時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
原発事故のさなか、原発の小説を読む。
井上光晴「西海原子力発電所」読了。
まず、この小説の成立過程を述べる。当初、井上は原発が爆発し、放射能汚染が広がっていく小説を書こうとしたという。ところが、執筆途中でチェルノブイリ事故か起こってしまった。これはとても無理だ、俺の手に余る、と判断した井上は、最初の構想を断念し、別のテーマの下にこの小説を完成させたという。後に井上は執筆計画の変更を自己批判し、「輸送」という小説を発表した。

さて、小説の内容に触れよう。
舞台は80年代半ばの九州。原発近郊の町で発生した一件の放火殺人事件をめぐる話。反核運動に対する村八分の論理がエスカレートしたものかと思われたこの事件だが、やがて原発情報部のスパイ(公安みたいだ)や宗教団体が絡み、複雑な様相を見せるようになる。
原発側が地元民を大金を積んで黙らせると言うのはよく聞く話である。そこから異論を許さない雰囲気が形成され、強固な同調圧力が生まれる。そこで私生活上の揚げ足取りをきっかけに、住民の悪意が一斉に向けられるのだが、このあたりは実にグロテスクだ。
誰もが疑心暗鬼の下に嘘をつき続けている中、突如犯行を「自供」する手紙が届けられ、物語はふっつりと幕を閉じる。この自供が真実のものか、この「犯人」のその後がどうなったのかは不明である。
いつもの井上光晴の手法なのだが、この人の作品はもっと中途半端な終わり方をする場合が多いので、今回は比較的まとまりのついた格好になっているといえるだろう。珍しいケースだ。
最後に印象に残ったことを一つ記しておく。
劇中に原爆被爆者の主催する、反核運動の劇団が登場する。終盤、ここで偽被爆者(原爆投下直後の「入市者」であり、法的には被爆者の資格を持つ)をめぐって内輪揉めが発生するのだが、これが実に生々しい。被爆体験にヒエラルキーが出来ていくのだ。被害の程度によって、その正当性を位置づける(つまり、被害が大きい方がエラい)という願望は、あらゆる場所に見出される倒錯である。
この「偽被爆者」の行動は誠実であり、その訴えには偽りはないと思えるが、彼らの行動は非難に値するのだろうか。ならば一体、被害を語る資格は誰に属するのか。このテーマは今日も尚、解決を見ていない。

saikai_genpatsu
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首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
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