時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
麗しき棄民国家
無かったことにされそうなので、ここに書いておく。
昨晩、渋谷の宮下公園からホームレスが強制排除されるに至った。公園は封鎖され、テントや蒲団などの生活用品は全てフェンスの中に置かれたままである。早い話、着の身着のままで極寒の中に放り出されたというわけだ。この手口は殺人未遂に等しい。公園は年末年始、三が日が明けるまで封鎖されるという。
こうして社会的弱者を抹殺しておきながら、美しい福祉の町を実現しましょう、と謳う。あまりにも下衆である。オリンピックも決定し、諸外国の注目が集まることになった、そうした中、社会的弱者の存在が邪魔になったということだろう。この国では、弱者とは保護・支援の対象ではなく、殲滅対象となっている。為政者には人間の命を守る意思がひとかけらもないということだ。次に抹殺の対象となるのは、貴方かもしれない。
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夢の埋葬
船戸与一「南冥の雫 満州国演義8」読了。
舞台は1942年、ミッドウェイ会戦に始まる。結果は周知の通りだが、報道は「大勝利」と一色に染まり、日本人達は歓喜に沸き立つ。「ブロックされている」のようなものだ。だが、こうした弥縫策がいつまでも通用する筈がない。そこで権力は内地、満州を問わず、いたるところに監視の目を光らせていく。真実ほど権力者に都合の悪いことはない。
ストーリーはやがて、ガダルカナル、ふ号作戦、そして大陸打通作戦とインパール作戦へと、惨たらしい破滅への道を辿って行く。作品は満州国演義というより、さながら大東亜共栄圏演義の様相を呈している。
満州での動きが少ない分、大部分が登場人物の会話によって、状況が説明される。小説としては邪道かもしれないが、船戸による近代史の解説を読むような気持ちでいるといい。これはこれで充分読み応えがある。
例外は主人公の一人、敷島次郎の動向を追う箇所である。彼はビルマに赴き、囚人部隊を率いてインパール作戦に参加する。食料の欠乏、マラリアとアメーバ赤痢、生きながら蛆にたかられ、東条や牟田口への呪詛を吐きながら死んでいく兵士達。死体はあっという間に骨だけになることから、本書ではこれを虫葬と表記している。
シリーズもここまで来て、主人公四兄弟のうちの一人が最期を迎えることになった。大陸浪人から日本軍の工作員となり、夢を失いながら手を汚していった敷島次郎。彼が最期に目蓋に浮かべたのは、馬賊として駈け回った広大な満州の風景だった。
作者が意識しているのかどうか定かではないが、本作の東条英機が安倍晋三の姿とダブって仕方がない。「東条幕府でも作ったつもりか」、私達も安倍幕府気取りかと散々批判しているところだ。
本作は次巻で完結予定という。ちらりほらりと背景に登場する731部隊が表面に登場することがあるのか、目が離せない。

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年末に思うこと
年の暮れまで無理な深夜残業が続いたが、身体を壊すことも一応は無く、ここまで来た。
だが、母親が体調を崩してしまい、昨日から入院することとなった。寝違えが原因か、体のあちこちを痛めたようで、身動きが出来ない状態である。このまま家にいても快復する見込みが無い(やたら窮屈な格好で寝ようとする)ので、病院に入れることにした。

暮れになって、バカが世界的に恥をさらし、知事が節操も無く埋め立てを容認したり、不細工な話が続く。人の命を何とも思っていない為政者のことだ。暮らしを破壊したり、環境を破壊したりすることには何ら躊躇は無いのだろう。「ジュゴン絶滅?何か不都合でも?」ということだ。そして、これに喝采を送る人たちも後を絶たない。
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シモーヌ・ヴェーユは確か「戦争に関する考察」において、「兵士達は大量死に送り込まれるのだ」と述べていた。ここで思い出してみよう。日本軍の戦死者の過半数が餓死・病死であったことを。


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あり得なかった生への渇望
連休の初日、「かぐや姫の物語」(監督:高畑勲 脚本:坂口理子・高畑勲)を観た。予想以上の出来映えで感心した。尤も、興行的には厳しいようで、既に終了している劇場もあるので注意されたい。
序盤は日本昔ばなし風。かぐや姫が成長してからはいつものジブリアニメになる。教育係「相模」のロッテンマイヤーぶりには吹き出した。ラフ絵のような映像は、次第に気にならなくなる。技術的には凄い筈であるが、動画には詳しくないのでこれ以上語るつもりはない。ともあれ、このところ、「夏目友人帳」など、和風ファンタジーに馴染んでいたので、ちょうどいい機会だった。
原作については今更解説するまでもないが、夭折した少女の人生を、隠喩として描いた物語、と理解して差し支えないと思う。だが、映画化するということは、映像作家がこれに解釈を加えて行くということだ。高畑勲たちはどのようなアプローチで竹取物語に挑んだか。
一口に言うと、この映画は、一人の人間が、「人生」と呼ぶに値する生を生きられなかったことへの悔恨の物語だ。周囲に流され、漠然と人生を過ごすうちに求婚騒動という袋小路に追い詰められる主人公は、偽りの世界の内で無為な日々を過ごしてきたことを激しく後悔する。だが、失われた時は取り返しが付かない。
だが、私達のうちのどれ程の人数が、「人生」を生きられただろうか。あくせくとじたばたしているうちに、何も出来ないまま空しく年老いていく。そんな人生を送りたくないと思いながら、結局はそうした生を送ることを余儀なくされる。それが人生だといってしまえばそれまでだが、口惜しい思いは常にそこに存在する。悔いのない生き方などそうそうできるものではないが、それで納得する者など存在しない。せめて少しでも悔いを減らしたいものである。
そんな是非もないことをことをあれこれ考えてみた。


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雑想
ASEANの晩餐会において、AKBとEXILEが晒し者になっていた。因果な商売で、流石に気の毒な気もしないではない。権力者が文化を利用しようとするとき、決まっていかがわしい匂いが付き纏うものだ。ナチスとヴァーグナーのような例もある。だが、それにしてもセンスが無い。あっても困るのだが。
そういえば、「進撃の巨人」の主題歌「紅蓮の弓矢」が紅白に登場するという。あの歌はやたら好戦的で、私は好きではない。扇情的なコーラスには、「カルミナ・ブラーナ」を想起した。あれのポップ版といったところか。それだけに、却ってほのぼの系のMAD(「けいおん!」等)とはよく合っている。富士には月見草がよく似合うものである。

船戸与一「南冥の雫 満州国演義8」を読み始める。舞台は1942年。ミッドウェーでの<大勝利>に沸く日本。真相を何も知らされないまま、「日本軍の快進撃」という都合のいい情報に踊らされる人々。何度も同じことを言いたくはないが、この小説が描いているのは過去の歴史ではなく、現代であることを忘れてはならないだろう。歴史小説が「現代小説」であるというのは、寧ろ当然ではあるのだが。

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「人が歩けばそこが道になるのだ」
目取真俊「水滴」(何故か文春文庫)を読了。ガルシア・マルケスを思わせる雰囲気が見受けられたが、沖縄の、終わることの無い戦争の記憶を抉り出し続ける良作だった。

個人的には同書収録の「オキナワン・ブック・レビュー」が気に入っている。架空の書評の連作という形式をとりながら、次第にそれが一本のストーリーを紡ぎ上げていく手法はなかなか見事で、最終的に、基地問題など現在の沖縄を取り巻く社会問題を貫いて行くさまには唸らされた。
それにしても、「沖縄にとって天王星とは何か」という題名には吹き出した。ユタが「天王星人」のメッセージを受け取るというものだが、意味するところは明らかだろう。単にユーモアというだけではなく、(批判的)寓意として、「沖縄の進む道」というテーマを導き出すための重要な布石となっている。なかなか意表を突かれる快作だった。

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採決のとき
醜悪な日だった。これまで曲がりなりにも掲げていた民主主義の看板を、こうもあっさりと放棄するとは、怒りを通り越して呆れる他無かった。

終わらない業務に見切りをつけ、前日に続いて永田町に向かったのが10時半、議員会館前はまだ人でごった返していた。「採決反対、差し戻せ」のコールを続けていると、「これより採決開始」の一報が入る。怒りのボルテージが上がり、さらにコールは続けられた。
それから僅か数分後のことである。アジテーターのT氏から、「たった今、秘密保護法が可決された」との一報が告げられた。暫しの間、沈黙が続いた。空気が凍りついたというのとは違う。もっと別の、模糊とした、名状しがたい感情がそこには流れていた。心が宙ぶらりんになった、嫌な時間だった。やがて、「採決無効だ差し戻せ」のコールが起こり、抗議活動は一段と激しく再開された。
程なくしてスーツ姿の山本太郎がやってきた。「皆さん、ごめんなさい!秘密保護法、通っちゃいました!」彼は深々と頭を下げ、「でも、全てはここから始まるんですよ!」と皆を鼓舞した。雨降って地固まる。以前と変わりない太郎がそこにいた。
その後、時間も押してきたため、私はその場を離れた。途中で福島瑞穂の報告がなされており、気になったがそのまま岐路に着いた。彼女は党首を辞めて以来、一層活動的になってきたような気がする。

想田和弘がいうように、安倍政権は民主主義を終わらせたがっている。これは比喩や誇張ではない。文字通りの意味で、本当に民主主義に引導を渡そうとしているのである。実感がわきにくいとは思うが、そのように考えない限り、私達は敵の出方を見誤ることになると思う。出鱈目な法案提出、強行採決、民意無視といった事実を踏まえると、彼らには人としての良識をひとかけらも期待することが出来ない。これからも厳しい闘いが続く。

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以下、「大デモ」の写真
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既視感のある風景
石破発言について、どうも既視感があると思っていたが、漸く思い出した。
性表現規制問題に関心のある人ならお分かりと思うが、創作物規制の論拠となったのが、「ポルノはそれ自体が暴力である」というものだった。否定したい対象を、或る種の絶対悪と規定し、「○○は○○(と同じ)だ」と粗雑に断定する、この手法は「デモ=テロ」発言と通底する。「市民運動はそれ自体暴力である」というわけだ。
こうした断定は、自らの憎悪感情を客観的命題風に言い換えたものであり、論理的根拠など存在しない。にもかかわらず、一種の倫理的恫喝を伴うだけに、尚更たちが悪い。
さて、このような杜撰極まりない恫喝論法を撒き散らしてきた当の規制団体が、涼しい顔をして石破発言を批判し、嘲笑しているのはどうしたことだろう。「石破は悪で自分達は正義だ。だから同じにはならないのだ」とでも考えているのだろうか。人間は、かくも恥知らずになれるという見本を、またひとつ見つけたように思う。

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てろてろ
パレスチナ映画で(確か「サイバー・パレスチナ」だったか?)、「私もテロリスト、あなたもテロリスト、さあ、みんなでテロリストになりましょう」とかいうセリフがあったと思う。散々テロリスト呼ばわりされた挙句、もうみんな「テロリスト」でいいじゃん、という居直りの趣旨なのだが、まさかこの日本でそんな事態がこうも早く現実化するとは夢にも思わなかった。
よく強権的な権力者を戯画的に描くとき、「デモはテロだ」というセリフを語らせることがある。極端だが、これが連中の本音であることは疑いない。そして今回の、「ゲル閣下」の一文である。
まさかこれを「一理ある批判」として真に受けて、これからは静かにデモをしようなどという人はいるまいな。デモの方法について、ちょっとした論争があったばかりだが、結局どこかで芯のようなものを保持していないと、当たり障りの無い代物になってしまうだろう。すなわち、「誰にも影響を与えないデモ」である。果たして、これがデモといえるのか。デモの作風で公権力に褒められたって仕方ない。
尚、前述の「閣下殿」によれば、デモで民意を届けるのは民主主義の破壊になるそうだ。それでいて、強行採決が民主的な振る舞いというのだから恐れ入る。思い出してみようではないか。そもそもテロルとは恐怖政治の謂であったことを。

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テロルの季節
アナトール・フランス「神々は渇く」読了。
舞台は恐怖政治時代のフランス。周辺国からの干渉戦争がたけなわの頃である。
主人公のエヴァリスト・ガムランは、ちゃきちゃきのジャコビニスト。政治的潔癖主義の彼は、高邁なる理想を達成せんとして、陪審員として次々と被告達をギヨティーヌ(断頭台)に送り込む。
祖国を救え!子供達に、自由で幸福な未来を。そしてそのために、僕はこれからも手を汚す。僕が兇悪なのは君達が幸福になるためなのだ!君達が、喚起の涙にくれるために!そのためには、裏切り者共の血が流されなくてはならない。去年までは祖国は無惨に侵略され、我々にはボロをまとった敗残兵しか残されていなかった。今や我々は攻勢に立ち、世界に自由をもたらそうとしている!聖なる恐怖政治よ!愛すべきギヨティーヌよ!
裁判の略式化もそれに拍車をかける。見知った人、世話になった人々もまた、次々に断頭台に送り込む。例外など無い。
「人は悪意が無くても彼らと違った考え方をする、ということは彼らには考えられないことだったのである」
革命いまだ成らず。干渉戦争も終わっていない。眠れない日々を過ごす中、ガムランは次第に<怪物>となってゆく。
やがてテルミドールがやってくる。「清廉な人」ことロベスピエールをはじめ、革命の指導者達が次々と逮捕され、人々の悪罵を受けながら、ガムランもまた断頭台に向かう。かつては王党派や穏健派を罵り、「マラー万歳」と唱えた同じ口が、ジャコビニストたちを罵倒するのである。
「正義はハタ迷惑なものだ」と言ったのは鶴見俊輔である。これに異存は無い。だが、「正義」を渇望し、賞賛した人々が、次の日には手の平を返すのは痛ましい。他人事ではない。戦時中、「貴様!それでも日本臣民か!」とビンタを食らわせていた人間が、敗戦後、ぬけぬけと「私は元々民主主義者で・・・」と語りだした例を私達は知っている。

こうした古典小説を今更レビューするのもどうかと思うが、当時のフランス社会の雰囲気をよく描き出した傑作だった。どちらに加担するかという問題ではない。或る時代、状況において、人間がどのように振り回され、何を選択し、どのような運命を辿っていくのか、を活写することが主題なのである。

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プロフィール

のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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