時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
美とは痙攣的なものだろう。さもなくば存在しないだろう。
作品は政治的である必要は無い。だが、政治的であることを恐れる必要も無い。
そして、政治的であろうと無かろうと、その価値は「作品」としてのみ評価される。これは当たり前のことである。
だが、この国においてはそうではないらしい。物言わぬ美。それのみが評価される。換言すれば、毒にも薬にもならないが故に、評価されるのである。この度の東京都美術館の撤去騒動は、それを如実に示して見せた。
この国ではドラクロワもピカソも生まれるべくも無い。エドワール・マネにおいてさえ、共和主義へのシンパシーは少なからず見受けられるものである。バラ色の進歩史観を真っ向から否定する太陽の塔は、万博のシンボルとして消費され、徹底的に骨抜きにされた。こうして「文化は政治的であってはならない」という、奇怪な公式が出来上がったのだ。
「吾は人間なれば、人間的な何事も吾に無縁ならずと思う」これはテレンチウスのセリフだが、これを創作家に当てはめてみてもいい。アンドレ・ブルトンのいう「通底器」のイマージュ。作家にとって、題材とは森羅万象、全てである。「あれはいいが、これはダメ」などという公式など、ありうるべくも無い。
文化は、蒙昧な権力者の思惑により、ますます無菌化されようとしている。このまま行けば、果てしなく無機化された、人畜無害な作品が次々と再生産されていくだろう。それは文化の死滅である。
私達は、ここで排除されたもの、性を、政治を、暴力を、作品のうちに取り戻そうではないか。そこにおける、思いもかけない素晴らしい出会いを、解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の美しい出会いを取り戻そうではないか。そんな創造行為こそが、待たれている筈である。
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のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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