時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
ある種のご都合主義について
死んだ筈の登場人物が生き返るというのは、ドラマ作りでは最大の御都合主義であると思う。 だが、そんなご都合主義が二千年間人々の心の支えとなってきたわけだから、作劇法としても、必ずしもバカには出来ないのだろう。ティルトゥリアヌスの曰く。神の子は甦れり。我これを信ず。そは不可能なればなり…
文学作品ではどうだろう。シャーロック・ホームズが無理矢理復活させられたことは有名だが、他にはどうか。聖書物だが、アンドレーエフの「ラザロ」くらいしか今は思いつかない。他に挙げようとすれば、どうしても怪奇小説になってしまう。まあ、致し方ないだろう。
これに対してマンガ、アニメ作品では、かなり多い。ファンタジーとの親和性が高いせいか。
キン肉マンやドラゴンボールのような作品は取り敢えず措く。それでも、「宇宙戦艦ヤマト」の森雪や「ガッチャマン」のコンドルのジョーなどから、「さんかれあ」などの作品に至るまで枚挙に暇がない。白土三平の「忍者武芸帳」での復活はトリックだが、この主人公の不死は作品のテーマと関わっている。お読み頂ければわかる筈だが、「民衆の存在が死ぬ(消え去る)ことはない」ということである。圧制に対する抵抗の意思は、潰されても潰されても決して絶えることがない、そうした民衆意思を体現したのが、この影丸という主人公の存在であった。
最近も、「黄昏乙女×アムネジア」という作品を興味深く観たが、こちらは恋人である幽霊が消滅後、再び戻ってくるというものだった。個人的に、「死んで悲しい悲しい泣きました感動しました」という作劇があほらしくてたまらないので、ぬけぬけとヒロインを甦らせてみせるこの姿勢は嫌いではない。甘っちょろいと言われそうだが、甘いことは決して悪いことではない筈である。余談であるが、同じ幽霊物でも「あの花」で復活が無いのは、喪失からの浄化が作品のテーマだからである。
亡くなった鈴木則文が、「映画は嘘でいいんだ、嘘を描くのは映画作家にとって、祈りのようなものなんだ」と語っていた。泣かせ映画や鬱アニメが今も一部で持て囃されているが、別にそんなものに深みがあるわけでも何でもない。安っぽい悲劇への傾斜はもう沢山だ。ガツンとくる作品を提示して欲しい。
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のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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