時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
八紘一宇の夢の果て
三原じゅん子の発言は、この国の為政者の知性が、堕ちるところまで堕ちたことを示している。八紘一宇を唱えて得意になるバカ、擁護するバカ、何事も無かったかのようにスルーするバカ、三馬鹿大将とはこのことを言う。
ネット上では、「これは人類みな兄弟という意味だ」という、デュナンが聞いたらひっくり返るような擁護論が現れている。私も高校時代の修学旅行で宮崎の平和台公園に行ったとき、ガイドから同じような擁護を聞いた。「ハァ?」というしかない。
元々、天皇との関係性を抜きにしては語り得ない代物なのだが、そこまで遡る必要もない。基本的に日帝時代のインチキな自己正当化のスローガンとしてのみ語られ、理解され、それ以外には使用されることの無かった概念である。世界は一つの家であり、その家長に位置するのが日本であり、天皇ということである。これを現代に甦らせることが何を意味するのか。おそらく、三原とその擁護者たちは何も考えていないに違いない。単に戦前・戦時中に用いられた概念を、どしどし現代に復活させたいのだと思う。リーフェンシュタールの「意志の勝利」を観て、ナチを立派だ、カッコいい、と思うようなものだ。為政者がどのように人をたぶらかし、煽り立ててきたのか、その詐術に思いを致す知性はひとかけらも持ち合わせていないのだろう。

私が八紘一宇という言葉に触れたのは、安部公房の著書がはじめだったと思う。
「いくら憲兵統制の時代だからって、「八紘一宇」や「万世一系」を信じられるわけがないじゃないか。無理な話だよ。「それを信じていたのに終戦で裏切られた」っていう人がいるようだけど、不可解だな。ぼくだけが例外だったとは思いたくないよ」(安部公房「死に急ぐ鯨たち」)
安部の思いとは裏腹に、信じた人は相当数いた筈である。八紘一宇に限らず、ロマン主義者たちがこうした良さげに見える美辞麗句で思想的に妥協・屈服したというのも事実である。信じられるわけが無い筈なのに、信じてしまう。おぞましいのは、知の頽廃である。
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首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
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