時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
箱の中の羊
毎年干支の話題で恐縮だが、今年は未年である。「羊たちの沈黙」、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」など、羊をタイトルに冠したユニークな小説作品は、まま存在する。
サン・テグジュペリの「星の王子さま」では、羊は箱の中の存在として描かれる。お読み頂ければお分かりの筈だが、主人公が絵を描けないため、苦肉の策として箱の絵を描き、「君の羊、この中にいるよ」と差し出したというものである。これで納得してしまう王子の存在に、幼少時の私は不可解な思いを禁じえなかったものだった。
勿論この主人公は、箱の中に無限のイマジネーションを内包させているわけである。このイマジネーションは直截に対象を描かない事で成立する。だが、作品への評価とは別に、このやり方はかなり危うい要素を含んでいる。同じロジックが、表現規制-特に性表現の規制論者によって活用されているからだ。そこでは、覆い隠し、不可視にし、描かせないことが表現技法としても「正しい」こととなる。論者たちはいう。「性描写においては、隠したほうが、露骨に表現するよりも効果的になる、優れた表現物となる」と。
おためごかしであることは言うを俟たない。嘗て加藤芳郎がこうして表現規制の尻馬に乗ったとき、なんと卑劣な男かと怒りを覚えた。勿論、こんなものは悪質な公式主義以外の何者でもない。どのような意図で、どのような表現を目指していくかは表現者の選択である。極言すれば、加藤達は「隠したほうがエロスを感じる」という、嗜好の問題を公式として定めようとしていたわけである。
美に画一的な公式を定めようとする議論は全て駄目である。そんなものが成立するのなら、作家が自分に適した表現を模索する意味がなくなってしまう。また、「美的」であるかどうかが表現規制を正当化する根拠になるなどいう寝言は、許されてはならない。ろくでなし子の作品が、芸術であるか、プロテストであるかどうかなど、ここでは何の意味も持たない。彼女が自分の表現方法として、それを選択した以上、それは尊重されるべきなのだ。
羊の話からだいぶかけ離れてしまった。だが、表現規制問題が持ち上がるたびに、頭に浮かぶのがこの箱のイメージなのだから致し方ない。箱の外側しか見えないような作品は、うんざりだ。
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首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
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