時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
読書雑記
この間(かん)読んでいた本を取り上げる。全て娯楽小説であるのはご愛嬌である。

菊地秀行「ヨグ・ソトース戦車隊」
菊地秀行「邪神艦隊」
山田正紀「クトゥルフ少女戦隊」Ⅰ、Ⅱ
菊地秀行「邪神決闘伝」
菊地秀行「妖神グルメ」
風見潤「クトゥルー・オペラ 邪神降臨」
桜庭一樹「GOSICK BLUE」
古野まほろ「セーラー服と黙示録」

上記の大半を占める一連のクトゥルー物は、「クトゥルー・ミュートス・ファイル」という叢書で、ラヴクラフトの二時創作小説を編纂したものである。出版方針に遊び心が窺われ、このご時勢、よくも贅沢な試みを行ったものであると思う。
山田正紀の作品は、ラノベ風の題名だがかなり手の込んだ進化論SFである。ストーリーは殆ど進まず、進化を巡る思弁が延々と続く。それはそれで面白いのだが、手に取る際は注意されたい。
菊地秀行の「邪神艦隊」は太平洋戦争を舞台に邪神との闘いが展開される。だが、ここで暗躍する謎の青年の正体が、最後になって山本五十六であると判明する。作者曰く「だから架空戦記だって言ってんだろ」 いや、まいりました。この居直りには脱帽するしかない。
「邪神決闘伝」はウェスタン物だが、忍者の無双ぶりが圧巻。読んでいて痛快で楽しい。本作と「ヨグ・ソトース戦車隊」は、巻き込まれるようにして読んだ。いずれもお勧めである。
「妖神グルメ」については今更多言を費やすまでもない。ゲテモノ料理のエキスパートの少年が、世界を股にかけ、邪神たちを相手に腕を振るう話である。ゲテモノといっても、腐ったものだの、明らかな毒物だのといった、とても口にするべきではないものを調理するわけである。・・・この小説、アニメにしても面白いんじゃないか。
風見潤の小説はモンスター物の少年小説で、ラヴクラフト的な世界とは一線を画する。そこを割り切って読めば、愉快な冒険活劇として楽しめるだろう。ちなみに本作は、長編としてはわが国初の本格的クトゥルー小説であるという。尚、作者は現在失踪中で連絡が取れない状態であるらしい。本作は著作権料を供託する形で出版された。
桜庭一樹の小説の題名はスペルミスではない。アニメにもなった「GOSICK」と題された小説シリーズの最新作である。このシリーズはいったん完結したのだが、近年になって続編的な体裁で復活を遂げた。本作はその二作目に当たる。但し、一度綺麗に完結したシリーズであるので、この続編に関しては作者自身による二次創作と考えてもよいと思う。
古野まほろの名は全く知らず、書店で気に掛かったので購入した。独特の雰囲気を持った作風で、ペダントリー(衒学)も心地よい。正直、もはやミステリーであることなどどうでもよくなってくる。そんな魅力を持った作品だった。「日本帝国」なる気味の悪い国が作品の舞台背景になっているのが少々気になるが。

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宗教権力をめぐる大雑把な印象
「神は愛を知らない!知るわけがない!愛は人間が作ったものだから!」
先日大団円を迎えた、石川雅之原作のTVアニメ「純潔のマリア」の、魔女の台詞である。
この台詞は典型的な人間宣言である。作品の舞台は中世の後期、百年戦争の真っ只中だが、登場人物の意識はユマニスムの時代に大きく踏み出している。
「教皇権は太陽であり、皇帝権は月である」 インノケンティウス3世のこの文句は、教会権力の絶大な威光を物語るものであった。世界は<神>を中心に回転した。中世史を繙けば、この時代の教会権力と世俗権力との異様な抗争が目に入る筈である。カノッサの屈辱、アナーニ事件、教皇のバビロン捕囚、数え上げれば枚挙に暇が無い。
人間が世界観の中心となるためには、ルネサンスから近世に至る歴史を俟たなくてはならない。無論、ルネサンスのユマニスムといえども、<神>との決別がなされたわけではない。だが、視座の変遷がなされたのは事実である。ピンの上で天使は何人踊れるか。中世期には、こうした課題が切実な問題たりえた。この時代、世界認識とはこれらの超越的存在を考察することであった。知的遊戯としての面白さは認めるが、今日的な批判に耐えうるものではない。
この世界像に基づく社会のあり方と真っ向から対決することにより、今日の社会原理は確立されていった。政治的な次元では、教会権力や聖職者階級との熾烈な闘いが、今日の民主主義を生み出すために必要だったのである。これは単なる権力争いではなく、世界に対するまなざしを獲得する闘いでもあった。
この意識は、シャルリー・エブド事件にまでも引き継がれている。宗教を批判できなければそれは民主主義ではない、こうした意識がかの社会の根底にあることは疑いないと思われる。ローマ法王がしゃしゃり出てきたとき、私は「一番まずい奴が出しゃばってきた」と、危機感を抱いた。彼自身の意図は知らないが、<教会の威光>を復興させることにも繋がりかねない。
信教の自由を擁護するのはいい。だが、風刺画事件に関する論者の多くは、こうした宗教権力にまつわる歴史的考察を欠いていると思える。どのような結論を導き出すかは自由だが、警戒心が無さ過ぎるのは少しまずい。安易に「聖域」を設けて欲しくはないと思う。

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八紘一宇の夢の果て
三原じゅん子の発言は、この国の為政者の知性が、堕ちるところまで堕ちたことを示している。八紘一宇を唱えて得意になるバカ、擁護するバカ、何事も無かったかのようにスルーするバカ、三馬鹿大将とはこのことを言う。
ネット上では、「これは人類みな兄弟という意味だ」という、デュナンが聞いたらひっくり返るような擁護論が現れている。私も高校時代の修学旅行で宮崎の平和台公園に行ったとき、ガイドから同じような擁護を聞いた。「ハァ?」というしかない。
元々、天皇との関係性を抜きにしては語り得ない代物なのだが、そこまで遡る必要もない。基本的に日帝時代のインチキな自己正当化のスローガンとしてのみ語られ、理解され、それ以外には使用されることの無かった概念である。世界は一つの家であり、その家長に位置するのが日本であり、天皇ということである。これを現代に甦らせることが何を意味するのか。おそらく、三原とその擁護者たちは何も考えていないに違いない。単に戦前・戦時中に用いられた概念を、どしどし現代に復活させたいのだと思う。リーフェンシュタールの「意志の勝利」を観て、ナチを立派だ、カッコいい、と思うようなものだ。為政者がどのように人をたぶらかし、煽り立ててきたのか、その詐術に思いを致す知性はひとかけらも持ち合わせていないのだろう。

私が八紘一宇という言葉に触れたのは、安部公房の著書がはじめだったと思う。
「いくら憲兵統制の時代だからって、「八紘一宇」や「万世一系」を信じられるわけがないじゃないか。無理な話だよ。「それを信じていたのに終戦で裏切られた」っていう人がいるようだけど、不可解だな。ぼくだけが例外だったとは思いたくないよ」(安部公房「死に急ぐ鯨たち」)
安部の思いとは裏腹に、信じた人は相当数いた筈である。八紘一宇に限らず、ロマン主義者たちがこうした良さげに見える美辞麗句で思想的に妥協・屈服したというのも事実である。信じられるわけが無い筈なのに、信じてしまう。おぞましいのは、知の頽廃である。

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もう一度お会いしたかった ~ 金子國義逝く
金子國義さんが亡くなった。それなりの年齢に達していたとは言うものの、澁澤龍彦文化圏に触れた身からすれば、また一段と時代がつまらなくなってしまった感は否めない。
金子國義といえば、富士見ロマン文庫。あの独特の顔つきを持った女たちがエロティックな姿態を取り、表紙を彩っていた様子は忘れがたい。好き嫌いの分かれる絵柄かもしれないが(チープという評を聞いたことがある)、一度のめり込むと癖になるような、冷たい情熱を秘めた作風だった。
金子さんとはサイン会の際に一度だけお会いしたことがある。
当時の私は失業後、辛うじて非正規で再就職したものの、全く将来の展望が見えない時期だった。今でも展望など無いが、この時期は最悪の精神状態にあったといえる。おそらく顔つきに鬱が表れていたのだろう。「もっと嬉しそうな顔してよ~」と金子さんは嘆いておられた。まことに汗顔の至りというほかない。
もう一度晴れやかな顔つきでお会いしたかったが、もはやそれも叶わなくなってしまった。あまりにも残念でならない。

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3.10と3.11の間に
船戸与一の「満州国演義9 残夢の骸」に次のような一節がある。

「・・・その(一面記事の)左側に帝都空襲の大本営発表が記されていた。

本三月十日零時過ぎより二時四十分の間、B29約百三十機、主力をもって帝都に来襲、市街地を盲爆せり。右盲爆により都内各所に火災を生じたるも、宮内省主馬寮は二時三十五分、その他は八時ごろまでに鎮火せり。現在までに判明せる戦果、次のごとし。撃墜十五機、損害を与えたるもの約五十機。

二面には高射砲を浴びて夜空で火を噴きながらくねくねと動くB29の航跡と撃墜されたその残骸の写真が掲載され、この憤激を軸に明日の戦いに蹶起せよといった類の論評で埋め尽くされている。宮内省主馬寮に火災が生じたということ意外に被害実態はどこにも記されていない」


いうまでもなく、70年前の東京空爆に関するくだりである。大本営の出鱈目さについては、もはや贅言を費やすまでもない。徹底的に被害を隠蔽し、大したことが無かったかのように取り繕い、その上で無責任にイケイケドンドンを焚きつけようとする。この姿勢がその後もなんら変わっていないことは、4年前の3月11日以降の推移において私たちは目の当たりにしている。
大本営にとって、空爆とはいわば「ブロックされた」存在だった。大したことは無い、ひるむな、勇ましく蹶起せよ。この「蹶起」を「再稼動」と置き換えれば、今日の事態に当てはまる。
原発の問題ばかりではない。特定秘密保護法、集団的自衛権容認、文官統制撤廃、といった流れにおいて、現代の大本営が同じ手口をそのまま踏襲していくことさえ、有り得ない話ではない。そして報道も実態を何ら報じない。そんな事態は既に始まっているのである。

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与(くみ)するべきは国家ではなく
船戸与一「満州国演義9 残夢の骸」について纏めようとしたのだが、どうもうまくいかない。取り敢えず、書けることだけを記す。
物語は東条英機暗殺計画に始まり、繆斌(みょう ひん)工作、神風(しんぷう)特攻隊、マニラ市街戦、近衛上奏、沖縄戦、原爆投下、ソ連参戦、ポツダム宣言受諾、シベリア抑留、通化事件といった流れで、途轍もなく密度が高い。夥しい情報量に振り回されているようにも見えるが、とにかく船戸は全てをぶち込みたかったのだろう。
終盤に至るにつれて、日本軍の非道ぶりはストーリーの前面から後退し、敗者を待ち受ける惨たらしい末路にスポットを当てているように見える。無論、日本の権力者の愚劣さを描く筆致には容赦が無いが、それと共に、ソ連軍の残忍さや八路軍の狡猾さが強調されているように見える。これはどうしたことか?
おそらく、船戸の主眼は国家そのものの悪を徹底的に抉り出すことにある。由来、国家は民衆に対して徹底的に牙を向くものである。特に敗れたものに対しては容赦が無い。それは連合国にしても同断である。日本を免責するのではない。「よい国家権力など存在しない」という地平が、ここで切り開かれているのである。

物語の内容に触れると、敷島兄弟のうち、高級官吏であった長兄の太郎はシベリアに抑留され、自らの人間性の頽廃に絶望し、自殺。エリート軍人だった三郎は、行き場所を失い、罠だと知りつつも通化事件に参入し、死亡。ただ一人貧乏籤を引き続けた四郎だけが敗戦後に帰国し、広島に立ち寄る所で物語は幕を閉じる。
全ては壮大な無だったのか。その一言で片付けるには、あまりにも夥しい血が流された。この時代を検証することで見えてくるものがある筈である。

満州

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漠とした感想
三月も幾日かが過ぎてしまった。この間の世の動きといえば、辺野古の基地増設と、経産省テント立ち退き判決だが、ネットに繋げば気味の悪い自称愛国烈士の不細工極まりないワメキ散らしが目に飛び込んでくる。流石に胸が悪くなってきた。精神衛生に悪いし、身体にも差し障る。
そんなこんなでテレビをつければ、連日の少年事件報道。この電波芸人達は、実に楽しそうに騒いでいるものだ。朝から晩まで殺してしまえ、殺してしまえのお祭り騒ぎ。「殺害せよ」という言説が大手を振って罷り通る。おぞましい国だねえ。このニッポンは。
今回も週刊新潮は安定の下衆っぷりを発揮しているが、こうしてみるとFOCUSに激怒した灰谷健次郎の気持ちが少しはわかってくるというものだ。「正義の実現」を口実に、自らの嗜虐性を満たそうとする外道達。メディアはいつから懲罰機関になったのだろう。作家の皆さんも、そろそろ何らかの態度を表明したほうがいいんじゃないか。

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プロフィール

のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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