時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
オリンピックなんか、やめてしまえ
オリンピックに対する抵抗感は、少年期に安部公房の随筆や対談を読んで以来だろうか。確か彼は、「擬似集団化と異端への排除」というグロテスクな構図を批判していたと思う。
山本太郎がオリンピック成功決議案に反対した唯一の議員となったとき、このグロテスクな構図が、まさに国会内で実現したわけである。果てしない同質性を求める圧力。メキシコ・オリンピックにおいては反対派の学生達が殺害されたが、この殺伐とした雰囲気は他人事ではない。
現在、オリンピックは国家間の代理戦争であり、資本による簒奪の場所である。寺山修司の言葉を借りれば、「クーベルタンは「国家の尊厳」に殺されてしまった」わけである。よって、オリンピックといえば、自国のメダル獲得数と、バラ色のユートピアとしての「経済効果」とやらのみが話題に上る。長野オリンピックの反省はどこかへ消えてしまったのだろう。
文化面からいうと、オリンピックとはリーフェンシュタールの映画に象徴されるように、「純正芸術」である。換言すれば、それは建前の文化であり、官製の美学である。「希臘人は外面を信じた」。環境浄化政策が採られるのは必然の結果だった。
浄化とは排除や封殺と同義である。十九世紀のナポレオン三世によるパリ大改造以来、今日に至るまでそれは変わらない。以前に述べたヒゲオヤジのエピソードは典型的な例だが、「限界芸術」(鶴見俊輔)的なものは影を潜め、観光客用の「ジャパン文化」が幅を利かせるようになるだろう。
華々しい雰囲気作りの影に仕組まれているものは何なのか見据えよう。踊らされるな。踊るなら自分のダンスを踊れ。
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首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
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