時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
風刺
一応パロディなのだが、実際は「二の次」どころか、まるで眼中にないよな。

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或る「和解」劇
先日予告した、「美味しんぼ」のストーリー上の問題点を述べる。
鼻血騒動で掻き消えてしまったが、本作の骨子は、山岡と雄山の和解劇である。物語当初には、徹底的に父・雄山に反撥した山岡だったが、次第に父の立場を理解し、心を開き、福島編で完全に和解するというもの。
だが、率直に言って山岡のファザコンぶりが気持ち悪い。そもそも、不和の原因は雄山の周囲に対する傍若無人な態度、妻に対する甚だしい家庭内暴力にあった筈である。後者については妻も納得ずくであったと後に説明されるが、あまりにも個人的過ぎる事情であり、息子である山岡の立場で怒り心頭に発するのは当然である。
雄山のキャラクターは北大路魯山人に由来すると言われる。そのため、彼の専門バカ的な人間的欠陥を併せて描くことにより、山岡が否定的に乗り越えるべき対象として造形されていたわけである。だが、いつしか作者は雄山に自らの姿を重ね合わせるようになった。初期の性格付けは忘れ去られ、今や、雄山は雁屋哲自身の投影された像である。父子の和解は確執の乗り越えではなく、人格の入れ替わりの結果としてなされた。物語に即して言えば、これは「山岡が大人になった」という外見の下になされている。初期の頃と整合性を取ろうとすれば、ここで無様な転向が行われたということになる。
志賀直哉の「和解」は、「もうやめよう、いいじゃないか」的な情緒的な雰囲気の下、日本的封建制との対決をなあなあの形で回避してしまった。そのため、主人公の転向(和解)が「何故、いかに」という重要な要素を欠落させてしまっている為、深刻な問題性を孕んでいる。これに対し、「美味しんぼ」の和解は、いってみれば歴史の修正によって行われたわけである。和解劇として、お話にならないことは厳しく指摘しておきたい。

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原則に立ち返る
高円寺のストリート・ミーティングが、警察の介入で退去させられたという。建前上は近隣の通報によるものだが、「美味しんぼ」と同様、自分の意見を言うことに対する公権力の介入が、日増しに強まっていると見たほうがいいだろう。
二つの動向がある。一つは、「出る杭を打つ」とでもいうか、余計なことを言わせないという、上からの権力的な強制力である。
もう一つは、周囲から足を引っ張る動きで、「お前が余計なことをすると、私たちまで迷惑する」という、草の根的な言論封殺である。
この間、「美味しんぼ」、「妹ぱらだいす」騒動を取り上げたが、いずれもこの二つの動向が見られた。以前も述べたが、こうした糾弾なり、規制なりが繰り返されることによって、「表現活動に規制は当たり前」という倫理観が内面化されることが一番まずい。度重なる規制への馴致化、物言わぬ空気への馴致化によって、さらなる弾圧立法が容易になっていくわけである。「表現活動の自由」という、原理原則の部分を、もう一度見直して欲しい。

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チャンスたれ
大飯原発再稼動差し止め勝訴、厚木基地騒音訴訟、沖縄竹富町教科書採択問題と、今日は盛り沢山の一日だった。
よいニュースが続いたにも拘らず、どうも気分が晴れない。疲れが溜まっているせいなのか。
一方で、集団的自衛権容認の問題など、やたらキナ臭い動きが続いていることもある。うかうかと安心してもいられない。福島の母親達による、「美味しんぼ(言論弾圧)問題」の記者会見もあったことだ。空気を変えていけるといいのだが。
先日の早見純展のこと、「美味しんぼ」のストーリー上の問題点など、書くべきことが色々あるのだが、今日は限界である。またの機会にしよう。

(付記)これを書いている時点で完全に頭から飛んでいたのだが、気分が晴れない理由は単純だった。「地下水」とやらの放出、遠隔操作事件での警察称揚(誤認逮捕の件は忘れたのか?)、気分が良くなるわけがない。

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腐蝕の迷宮
集団的自衛権を巡る言説で、何故か個別的自衛権の問題が語られていることが多い。「中国の覇権主義に対抗する為に集団的自衛権は不可欠だ」云々といった具合である。いうまでもなく集団的自衛権とは、自らが攻撃されていないのに他国のために攻撃する権利である。中東にノコノコ行って、アメリカのために戦争することをイメージすればわかりやすい。単なる無知による誤解かと思っていたが、どうも政府側としては意図的に混同させている節がある。早い話、印象操作によるサギの手口だ。
憲法九条を読んでみよう。どう考えてもこの文言からは、他国の戦闘に参加する集団的自衛権を導き出すことは不可能である。安倍たちにとって、「解釈」とは白を黒と言い換えることであるらしい。
表現の自由にしてもそうだが、こうして既成事実を積み重ね、最終的には「無理があるから法的に整備しましょう」と、改憲にもっていくわけである。妥協に妥協を重ねれば、気がついたら茹でガエルだ。
そして、この軍事活動を寿ぐ年寄り達の姿が浅ましい。自らは戦争に行かない者達が、若者達には血を流すことを要求する。或る服飾評論家が、衣服を取り替えるのと同じように憲法も変えていくべきだ、と九条改憲を支持していた。阿呆である。人の生き死にをファッション感覚で左右されてたまるか。

さて、こうして何が何でも戦争をするために突破口をこじ開けようとする安倍晋三、ついには「美味しんぼ」騒動にも口を出してきた。この男は、毎日のように頭のおかしさを表明せずにはいられないらしい。
「根拠のない風評に対しては、国として全力を挙げて対応する必要がある」のだそうだ。不都合な情報に対しては、全力でツブしにかかるという風にしか受け取れない。さらに、「政府として今までの伝え方で良かったのかを検証し、正確に情報提供したい」などとぬけぬけと言い募る始末である。今まではヤバい情報が外部に漏れていた、これからは情報を完全にブロックし、安全だ安全だという、ご都合主義だけを垂れ流す、という意味ではないのか。これまでの日本政府のやり口を見ていると、どうしてもそう思えてくる。

正直、こんな最低の為政者達のせいで、人生を振り回されたくない。こんな文章を記していても、自らの手が穢れる思いだ。だが、最低の為政者達が最低の選択を続けていれば、最悪の事態が招来される。「誰がやっても同じこと」という安全神話をここでも振りまくのはやめてくれ。

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不透明な、あまりに不透明な
「美味しんぼ」休載が齎した問題とは、先行きの不透明さである。
休載のスケジュール自体は、当初より作者からも予告されていたことなので、弾圧によるものではない。このマンガ、近年は話の区切りごとに連載、休載を繰り返していたので、今回も一応予定通りではある。
ただ、編集部からなされたコメントが、どうも土下座主義的であり(※)、今後、掲載がなされる予定があるのかどうか、あまりにも不透明である。今の状況に鑑みて、わざわざ休載のアナウンスを入れるのであれば、一言、打ち切りでない旨を断るのが道理だろう。疑念は深まるばかりである。
尤も、雑誌(月曜発売)の現物を手にとっていないので、正確なところは何ともいえない。だが、私の勘だと、このまま事実上の打ち切りになってしまう公算がかなり高いと思われる。別途記す予定だが、頭の悪い総理大臣までしゃしゃり出てきたところだ。

もうひとつ、「妹ぱらだいす2」の件であるが、こちらは出版元の角川書店が自主回収に踏み切った。だが、現段階では、レーティングをするのか、絶版にしてしまうのか、今後の方向性が一切示されていない。
この不透明さは「美味しんぼ」と共通する。どちらも曖昧な形で作品を葬り去ろうとしているように見えてくる。かりに、批判をかわす為に態度を明示しないというのであれば、かなり悪辣な手口である。抗議の声が、「打ち切り/絶版とは言っていない。よって弾圧ではない」という「安全神話」にかき消されてしまうのである。
出版社に問う。違うというのであれば、方向性を明確に示すべきである。貴方達は文化を守る意思があるのかどうなのか。態度を濁すのであれば、圧力に屈したどころか、権力に媚びたの謗りを免れない。只のゼニ儲け目当ての文化的ハイエナと見做されても仕方がないのである。
多くの出版社が事なかれ主義から、作家や読者を裏切り続けてきた例を私達は知っている。今回のような事態に陥ったときは徹底的に警戒してかかるべきである。私達は、もうお人好しになるべきではない。

※実際に雑誌を手にとって見たところ、事前に報道で伝えられた程酷いものではない。よって、「土下座主義」という文言は撤回する。だが、「表現のあり方について今一度見直して参ります」という部分は引っ掛かるし、連載再開についても懸念は依然として残る。

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ふたつの死 ~ H.R.ギーガー、鈴木則文逝く
この間、多くの問題が重なり過ぎた。一つ一つ記していく。
H.R.ギーガーが亡くなった。「エイリアン」のファンのみならず、デザイン史上に大きな変革を齎した存在として、後世に伝えられるべき人だった。生命体をメタリックなイメージと結合させる手法は、見事なまでに艶かしく輝いていた。ELPの「恐怖の頭脳改革」をジャケ買いした人も多いと思う。アレイスター・クロウリー著作集を購入しようかと迷ったことも懐かしい思い出である。
今もって、展覧会に行く機会に恵まれていないのが残念だ。

鈴木則文といえば、東映。トラック野郎であり、仁侠映画であり、ピンキー・バイオレンスである。
このたび、この鈴木則文監督が亡くなった。アナーキーな楽しさに包まれた、娯楽映画の頂点を極めた人だった。笠原和夫のリアリズム路線に対し、「映画は嘘でいいんだ、嘘を描くのは映画作家にとって、祈りのようなものなんだ」という信念を貫いた人だった。どちらも正しいとしか言いようがないが、この二人が競い合うようにして脚本を書いていた時期が、東映の黄金時代だったと思う。尚、後年に二人は和解している。
私が好きだったのは何と言っても「恐怖女子高校 暴行リンチ教室」である。東京都青少年健全育成条例を予言したような、途轍もない作品だった。学校に反旗を翻した少女達が、バリケードを作って立て籠もるシーンは日本映画の極北である。「温泉スッポン芸者」、「徳川セックス禁止令」の、バカバカしさの裏にガッチリしたテーマ性を埋め込む手法も見事だった。これらはもっと評価されてもいい筈である。特に若い人にはぜひ観て貰いたい。
「トラック野郎」、「ドカベン」など、映画の楽しい思い出を数え上げたらきりがない。私が鈴木監督を直接見たのは、ただ一度。「トラック野郎」オールナイトのトークショーにおいてである。監督は、何もかもやり尽くした者のみに許される、特権的な充実感に包まれていた。
「映画くらい、弱者の味方であってもいいじゃないか」この素晴らしい名言を、多くの作家達に受け止めて欲しいと思う。

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余計なお世話だ
「妹ぱらだいす2」(作画:御影石材)が東京都の青少年健全育成条例の適用対象となったのは既に周知の通りである。実に呪わしい事態というしかない。どのような創作物であれ、読まれる権利は存在するのだ。
そんなわけで、早速同書を購入した。グロテスクな巨乳描写に辟易しながら読了する。内容は、主人公と5人の妹で繰り広げられるハーレムストーリー。かなりデレデレした性描写が続くが、本格的な近親姦に至るのは終盤になってからである。
原作付きの作品にありがちだが、マンガとしての出来はお世辞にも褒められたものではなく、かなり拙劣で杜撰である。もっと何とかならなかったのだろうか。流石にこれは勿体無い。
尚、一部で誤解されているが、わが国では近親相姦罪という罪は存在しない。犯罪となるのは児童虐待などに相当する場合のみである。
インセスト・タブーは世界中で普遍的に存在するが、その根拠となると少々曖昧である。巷間よく伝えられる「遺伝的な欠陥が発生する」というのは医学的根拠が無い。むしろ、タブーがそういった理由付けを生み出したと考えていい。そうなると、結局は「気持ち悪いから」という結論に帰着する。これはかなり生理的感覚に基づいた嫌悪感であるだけに、根強いものがある。
但し、古代社会などにおいては兄妹婚、姉弟婚は存在したようである。これは日本においても同様であり、天皇家では異母兄妹間の婚姻が行われていた。
スエトニウスの「ローマ皇帝伝」によれば、皇帝カリグラは自分の妹全てと肉体関係を持ったとされている。記述の調子からして、こちらは当時でもタブーであったらしい。
文学作品では有名なものとして、三島由紀夫「熱帯樹」、夢野久作「瓶詰の地獄」、ソポクレス「オイディプス王」、サド「悲惨物語」、バタイユ「わが母」、ムジール「特性のない男」などが挙げられる。マンガでは手塚治虫「奇子」が圧巻だった。糸杉柾宏「あきそら」が中途半端に打ち切られたことも記憶に新しい。

結論を言う。一体、架空の世界の兄妹が、ヤったのヤらないのと何を騒いでいるのか?いい大人がそんなことに目くじらを立てて、何が面白いのか?摘発だ、規制だ、青少年に悪影響を与えるだのと、ヒステリックにワメき散らしている姿こそが、一枚のポンチ絵に他ならないのだ。
尚、健全を標榜する、ご立派な公権力の親玉たちは、教育勅語を再評価しているそうだ。

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迷走
美味しんぼ騒動は、天皇裕仁の死亡前後や、オウム騒動の異様な雰囲気と似てきた感がある。ネット言論を中心とした、ここ二週間ばかりの狂乱状態を異常と思わなければ、どうかしている。完全に箍が外れているのだ。
ところで本日発売の「スピリッツ」に掲載された最新作を見ると、特に真新しい事柄は記されていない。どれも、これまで私達が脱被曝運動の界隈で見聞してきた事ばかりである。書籍となって、店頭に並んでいるものも多い筈だ。「何故今回に限って?」と首をかしげた人も多いだろう。ネームバリューの差か。ミニコミ出版物と、天下の「美味しんぼ」では発信力が違うのは致し方ない。よって、「美味しんぼ」に向けられた憎悪は、脱被曝そのものへの憎悪と受け止めた方がいい。「危険だから逃げて!」という言説が、「差別」「ヘイト」と認定されるのだ。ここが正念場だ。

また、この一連の騒動を奇貨に、言論支配の動きが急に活発化している。石原伸晃、橋下徹、菅義偉、片山さつきといった血税の寄生者達がいい例である。いずれも、公権力が表現物の内容に介入するのは当然と考えているような、恥知らず共だ。「規制には反対だが、今回だけは特別」などと、こいつらに期待する人間は、豆腐の角に頭をぶつけて死んで欲しい。「よい表現規制」など存在しない。
一方で、「「美味しんぼ」のせいで表現規制の動きが強まった、どうしてくれる」などと寝言をほざくバカがいる。「エロ本のせいで表現規制の動きが強まった」などとぬかす輩と同等である。規制があったら規制した下手人を叩くべきなのだ。それ以外に闘いの方向などありはしない。「マンガ規制を防ぐのは簡単だ。マンガを描かなければいい。それだけのことだ」・・・だが、本当にそれでいいのか?
この国のおかれている状況には、まさに腐爛死体を見る思いがする。

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「連休」の合間に
連休中、とやらであるらしい。だが今日、私たちの「生」にとって、本質的な休息などあり得るべくもない。一歩間違えば、たちどころに足元をすくわれてしまうのだ。そんな、痛ましい時代に生き続けなければならない所に、私たちの不幸がある。

先日は、特定秘密保護法に反対するデモに参加した。学生たちが主体の、若々しいデモである。私は持病の膝関節痛がひどくなったため、行程の3/4くらいで離脱した。成立から半年近くが過ぎた今、徐々にこの悪法の存在が、人々の記憶から風化しようとしている。為政者の思惑は、まさにそこにあるのだが。
一方で、言説空間は変容を遂げつつある。「美味しんぼ」騒動、護憲集会に対する公共施設利用不可、都合の悪いことを見せない、言わせないという圧力が日増しに強まっていることは、疑いがない。押し付けられるだけではない。人々の意識の内に、言ってはならない、見せようとしてはならないという禁忌が発生しつつあるのかもしれない。ファシズムは草の根からも到来する。

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この間、活動家然として凄んでみせる連中が、人間性への洞察を徹底的に欠落させているという事実をまざまざと思い知らされた。無論、そんな輩ばかりというわけではないが、高名な人間の中にも、その種の手合いが少なからず存在するのは事実である。
人間性をマルかバツかで裁断しようとする、そんな政治主義者に社会を語る資格などありはしない。

追記:渡辺淳一が亡くなったという。私が彼の作品について知るところは殆どない。遠い昔、少年期にエッセイ集「北国通信」を読んだくらいか。内容はまったくといっていい程覚えていない。ただ、「ソーラン節」が労働者を不眠のままこき使うための、奴隷労働の歌であることを、この本で初めて知った。それだけでも印象深い読書体験だったと思う。

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憎悪の奔流
「美味しんぼ」騒動は、一口に言うと「脱被爆は東北差別のヘイトスピーチだ」ということである。昨今「ヘイトスピーチ」という概念は、人種差別的言辞を指すのみではなく、政治家への批判や、今回のように公害への言及にまで拡大しているらしい。言葉が簒奪されていく格好の例である。
ところで、自称反差別主義者にヘイトスピーチ禁止法(人権擁護法?)の制定を求める人がいる。この人たちは、こうした事態をどう受け止めるのだろう。脱被爆や政府批判を禁止する方向に同意するのだろうか。
「規制されるのは悪い表現だけだ。自分たちは正義だから、この法律では自分たちの表現が規制される筈がない」などと信じているのだとしたら、バカというほかない。ここに欠落しているのは、物事を論理的に突き詰めて考える思考力・想像力である。奥平康弘氏が、ヘイトスピーチには「文化の力」で対抗するべきだ、と結論したのは、論理的帰結として当然なのだ。
尚、件の漫画では鼻血について以下の通り語られている。
山岡(主人公)「それから数日、鼻血が収まらなくて・・・・・・」
医者「福島の放射能とこの鼻血とを関連付ける医学的知見がありません」
山岡「うっかり関連づけたら大変ですよね」

劇中では、現在のところ因果関係は保留にされたままである。無論、続編でどのような結論が下されるかは判らない。だが、さしあたり今回の騒動が、実際の漫画の描写とは別の場所で行われていることは確かである。

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プロフィール

のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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