時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
思想的変質者は奮起せよ
赤瀬川原平が亡くなった。
私が彼の名を始めて知ったのは、長井勝一の回想録「「ガロ」編集長」だったと思う。そこには「おざ式」と題された、彼の作品の一部が掲載されていた。一口に言うと、つげ義春の「ねじ式」のパロディなのだが、何故か少年期の私にその名は心に残った。千円札裁判なるものがあったことを知ったのは、もっと後のことである。その後、ガロ系(後にアックスに向かう方)の作品に接する機会が多くなり、彼のマンガ作品を目にすることが増えていった。私にとって赤瀬川原平とは、まずマンガ人であり、イラストレーターであった。若松プロが製作した映画「赤軍―PFLP 世界戦争宣言」のポスターも忘れがたい。
一時期、彼が映画評論を務めていたことがある。どんな視点で論じているのか興味があり、評論集を手に取った。だが、そこには尊大な身振りで他者を口汚く罵倒する、見苦しい論者の姿しか見られなかった。それ以来、私の意識は赤瀬川から遠のいていった。後に彼がそうした自分自身を自己批判しているのを読む機会があり、おやと思った。この人の省察力はなかなかのものだな、というのが率直な印象である。こうして私の意識は赤瀬川と和解を遂げた。
「反芸術アンパン」「東京ミキサー計画」などの著作に触れたのは、だいぶ後のことである。これらは讀賣アンデパンダン展の暴走から、ハイレッドセンターの奔放な活動ぶりを回想的に記録したものであり、貴重な資料というばかりではなく、今読んでも極めて刺激的である。千円札裁判を面白おかしく振り返るくだりには、ニヤニヤさせられた。
「櫻画報大全」には、今更ながら笑い転げた。硬質な劇画タッチで、馬と鹿を描くという、莫迦なことをするのはこの人くらいのものである。泰平小僧と馬オジサンという、ユニークなキャラクターが、世相をおちょくり回す姿はこの上なく愉快だった。

カウンターカルチャー(対抗文化)という概念が、打ち捨てられて久しい。「文化はイデオロギーの道具ではない」という正当な概念が、「文化は自分の思想や意見を訴えるものではない」「文化は自分を表現するものではない」というように奇怪な変容を遂げ、当たり障り無く、ウケる創作活動をすることが是とされている。60~70年代の作品を再評価する際も、毒気を抜かれた、お洒落な作品として受け止められる趨勢である。
嘗て赤瀬川達は、当局より「思想的変質者」としてマークされていたという。別に公安の監視対象となることを勧めるつもりは無いが、今日の表現者たちには、ガツンとくるような、自己自身を思い切り叩きつけた作品をもっと創造してほしい。
やはり作品は自分を出して何ぼ、である。
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首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
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