時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
「希望」は、戦争
民進党と希望の党をめぐる一件。怒りはあるが、左程大きな驚きはない。「ああ、やりやがったな」という程度だ。わたしの周辺で運動に携わっている人からは結構そういう反応が見受けられる。これまでの流れから十分予想できた事柄であるからだ。わたし自身でさえ、「安倍と同じ悪政を小池がやれば圧倒的な支持を受けるだろう」と記したことがある。それでも、運動圏の混乱振りは相当なものである。「希望の党に合流してトロイの木馬になろう」という意見もあるが、政治はそんな甘いものではない。大抵の人間は、一年も経たないうちにすっかり党の色に染め上げられてしまうものだ。人気のある異色のコメンテーターが、自民党に入って末端議員として終わる事例は珍しくない。
尚、今現在の報道によれば、山本太郎自身は合流はしない模様である。「トロイの木馬」発言は、合流する者達に対するせめてもの願望ということか。取り敢えず正式な表明を待ちたい。
メディアは小池劇場の演出に余念がなく、「自民vs希望」の対立軸を煽り立てている。だが、改憲、安保法制、歴史修正主義、どれを取っても安倍と小池の向いてる方向に違いなど存在しない。希望もまた自民と同様、戦争を志向する党である。希望の党が大勝したとすれば、自民と連立し、大政翼賛会の出来上がりだ。
北朝鮮祭りがどこかに吹っ飛び、毎日のように小池の莫迦面がTVの液晶画面に流れてくる。実に飯が不味い。

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雑想2017.9.24
PCのアクシデントでハードディスクの中身がパァになった為、このブログの下書きも消えてしまった。情けない話で、折角なのだからもう少し丁寧に書き直すことにして、差し当たりやくたいもない事を書き連ねることとしよう。
巷では愚かな独裁者が核実験やミサイル発射を強行し、これに対して劣るとも勝らない知能を持った政府閣僚が、開戦前夜のごとく煽り立て、武器輸出の算盤を弾く超大国が手ぐすねを引いている。挙句の果ては難民を射殺するなどとのたまい出す有様である。そういえば昔、「武装移民」なんてのがあったな。どこの国がやったんだっけ?ああ、日本が満州でやってたんだ。
この連中の描き出す三文小説では、日本は国家存亡の緊急事態の渦中にあるのだろうが、何故かこの後の国会で衆院解散総選挙を強行するらしい。随分のんびりした緊急事態である。
運動圏ではスターリニスト共が我が物顔でのさばり返り、「異論を持つものは全て差別主義者」だなどと喚き散らし、脅迫活動に明け暮れている。これに同調する者も少なくない。この連中は過去の運動の歴史から何も学ぼうとしないのだろうか。「新左翼はテロリストだ!俺たちとは違うのだ!」などと考えているとすれば、コケの集まりである。「やらない善よりやる偽善」という言葉もあるが、やってはならない悪というものもあるのだ。

映画の話でも語ろうかと思うが、先日、誤って「トランスフォーマー・リベンジ」なる代物を借りてしまったため、停滞したままである。率直に言って、このシリーズは好きではないのだ。今回も冒頭三十分で、何だかどうでも良くなってしまった。
書物ではマーヴィン・ピークの冗漫な「タイタス・グローン」を四苦八苦して読みきったのが災いしたか、その後何も読む気が起こらなくなってしまった。これではまずいと、引き続き生田耕作「ダンディズム」を読み終えたが、これも今ひとつ興味をそそられず。さらに、カントの「永遠平和のために」を読んで色々メモを作っていたが、PCのクラッシュで全て吹っ飛んでしまった。よって、今は語りたくはない。目下、スタニスワフ・レムの「枯草熱」を読んでいるところである。

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ミサイルが騒がしいので映画の話をしよう
観た映画のレビューが大分遅れていたので、走り書き程度だが簡単に印象を記す。放っておくとそのまま放置することになってしまいそうなのだ。とにかく漠然と「観た事がある」という印象に終わらせたくはない。ひと言でもふた言でもいいから、何らかの記録に留めておくことは有益な筈である。

フューリー(監督:デヴィッド・エアー)  かなり前に観たのでもう記憶も薄れてしまったが、出来の悪い戦争映画という印象だけは残っている。捕虜虐殺の場面だけは鮮烈だったが、ドイツ人女性の描き方など、舐めているとしか思えない。

スーサイド・スクワッド(監督:デヴィッド・エアー) 凶悪犯罪者を警察力として活用するという話。「ワイルド7」みたいなものかと思ったらアメコミヒーロー物の番外編みたいなものらしい。映画雑誌ではかなり評判が悪かったのだが、それほど出来の悪い作品というわけでもなかった。勿論素晴らしい作品というわけでもない。

アイアンマン (監督:ジョン・ファヴロー)  軍需産業を経営する主人公が、アフガン戦争に巻き込まれたことから自らをサイボーグ化。これまでの自分の過ちを認め、すっかり改心してヒーローとなる。結論としては、思った程悪くない。正直、舐めていたと反省した。今日の社会問題と繋げようとするのは、大人の鑑賞に堪えうる作品を意識しているのだろう。

無限の住人 (監督:三池崇史 脚本:大石哲也)  原作を途中まで追っていたのだが、途中で「アフタヌーン」誌の購読自体をやめてしまった。単行本もそれ以来追っていない。作者のアートの外連味が徐々に鼻についてきたのもある。さて、三池の映画の方はガッツリと斬り合いをしていてなかなかいい。この点勝新の座頭市を思わせる。ただ、殺陣の連続で、途中で飽きてくる感が無くもない。

メッセージ (監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ)  所謂ファースト・コンタクト物。わたし達にとって、本当に対話が必要とされるのは誰に対してなのか。それがこの映画のテーマだろう。 亦、主人公の最後の選択について議論があるが、別に奇異なものとは思わない。野暮ったく言えば、「この先哀しい運命が待ち受けているとしても、自分はその(予知された)未来によって支えられてきた。だからそれを決して否定したくない」ということなのだろう。

ダイナマイトどんどん (監督:岡本喜八 脚本:井手雅人 古田求)  言わずと知れた岡本喜八の怪作。やくざ達が斬った張ったの抗争を続ける代わりに、野球大会で決着をつけるというもの。マンガ作品で散々剽窃された話だが、「戦後」をずっしりと引き摺り続ける登場人物の姿には厚みを感じる。

キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー (監督:ジョー・ジョンストン)  第二次大戦中の米・欧を舞台に、改造人間となった主人公が活躍。何故か「未来少年コナン」を意識したような場面が見られ、なかなか小気味いい。わざわざ日系兵士を登場させたのは「日本アニメへのオマージュ」を示したかったのか。

ノーゲーム・ノーライフ・ゼロ (監督:いしづかあつこ 脚本:花田十輝)  TV版の主人公兄妹にそっくりな主人公と恋人が、不毛で絶望的な戦争を終結させるために奔走する。TV版のコメディとは打って変わってシリアスな悲恋物語である。予想外の良作だった。

オデッセイ(火星の人) (監督:リドリー・スコット) 近年のスコットにしてはマシな作品。火星に取り残された主人公が帰還するまでの話である。オーソドックスなストーリー展開で、評価としては「まあまあ」といった所。それにしても、やはり近年のアメリカ映画では、中国の存在が無視できなくなっているのだな。製作側のオトナの事情ばかりでもあるまい。

トランスフォーマー (監督:マイケル・ベイ)  一応良くできてはいるが、主人公の女蕩しぶりにまるで共感できないのが難点。内容は、主人公の青年が金属生命体と共に、地球の危機を防ぐというもの。「犠牲無くして勝利なし」というセリフについては、「取り敢えず犠牲者を出せば勝利する」という特攻神話を過去に持つわたしたちとしては、受け入れがたい。尚、このセリフはわが国の「ガールズ&パンツァー」でもパロディ的に流用された。

この他、「リリカルなのは Reflection」は続編があるので、まとめてレビューする予定。他に「南京!南京!」という問題作があるのだが、これはじっくりと時間をかけて感想を記してみたい。

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或る茶番劇
映画「きみの声をとどけたい」を観た。観てしまったことを一刻も早く忘れたいというのが率直な感想である。

序盤の主人公の異常行動には唖然とするほかなく、脚本はどうなっているのかと呆れ返るばかりである。だが、そんなことはここでは大した問題ではない。それよりもまず、
「他人を悪く言うと、その言霊は自分に撥ね返ってくる」
このセリフに引っかかりを感じた。この「他人」を「権力者」と置き換えてみよう。ネット右翼が「パヨクは批判ばかりしている」というのと同質のものに繋がらないか。
さらに、「権力者が庶民のために頑張っているのを、みんな理解しようとしない」という件りには、虫酸が走った。ここでこの映画がどちらの方向性を見ているのか、はっきりしたと思う。努力しない人間が人の上に立てるか?ちょっと待て。仮にいくら努力したとしても、その結果がトランプや安倍晋三であれば、それは評価に値しない。
さらに、ラストで十数年意識不明の状態にあった母親が意識を回復する場面で怒りを覚えた。これは「映画の噓」などではない。只の噓だ。何の御利益のつもりか知りたくもないが、「レナードの朝」を百回ほど繰り返し観て出直して来ることを勧めたい。

嘗て「映画くらい弱者の味方であってもいいじゃないか」と鈴木則文は述べた。若松孝二は「モノを作る人間は、権力の側から作っちゃいけないんだ」と常に主張していた。映画のみに限らない。創作活動からこの前提が崩壊したのは何時からなのだろうか。「シン・ゴジラ」は「たたかう権力者」の姿を英雄的に描き続け、TVアニメ「GATE自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり」では、原始的な武装しか持たない異世界人を、自衛隊が「ワルキューレの騎行」をバックにひたすら虐殺する姿を、格好いいものとして提示している(コッポラに謝れ)。或る意味評判の「永遠のゼロ」は未見なのでさしあたりここでは触れない。
現在、一部の作品で権力者側の視点が積極的に導入されるのはどういうわけだろう。「弱者の視点ばかり取り上げるのは偏っている」という両論併記的な発想なのだろうか。だとしたらそれは只の間抜けである。この手の作品に社会的弱者・下層民・落伍した者の姿に向き合う様はまずもって見られない。よく誤解されるが、こうしたパワーエリート礼讃こそ、ニーチェは「弱者の思考」として軽蔑した筈である(三島憲一「ニーチェ」参照)。今回の映画でも、地域の有力者への批判は、無理解な中傷として片付けられる。

勿論、創作活動においては社会的身分を問わず、登場人物の仮面を徹底的に解体させ、生身の人間として描くことが重要である。むき出しの生の姿であり、そこで初めて人間性の真実に近づき得る筈である。この映画は生身の人間を描く振りをして、社会的強者を擁護することに話を結び付けていった。そこにいかがわしさがある。
花田清輝は「たしかに人間喜劇(コメディ・ユメイヌ)の時代は終わった」と記しながら、同時に「それは性急な結論であるかにみえる」、と記した。ここで疑問符を呈してみせたのは、花田の慧眼である。おそらく今日のわたし達に必要なのは、「人間喜劇」である。薄っぺらな茶番などではない。

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のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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