時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
「死んでもおれは生きる」~船戸与一逝く
船戸与一が亡くなった。折りしも、満州国演義を今一度精読しようとしていた矢先である。病気のことは承知しており、覚悟はしていたが、やはり衝撃は大きい。
まとまった論考は、いずれ書き記す機会があると思う。ここでは思い出話を書きとどめることにしておく。
私が船戸与一の名に触れたのは学生時代のことである。仲間から、「大藪春彦なんかよりもずっと面白い」と薦められたのがきっかけだった。そこで近所の本屋で見つけたのが、ハードカバーの「蝦夷地別件」である。値段的にも、分量的にもちょっと手が出なかった。結局船戸作品をまともに読んだのはだいぶ年月がたってからである(尚、私は大藪春彦については初期の作品を高く買う)。
最初に読んだ作品は、「午後の行商人」だった。メキシコでぶらぶらしていた日本人青年が、妙な詐欺師に振り回され、ついにはサパティスタの青年と行動を共にするようになる、そんな話だった。ハードボイルド小説の枠組みに社会問題を巧みに取り込みながら、その背景に民衆の存在を浮き上がらせる作風は、私を惹きつけてやまなかった。
その後、私は船戸作品に耽溺した。「蛮族ども」、「夜のオデッセイア」、「山猫の夏」、「神話の果て」、「群狼の島」、「非合法員」、「炎流れる彼方」、「血と夢」、「猛き箱舟」、「緑の底の底」、「黄色い蜃気楼」、「砂のクロニクル」、「蝦夷地別件」、「かくも短き眠り」、「龍神町龍神十三番地」、「蟹喰い猿フーガ」、と立て続けに読み耽ったものである。
船戸は現代の日本社会を舞台にすると精彩を欠いていた、「龍神町龍神十三番地」は、アクション小説としては魅力的ではあったが、船戸作品としては物足りない。死刑問題についての主張にも同意できないものを感じた。映画にもなった「海燕ホテル・ブルー」も、小説のほうは完全に凡作である。
この中で好きな作品を挙げろと言われれば、「炎流れる彼方」か、「蟹喰い猿フーガ」、「蝦夷地別件」辺りとなるだろう。炎流れる彼方は反サンディニスタ・コントラ部隊の後始末の話である。「蟹喰い猿」については過去にレビューしたので、ここでは触れない。「蝦夷地別件」は、船戸にとって後年の歴史小説群のさきがけとなった作品である。1789年(!)のクナシリ・メナシの叛乱を描いた小説で、アイヌ問題が某漫画家を中心に騒がれている今日、まさにタイムリーだと思える。船戸の歴史小説からは得るものが多く、もう一度読んでレビューしてみたい気持ちがある。
どっぷりと船戸作品に入れ込んでいた私だったが、流石に或る時期から息切れがして、暫く彼の作品から離れていた。その為、東南アジア諸国を部隊にした後年の作品には触れていない。「虹の谷の五月」は、第一章だけ読んで放置したままである。
再び船戸作品を読み始めたのは、「満州国演義」の刊行がきっかけである。長そうだな、ちょっときついな、と思いながら、気になってたまらなかった。埋め合わせというわけではないが、昔読んだ作品を再読したり、上述のように息切れがして放置した「流沙の塔」を、漸く卒読するなどしていた(過去にレビュー済)。こちらも心境の変化があったためか、後期の船戸作品が初期よりもずっと立体的になり、そこにおける眼差しが、より深みを増していることに気がついた。比較的軽めに書かれた「ゴルゴ13」のセルフ・リメイクにも、見るべきものがある。
「満州国演義」については、その都度レビューしてきた通りである。張作霖爆殺から敗戦に至るまでの満州を丸ごと描き出そうという、船戸の貪欲な試みであり、まさにその集大成であった。この作品については既に記したように、詳細に読み解いてみたいので、あまりここでは触れない。さしあたり、今日最も重要な作品の一つであることは申し添えておく。
「満州国演義」のスピンオフともいうべき「新・雨月」は、戊辰戦争の通俗的なイメージを徹底的に解体した作品である。それは、司馬遼太郎に代表されるヒーロー物的な明治維新小説とは全く性格を異にしていた。そこに描かれるのは栄光の新時代の幕開けではなく、日本社会全体を覆いつくした残忍な痙攣であり、今日尚も爪痕を残す排除政策であり、血腥い帝国主義戦争の時代の到来であった。
「満州国演義」の完結後、船戸は再び明治維新史に取り組む予定であったという。今日の社会の鍵が、ここにあると踏んだのだろう。原発事故に直面した際に、そこに孕まれる矛盾の根源として、明治維新にまで行き着いた人は多いと思う。船戸がこのあたりをどこまで深めていくつもりだったのか、やはり知りたかったと思う。
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続・イメージの闘争
以前、「ホーンテッド・キャンパス」にかこつけて記した文章の補足。本当はこちらをメインにしたかったのだが、長くなったので、稿を分けることにした。

仕事柄、よく三里塚にある空港の駅を使うのだが、現在も忌々しい思いを禁じえない。農民を虐待して作った空港に一体どんな大義があるというのか。
この三里塚闘争だが、脱原発の参加者の間からも、「農民の穏健な反対運動を過激派が掻きまわして滅茶苦茶にした」という言説を耳にする。ふざけるのも大概にしろと言いたい。愚劣な党派抗争で混乱を齎したというのはあるにせよ、この事なかれ主義者のいう意味で「滅茶苦茶にした」わけではない。
武装闘争を選択するか否かは、対抗手段として、それが有効であるかどうかに掛かっている。農民たちは、度重なる公権力との衝突において、某党のように道端で歌を歌っていても何の有効性も無いということを理解した。この歌声連中の運動はアリバイ作りの域を出ず、何ら当事者の意思を反映しなかった。農民たちが、新左翼の反戦学生たちと行動を共にするのは必然だったのである。別に私はおどろおどろしい武装農民のイメージを描くつもりはない。だが少なくとも、機動隊員が三名死亡したとき、「溜飲が下がる思いだった」と、戸村一作が記すような空気は、確実に存在していた筈である。

現在、辺野古基地反対運動において、「沖縄の基地容認論を過激派が掻きまわしている」などといった言説が一部で流布されている。挙句の果ては、「中国側が資金援助している」などと公共の電波で語られてしまう始末である。
「三里塚闘争を過激派が滅茶苦茶にした」というのは、「基地問題を過激派が滅茶苦茶にしている」などとのたまうのと同等である。公権力が垂れ流した印象操作を、自ら再生産してどうするつもりだ。いい加減に、恥を知れ。

※ 尚、私自身は、現在の情勢において武装闘争は有効性を持たないと判断する為、非暴力の抵抗運動に賛同する。

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ジャック・ミカン逝く~愛川欽也の印象
愛川欽也が亡くなった。私が彼の仕事に出合ったのは少年時代のこと、テレビ番組「なるほど・ザ・ワールド」における司会者としてのそれであった。映画を観るようになってからは、警官上がりのトラック運転手「やもめのジョナサン」の愉快な活躍が印象に残っている。
「トラック野郎」の企画が、そもそも愛川の発案であったことはよく知られている。愛川が自身の映画「さよならモロッコ」の興行失敗をラジオで嘆いたところ、彼のファンであったトラック運転手が一斉に映画館に押し寄せ、激励してくれたことに由来する。嘗て文学・演劇青年だった彼はここで、「大衆」の活力をまざまざと実感したのだと思う。「恩返しをしたい」この一念が大きく花開いたのが、「トラック野郎」シリーズであった。
平和主義者として自身の思いを訴える姿は、折に触れて進歩派のメディアから取り上げられてきた。特にすぐれた政治的見識があるかどうかよりも、とにかく地道に語り続けていこうとする姿勢は悪くないと思った。
愛川欽也は俳優ジャック・レモンに憧れていたという。「アパートの鍵貸します」を熱っぽく語る彼に、ジャック・ミカンという渾名を進呈したのが「トラック野郎」の脚本家・澤井信一郎であった。鈴木則文、菅原文太、愛川欽也と、「トラック野郎」関係者がこの一年で連鎖的に亡くなってしまった。この不思議な巡り合わせについては何度も言及しているが、実にやり切れない。

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イメージの闘争
櫛木理宇のホーンテッド・キャンパスシリーズ「幽霊たちとチョコレート」「桜の宵の満開の下」「支社の花嫁」「恋する週末論者」「雨のち雪月夜」「なくせない鍵」読了。よくもせっせと読んだものである。以前にも記したように、軽い読み物だがラノベ程緩くもなく、米澤穂信の「氷菓」などに近い。読んでいて実に愉快なシリーズである。
封建的なイエ制度との確執が、多くのエピソードの中軸を占めているのは興味深い。この辺、突っ込んで分析してみたら面白いと思うが、ここで取り上げたいのはそこではない。この作品の最新話に昔の学生運動の話が取り上げられているのだが、恐ろしく貧しいイメージでしか描かれていないのだ。
60年代の学生運動で強姦事件が常態化していたという噂は私も聞いたことがある。相当に色がついていると思われるが、昨今のゴロツキノンセクトの生態を見ていると、そういう状況があってもおかしくないし、第四インターが国際組織から除名を受けた事実もある。
私も生まれていない時代の話で、事実関係やその動機などは知る由もないが、フリー・セックス運動の悪用ということだろうか。カール・マルクスが聞いたら激怒しそうな話である。
「女性共有というこの思想こそ、全く粗野で無思想なこの共産主義の告白された秘密だ…」(私有財産と共産主義)
私自身の周辺に限って言えば皆真面目なもので、節度ある常識を守っていた。ジェネレーション・ギャップというものだろうか。無論、古株の活動家達はそんな話をおくびにも出さなかった。昔のこととはいえ、そんな話をすれば誰もがドン引きすることは目に見えていたからだろう。たとえ他所のセクトやグループの話であっても、である。まあ、直接の下手人がいつまでも活動を続けているとは考えにくいし、実際には、その種のクズみたいな連中が、当時いる所にはいた、という位だろうが、どの程度の規模なのかは不明である。
それにしても、運動を語る際に、その負の側面ばかりが必ず強調されるのはどういうわけか。勿論、連合赤軍問題を始め、負の側面から目をそむけてはならないというのは同意するが、負の側面だけを見て何か理解したつもりになる輩が多すぎる。
そもそも、「運動=革命」という固定観念が流布されてしまっていることが問題である。判ったようで何の説明にもなっていないのだ。この種の理解は、結局「怪しげなもの」というイメージを再生産することにしか貢献していない。その党派名に拘らず、一旦、「革命」という概念を取り払って考えて欲しい。
戦争反対というだけで、「思想的だ、怪しい」と目されてしまう状況が久しく続いている。粗野で無思想な事なかれ主義だけは、ますます圧倒的な勢力を保っているようだ。

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「不可思議は常に美しい」
クロフツ「樽」、櫛木理宇「ホーンテッド・キャンパス」読了。
「樽」は古典の誉れ高い作品で、少年期に読もうとして挫折した苦い思い出のある作品。今回漸く卒読したのだが、印象としては今イチだったように思う。アリバイ工作/時間のトリックというのはミステリーの定番だが、どうも個人的に好きではない。犯人が優秀すぎるモンスターというのも、ご都合主義的で興醒め。モンスターならモンスターなりの描き方がある筈なのだが。
後者は「氷菓」のオカルト版とでもいうべき作品。無論、舞台に高校と大学の違いはあるのだが、ヒロインがどうしても千反田と被ってしまうのはどういうわけだろう。私の個人的な妄想だろうとは思うのだが(米澤穂信「氷菓」についても語ることは色々あるが、別の機会にしたい)。
それはともかく、軽いホラー物として本作の作風は極めて安定しており、好感が持てる。シリーズ化しているので、続編も読み進めてみたいと思う。

・・・どうも私は、謎解きよりも不可思議なストーリーが性に合っているらしい。

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プロフィール

のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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