時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
映画雑記
このところ、あまり更新もしていないので、最近観た映画のレビューを消化しておく。改まった文章を記すのが精神的にきつくなっているので、メモ書き程度のかんたんな素描に止めることとしたい。古い映画ばかり多いのだが、ご寛恕頂きたい。

・ローレンの反撃(監督:テイ・ガーネット) ローレンというのはロレーヌの英語読みである。収容所を脱走した主人公たちが、ロレーヌのレジスタンスに合流するというもの。戦時中の米国製反ナチプロパガンダ映画だが、なかなかよく出来ている。

・北大西洋(監督:ロイド・ベーコン) これも戦時中の米国製反ナチプロパガンダ映画で、主演はハンフリー・ボガート。序盤からなかなか凝ったアクションシーンが展開し、見応えがある。最終的にラム戦で決着をつけるのはお約束か。ソヴィエトとの関係が比較的良好だった頃の映画で、その意味でも一見の価値がある。

・ナージャの村(監督:本橋成一) この作品については別途記事を設けたいので、今回は割愛する。

・荒野の処刑(監督:ルチオ・フルチ) 「地獄の門」でお馴染みの、ルチオ・フルチのマカロニ・ウェスタン。主人公達落ちこぼれのパーティーがあっさりと全滅したときは、流石に意表を突かれた。かなり風変わりなストーリーだが、悪くは無い。

・緑色の髪の少年(監督:ジョゼフ・ロージー) 今更野暮ったく解説する必要もないだろう、ジョゼフ・ロージーの反戦映画の名作。「次に生えてくる髪も、また緑色だよ」という台詞には不屈の抵抗精神を感じた。

・バターンを奪回せよ モノクロ版(監督:エドワード・ドミトリク) 戦時中の反日プロパガンダ映画。反日はガンガンやってくれて一向に構わないのだが、もう少し上手く作れないものか。無論、プロパガンダ目的である以上、映画が記号的な図式になるのは致し方ない。問題は、その記号性を如何に消化するかである。結局、ホセ・リサールもユサッフェ・ゲリラも「死の行進」も作品に活かせていない。実に残念な出来栄えだった。
最大の見所は日本の戦車が登場するシーン。何と、その正体はM4シャーマン(笑)。ご丁寧に正面に日の丸をくっ付けて、日本の兵器であることをアピールするが、どう考えても無理がある。アメちゃん、一体どこと戦ってんだ。

・暴力に挑む男(監督:ルイス・マイルストン) これも反ナチプロパガンダなのだが、こちらは実に出来がいい。占領下の街に生きる人々が、、様々な利害対立を抱えながらも、やがて決起に至るまでが丁寧に描かれる。裏切り者の存在等、一枚岩でない人間模様の見せ方がなかなか巧みに思えた。

・戦略大作戦(監督:ブライアン・G・ハットン) クリント・イーストウッド主演のおバカ映画。やる気の無い落ちこぼれ兵士たちが、一攫千金の大勝負に挑む。勘違いした隊長が、「彼らこそ英雄だ」と讃える有様がバカバカしくて愉快だ。

・少女の髪どめ(監督:マジッド・ マジディ) イラン製の純愛映画。アフガニスタン人の少女に恋をした主人公が、それまでの生き方を改め、献身的に尽力する。宗教上の戒律があるため少女には近づき得ず、どこまでも純愛に終わるのだが、なかなかよく出来た人間喜劇だった。

・傷物語 鉄血編(監督:尾石達也) 西尾維新の「物語」シリーズのエピソード1。死にかけた吸血鬼を救った主人公が、熾烈な抗争に巻き込まれる。シャフトの独特の演出は相変わらずで、シリーズをある程度観ている身としてはなかなか楽しめたが、一見さんには辛いかもしれない。序盤のフランス語の文章は何とかついていけたが、途方にくれる人も多そうだ。まあ、多くのファンは、いつもの外連味として、軽く受け流すのだろうが。

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なぜ創作物の表現規制に反対するのか
マンガ・アニメ表現の自由を守るために、自民党を支持する者が一定の勢力を保っている。はたから見ると肉屋を支持するブタそのものだが、これにはちょっとした誤解がある。
彼等は決して、ネトウヨだから自民党を妄信しているというわけではないと思う(勿論そういう莫迦もいるだろうが、多くの場合はノンポリである)。むしろ、彼らを動かしている原理には、ある種の現実主義が存在する。すなわち、「この先自民党の支配は揺るがないのだから、自民党にいい顔をして理解を求め、お目溢しをいただこう」という発想である。
時の権力者には恭順を示さなくてはならない、そのため原発も黙認する、戦争も黙認する、増税も黙認する、福祉切り捨ても黙認する、産業破壊も黙認する。長いものには巻かれよう、それがこの社会を生き延びる処世術、というわけだ。だが、ここには大きな問題がある。

ひとつには、権力者のお目溢しを頂くという現実主義が、結局は利用されるだけに終わるのではないかということである。これだけ人々の権利を踏みにじる権力者が、本当に表現の自由を守ろうとするだろうか。「はだしのゲン」が槍玉に挙げられたことは記憶に新しい。「信じた道が最初から存在しない」という可能性は、決して低くは無いのである。

もうひとつは、何の為に表現規制に反対するかという、根本的な問題である。
私にとって、性や暴力にまつわる創作物の表現規制に反対するということは、人間の尊厳を守る問題であり、生き方そのものの問題と分かちがたく結びついている。人間は、道学者の唱えるような、ちんけな道徳や理念の体現者などではなく、そこから常にはみ出していく存在である。猥雑で暴力的な存在、神でありながら同時に悪魔でありうるのが人間存在というものだ。そこを掴み取っていくことに創造行為の本質がある。
私は、表現物を守るという(それ自体は正しい)お題目のために、下僕となり、幇間となり、家畜になるつもりは無い。なぜなら、そこにはもはや自由そのものが存在しないから。守るべきものが、何も守られていないのだ。それはもはや「表現規制反対運動」と呼ぶに値しない。

表現規制反対の運動は、それが運動である以上、「どうやって」という問題に傾いてしまう。だが、ひとりひとりが、自分の生き方の問題として切実に考え直して欲しい。単に「楽しみを奪われたくない」という以上のものがそこにはある筈ではないのか。

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或る「棄権」について
例の核実験(自称「水爆」)についての国会決議だが、山本太郎が棄権した理由をブログで述べている。
以下、簡単にまとめてみた。

1.北朝鮮の核実験については断固非難する
2.衆議院の決議文と参議院の決議文は内容が異なる。参議院の決議文は、衆議院のものに比べ、我が国独自の制裁を強める姿勢が読み取れる。制裁を行うのであれば、国際社会との協調の下に冷静に行うべきである。徒に挑発に乗るべきではない。
3.かの国との緊張状態を徒に高めることの問題性
 ・わが国の国土は原発(ターゲット)だらけであり、そこで齎される危険性があまりに大きい。
 ・拉致問題の解決が蔑ろにされる。
 ・核保有大国に対する姿勢のダブルスタンダード。
4.むしろ大国における核兵器の、具体的な削減案を外交的カードにして、北朝鮮との交渉を主導する意気込みこそ、私たちには求められる。

「この先、我が国がアジアと世界の平和に対して、リーダーシップを示していくなら、決議の中身も、深みのある内容が望ましいと、問題提起を含めた棄権を選択しました」


ここで国際社会なるものが「やっちまえ!」と言い出したらどうなるかと思うが、それは4に示された提起が彼の回答になっているだろう。彼の立場は明確で、付け加える事は殆ど無い。いったい何を騒いでいるのか。普通に筋道の立った事を言っているだけではないのか。勿論異見を唱える立場もあるだろうが、少なくとも山本の主張は何ら非難されるべき性質のものではない。

人間観が徹底的に荒廃している。他人を判断するとき、「こいつはこういう奴に決まっているのだ」とカテゴライズして理解したつもりになる。しかも、大体その類型化は恐ろしく貧弱なイマジネーションに基づいているものだ。この種の手合いからは、「非国民」、「在日」、「ブルジョワ的」、「無自覚な差別主義者」といったキーワードが乱発される。何が面白いのか?人間像に厚みが無いのだ。こうした薄っぺらな人間観しか持てない輩が、社会や文化を語るなどおこがましい。
人間性の、果ての無い深みを凝視せよ。安易に理解したつもりになるな。

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「芽生え」への祈り
年明け早々「朝生」で自民党がやらかしている。バカにつける薬は無いというが、それにしてもこの問題、「悪いのはテレ朝!自民党は悪くない!」という方向に流れて行きそうな気配がある。どうなっているのか?

映画「ジェルミナール」(監督:クロード・ベリ)を観る。ジェルミナールとは革命暦で、「芽生え月」を意味する。原作はいうまでも無く、エミール・ゾラ。ルーゴン・マッカール叢書の13巻目にあたり、「居酒屋」のジェルヴェーズの息子エティエンヌ・ランティエが主人公。劣悪な労働環境に晒される炭鉱労働者の、命懸けのストライキと、その敗北を描く。ゾラといえば、悪名高い実験小説論が頭に浮かぶが、彼は遺伝や科学を弄ぶ、つまらない理論家ではない。エミール・ゾラは、まず第一に作家であった。彼は、作品世界のもつダイナミズムをよく知っていた。そして、このダイナミズムは今回の映画にもよく表れている。
最初の一時間は正直きつい。だが、ストライキが始まり、状況が緊迫してくると俄然引き込まれるようになる。このあたり、もう少し時間配分を何とかして欲しかったが、まあそれはいい。
ストライキは労働者の分断、憲兵など暴力装置の導入、外国人労働者の活用など経営者側のしたたかな戦略などにより敗北を迎え、エティエンヌもやむなく仕事に復帰する。しかし、急進派による坑道破壊のあおりを食って、エティエンヌ達は坑内に閉じ込められ、最終的に多くの労働者が死亡。九死に一生を得たエティエンヌは炭鉱を去る。
当初、何故この小説を今更映画化するのか理解できなかった。だが、本編を見ているうちに考えが変わった。あまりにも私たちの現実と近すぎるのだ。19世紀の資本主義の齎した弊害は、今日に至るも解決されていないのである。
一時期、「蟹工船」が持て囃され、映画化もされた(私が観たのは旧作のみ)ものだったが、地球の裏側においても同様のテーマが今日的な課題として取り上げられていることは、記憶されて良い。私達にとっても必要な作品である。



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のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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