時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
旗のある風景
1945年8月15日、日本は敗戦を迎えた。私の母が10台半ばの頃である。空爆の恐怖からも解放され、庶民の間では敗戦の口惜しさと相俟って、安堵感と解放感が広がったに違いない。やがて来る進駐軍(占領軍)への不安はあるにしろ、である。
そんな中、母の証言によれば、近所のチョウさんが旗を立てたという。どんな旗だったかは母は覚えていないが、およその想像はつく。ゴチャゴチャ詮索するまでもないだろう。母たちはそれを見て「チョウさん、何、旗なんか立ててるのー?」とケラケラ笑っていたとの事だった。母はそこに込められた意味を知らなかったし、今現在も知ろうとはしない。だが、多くの日本人の感覚は同じようなものだったと思う。
敗戦の時、殆どの日本人はその植民地主義や、民族差別を反省などしなかった。ただひたすらひどい目にあったという、己が身の不幸を嘆くのみだった。繰り返すが、日本人は反省も謝罪もしなかったのである。
さて、ある創作において、ここで日本人が深く反省して見せたというエピソードを加えたとする。勿論、そこには作者の願いや祈りがあるに違いない。だが、そうした善意とは裏腹に、それは虚偽による免責を行うことに繋がらないか。日本人は敗戦のときに民族差別や植民地主義を深く反省したのだという、偽りの美談を作ることが、まさに歴史修正主義になるのではないか。船戸与一のいうように、歴史は作家の玩具ではない。
勿論、これは意地の悪い見方であるには違いない。だが、安易に歴史記述に手を加えることにもまた、陥穽があることは事実だ。すくなくとも、「反省と謝罪が描かれていないからこれは右翼的な改変だ」とするのは、歴史的な現実も作劇上のリアリズムも無視した、短絡的な言い掛かりではないのか。多くの日本人は反省も謝罪もしなかったという事実からは、逃げようがないのだから。
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首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
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