様、大部のシリーズの一部をなしているという。協力者がいたとはいえ、よくも書いたものだ。

私の敬愛する作家・石川淳に「敗荷落日」という文章がある。永井荷風の死に際して書かれたもので、抜け殻のような晩年を送ったとされる荷風に対し、容赦なく鞭打つ文章であった。石川淳が荷風にどれだけ畏敬の念を抱いていたか、想像に難くない。では、何故彼の筆致は苛烈のほうに傾いたのか。
作家と作家の関係は、精神の生身の対決である。死に際してもそれは変わることはない。そこには一切妥協などありはしないのだ。それこそが誠実な姿勢というものである・・・そんなところだろうか。畏敬する人々に対し、私がそこまで厳しい緊張関係を持てるかどうか自信が無い。だが、少なくとも石川にとって、荷風の存在はそうした対象としてあったことは事実である。
さて、今月号の「創」誌上において、佐高信が吉本隆明に対し、しきりに罵詈讒謗を浴びせかけている。吉本を批判すること自体には別に異論を挟もうとは思わない。真摯な対決が行われるのであれば、それは立派なことだと思う。
しかるに佐高の文章には、垂れ流し的な罵言以外は何も見られず、実に無残な体をなしている。気に食わないものに対し、何が何でもマウンティングしようという浅ましい根性ばかりが窺われた。「あいつはバカだ、俺は偉いのだ」式の幼稚極まりない自己顕示である。そこには、生身の精神の対決といえるものは一切無い。
驕りの高みに立って弛緩した魂は、精神の運動をやめる。これを頽廃という。佐高の精神は頽廃の極みに達したようだ。改めていう。生前葬を出すべきなのは、むしろ佐高信に対してである。
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首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
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