時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
「習わざるを伝うるか」
和辻哲郎「孔子」を読了する。
嘗て若き日の高橋和巳は「論語」に猛反撥し、幾度も壁に叩きつけた挙げ句、本をボロボロにしてしまったという。私もその思いを共有する。ただ、高橋がそれでも猶、論語と向き合い続けたのに対し、私の場合、全く手に取る事もなく、時を過ごし続けた点が大きく異なるのだが。このあたり、士太夫と小人の違いなのだろう。私が論語に再接近するには大学時代における諸星大二郎作品との出会いを待たなくてはならなかった。
さて、和辻の「孔子」だが、ひと口に言って、「論語」の文化的な位置付けを論じたものといっていいだろう。
「人類の教師」という概念には幾許かの違和感を覚える。だが、ソクラテスやイエス等との対比や、伝記がいかに脚色を加えられ、創作されていくかについての考察は見事である。
それ以外にも「論語」の特徴として、「死」やその他超越的な概念に触れることが無いこと、絶対境に悟入するのではなく、人倫の道を指向する点、作品形式としての禅語録との共通点など、興味は尽きない。
テクストの原典批判が専門的な研究者には及ばないのは致し方ないだろう。だが、その他、受容の方法として、違和感を覚える点も少なくない。例えば「吾十有五にして…」のくだりはリズム感があって、私も好きな一節なのだが、これを一般的な人生訓として語られたら「冗談じゃねぇや」と反撥したくなる。むしろ孔子のパーソナルな回想として捉えたほうが好ましく思える。どうも、私には「偉大な教師」の高邁な訓話などはそりが合わないようだ。

孔子 (岩波文庫)孔子 (岩波文庫)
(1988/12)
和辻 哲郎

商品詳細を見る
スポンサーサイト

テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
http://noir731.blog106.fc2.com/tb.php/198-1a768b30
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



のわーるのつぶやき



最新記事



カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -



最新コメント



過去記事のアーカイブ



カテゴリ



最新トラックバック



2010年「国際ジュゴン年」



検索フォーム



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QR



RSSリンクの表示



全記事表示リンク

全ての記事を表示する



FC2カウンター