時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
アトムの善用のための祈り
東京新聞に「アトムの涙 手塚治虫が込めた思い」という連載が三回にわたってなされた。鉄腕アトムと原子力開発との微妙かつ痛ましい関係を論じた論稿である。

手塚が作品の中枢に生命倫理やエコロジー、反差別といったテーマを据えていた事はよく知られている。それが屈折した現れ方をする事も多いのだが、基本はそれで変わらない。手塚作品に親しんだ事のある者にとって、これは常識である。
だが、一部の自称脱原発派は、鬼の首でも取ったように「アトムは原発推進漫画」とワメき散らして已まない。一体、こんな事を言い募って何の意味があるのだろう。「鉄腕アトムは悪い漫画だ。そして、それを知っている俺は偉いのだ」という自己顕示と自己陶酔がそこにある。早い話、マウンティングをしたいのである。そして異論は全て「言い訳」として片付けられる。
文化芸術や知の遺産が全て「俺の方が偉い」という精神的自慰の道具にしかならないのは実に醜悪である。「ジャングル大帝」がある一家によって「差別漫画」として槍玉に挙げられたのは記憶に新しい。「ブラック・ジャック」にも単行本に収録できない作品があるという(余談だが、「奇子」の終盤は単行本化に際し、大きな差し替えが行われているという。この理由についても詳細を知りたく思う)。

ここで思い出すのだが、嘗て89年以降、マルクス葬送論が声高に叫ばれた。これに対し、頑迷な護教論者は論外として、何とか生産的な形で読み解いていこう、或いは古典として学ぶべきところを学んでいこうといった、様々な試みが行われた。その試みは今でも続いている。知を扱う領野において、これは当たり前の事である。マルバツをつけて何か判ったようなポーズをとるのは知性の放棄であり、精神の頽廃である。

萩尾望都は自らが考えたアトムの最終話の構想を語っている。原発の事故直後、アトム、コバルト、ウランの三人が除染のため福一に向かう、三人は発電所内で除染を終えた後、壊れて動かなくなる、というもの。「除染」という概念に誤認があると思うが、この萩尾版アトムは是非とも実現させてほしいと、真剣に考えている。

atom.jpg
(東京新聞より)

付記:私自身、手塚治虫護教論者ではない。例えば、手塚の「ノーマン」という作品についてはどう考えても擁護のしようがない。思い出しても腹立たしいのだが、別の箇所でも論じたような気がするので繰り返さない。
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首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
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