時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
なぜ創作物の表現規制に反対するのか
マンガ・アニメ表現の自由を守るために、自民党を支持する者が一定の勢力を保っている。はたから見ると肉屋を支持するブタそのものだが、これにはちょっとした誤解がある。
彼等は決して、ネトウヨだから自民党を妄信しているというわけではないと思う(勿論そういう莫迦もいるだろうが、多くの場合はノンポリである)。むしろ、彼らを動かしている原理には、ある種の現実主義が存在する。すなわち、「この先自民党の支配は揺るがないのだから、自民党にいい顔をして理解を求め、お目溢しをいただこう」という発想である。
時の権力者には恭順を示さなくてはならない、そのため原発も黙認する、戦争も黙認する、増税も黙認する、福祉切り捨ても黙認する、産業破壊も黙認する。長いものには巻かれよう、それがこの社会を生き延びる処世術、というわけだ。だが、ここには大きな問題がある。

ひとつには、権力者のお目溢しを頂くという現実主義が、結局は利用されるだけに終わるのではないかということである。これだけ人々の権利を踏みにじる権力者が、本当に表現の自由を守ろうとするだろうか。「はだしのゲン」が槍玉に挙げられたことは記憶に新しい。「信じた道が最初から存在しない」という可能性は、決して低くは無いのである。

もうひとつは、何の為に表現規制に反対するかという、根本的な問題である。
私にとって、性や暴力にまつわる創作物の表現規制に反対するということは、人間の尊厳を守る問題であり、生き方そのものの問題と分かちがたく結びついている。人間は、道学者の唱えるような、ちんけな道徳や理念の体現者などではなく、そこから常にはみ出していく存在である。猥雑で暴力的な存在、神でありながら同時に悪魔でありうるのが人間存在というものだ。そこを掴み取っていくことに創造行為の本質がある。
私は、表現物を守るという(それ自体は正しい)お題目のために、下僕となり、幇間となり、家畜になるつもりは無い。なぜなら、そこにはもはや自由そのものが存在しないから。守るべきものが、何も守られていないのだ。それはもはや「表現規制反対運動」と呼ぶに値しない。

表現規制反対の運動は、それが運動である以上、「どうやって」という問題に傾いてしまう。だが、ひとりひとりが、自分の生き方の問題として切実に考え直して欲しい。単に「楽しみを奪われたくない」という以上のものがそこにはある筈ではないのか。
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首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
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