時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
幾たびもの「風流夢譚」
「風流夢譚」という戯作小説がある。作者は深沢七郎。内容を説明すると、ある日、主人公が奇妙な夢を見る。その中では、革命…のような騒動が勃発し、天皇一族があっけなく皆殺しにされる。主人公はそこで彼等の辞世の句についてあれこれ考察するうちに、目が覚める、というものである。
わずか数十ページの作品だが、この小説が波紋を広げ、殺人事件にまで発展したのは周知の通りである。シャルリー・エブド事件に際し、私はこの小説のことが思い出されてならなかった。
この手の事件が起こるたびに言ってきたことであるが、仮にムハンマドを天皇と置き換えてみたらどうなのか。「天皇をコキ下ろすのはいいが、ムハンマドを悪く描くことは許されない」では論理的整合性が取れない。安易な第三世界主義に乗っかると、墓穴を掘ることになるだろう。
にもかかわらず、多くの自称左派は、「それとこれとは別だ!」と言い張る始末である。そこでは差別問題に始まり、西欧中心主義を口実とした不毛な言説が垂れ流しにされ、最終的には、スターリン主義文化論と第三世界主義を結合させた、醜悪な混合物に帰結する。「無自覚な差別」という概念は、「自分だけが悟った人間だ」とする傲慢な独善主義を伴い、「自分以外の他人は皆、差別主義者だ」という人間蔑視に転落する。
結局は、「当たり障りの無い表現を目指す」という結論しか残らないのでは、あまりにも貧しくないか。

率直に言うと、今回の件に関し、風刺画家と新聞社を見くびっている人が多すぎると思う。「なぜ彼等があのような作品を発表したのか?それはバカだからだ、差別主義者だからだ」と、短絡的に決め付けて理解したつもりになる。こうした投射型の思考法は、まさに論者の頭の貧しさを示している。「何故、如何に」を問う分析的思考がそこには無い。対象を矮小化して陳腐なストーリーを描き出し、それに向かって罵詈讒謗を投げつけ、自分は何事かを成し遂げたと思い込む。結局は、「闘っている俺は偉いのだ」と言いたいだけなのだ。「他人というものは、自分が考えているほどバカではない」という原則を思い知るべきである。
本件については、いくつかの示唆的な報告を耳にしている。すなわち、宗教と表現を巡る、かの国の文化人の熾烈なたたかいの歴史に関してである。そこには単純なマルバツの図式では括れないような、精神と精神の真摯なせめぎ合いが見受けられた。明確な確証を得たわけではないので、詳細は差し控える。だが、今起こっている事態は、巷間語られているような単純なものではないのではないか、その点についてじっくりと考えてみて欲しい。
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Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
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尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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