時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
思い出すことなど
井上靖に「しろばんば」という自伝小説がある。中学一年生の頃、読書感想文で読まされたものだった。中間小説の大家だけあって、なかなか読ませる仕掛けになっている。だが、一方で読み進める事に苦痛を覚えていた。何かしら息苦しいのだ。この異様な雰囲気は何だろうかと疑問に思っていた。
後年になり、多少心理学の知識がついてくると、これが胎内回帰の息苦しさであると理解される。あの小説は、おぬい婆さんの巨大な子宮の中の物語であったのだ。この息苦しさは続編の「夏草冬濤」にも共通する。井上が自伝を語るとき、彼自身の胎内回帰願望が丸ごと投影されていたように思う。三作目の「北の海」は感想文の課題図書にはなっていなかったのでパスした。
私自身の少年時代を振り返る時、こうした回帰への渇望は感じない。いじめによる苦痛と、やり切れない挫折の思いがそこに見出されるばかりである。いじめというものには終わりが無い。それは一生付きまとうものである。子供は馬鹿ではない。薄々とその事は理解していたのだが、一方で、そんな筈は無いと言う淡い願望を抱いていた。
いじめについて語り出すと、悔恨の迷宮に迷い込む。また改めて述べる機会もあろうかと思うので、今回はこの辺にしておきたい。だが、一般的に楽しい思い出よりも辛い思い出の方が後に残るものだ。
それに較べると、中学一年の頃の両親の別居(後に離婚)は、あまり心に響かなかった。むしろ、それまで泥沼の喧嘩状態が続いていたので、ホッとしたと言っていい。両親がこの状態のとき、子供は代理戦争の役を担わされる。父親に連れられて、父方の実家に遊びに行っただけで、母から絶交を言い渡された事もあった。まだ小学校に上がる前の事である。
長じて後、双方共に、自分の都合のいい事しか言わないものという事を理解する。だが、もうそんなことはどうでも良かった。もううんざりしていたのだ。両親の離婚により、子供が傷つく事などあり得ない、というのが少年期の私の信条だった。勿論、家庭事情は人それぞれであり、一般的な原則を打ち立てることなど出来はしない。その事を理解するにはもう少し時間が必要だった。だが、安いテレビドラマで描かれるような「傷ついた子供」の描写には、今でも異を唱えたい。
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首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
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