時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
マヤ・・・恐ろしい暦!
マヤの暦というものが話題らしい。ノストラダムスに続き、よくもこんな話題を引っ張ってくるものである。ほとほと感心せざるを得ない。
ノストラダムスことルネサンス詩人ミシェル・ド・ノートルダムについては過去に触れた。どうも人間は、やくたいもない終末幻想に心惹かれるものらしい。必要なのはきっかけだけである。マヤ暦とやらは格好の素材を提供してくれているわけだ。
実を言うと、人類が滅亡するイメージを具体的に描く事は左程難しくない。チェルノブイリ、福島級の原発事故が次々に起これば地球は「終了」する。終末というのは人々が想像している以上に身近な問題でもあることは指摘しておく。

ヴィジョンとしての終末論が、美術、文学作品に多くの素材を提供してきた事は周知の事柄である。
世界の終わりにまつわる幻想は、古より連綿と語り継がれてきた。巨大彗星が舞い来たり、三つの太陽が空に輝き、突然変異の怪物が最後の日が到来した事を告げる。やがて天空の扉が開き、裁きの雷が轟き渡る、云々。
中世・ルネサンス期の文献を渉猟すれば、こうした記述にはしばしばお目にかかる。そもそも聖書の黙示録が、終末論的な幻想を描いた作品だった。
美術的なテーマはともかく、なぜ人々は終末論に走りたがるのだろうか。背景としては、社会の行き詰まりを目の当たりにしたことから、一旦全てを御破算にしてやり直したいという願望があると思う。つまり、破滅と再生というテーマである、宗教的な終末論にはこの系列が多い。一部の戦争待望論などはこのバリエーションといっていいかもしれない。
一方で、うんざりだ、もう終わりにしたいという願望も存在する事は事実である。こちらは自殺願望の変形といっていいかもしれない。世界を道連れにして、何もかも終わりにしたいというところだ。つまり「心中」である。
私は文学的なイマジネーションとして以外にはオカルトには一切関心の無い人間である。だが、「うんざりだ、もう終わりにして欲しい」という終末願望には、生々しさを覚える。虚無の顎はいつも足元に口を開いている。
人類はそろそろ滅亡した方がいいのかもしれないが、汚辱にまみれ、虫けらのように苦しみ抜きながら死んでいくのは悲しいことだ。人生に何か希望があるというわけではないが、差し当たりはまだ終わりたくはないなという思いは残っている。そうやって、今日も生きている。
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テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

この記事に対するコメント
某女子アナ?
のわーるさん?  


これ、何かの番宣ですか?  

帰宅して、テレビつけたら、やってるよ。  

テレ東で。

フリーメイソンが云々?
 
水が腐らない?、ほう?  
信じるか、信じないかは、あなた次第だとさ。  

この様に言えば、後で問題にならないから?


【2012/12/21 22:31】 URL | ダムド #- [ 編集]

Re: 某女子アナ?
あとXX年後、人類が滅亡する時になっても「ガラスの仮面」は完結していないと思いますwww
【2012/12/24 22:58】 URL | のわーる #- [ 編集]


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首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
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