時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
おことわり
前回の記事についてだが、続編の執筆を断念することにした。私の文章など、読みたがる物好きな人はあまりいないと思うが、一応お断りしておく。
実は行程中、発熱と嘔吐・下痢の症状を呈し、宴会を中座するという事態があった(自己診断では腸炎)。そのことに対し、上司から散々因縁をつけられている。説教のつもりらしいが悪質な言いがかりである。「死んでもそこに居続けることが常識」なのだそうだ。目下、憎悪と怒りの感情しか沸いてこないため、本稿の続編を執筆できる状態ではない。将来、もしかしたら気が変わることもあるかもしれないが、当面その予定は全く無い。
ここまで書きながら、何度も感情が爆発しそうになった。何もかも台無しである。
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日本から少し離れて~大陸編 (1)
震災の翌日、仕事で杭州に行くことになった。自称愛国烈士サマがこよなく愛してやまない中国である。熊本からのおぞましい被害状況が伝えられ、醜悪な流言蜚語が飛び交う中、後ろ髪を引かれる思いだったが如何ともしがたい。

三里塚の空港を飛び立って4時間弱、昼過ぎに無事杭州空港に降り立った。中国である。私にとって、初めての大陸である。昨年、初めて海外の地を踏んだときと同様、しばし呆然とした。でかい!何かうまく言えないが、とにかくでかい!それがこの地の強烈な第一印象である。
世界史のおさらいをしよう。杭州とは南宋時代は臨安と呼ばれ、商業経済が大きく栄えた場所であった。わが国とも平清盛の時代に日宋貿易が盛んに行われていたことはよく知られている。マルコ・ポーロが「東方見聞録」にこの地のことを「キンザイ」という名で記していることをご存知の型も多いだろう。
司馬遼太郎も「街道を行く 中国・江南のみち」で、この地のことをやや詳しく紹介している。興味のある方は手にとってみるといいだろう。だが改革解放政策が進められ、高度に資本主義化した現在、流石に司馬が歩いた当時の雰囲気とは、まるで比べ物にならない。予習のつもりで目を通しておいたのだが、あまり参考にならなかったことを告白しておく。流石に時の流れをひしひしと感じた。
変わらないのは、自然現象である。杭州湾では、世界的に有名な大海嘯が発生する。海嘯とは、潮の逆流現象をいう。南米でいう、「ポロロッカ」である。年に一度、杭州では大きな海嘯が発生し、ある種の名物ともなっている。
私が訪れた際は時期が大きく異なっていたのだが、車上から名高い銭塘江を眺めながら、様々な感慨に耽ったものだった。

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真実を告げない偽りだ
安倍晋三は、「TPP反対と言ったことは一度もない」のだそうだ。嘘つきは政治家の始まりと、よく揶揄されるのだが、こういう歩くエイプリルフールのような男が国政のボスとして君臨し、少なくない支持を得ているということは肝に銘じておいたほうが良い。
言うだけならタダ。何を言っても責任は取らないし、都合が悪ければ無かったことにするし、徹底的に知らぬ存ぜぬで押し通す。それが現在のこの国の為政者の基本原理である。
この男が近い将来において、「私は「同人誌は非親告罪にならない」と言ったことは一回も無い」とのたまったとしても、私は驚かない。嘘つきが嘘をついたとして、今更何を驚くことがあるのか?
「ウソつきがボク達を守ると言ってくれた!」と浮かれ騒いで喜んでいる連中は、それがどういうことなのか、よく考え直したほうがいい。

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一番美しく ~ 手塚治虫考(3)
手塚治虫に「ダスト8」という作品がある。8つのストーリーからなる連作長編であるが、そのひとつを紹介する。
ヒロインは人気のあるラジオDJ。彼女は、独裁国家で政治犯として囚われているキムという青年を救うため、ラジオで聴衆に呼びかける。キムは彼女の元恋人であり、今も尚、かたい友情で結ばれている間柄であった。
彼女の活動に激怒した社長は、彼女を降板させると脅しつけ、「あなたはただのアナウンサーなのだぞ!」と告げる。実に、既視感のある風景である。
結局彼女はDJの職を失うが、街頭でのアピール、署名を続け、キムの解放に向けて尽力する。彼女はさる事情から、あと一週間の命を宣告されているのだが、限られた時間を全てキム青年の救援活動に注ぎ込む。
やがて工作員からの妨害が入り、拉致・密殺寸前のところでキムが解放されたとのニュースが入る。目的を達した彼女は、安らかに死を迎える。約束の一週間が過ぎたのだ(彼女の死の理由については本作の設定から説明しなくてはならないのだが、煩瑣になるのでここではしない)。

この作品の背景として、朴正煕政権時代の韓国が念頭にあったことはうたがいない。金大中事件や金芝河救援活動が話題となり、大江健三郎や小田実が積極的に運動に携わっていることに、手塚も思うところがあっただろう。
ラジオという媒体で、ここまで露骨に政治犯の救援を訴えることが、正当なことかどうかは議論の余地があるだろう。私の想いを言えば、それが「殺すな」というメッセージならば、踏み込んでも良いと思う。人権に国境は、ない。
だが、ラジオでの呼びかけの是非などはどうでもいいのだ。ここで描かれているのは、ひとりの女性が、友人の命を救うために全てをなげうって尽力する姿である。好きなこともせず、遊ぶこともせず、ヒロインはただひたすら救援活動に没頭する。その姿は限りなく美しく、私などではちょっと真似出来そうにない。本作の主題はそうした人間の強さを描くことにある。

さて、この度幾人ものニュースキャスター、ジャーナリストがテレビのレギュラー番組から姿を消した。偶然の一致などと、とぼけた振りをするのはやめてもらいたい。上からの圧力がかかったのは明らかである。舐めるのもいい加減にしたらどうだ。
降板したキャスター達は、いずれも特別に左翼的傾向を持っていたというわけではない。寧ろ保守派の論客さえも含まれている。公権力とジャーナリズムの関係で言えば、そこには当然に距離が存在する。権力者が愚劣な政策を取れば、批判的な論調が表われるのは当然である。これは政治的立場の左右を問わない筈である。
にもかかわらず、今回の降板劇である。日本の国家権力は、当たり障りのない原稿読みを求めたのである。考える人間である以前に、意思を持たない人形であれというのが彼らの意向だった。高村光太郎風に言えば、「これはもうキャスターぢやないぢやないか」である。
「意見を言う主体ではなく、一個のスピーカーたれ」、これは今日の日本において、社会規範として共有されつつある、余計なことを言わない、考えない、公権力の批判をしない。それが「中立公正」という、市民としての模範的な態度である、と。
だが、中立を標榜する者に碌な人間がいたためしはない。この種の手合いは、中立公正を旗印に、ひたすら物言う他者の意見を潰しにかかる。そもそも一人の人間が客観的で中立公正などということがあり得るだろうか。AIでさえ、環境においてはネトウヨ化するものだ。必要なことは、自分は何者なのか、自分はどうありたいのかを問うていくことである。
岸井キャスター降板後の「ニュース23」は、ワイドショーかと見まごう程に無残な様相を呈していた。私はこの岸井という人物を左程高く評価しないのだが、それでもこの体たらくである。ますますテレビを観る機会が減ってきた。

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荒れて吠えてたアウトロー ~ 望月三起也逝く
望月三起也が亡くなった。「ワイルド7」、「最前線」、「バラの戦士」等、どこまでも硬派で力強いアクションを描いた人だった。私の少年期の重要な時期は、「ワイルド7」の思い出と共にある。
ワイルド7とは、警察の特殊白バイ部隊であり、証拠が無い為に通常の警察では逮捕できない悪人を抹殺するための組織である。メンバーは指揮官の草波勝以下、7人の元死刑囚から構成される。
勿論、無茶な設定には違いない。真面目に考えれば、証拠もなしに誰かを処刑するというのは、どう考えても擁護のしようがない話である。この日本では、証拠ともいえない証拠を根拠に有罪判決を下され、無実の可能性が高い人間が処刑されることすら、現実に起きているからだ。
だが、少し視点を変えてみよう。先の定義「証拠が無い為に通常の警察では逮捕できない悪人」という概念をとことんまで突き詰めてみるといい。そこで浮かび上がってくる最終形態は何だろうか。言うまでもない。そこにあるのは、政治家や権力者の姿である。この作品が、反権力に向かっていくことは必然であった。
詳しい作品論は、長大になるので別の機会に譲る。あまりにも思い入れが深いのだ。私は望月の作品から「権力悪」という概念を徹底的に叩き込まれた。彼の主人公たちは、警官という猟犬として登場しながら、最終的には権力に対抗して、狂犬のように牙をむくのである。これが私の価値観を決定付ける、重要な要素のひとつであったことは間違いない。

「少年キング」連載の、無印版「ワイルド7」の最終話「魔像の十字路」は、主人公たちの果敢な抵抗にもかかわらず、軍事ファシズム政権が成立する話であった。今、まさにこの悪夢の作品世界が現実になりつつある。望月もこれでは浮かばれまい。
「この日本もイヤな風が吹いて、住みにくくなってきやがったなぁ」(ワイルド7)

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左の菊地秀行の本は、表紙を望月が描いている。今となっては最晩年の作品。

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標的の海~手塚治虫考(2)
手塚治虫のマンガに、「海の姉弟」という作品がある。主人公は沖縄に暮らす、二人の姉弟。彼女達は村から離れた海辺に暮らし、珊瑚に巣食うオニヒトデの駆除を生業にしている。街に出れば村人たちの陰口が絶えない。この姉弟は村八分の存在なのだ。
原因は戦時中、彼らの母親が米軍に騙されて村に兵を呼び込んだ事にある。その結果、村が丸ごと焼き討ちされ、多くの村人が虐殺されることとなった。その経緯もあり、戦後になって、彼女が白昼米軍に何度も強姦された際にも、村人が彼女を助けることは無かった。彼女に対するこうした憎悪と、混血児への蔑視感情から、姉弟は今も尚、村人に受け入れられることは無い。
ある日、この姉に対して縁談が持ち上がった。相手はヤマト(内地)の大企業の社長である。ヤマトンチュを信用するな、と主張する弟の反対を振り切って、姉は結婚を決意する。
その後暫くして、姉弟の暮らしていた珊瑚の海の埋め立て工事が開始される。開発による利益をもくろむ夫の差し金であった。母親は米軍に騙され、娘はヤマトに騙されたのである。夫の裏切りを知り、彼の元を飛び出した姉は、工事車両の前に立ちはだかる。
「さー、くるならおいで!死んでもうめさせないわ」
しかし、破壊作業は止まることなく、彼女はそこで命を落とす。姉の亡骸を発見した弟が叫ぶ。
「だれも彼も出ていけーっ。人殺しめーっ」
荒々しく工事が継続されるシーンで作品は幕を閉じる。

あまり目立たない短編なのだが、米兵による強姦問題等も描かれ、かなり社会問題に切り込んだ内容となっている。尤も、これには手塚の敗戦直後の記憶も反映されているのだろう。だが、手塚が沖縄にこだわりを持っていたのは確かなようである。ブラック・ジャックが、集めた高額な医療費で沖縄の島々を購入し、自然保護に尽力していた(註)のはファンにとってはよく知られているし、「MW」のモデルは在沖縄米軍のサリン漏洩事件である。この他にも、さりげなく作品の背後に沖縄を忍ばせたものは意外と多い。沖縄とは手塚にとって回帰すべき大自然の象徴であり、一方で戦争の傷跡を今も尚残す、生々しい場所でもあったのだ。
手塚は嘗て、沖縄海洋博にプロデューサーとして携わった(「海の姉弟」にも言及がある)。開発によって齎される環境破壊に対し、忸怩たるものがあったに違いない。「我々は沖縄に対して負債を負っている」というのは大島渚の言葉だが、手塚も同じ思いを共有していた筈である。

作品の内容に戻る。オニヒトデとは、沖縄を破壊するヤマトンチュたちのメタファーであることは疑いない。オニヒトデは生存の為に捕食を行うが、ヤマトの資本家達は、際限なく利益を貪るために珊瑚の海を破壊する。姉弟たちは、戦争、環境破壊、そして米国とヤマトからの蔑視に苛まれる、沖縄の現代史を象徴的に表している。
ストーリーだけを素直に追ってもいい。これは今も尚、沖縄で行われていることなのだ。リゾート開発と米軍基地建設の違いはあるが、両者の間に本質的な差はない。前述のように本作には、戦争、環境破壊、沖縄蔑視と、必要な要素は全て詰まっているため、今日の辺野古の事態にストレートに重なってくる。

高校生の頃に初めてこの作品を読んだときは、主人公の分離主義的な傾向(ヤマトとウチナーは相容れない)と、救いのない結末に閉口したものだった。だが、最近読み直してみて、涙が溢れて仕方がなかった。手塚の社会派作品の中でも、鋭い切れ味を持った一編である。

(註)彼は身寄りの無い、貧しい老人達の養護施設も設立している。

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舐めるな!
はたしてしからば、すでに一歩を踏み出しているはずの日本革命は、いったい、いかなる「歌」をもっているであろうか。 
(花田清輝)


「ラブライブ!」と題するアニメ作品がある。所謂美少女アイドルアニメの一環であり、今も根強い人気を博している作品である。
私は、この作品の歌と踊りには一切興味を惹かれないのだが、ストーリー的には「そこそこ」という評価をしている。序盤の数話は観るのに些か苦痛を伴うが、それを乗り越えると話の流れに馴染めるようになる。
ただ、第一期クライマックスにおける、メンバーの留学をやめさせてしまう件りは、幾ら何でもいただけない。リアリティ及びドラマ作りの常識双方に鑑みて、それはないと思う。そこは気持ちよく見送って「感動」の第一期最終回で良かったのではないか(私は別に感動しないと思うが)。
その他、ダメ主人公の生徒会長就任など、妙な箇所もあるのだが、細かい所にごちゃごちゃ絡んでも仕方がない。全体を通して緩いスポーツ物的な感覚で楽しめる作品だった。ダイエットの話では腹を抱えて笑ったものである。
劇場版における、田舎者根性丸出しのお登りさん振りには閉口したが(NYと思しき街を「世界の中心」と連呼する)、主人公が「何故歌うのか」を問うていくあたりは悪くない。
ドラマとして傑作とは思わないが、「萌え」と相まって、人気を獲得する理由はよくわかる。結論としていえば、私も左程嫌いではない。

以上は前置きである。過去記事との重複もあり、些か長過ぎた気もしないではないが、ここから本題に入る。
馳浩という元プロレスラーの文部科学大臣がいる。先頃、体罰自慢で話題になった男だ。この人物がこのたび、何をとち狂ったのか、「ラブライバー大臣」などと自称するようになった。既視感のある風景だ。麻生太郎がローゼンメイデンを賞賛したときのあれである。
麻生が札付きの表現規制派であるにもかかわらず、多くのアニメ・マンガファンがいいように乗せられていったのは記憶に新しい。「肉屋を支持するブタ」という言葉が私たちの間で忌々しい思いと共に語られるようになったのもこの頃である。
そこで今回のラブライバー宣言である。まさかこんなパフォーマンスに乗せられるお目出たい人間もそうそういるまいなと思ったら、ネット空間上にそのたぐいがぞろぞろ現れて来たので唖然とした。視聴者層から考えて、必ずしも世間知らずのお子様ばかりとはいえないだろう。自民党はさぞかし、「こいつらチョロいもんだ」と思っている筈である。いい加減、学習しないのか。これだけ幼稚なパフォーマンスも見抜けないのか。
わが国の政治家が文化を活用しようとする場合、金と欲にまみれた汚い手で作品を引っ掻き回し、台無しにすることになるのは必定である。この国の文化環境は、それ程までに、低い。今回の件についても、せいぜい利用されるだけで、最終的には手痛い目を見るだろうということは、目に見えている。それが自覚できなければ、マンガ、アニメ文化に展望などありはしない。
ここまで書いてきたところで念の為確認したら、流石に冷静になったのか、ファンの間からも批判的な意見が現れるようになってきた。良い傾向である。ラブライバーを自認するファン達は、「舐めるな!」と思いっきり言ってやれ。
<俗情>は有効な手段たりうるか
乙武洋匡という人物の不倫問題について、「彼は自慰行為が出来ない」という意見がネットを賑わせている。これに対し、「そんな筈は無い」という反論も多く寄せられている。実際にそれが物理的に可能であるか、彼がその方法を知っていたのか、は私たちの知るところではないので不毛な話にしかならないだろう。
私は「妻に謝らせたことが問題である」との立場を取っていたので、自分の意見を修正する必要は感じなかった。よしんば彼が自慰行為をできない(らしい)ことに対し、妻が責任を感じていたとしても、それはパートナー同士の間で解決することであるし、公の場で謝罪を行うことには繋がらない。あるいは全て赤裸々に明らかにすることで、障害者と性の問題について一石を投じるという方法もあったかも知れないが、そこまでする必要も無いだろう。
そもそも男女の性愛の形は多様であるし、そのパートナー同士の関係性の間で合意が出来ていれば、第三者が口を出すような問題ではない。これに対し、鬼の首でも取ったように運動圏の連中がはしゃぎ立てているのを見ると、この連中の政治意識はこの程度のものかと呆れ果てる。結局、「性=悪」とする、復古主義者の価値観と何ら選ぶところがないのだ。
私たちが問題とするべきは、彼が自民党という、社会的弱者を徹底的に弾圧・抹殺するような政党から出馬を打診され、それに対して明確な否定の答えを出さず、相当に乗り気でいたらしいということである。そして、そう考えるだけの根拠は充分にあった。
にもかかわらず、不倫問題の発覚以後はその点は殆ど顧みられることはなく、多くの運動圏の言説も、彼の「性的な奔放さ」のみにひたすら執着し続けた。はっきり言うが、こんなことでしか盛り上がれないようでは運動は伸びないと思うし、伸びたとしても碌な結果を齎さないと思う。俗情に媚び、これにおもねるという点において、タレントを乱立させる自民党のメンタリティと、本質の部分において選ぶところがないのだ。「自民党を倒すためなのだから、それは認められるべきなのだ(黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ)」というのであれば、そんな運動は私とは無縁だ。結局は自分の首を絞めるのが落ちである。

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プロフィール

のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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