時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
宗教権力をめぐる大雑把な印象
「神は愛を知らない!知るわけがない!愛は人間が作ったものだから!」
先日大団円を迎えた、石川雅之原作のTVアニメ「純潔のマリア」の、魔女の台詞である。
この台詞は典型的な人間宣言である。作品の舞台は中世の後期、百年戦争の真っ只中だが、登場人物の意識はユマニスムの時代に大きく踏み出している。
「教皇権は太陽であり、皇帝権は月である」 インノケンティウス3世のこの文句は、教会権力の絶大な威光を物語るものであった。世界は<神>を中心に回転した。中世史を繙けば、この時代の教会権力と世俗権力との異様な抗争が目に入る筈である。カノッサの屈辱、アナーニ事件、教皇のバビロン捕囚、数え上げれば枚挙に暇が無い。
人間が世界観の中心となるためには、ルネサンスから近世に至る歴史を俟たなくてはならない。無論、ルネサンスのユマニスムといえども、<神>との決別がなされたわけではない。だが、視座の変遷がなされたのは事実である。ピンの上で天使は何人踊れるか。中世期には、こうした課題が切実な問題たりえた。この時代、世界認識とはこれらの超越的存在を考察することであった。知的遊戯としての面白さは認めるが、今日的な批判に耐えうるものではない。
この世界像に基づく社会のあり方と真っ向から対決することにより、今日の社会原理は確立されていった。政治的な次元では、教会権力や聖職者階級との熾烈な闘いが、今日の民主主義を生み出すために必要だったのである。これは単なる権力争いではなく、世界に対するまなざしを獲得する闘いでもあった。
この意識は、シャルリー・エブド事件にまでも引き継がれている。宗教を批判できなければそれは民主主義ではない、こうした意識がかの社会の根底にあることは疑いないと思われる。ローマ法王がしゃしゃり出てきたとき、私は「一番まずい奴が出しゃばってきた」と、危機感を抱いた。彼自身の意図は知らないが、<教会の威光>を復興させることにも繋がりかねない。
信教の自由を擁護するのはいい。だが、風刺画事件に関する論者の多くは、こうした宗教権力にまつわる歴史的考察を欠いていると思える。どのような結論を導き出すかは自由だが、警戒心が無さ過ぎるのは少しまずい。安易に「聖域」を設けて欲しくはないと思う。

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Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
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