時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
道具としての「正義」
倉敷の女児誘拐事件報道において、TBSは悪質な印象操作報道を行った。同局によれば、被疑者の部屋にはアニメのポスターが置いてあったという。言うまでもなく、この事柄は事件自体とは直接関係はない筈である。にもかかわらず、TBSはこれをやたら強調して報道した。あたかも、アニメが犯行を招来したといわんばかりの扱いであった。
一方、この番組(サンデーモーニング)において、ガザ地区における虐殺についてはほんの僅かしか触れる事はなかった。連日、空爆と地上軍の攻撃により、子供を含む数多の市民が殺害されているにもかかわらず、彼らはこれをとことん軽視した。「イスラエル、パレスチナ、どっちもどっち」という論脈においてのみ、この戦争については語られた。あたかもパレスチナの子供の命など、どうなっても構わないかのような報道姿勢であった。
おそらくTBSにとっては、子供の命などどうでもいいのだろう。単に異常趣味を満たすことと、アニメファンをイジメることによる嗜虐的快楽を得たかったのだろうと思う。いわば、自分だけの「正義」の持つ、嗜虐性である。
もっといえば、「正義」が自らの嗜虐性を満たす為の道具となっているわけである。「誰かを懲らしめている俺は偉い」、これは、善意の運動体においてもしばしば見受けられる倒錯であり、私たちはこれを厳しく指弾しなくてはならない。「正義」は政治用語であることを、私たちは身に沁みて判っている筈である。

※こうした報道の背景には、警察や行政の意向というものが大きく働いているのだが、本稿では、あえて「それ以外の動機」について記すこととした。
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「パレスタイン、世界の友の物語」
ジェノサイドが行われている。
家屋を破壊し、武力で住民を叩き出し、土地を奪うことによって作られた自称「国家」。著名人を次々に暗殺し、本来の居住者を巨大な壁で囲い込み、最新鋭の兵器でこれを殺戮する自称「国家」。
この血塗られたおぞましい歴史に、新たな頁が今も尚、書き継がれている。病理的なまでの「虐殺への意志」が、この国を突き動かしている。
一刻の猶予もない。今すぐにやめさせよう。急げ、こいつらを止めてくれ。


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生贄たち
脱原発で話題になったアイドルグループ、制服向上委員会に「西暦20X0年」という曲がある。
内容を以下に記そう。
まず、西暦2010年(発表時は近未来)、周辺事態に対処するという名目で憲法が変えられ、自衛隊が軍隊になる。「遠い異国の戦いにも/戦車で乗り込んで行けるようになった」と歌われる。
さらに2020年、誰も軍隊に志願しないので、政府は徴兵制を復活させて、若者を集めようと企てる。
そして20X0年…
歌詞は次のように続く。

戦火渦巻く世界の中へ
若者を送り出すのは大人達
言葉を弄ぶ大人に煽られ
国を信じて若者が死んでいく

曲中では「国のために用意はいいか/この国のため命を捧げられるか」というリフレインが繰り返され、「こんな国のため命を捨てられるか」というフレーズで締められる。

この歌が発表されたのはだいぶ前なのだが、改めて聞くと、現在進行している事態が、何の誇張もなくそのまま歌われていることに気付く。発表時には、敢えてやや大袈裟な表現を意識していた筈なのだが、現実があっという間に追いついてしまった。ここに経済徴兵制を書き加えれば完璧である。
社会が成熟するには長い年月が必要だが、社会が崩壊するには一瞬で足りる。油断すれば、たちまちのうちに、全てが浚われてしまうというものだ。
改めて問う。こんな国のため命を捨てられるのか。

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いくつかのスケッチ
まぁ、色々と多過ぎる。出張が終わったらいずれもじっくりと考察して見たいが、さしあたり簡単にスケッチを記す。
ろくでなし子の件、「生殖器には美」というブレイクの言葉を思い出したが、自称芸術家という呼称は何なんだ。千円札事件の時、赤瀬川原平もそう呼ばれていたものである。自称ジャーナリズムの荒廃は、歴史的に根深いものがあるらしい。
自称「国家」による空爆と虐殺の件は、流石に長くなるので別稿に譲る。とにかく世界の無関心が、連中の暴力を許してきたことは事実だ。同じ轍を踏んではならない。
そういえば、天罰男が「一番悪い奴を殺してから死にたい」などとぬかしていた。どうやらこいつ、自殺するつもりらしいな。

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無名の青年たち
少し前に読了した、ツルゲーネフ「処女地」の感想を記す。
以前にも述べたが、ナロードニキ運動の青年たちの、理想と敗北の話である。題名は、政治運動の影響力のまだ及んでいない地域、政治的に未開拓の地、というくらいの意味だろう。
ストーリーを端的に言うと、理想に破れ、恋に破れ、仲間に裏切られた青年の悲劇である。主人公のネジダーノフは理想の崩壊を承知しつつ、そこにしがみつく他に術はなく、仲間に続き、大衆を強引に煽動しようとして破滅する。
これに対置する形で、ソローミンという登場人物が作者の理想像を体現しているのは事実だろう。彼は穏健なリベラル派として振舞い、主人公たちを支援する。主人公の恋人であるマリアンヌも、徐々に主人公からソローミンに心を移していくのだが、これは、はねっかえりの急進主義に対する堅実な改革派の勝利を表しているのだろう。
だが、このソローミンという男、どうも人間的な厚みに乏しい。正しい、いい男だ、だが、何か人物像が薄っぺらい。理念としての理想的人間像をでっち上げようとすると、書き割り的になるのは理の当然で、ツルゲーネフもその陥穽をまぬかれていなかったといえる。
文学作品を理念のゲームに矮小化することはあまりにも不毛である。ヒロインのマリアンヌの心移りも、理念の勝敗というだけでなく、恋愛悲劇のパターンとして捉えたほうがいいと思う。甲斐性なしのネジダーノフよりも、地に足の付いたソローミンに惹かれていくのは、痛ましいことだが左程不思議ではない。大抵の恋愛悲劇は、彼/彼女を捨てて、つまらない異性のもとに走る場合が多いのだが、それを考えると「ありがち」な話ではある。

一斉摘発を逃れた、活動家マシューリナの心がどのような境地に落ち着いたのかは不明だが、終盤に再登場したときの彼女は悪くなかった。おそらく彼女は理想を捨てきれず、あてどなく彷徨い続けるのだろうが、紋切り型でない、生きた人間の姿がそこにはあったと思う。

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ルビコンという名の三途の川
新宿で、集団的自衛権に抗議しての焼身自殺未遂があった。私はこのニュースに接したとき、由比忠之進のことを思い出した。ベトナム戦争を支持する佐藤政権に抗議して、焼身自殺したエスペランティストである。この人の詳細については高橋和巳編「明日への葬列」などをお読みいただきたい。私の手元にもあった筈だが、書庫の奥のほうに埋もれてしまったらしく、詳細を記すことが出来ないのが残念だ。

アンドレイ・タルコフスキーの映画「ノスタルジア」では、精神を病んだ男が肥大化した文明社会に警鐘を鳴らし、演説後に焼身自殺する。「世界はバラバラになり過ぎた、再びひとつに戻ろう」というセリフが妙に印象に残っている。カストロを思わせる熱弁ぶりだった。
だが、男の演出は失敗する。バックに流す筈だったベートーベンの「歓喜の歌」はまともに流れず、彼は火達磨になりながら演台から無様に転落し、もがき苦しみながら死んでいく。
理想はカッコよく容易に達成されるものではない。タルコフスキーの「現実」に対する過酷な眼差しがそこにある。
(尚、私個人の見解を記せば、命を掛ければいいというものではないし、何よりもその人に死んで欲しくないという気持ちから、こうした抗議方法には反対である)

だが、集団的自衛権とやらを巡るこの間の動きは、現実の厳しさがどうこう言うレベルの話ではない。明らかに一線を越えている。何だこれは。今まで、「こうなったらこの社会は終わりだ」と考えてきた事態が、次々と現実化してしまっている。
何よりもこの「解釈改憲」とは、憲法9条の空文化である。どれだけ深刻な事柄か理解しているのか。
官邸前の抗議行動に対する警察の弾圧は極めて露骨で、暴力的であった(私も数箇所腕を擦りむいた)。命令されれば当然に人を撃つ、軍隊の本質と通底するものがある。報道も、例外はあるものの、大勢としては事態の矮小化と現政権の正当化に終始している。その結果、「抗議行動のあり方が」などといった、訳知り顔の言説が垂れ流される。戦争に対する嫌悪感以上に、抗議行動に対する嫌悪感が先行するのだ。

従来、日本社会を覆う基礎原理は、「戦争だけは真っ平御免」というものだった。
だが、価値相対主義の表層的な蔓延は、これを鍛え直すことなく、ただひたすら唾を投げかけることだけに終始した。真摯にその可能性を探るのではなく、嗜虐性の快楽に身を委ねたのである。
戦争を巡る言説の荒廃は、それが戦略上の問題としてしか語られていないことにある。殺し、殺される大量殺人としてのイマジネーションがそこには無い。安全圏にいる者たちによって、大殺戮の場所が作られるのだ。

もうひとつ、豊田直巳氏がいうように、安倍政権の暴走はこれだけにとどまらない可能性もある。目を離せない、危険な情勢が続く。

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プロフィール

のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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