時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
家畜の幸福
菅官房長官、福山さん結婚機に「ママさんが産んで国家に貢献してくれれば…」(産経新聞) - Yahoo!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150929-00000565-san-pol

この発言の肝は、「国家に貢献」という概念にある。この男にとって、「子作りは国家への奉仕活動」ということなのだろう。国家に奉仕するために、子供を沢山作って欲しいという本音がはっきり表れている。早い話、家畜を繁殖させるのと一緒である。主権者とは納税する家畜であり、過労死してまで利潤を生み出す家畜である。戦争法制が成立した今では、殺人する家畜でさえある。消耗品は間断なく生産せよということだ。文系学部廃止もこの思考と無関係ではない。「死んでいく者(消耗品)に知恵なぞいるか!」というわけだ。
映画「マトリックス」では、未来社会の人類は深い眠りについた状態で、繭のような機械の中で飼育される。人間たちは支配者によって徹底的に管理され、養分を吸い取られていき、やがて用済みになれば廃棄される。言うまでも無く、これは現代社会の寓意である。
映画になぞらえて言おう。私たちは自由で民主的な社会で生活しているかのような「夢」を見せられている。しかし翻ってみれば、それは権力者達にひたすら養分を搾り取られ、生命を削り取られ、やがては廃棄される存在である。オーウェル型の監視体制がここに拍車をかける。
「本人が幸せだと思っているのなら、それでいいじゃないか」、という向きもあるだろう。生まれてから死ぬまでを騙しおおされて生きる、奴隷状態の幸福。スピノザ的な逆説だ。「落下する石は、自然法則に従って落下しているにもかかわらず、自分が自由意志によって落下していると思っている」。完璧に支配された状態であれば、認識論的には「奴隷状態など存在しない」と言い切ることも可能である。だが、本当に、それでいいのか?
「マトリックス」との違いは、そこに救世主など存在しないということだ。サルトルによれば、ポール・ニザンは「サンタクロースを信じるな」と常に語っていたという。誰かが救済を齎してくれるわけではない。そこに生きる私達自身が何とかするしかない。

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只今暴走中!
「民主の主の字を解剖すれば、王の頭に釘を打つ」とは中江兆民の都々逸であるというが、先日、佐高信が国会前でこれを披瀝したのは記憶に新しい。別に国王の頭をパチンコ台にしろということではない(ヘルレイザーやブラックラグーンじゃあるまいし)。権力者に対し、抑えを作る、枷を設けるということである。
なべて権力は時が経てば当然に腐敗するものであり、いずれは暴走するものである。中には当初から虎視眈々と機会をうかがい、権力を入手した途端、出力全開で暴走を始める者もいる。ぼんやりと傍観しているうちに、事態は着々と進んでいく。
「こんな筈じゃなかった」という言い訳は通用しない。傍観は「黙示の承諾」として、全て肯定したことと同等と看做される。忌々しいことだが、そういう仕組みが既に出来ている。何が起ころうとも、「全てあなた方が望んだとおりです」というわけだ。
いつの時代でも、政治主義は愚劣である。だが、降りかかる火の粉は払いのけねばならない。必要なことは、権力の暴走を食い止めることである。暴走した権力と上手くやることではない。

※尚、中江兆民の都々逸はあくまでも風刺であり、「主」の字の解字としては正しくない。白川静によれば、それは以下の通りとなる。
「火主の形。のちに鐙(あぶらざら)の形をそえて主となった。火は神聖なものとされ、廟中に火を操る者は長老であった」

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見出された言葉
連休だったらしいが、日曜出勤もあったためかあまり実感は無い。ひたすら慌しい日々が続いていた。無論、主たる原因はあの莫迦者たちがタチの悪い法律を作ってしまったことにある。のんびり体を休めたかったのに、どうしてくれる。
内臓の状態もあまりよろしくないため、今日は映画の話を記してみる。
「心が叫びたかってるんだ」(監督:長井龍雪 脚本:岡田麿里)を観る。
ヒロインは、両親の離婚の引き金を作ったトラウマから、言葉を失ってしまった少女。それが仲間達と出会い、目標を見つけ、恋を知り、言葉を取り戻す話。終盤の惹きつけ方は相変わらず健在で、圧倒された。ほろ苦いところもあるが、良作だろう。文句のひとつもつけてやろうと思っていたのだが、中々いいんじゃないか。「あの花」の要素もあるが、長井監督の作品ではTVアニメ「とらドラ」が一番近いと思う。テーマ的にはいずれも「破滅からの再生」といえるが。
監督は次に「ガンダム」を手がけるという。「アイドルマスター XENOGLOSSIA」以来のロボット物だが、ちょっと楽しみである。私は彼の作品は「はちクロ2」、「夏まち」以外は大体見ていると思う(自慢ではないがOVA版「ツインエンジェル」までチェックした)。この人は日常物に埋もれて欲しくない。日常を丁寧に描く力を、本格的なSFやアクション物に生かして欲しい。原作付きだが、「超電磁砲」などはそのいい例だった。


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「ぼろぼろな駝鳥」
「ぼろぼろな駝鳥」という詩がある。いうまでもなく、高村光太郎の作品である。

何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股過ぎるぢゃないか。
顎があんまり長過ぎるぢゃないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢゃないか。
腹がへるから堅パンも食ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかりみてゐるぢゃないか。
身も世もない様に燃えてゐるぢゃないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢゃないか。
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいてゐるぢゃないか。
これはもう駝鳥ぢゃないぢゃないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。

屢々誤解されているが、これは動物愛護の詩ではない。駝鳥というのはメタファーである。直接的には高村光太郎自身に代表される近代的自我を意味する。近代的自我が、日本的封建制などのさまざまな社会的軋轢により苦しめられている、身も蓋も無く解説すればそういうことになる。
現代人の精神的危機というテーマは時を越えて普遍的である。今日の社会になぞらえて考えれば、駝鳥とは日本の民主主義そのものにも見える。公権力の手によって封じ込められ、ぼろぼろになり、本来のあるべき姿を発揮できない。この国の民主主義はそんな痛々しい姿を晒している。
「挫折こそ青春の証である」と高橋和巳は言った。それがどのような形であれ、人はその青年期に社会との衝突を余儀なくされる。先の安保法案成立に至る過程はその典型的な例だろう。若い世代のみならず年配の人々に至るまで、誰もが傷つきながらも多くのことを学んだ筈である。
ぼろぼろな駝鳥は、いまやその軛を打ち破ろうともがいている。嘗て無かった程に激しく悶えている。既に駝鳥は瀕死の状態にあるが、最後のチャンスとばかりに、死に物狂いの姿を晒している。
駝鳥よ、飛び出せ。

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蹉跌をこえて
すでに周知のように、おぞましい法案が成立してしまった。成立当日には国会の外でも多くの逮捕者を出しながら、皆、戦争法案反対の声を送り続けた。私自身は病み上がりの身ゆえ、完徹はせず、深夜に帰宅した。
今回の事態は、まぎれも無くひとつの敗北である。座り込み、牛歩、長演説、さまざまな方法で抵抗が試みられた(フィリバスターというらしい)が、最終的には数に押し切られる格好になった。最初から判っていたことには違いない。だが、一縷の望みをかけていた身としては、悔しさは否めないだろう。
とはいえ、この敗北の中で、誠意を示してくれた議員がいたことは紛れも無い事実である。いちいち名前は挙げないが、これらの人々の誠実な抵抗は私たちを大きく勇気付けた。敗北にもかかわらず、左程悲壮感を感じないのはその為である。私たちは、この人たちに感謝するべきだろう。
中には賛成側に回り、法案に付帯決議を紛れ込ませてドヤ顔している者もいる。だが、一読してわかるように、あんなものは歯止めにも何にもなりはしない。国会の事前承認などというが、国会がそんなに信用できるのか。この間の体たらくを見れば、一目瞭然だろう。「良い違憲立法」など、存在しないものだ。所詮、アリバイ作りの域を出ない。

時は待ってはくれない。既に南スーダンへの派兵が予定通りに発表されている。今日は池袋でデモがあり、私も参加した。マンガ家のダーティ・松本氏も参加してくれた。何も終わってなどいない。

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虫の声
戦争法案が成立しようとしている。すでに多くの人々が指摘するように、米国の意向通りに世界中で戦争が可能となるようにするための法案である。「違憲であろうと、法は法だ」と言わんばかりに為政者たちはこれをごり押ししようとしている。「違憲な法は法としての資格を持たない」という発想は無いらしい。
法の成立というルビコンを越えてしまえば、あとは既成事実を積み重ねるだけだ。それは迅速に行われ、南スーダンであろうと、シリアであろうと、どこにでもホイホイと自国民を差し出すだろう。
「嫌だけれどしょうがない」、決まってしまったらそれに忠実に従うのがこの国の国民性というものだ。目上の者に言われるまま、殺し、殺されるだろう。それが義務だから、仕事だから。割り切りが出来てしまえば、人の命は軽い。
同調圧力は身内からも齎される。多くの人々にとって、国の決め事に従わないなどとは、想像を絶する異常行動である。それまで漠然と「戦争は悪いことだ」と思っていた人間が、手のひらを返したように、「戦争反対?ふざけるな!」と子供達を焚き付けることは目に見えている。「みんな戦争に行ってるんだから、お前だけ行かないなんてわがままが許されるわけがない」。そして、戦争が終わった暁には、「我々は被害者だった」とやらかすのだろう。
人間よ、もう止せ、こんな事は。

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何かすっきりしない
宮部みゆき「ブレイブ・ストーリー」を読む。
父親の不倫による泥沼の家庭崩壊劇に立ち会わされた主人公の少年が、<幻界>というファンタジー世界の女神に会い、現実を変えてもらおうとする話。結局<幻界>に破滅の危機が訪れたため、主人公は現実の書き換えを断念。<幻界>を救った上で現実世界に帰還し、そこで力強く生き抜くことを決意する。
ストーリーは完全にRPGゲームのそれである。友情があり、淡い恋があり、仲間との絆がありといったお馴染みのテーマ。面白かったかと言われれば、面白かったに違いないのだが、読後にどうもすっきりしないものが残る。
まず、ミツルという人物を何故主人公が友達と認識するようになったのか、まるでわからない。「命を救われた」というだけでは、心情の説明になっていない。一口に言って、どう考えてもこれは「友達」ではないだろう。
次に、香織という少女の背景がよくわからない。<幻界>で事故にあったのか、それとも現実に凌辱を受けたのか、明確でない。いずれにしろ、登場人物としては空気以上のものではなく、ストーリーの落とし所としては、あまりにも弱い。
結果、何かもやもやしたものが残ってしまった。惜しい作品だったと思う。

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忙中閑あり
昨日主張途中に黒史郎「童提灯」を読了した。いや、往復で4、5時間も要するのだよ。新幹線を使う場所でもないのだが。
小説の方は、ここ最近読んだ本の中ではダントツの出来映えだった。時間があれば詳しいレビューを試みたいと思う。ちょっと今の状況では厳しそうではあるが。
週末からまた遠方に出張に出る他、暫くは慌しくなる見込み。戦争屋がのらりくらりとすっ呆けている国政も気になっており、かなりもどかしい思いがする。世の中、ままならないものである。

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民主主義の神話~2015年版
8・30の行動について、一応一言記しておかなければならない。
結果は言わずもがなで、大きな動員を獲得し、成功を収めたといっていい。イヌHKしか見ない、KKK新聞やゴミ売新聞しか読まないという人以外は理解していることと思う。
残念ながら、当日私はそこに向かうことは叶わなかった。忌々しいことだが、世俗に生きるためには、一定の理不尽を甘受しなくてはならない。
気掛りなのは、「昔の左翼はバカだった、俺たちはあいつらとは違う」的な言説がまま見られることである。運動論だの、プレゼンとやらのテクニックだのといった話には興味がない。何よりもその種の言説の根底にある人間蔑視が醜悪である。こうした人間観を抱いている限り、その運動はやがて敗北すると思う。
浮かれるな。何もかもまだ始まったばかりだ。見かけ上の華々しさだけが運動ではない。そもそも私たちは勝利したわけではない。おそらくは醜悪な形でバックラッシュがやって来る。かなり厳しい逆風となるだろう。そこに耐えうるだけの愚直さが私たちには必要とされている。
そして、人間性に関する真摯な考察を絶対に等閑にして欲しくない。己の人間性の奥底にあるものと真摯に対峙しない限り、人や社会を動かすなど、烏滸がましい。これは原則である。

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プロフィール

のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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