時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
巨人の死
歴史上にその名を確実に残し、最期まで全世界に影響を与え続けてきた人物が亡くなった。既に第一線からは退いていたとはいえ、フィデル・カストロ・ルスが世を去った衝撃は、決して小さいものではない。その風貌のみに限らず、とにかく「でかい」男だった。
ゲバラに比して、カストロを貶める言説は、今も耐えることが無い。わたしに言わせれば両者とも同じような過ちを犯していたし、また、ゲバラはロマンに逃げたのではないかという疑問もあった。だからといって、カストロに政治的擁護を加えるわけでは無かったが、この年老いた同時代の「コマンダンテ」の動向は常に気にかかっていた。
反対勢力に対する苛烈な弾圧は屢々耳にした。その一方で、「カストロ節」と呼ばれる彼の言説が、事理に対する恐ろしく鋭い洞察を示していることに圧倒されることも多かった。キューバを無批判に礼讃する人々に同調はしないが、決して単なる独裁者で済まされる人物ではないことは理解していた。「銅像無き権力者」という呼称は、自身への偶像崇拝を嫌った彼の性格を端的に示している。
彼に関する逸話は数多い。ニューヨークでのハーレムでの滞在、国連での四時間半に及ぶ演説等々。だが、私が注目したのは、冷戦後における各国への医療チームの派遣だった。革命の輸出に代えて、医療の輸出へ。様々な方面から伝え聞くキューバ社会の負の側面、その多くは信憑性のあるものだったが、その一方で、各国が模範とするに足るような人道支援を継続する姿勢に、不思議な思いを禁じえなかった。「ますます評価が難しい人だ」、わたしがカストロについて語るときは常にその地点に立ち返っていた。
彼の発言で今も尚印象に残っているのは、次のようなものである。
「ある重要な生物種が、その自然な暮らしの状態を急速に破壊することによって、絶滅の危機に瀕している。それは人類である。我々は、それを食い止めるには、もはや遅すぎる時期にいたって、今ようやくこの問題に気づきはじめたのだ」
彼はこの演説で、一握りの人間が世界中の資源をほしいままにすることで、地球環境を破滅的な危機に導いているのだと指摘した。この問題は今も尚、生々しい。現在問題になっているTPPをはじめとする自由貿易協定にも直結する事柄である。この演説は2009年のものだが、わたしたちの社会の状況は、当時から一向に改善されていない。
「私は自分自身の独裁者であり、国民の奴隷である」オリバー・ストーンの映画で彼はこう語っていた。たとえ建前であっても、このような発言は凡百の政治家の口からは決して出てくるものではない。フィデル・カストロが不在となった今日、その最良の部分に思いをはせることは有効である。「フィデルだったら、こんなときどう思うだろう?」

manics.jpg

スポンサーサイト

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

欅坂再説
どこかの国の大統領が言っていた(曲解して)
声を上げない者たちは
賛成していると…

選べることが大事なんだ
人に任せるな
行動しなければ
Noと伝わらない
(サイレント・マジョリティー)

欅坂46の代表曲「サイレント・マジョリティー」を聴いた。何せ秋元の歌詞である。内容はベタで捻りがないし、婉曲、暗喩といった技巧的な要素は一切無い。美空ひばりに歌わせた「川の流れのように」にしてもそうだが、どうしても詞としては陳腐さが目立つ。
だがそれは措くとして、詞の内容自体は「大人たちの支配に対する叛逆」を歌ったもので、決して奇矯なものではない。むしろ、反ファシズムの歌としても通用するものである。青春歌曲としてのテンプレには違いないが、アイドル・ソングとしては充分に鑑賞にたえるものだろう。
SS風のコスプレがアイロニーを込めたものか、何も考えずに行われたものなのかは知りようもない。ただ、一方的にレイシスト集団だの、「売女」だのといった、人としての尊厳を貶めるような口汚い罵詈讒謗がみられた。
活動家だか便乗だか知らないが、結局この手の連中は、「叩いている俺はエラい」という、歪んだ自己顕示しか頭にないのだろう。立場の弱い者に対してはひたすら攻撃的に打って出る、嗜虐性の愉楽に溺れた、醜い人間の浅ましさが曝け出されていた。しかも多くの人々はそれを今も尚正義と信じ、カッコいいと思っている筈である。
わたしの結論は以前述べたとおりで変わらない。「何故、いかに」の問題だけである。そこに譲れない切実なものがあったのなら、そう訴えればいいのだ。

今日、運動圏においても、人文学は依然として軽んぜられたままである。重視されるのは報告文書と政治教程であり、本質的には体育会系のノリと変わらない。そこでは人間性への思索は一切無く、予め決められた良識のみが重視される。「表現者は良識を守れ、価値を疑うな、良識の幇間たれ」と。
当然、彼等が内容を思考することは全く無い。ひたすら思い込みと決め付けで潰しにかかる。全ては自己顕示のため。自分は偉いと誇示するため。レッテルを貼り、吊るし上げ、集団リンチに晒す。異論を抱くものは徹底的に抹殺される。敵として叩いた方が都合がいいのだ。かくして「敵」はひたすら再生産され、世界は邪悪な「敵」にまみれた姿で描き出されことになる。自分たちは孤軍奮闘の光の戦士とでもいうのだろう。
手塚治虫の「ジャングル大帝」が差別文書として吊るし上げられたことは記憶に新しい。そのうち白土三平や中沢啓治さえ「差別主義者・レイシスト」として糾弾される日が来るのかもしれない。

言い訳はきかない。如何に反差別を題目にしようとも、愚劣な運動は愚劣であるとしか言いようが無い。こんなものが運動を名乗るとしたら、そんなものは滅びてしまったほうがいいのだ。

ルールを説くけど
その目は死んでいる
(サイレント・マジョリティー)

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

或る朝貢劇
安倍晋三がトランプと会談したという。トランプ当選に纏わる話は色々あるのだが、後日詳述したい。今日は簡単にひとつだけ。

メディアによれば、安倍はトランプと友情をかち取り、信頼関係を結んだのだという。
トランプはさぞかしこう思ったに違いない。「安倍という男は信頼できる。きっとよいペットになるだろう」と。
クリストファ・コロンブスが米先住民を「よい奴隷になるだろう」と記したように・・・

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

欅坂の白日夢
今月の下旬まで忙しいので、あまり更新する余裕がないのだが、黙っていられないので触れておく。
セルジュ・ゲンズブールに「ナチ・ロック」という曲がある。アルバム「第四帝国の白日夢」に収録され、シングルとしても発売されたものである。内容はナチスをテーマにした、言葉遊びとナンセンスのオンパレード。このアルバム全体がそういった確信的な悪ふざけに徹しており、「ナチ・ロック」から「S.S.イン・ウルグアイ」までそれは一貫している。
勿論、本作を手の込んだナチス批判と受け取ることも出来るのだが、そうした糞真面目な政治性の枠に収まらない、精神の渇望がここにある。鹿爪らしい良識に喧嘩を売った、いかにもカウンター・カルチャーの牽引者にふさわしいスキャンダラスな作品だが、当然、発表当時は喧々囂々たる非難の嵐だったという。本人も、全て覚悟の上だろう。
ゲンズブールはユダヤ人である。ナチスに迫害され、苦しめられた当事者であり、ナチスに傾倒する余地はない。その彼が敢えてナチスをポップな主題にする。これは彼が投げかけた問いかけであり、よく考察されるべきである。

さて、長々と書き記してきたが、わたしの言いたいことは他でもない。欅坂46とかいうグループのことである。ナチス親衛隊を模したコスプレは、どちらかというと映画「ナチ女収容所」を連想したくなるのだが、この問題点はやはり、「何も考えていない」「考え無しに行っている」という点に尽きると思う。あの制服を「格好いい」(当然だ。ナチスはその最高の美意識を徹底的に悪用したのだから)と評価したいのならば、それだけの理由と覚悟が必要なのだ。喧嘩する覚悟があるのか?無いだろう。その程度の意識で扱えるような代物ではない。
デヴィッド・ボウイにしろYMOにしろ、覚悟があった筈である。

Cwbb7cTUQAA4DEo.jpg CwPn80XVIAABgo0.jpg

※ついでにシド・ヴィシャスの写真も挙げておく。この人の振る舞いについても、色々考えてみると面白い。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記



プロフィール

のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



のわーるのつぶやき



最新記事



カレンダー

10 | 2016/11 | 12
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -



最新コメント



過去記事のアーカイブ



カテゴリ



最新トラックバック



2010年「国際ジュゴン年」



検索フォーム



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QR



RSSリンクの表示



全記事表示リンク

全ての記事を表示する



FC2カウンター