時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
<俗情>は有効な手段たりうるか
乙武洋匡という人物の不倫問題について、「彼は自慰行為が出来ない」という意見がネットを賑わせている。これに対し、「そんな筈は無い」という反論も多く寄せられている。実際にそれが物理的に可能であるか、彼がその方法を知っていたのか、は私たちの知るところではないので不毛な話にしかならないだろう。
私は「妻に謝らせたことが問題である」との立場を取っていたので、自分の意見を修正する必要は感じなかった。よしんば彼が自慰行為をできない(らしい)ことに対し、妻が責任を感じていたとしても、それはパートナー同士の間で解決することであるし、公の場で謝罪を行うことには繋がらない。あるいは全て赤裸々に明らかにすることで、障害者と性の問題について一石を投じるという方法もあったかも知れないが、そこまでする必要も無いだろう。
そもそも男女の性愛の形は多様であるし、そのパートナー同士の関係性の間で合意が出来ていれば、第三者が口を出すような問題ではない。これに対し、鬼の首でも取ったように運動圏の連中がはしゃぎ立てているのを見ると、この連中の政治意識はこの程度のものかと呆れ果てる。結局、「性=悪」とする、復古主義者の価値観と何ら選ぶところがないのだ。
私たちが問題とするべきは、彼が自民党という、社会的弱者を徹底的に弾圧・抹殺するような政党から出馬を打診され、それに対して明確な否定の答えを出さず、相当に乗り気でいたらしいということである。そして、そう考えるだけの根拠は充分にあった。
にもかかわらず、不倫問題の発覚以後はその点は殆ど顧みられることはなく、多くの運動圏の言説も、彼の「性的な奔放さ」のみにひたすら執着し続けた。はっきり言うが、こんなことでしか盛り上がれないようでは運動は伸びないと思うし、伸びたとしても碌な結果を齎さないと思う。俗情に媚び、これにおもねるという点において、タレントを乱立させる自民党のメンタリティと、本質の部分において選ぶところがないのだ。「自民党を倒すためなのだから、それは認められるべきなのだ(黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ)」というのであれば、そんな運動は私とは無縁だ。結局は自分の首を絞めるのが落ちである。
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首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
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