時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
人間を舐めた映画
映画「シン・ゴジラ」の印象は、「ペラい」の一言に尽きている。
とにかくこの映画、何から何まで表層的で、物事の上っ面しか捉えていない。奥行きの無い人間、奥行きの無い政治、奥行きの無い世界。全部同様である。
登場人物には生きた人間の息遣いが何ら感じられず、全て人間の表層的な動きを追っているだけである。陳腐な長台詞を延々と喋る彼等は、全て人間を模倣した記号であり、人間もどきでしかない。率直に言って、昆虫でも見ているかのような印象を受けた。これでは俳優たちも浮かばれないし、人間のドラマなど生まれようが無いのだ。恐らく製作者はポリティカル・フィクションとして、一種の政治シュミレーションを描きたかったのだろう。だが、人間を描かずして政治シュミレーションもへったくれもありはしない。これに比べれば、自衛隊礼賛映画そのものであった「ゴジラ対メカゴジラ」(監督:手塚昌明 脚本:三村渉 主演:釈由美子)のほうが、まだ人間劇を描いていただけましである。
このことは話題の国会前デモのシーンにも言えることである。劇中ではゴジラの襲撃を受けて、国会前で多くの人々が集まり、シュプレヒコールが唱えられるが、このシュプレヒコール、何を言っているのかよくわからない。「ゴジラを××××!」といっているのは聞こえるが、主張がまるでわからない。信頼できる映画評論家は「ゴジラを殺せ」だと当初記していたが、「ゴジラを守れ」という説もあることから、結局、断定は出来かねるらしい。
では、何故コールがはっきり描かれないのか。理由は単純である。製作者にとって、それはどうでもいい事柄だからである。製作者達は、デモ隊のコールを単なるノイズとしてしか考えていないのだ。もっと言えば、このシーンは、庁舎内で必死に対策に取り組む主人公達と、無責任に騒ぎ立てる群衆を対比的に描いたものである。ここでも上っ面だけの政治劇と、上っ面だけの民衆像しか提示されていない。デモの現場を知っている立場からすれば、「何だこれは」である。この映画、すべてがこの調子である。そこにいる人間達(主人公含め)の真実を抉り出し、掘り下げる操作は一切無い。こうなるともはや人間を舐めているとしか言いようがない。
本多猪四郎達の生み出したゴジラ作品が、このような薄っぺらな代物にまで転落してしまったことは、実に嘆かわしいとしか言いようが無い。尚、この映画が持て囃されている理由については、正直わたしの想像を絶している。別の機会に考える必要がありそうだ。

※尚、公開前に一部で騒がれた憲法九条云々というくだりは、わたしは確認できなかった。逃げ遅れた人を守るため自衛隊による攻撃をためらい、被害が拡大するというシーンはあったが。

自衛隊募集
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首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
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