時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
呪縛の起源
司馬遼太郎「燃えよ剣」を読了した。
何故今更司馬なのか。ひとつには、明治維新の大まかな流れをおさらいしたいと思ったこと、もうひとつは司馬遼太郎がこの時代をどう捉えていたかをより突っ込んだ形で知りたいと思ったこと、が動機である。
だが、本作でそこまで突っ込んだ考察を見出すことは難しい。基本的には土方歳三を主人公に据えた、ヒーロー小説である。激動の時代を人がどう考え、どう生きたのかを活写することは魅力的な作業に違いない。だが、司馬の筆致は充分にそこに行き届いているとは言いがたい。どこかお上品な見世物に留まってしまうのだ。とりわけ、恋愛描写などはあまりにも安っぽく、陳腐この上ない。この辺り、もう少し何とかして欲しかったと思う。
さて、明治維新についてである。司馬がこの時代を革命として捉えていることは「竜馬がゆく」と同様で、「さまざまな犠牲があったにせよ、紛れもない新時代の幕開けだったのだ」とする立場を保持している。言い換えれば、「革命には犠牲がつきものだ」ということでもある。だが、犠牲を払うことが輝かしい新時代を築くわけではない。南京大虐殺や原爆投下が新しい時代の幕開けをもたらしたわけでは、ない。明治維新は多大な犠牲を生み出したのだが、果たしてそれは革命だったのか。ここはもう少し批判的検討を加えたほうがいい。
とはいえ、明治維新にまつわる暴力が、ある意味で新しい時代を齎したということはできそうである。その時代とは何か。すなわち、帝国主義国家としての日本の誕生である。その意味で、「暴力は新世界の助産婦」として機能した。これが戊辰戦争を含めて行使された、圧倒的な暴力と大量死が齎した帰結であり、やがて八十年後に壊滅的な破産を迎えることになるのである。もっといえば、福島第一原発事故などに代表されるように、今日においてもその深刻な呪縛は残存していると考えられるが、ここはもっと突き詰めて考えてみたいと思う。

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首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
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