時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
誇示される醜貌
風邪を引いてまともに声が出ない状態なのだが、頭にきたのでここに書き記しておく。
ケント・ギルバートという芸人がいる。その昔、欧米出身の外国人タレントが珍しかった頃、ケント・デリカットやチャック・ウィルソンなどと共に、バラエティ番組に台頭してきた人物である。
この男が近年、ネトウヨのマスコットならぬゲスコットとしてメディアの前に再登場するようになった。岸井成格に対する破廉恥広告の呼びかけに続き、今度は「沖縄の基地反対運動は日当2万円」などという出鱈目を臆面も無くひけらかした。西田昌司の妄想の完全コピーであるが、みじめな頭からは浅ましい発想しか生まれないものである。愚かさに国境は無いものだ。
私は東京からの反基地デモに参加してきたが、鐚一文貰った覚えは無い。無論、欲しいとも思わない。この人物達には、国家権力の悪行に対し、無償で異議申し立てを行う人間の存在など、想像も付かないのだろう。
古い話になるが、私はこの人物が米国のパナマ侵略のときに、これを積極的に支持していたことを覚えている。その際、「ノリエガは日頃から悪魔崇拝をしている、きわめて危険な人物だ」という趣旨の、わけのわからない風評を垂れ流し、司会の関口宏に窘められていた。それをいうなら「ノリエガはCIAの手先として働いた、きわめて危険な人物だ」であるだろう。勿論、武力侵攻など認められるべくも無い。
嘘とデマゴギーはこの人物のお得意とするところらしい。典型的な軍事マッチョ主義のアメリカ人であり、只の間抜けなのだ。
過去の知名度にすがり、ネトウヨに媚びながら出演料を漁り続ける電波芸人。いい加減に、恥を知るがいい。
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ベイルートからの祈り
パリの事件に掻き消されがちであるが、ベイルートでも12日に自爆攻撃が行われている。「内戦終結後、最悪の爆弾攻撃」であるという。こちらもやはりISISが犯行声明を発表した。ベイルートとパリ。相異なる二つの都市の惨劇は、この世界の傷口をむき出しに曝け出している。
私たちに必要なことは、テロルを無くすことである。戦争をすることではない。

だいぶ以前にも紹介したが、アランフェス協奏曲のカバーで、フェイルーズの「愛しきベイルート」を掲げておく。

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パリからの銃声
先日、テロリスム映画の話題をしたばかりだが、現実が追いついてしまった。
現時点で死者128名、負傷者250名であるという。犯行声明もまだ発表されておらず、事件の背景は不明確な部分が多い。

フランス共和国に少しでも関心を持った人には周知の事柄と思うが、かの国の国家権力、治安警察の手口は歴史的にかなりエグい。現在でも、人の多く集まる場所には武装警官が常に張り込んでいるという。決して甘っちょろい野放しの環境には無いのである。
にもかかわらず、テロルは発生する。割れ窓理論だの何だかんだ言っても米国の9.11は防げなかったし、さらなる治安国家化が抜本的な対策になり得ない事は自明の筈である。

「何かやった」という実績を作り出すために、為政者は治安化、その実は抑圧体制を作り上げる。報復すべき敵国を恣意的に設定し、これにカチ込みをかけ、莫大な死傷者を産出する。多くの人々はこのアリバイ作りに喝采を送る。「何かやっている」という安心感を人々は欲しているのだ。その「何か」が、事態に関係があるか、事態を悪化させていないか、は問われることが殆ど無い。こうしてテロとの戦いは永久戦争となる。

この事件を奇貨として、軍事の強化にいそしんだり、国際社会に責任を果たすと称して、来る「報復」攻撃に参加することを心待ちにしている輩が存在する。一儲けしてやろうという軍需産業も手ぐすね引いて待ち構えている。
だが、テロリスムに打ち勝つ方法は、テロリスムに参加しないことである。ここで言うテロリスムとは「国家テロリスム」を含んでいる。永久戦争で一部の人間が莫大な儲けを得続ける社会など、私たちは望まない。

付記:その後、ISISによる声明がなされたという。この先私たちの社会がどう動くか、予断を許さない。


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忘れないうちの読書録
あまりほったらかして置くと忘れてしまうので、この間読んだ本を備忘録的に書き留めておく。レビューは時間が出来てから、この記事を更新するか、新たに記事を起こすかして記すつもり。

黒史郎「幽霊詐欺師ミチヲ」1~3
エラリー・クイーン「チャイナ橙の謎」
黒史郎「丑之刻子、参ります。」
綾辻行人「フリークス」
櫛木理宇「ホーンテッド・キャンパス この子のななつのお祝いに」
黒史郎「獣王」
櫛木理宇「ドリームダスト・モンスターズ」
しかし何だ。相変わらずラノベと一般小説の中間みたいなものが多いな。黒史郎はラノベ、一般小説、その中間、の全てを書き分ける人なのだが。

現在、島田雅彦「虚人の星」を読んでいるところである。本当をいうと、田中慎弥の「宰相A」の方を先に読もうと思っていた。しかしこちらは、だいぶ前に購入した直後に堆積した本の山に埋もれてしまった為、そのまま放置される事となった。さっき漸く見つけ出したので、近いうちに読もうと思っている。

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青林堂をめぐる随想
マンガに親しんだ人、アングラ文化に親しんだ人なら周知のことであるが、旧青林堂と、現在の青林堂は別物である。私にとって、青林堂といえば雑誌「ガロ」である。白土三平、水木しげるの連載から出発し、つげ義春、矢口高雄、近藤ようこ、林静一、つりたくにこ、蛭子能収、内田春菊、花輪和一、根本敬、南伸坊、みうらじゅん、大越孝太郎、安彦麻理絵、山田花子(芸人ではない)、駕籠真太郎など数多くの異能の作家たちを輩出してきた出版社である。マンガにおけるカウンターカルチャーの総本山であったと言っても過言ではない。「ガロ」出身のマンガ家といえば、一目置かれる存在であった。
この流れを作り出してきたのが、青林堂の創立者、長井勝一である。詳細は彼の自伝「「ガロ」編集長」に譲りたいが、熾烈な戦後体験を生き抜いてきた長井の、マンガ文化に対する執念の結実とも言うべきものがここにあった。
私などの学生時代を振り返っても、本気で文系を志す者にとって、「ガロ」は必読書であった。それはマンガばかりでなく、様々なジャンルとの往還性をもった中心軸だったのである。
だが、アングラ文化特有の陥穽ともいうべき危うさも「ガロ系」の作家たちは同時に有していた。やたら「難解」な「前衛」と目される作品を物すること、具体的に言えば、絵が汚くストーリーも無いに等しい、そういった作品こそが価値なんだという、意識の倒錯がそこに孕まれていたのは、まぎれもない事実である。「一般人にはわかるまい」という、誤った特権意識がそこでは介在し、際物であることが自己目的と化していた。こうした転倒はマンガだけの問題ではなく、あらゆる前衛文化に共通していた。
映画でも何でも同様であるが、下手な前衛作品よりも、よくできたメジャー作品の方が面白いし、有意義である。赤塚不二夫がガロ系の作家たちに対して、「ガロ系という型に嵌まってしまって、自縄自縛に陥っている」という趣旨の苦言を呈したのは、まさにそこであった。アングラ文化人たちとの親交を深めてきた赤塚ならではの、鋭い指摘である。若手の文化人にはありがちな陥穽であるが、その先には袋小路しか存在しない。前衛の視点からメジャー文化を撃つと共に、メジャー文化の視点から前衛を省みるという、視点の切り替えが必要だったのだ。

やがて時は変遷する。原稿料ゼロを継続しながら、幾たびも経営難の危機に晒された青林堂も、長井勝一会長の死と共に、とうとう分裂することとなった。編集部全員が辞表を提出し、新たに青林工藝舎という出版社を立ち上げたのは周知の事柄である。青林工藝舎は「アックス」を刊行し、「ガロ」に代わる文化活動を現在も継続している。よって、マンガ家、マンガファンにとって、青林堂の実質的な後継はこの青林工藝舎である。
一方、今も尚「青林堂」の名を冠する残された側が、「日之丸街宣女子」、「そうだ難民しよう! はすみとしこの世界」などというたちの悪い書物を出版し、多くの顰蹙を買っていることは周知のことと思う。そこには知性の片鱗も感じられず、まさに反知性主義を体現したような雑本の集積であった。ここでいう反知性主義とは、「知」への根源的批判ではない。「無知な自分は偉い」と言い張る幼稚な自己愛のことである。
旧青林堂には、前述したような危うさはあったにせよ、新しい文化を創造しようとする強烈なエネルギーが存在した。現在の自称青林堂にとっては、肥大化した自己愛を広めることこそが文化を担うことなのだろう。わが国で最も由緒あるマンガ出版社の名を冠しながら、これ程までに浅ましい醜態を晒すとは何事か。恥知らずが。直ちに社名を返上しろ。

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ザッツ・オーライ!
生頼範義が亡くなった。嘗て小松左京や平井和正の小説に親しんだ身からすれば、この人の存在は常にこれらの読書体験と共にあったといえる。
西洋彫刻のように、彫りの深い顔立ちを持った人物群、ミケランジェロを思わせる巌のような肉体、そして緻密に書き込まれた背景。どれをとっても、そこには生頼範義の独特の個性が刻印されていた。時として、人物の顔立ちのケバケバしさに閉口したが、それでも尚、私たちの青少年期にひとつの原体験を刻み込んできた人であった。これはまぎれも無い事実である。
彼は映画のポスターも数多く残してきたが、その画力から、「どんなクソ映画も名作に見せるポスターを描く人」という、褒めているのか貶しているのかわからない評を受けたこともあった。「首都消失」や「キングコング2」(ラウレンティス版)などはその良い例である。いわばイラスト負けというもので、これは平井和正の一部の小説などにも言えることだった。表紙は格好いいが、話は進まない、内容が劣化している等々、頭を抱えたことも屢々である。むしろ表紙によって、内容を頭の中で底上げしながら受け止めている部分もあった。今となっては懐かしい思い出である。
今日でこそライトノベルはアニメ絵が主流であるが、同じ役割をこの重厚なイラストが担っていたかと思うと、感慨深い。アニメ絵が心地よいのはこちらも重々承知である。だが、ごついイラストの魅力というものも、今日のラノベ読者に知ってもらいたいと思う。楽しみは、多いほうがよいものだから。

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プロフィール

のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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