時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
「ゴースト・イン・ザ・シェル」について
映画のレビューがまるで追いつかなくなっているのだが、この作品についてはひと言っておきたい。結論を言うと、巷間叩かれているような悪い映画ではないということだ。

主人公の草薙素子を白人に置き換えた「ホワイト・ウォッシュ」については散々非難がなされている。実際にはストーリー上の整合性がつけられてはいるが、その分たちが悪いともいえるし、どうしても批判はまぬかれないだろう。
ただ、「アニメ版の深遠な哲学を理解せず」云々という説にはあまり同意できない。サイバーパンクが流行ったのはおよそ30年前。人間がコンピューターと神経系統を通じて肉体的に接続し(早い話、脳に電極を埋め込み、ケーブルで接続する)、ヒトとAIの区別が喪失していく世界である。W.ギブスンの「ニューロマンサー」は二つのAIが統合して神になる話だったし、その後の続編ではそれが暴走していく様が描かれていた、と思う(昔読んだきりなので些かうろ覚えだ)。
さて、アニメ版「ゴースト~」では主人公は自分が何者かを問い続ける。果たして自分が人間なのか、AIなのか。考えれば考えるほど、自分が人間であるという根拠が失われていく。
ハリウッド版では解答が示されている。「そんなことをウダウダ考えたって仕方が無い。今、自分がどうありたいのかが重要なのだ」と。人間の本質を実体主義的に探究しようとしても、究極的な模範解答など出るべくも無い。結局、ある社会における関係性や、約束事の上に全ては成り立っている。そう考えていけば、自分がAIだろうとヒトであろうとどうだっていいという地平に行き着くことになる。
アニメ版では別のAIと融合を果たすことで主人公は新たな一歩を踏み出すが、ハリウッド版ではそれは無い。既に解は提示されているので、主人公は自ら歩みを進めることが可能なのだ。
実は、「今の自分を受け入れた上で前に進む」という点で、アニメ版とハリウッド版は同じ結論に達しているとも見て取れる。アニメ版ほど「ヒトかAIか」のテーマを前面に出さなかったのは、「今さら?」という思いもあったのだろう。ギブスンの活動以降、散々議論は尽くされているのだ。何せ30年だ。既に解決済みと断ぜられてもおかしくない。

IMG_6039.jpg

スポンサーサイト

テーマ:最近見た映画 - ジャンル:映画

チート!チート!チート!
チートという英語がある。アルファベットではcheat、名詞としての意味は詐欺師、いかさま師というものだが、わが国の現用ではフィクションにおいて、超人的能力を備えた登場人物をさす場合が多い。反則的能力というわけだ。

だがこのチート主人公の存在は、今に始まったものだろうか。例えば、探偵小説の名探偵など殆どすべてがチートである。有名どころでもシャーロック・ホームズからエルキュール・ポワロ、明智小五郎、金田一耕助等々、枚挙に暇が無い。古帽子ひとつを取って、「持ち主は知能の優れた人物。今は零落しているが嘗ては裕福だった。思慮深い人物だったが今は道徳的に退歩している。飲酒癖があり、外出は殆どしない。半白の頭は散発したばかり。ライム入りのクリームを使う」などと洞察するのはまさに「チート」以外何者でもない(ドイル「青い紅玉」参照)。
ヒーロー物がチートなのは寧ろ当たり前で、「最近の若者の間ではこんなものが・・・」などというのはもはや年寄りの繰言でしかないだろう。ただ、その手の主人公が無双するだけの作品(所謂「俺TSUEE」物)は後世に残らないというだけなのだ。
ジークフリートは奸計によって殺害され、アルセーヌ・ルパンは超人的能力を持つが裏切られたり騙されたりで、毎回苦戦する。チートな主人公は存外苦労人である場合が多いらしい。マンガでいえば超人ロックやゴルゴ13にしても同様である。
およそ、チート物には大きく二つの流れが存在するといっていい。勿論、多くの場合は両者が混交している。

・チートにもかかわらず、主人公が苦戦する。
・主人公はチート能力を発揮するが、物語の総体としては別のものを提示する。

探偵小説が鮮やかなトリックを提示するのは後者の典型である。極言すれば、探偵はそれを導き出すための道具である。勿論、主人公が一定の魅力を併せ持っていなければ物語そのものが成り立たない。探偵物でもホームズの場合は十九世紀イギリス社会の姿を炙り出すことに成功しているし、笠井潔の矢吹駆シリーズなどの主題は、哲学者達の思想的格闘とそのアポリアを描くことにある。また、先に挙げたゴルゴ13は大抵の場合ポリティカル・フィクションが主題なので、寧ろこちらに属するだろう。

このように、「チート物」の系譜は連綿としてあり、今に始まったことではない。新しい作品に接しても「この主人公はチートだ」と徒にカリカリせず、もう少し長い目で見ては如何。

IMG_6038.jpg

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

読書録 2017.8.13
・黒史郎「ラブ@メール」 
癒し系の題名とは裏腹な内容で、いわゆるゾンビ・パニック物のバリエーション。作者お気に入りの屈折した性愛も描かれている。最後、無理に解決させる必要は無かったと思うのだが、どうだろうか。

・シャーリィ・ジャクスン「丘の屋敷」 
ホラーと銘打ってあるが、左程怖いわけではない。「ブレア・ウィッチ」的な、ジワジワくる感覚が魅力だと思うが、読む人によっては物足りない思いがするだろう。怪奇小説としては別に間違っているわけではないが。
テーマは居場所を失ったヒロインの悲劇である。社会に居場所を失った主人公が、丘の屋敷という安住の地を見出し、そこも追い出されそうになった時、永久に留まり続けるべく自殺する。しんみりした余韻を残す作品である。

・スティーヴンスン「ジキル博士とハイド氏」
内容は今更言及するまでも無いだろう。有名な怪奇小説である。薬物で体つきまで別人に代わるというのはどうかと思うが、この着想は後述の「透明人間」にも引き継がれているので莫迦にはできないだろう。小説としての力は流石であり、今日でも充分魅力的である。

・H.G.ウェルズ「透明人間」 
これもよく知られた小説だが、原作を読むのは初めてだった。内容は次の通り。透明人間になった科学者が誇大妄想に陥り、世界征服を志し、やがて殺人を犯す。これに対してマスヒステリアに陥った市民が、彼を追い詰め、よってたかってぶち殺してしまう。作者はこの集団狂気を肯定的に描いているので、「何だかなぁ」といった印象ばかりが残った。

・フレドリック・ブラウン「発狂した宇宙」 
平行世界物の先駆となった古典的な作品。事故により、異世界に転移した主人公が、お尋ね者となり、星間戦争に巻き込まれ、元の世界に還る方法を模索する。
ディックの「虚空の眼」のように、あちこち飛ばされるのかと思ったがそういうわけではなかった。最後は元の世界に還るのではなく、主人公の望む世界に転移するのだが、なかなか小気味いい。

・ピエール・カミ「三銃士の息子」 
大デュマの「三銃士」シリーズの二次創作。ダルタニアン、アトス、ポルトスの共通の愛人だった女性から生まれた子供が主人公。アラミスは最後まで生きのびていたから登場させるのは具合が悪かったのか。
カミの奇想天外な悪ふざけはやや抑え気味だが(こう見えても抑え気味なのだよ)、原作がしっかりしているだけに、なかなか読ませる。プランシェの養女をめぐり、この主人公がフランス・スペインを又にかけ、大冒険をするというもの。牛頭の青年が最後に死んでしまうのは、話の収まりがつかなくなったためか。
ちなみにわたしは、「三銃士」シリーズを全巻通読していない。「ブラジュロンヌ子爵」の最初の巻で力尽き、挫折した。あの辺は流石になかなか読めたものではない。王侯貴族の男女関係の泥沼など、何ら興味を惹かれないのだ。ピューリタン革命を扱った、「二十年後」までは素直に読めたのだが。結局面倒臭くなったので、最終巻まですっ飛ばして、銃士たちのその後の顛末を確認した次第である。
尚、「ブラジュロンヌ子爵」の後半は鉄仮面事件を扱っているので、いずれ読んでみたいとは思っている。

IMG_5935.jpg

テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

エッフェル塔と幽霊船
ピエール・カミ「エッフェル塔の潜水夫」を読む。
ピエール・カミは、「ルーフォック・オルメス」や「クリク・ロボット」などに示されるように、奇想天外なナンセンスを得意とする人なのだが、「潜水夫」は、うって変わってオーソドックスな冒険小説の体裁をとっている。そのため、ナンセンスを期待した人にとっては物足りない感が無きにしも非ず。邦訳が少ないことから、わが国では本作がカミの代表作のようになってしまっている。しかし、この人の本領はナンセンスにあるので、読んだことのない人はそちらに触れて欲しいと思う。
序盤に主人公らしく振舞っていた少年が、途中から完全に脇役に回ってしまうなど戸惑う点もある。話の辻褄合わせも強引なので、どうせやるならナンセンスに徹したほうが良かった。
そうした欠陥も持つが、中々愉快な冒険小説であることは認めていい。この人にはこんな引き出しもあるのだ。わたしはこの作者をヴィアンになぞらえたことがあるが、今回はシューのような作風に転じたといえる。
作者の全体像を知るためにも、もっと多くの翻訳が出て欲しい。本国でも絶版状態が続いているようなので。

尚、ちくま文庫版の本作は、挿絵が真鍋博(星新一の小説でお馴染みの人だ)、解説は赤川次郎だった。

テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌



プロフィール

のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



のわーるのつぶやき



最新記事



カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -



最新コメント



過去記事のアーカイブ



カテゴリ



最新トラックバック



2010年「国際ジュゴン年」



検索フォーム



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QR



RSSリンクの表示



全記事表示リンク

全ての記事を表示する



FC2カウンター