時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
「物自体」を求めて
目は野生の状態で存在する、とはアンドレ・ブルトンの言葉である。厳密にいうと、この洞察は正しくない。まなざしとは、ある種の意味を伴うものである。対象は何らかのシニフィアンとして認識されるといってもいい。「物自体」は認識されないものである。ブルトンの言葉は、こうした意味付与の層を極小化させる「意志」を示したものと理解されるべきである。
すなわち、対象物が通常の「意味」として認識されず、ぐにゃぐにゃした無気味な形態の物体として捉えられる状態、サルトルの言い回しでいえば、「嘔吐」を催す状態である。精神疲労が蓄積した時にこうした状態に陥りやすい。
これを創造活動と結び付けていこうとしたのがダダやシュルレアリストである。その試みは、「意味の恣意性」を問い直す試みでもあった。マルセル・デュシャンのレディ・メイド、マグリットの諸作品はその典型である。「裸体画は女性をモノとして見ている」などと罵言を投げつける連中がいるが、今さら何を言っているのだ。万物をモノの次元に立ち返って意味を再検討するのがこうした運動の動機なのだ。一切を政治的物差しでしか測れない政治主義者のしゃしゃり出る余地など、ありはしないのである。
さらに、「もの」との直接の対話を志向するというテーマを追求すれば、我らが「もの派」の基本理念についての考察を迫られる事になるが、話が大きくなってきたので差し当たりここまでとする。
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のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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