時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
気付いてみたら奈落の底
連日疲れが取れない上、昨日の深夜残業(社長の気分による)とかなりダメージが強かったのだが、少し元気が出てきたので書き記す。

仕事を無理やり早めに切り上げ、池袋の脱被曝街宣行動に向かう。が、苦情が来たとかで、私が着いたときには既に中止した後だった。ひどいもんだね。ミヤネ屋の山本太郎の気持ちがよくわかる。

麻生のナチス発言。歴史的事実認識が出鱈目で完全に支離滅裂なのだが、要するに「騒がれないように、気付かれないうちにさらっと「改憲」しよう」ということらしい。意味不明な修辞をそぎ落とすと、どうしてもこういう論旨になる。この部分が何度も繰り返し強調されていることも無視できないだろう。
そして、「改憲」と称してやって来るのは、あの自民党のトンデモ憲法である。憲法という私達の生活の根底に関わる問題を、騒がれないように変えてしまおうという根性には恐れ入るというほか無い。
だが、もっと深刻なのは、これだけの原発事故が起きているにもかかわらず、下手人の自民党が圧勝してしまう現状である。ひょっとしたら、何の議論も沸かず、騒ぎにもならず、大多数の人が気付かないままに、あっさりとあのトンデモ憲法が成立してしまうかもしれない。まさに連中の思惑通りだが、その可能性は、決して低くは無いのである。
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記録される「風景」
劇場版「シュタインズゲート」の感想を記す。
元々はゲーム作品から派生したテレビアニメなのだが、まず、テレビ版(ゲーム版)のストーリーを紹介しよう。
ちょっとした好奇心がきっかけで、一種のタイムマシン装置を作り出してしまった主人公・岡部達のグループ。過去の出来事に干渉を続けていった結果、大切な幼馴染の少女が非業の死を遂げる。絶望的な試行錯誤の結果、彼女を救うにはこれまで行った過去改変を全て取り消していく他無いと悟る主人公。だが、その結果は、別の仲間を死なせる事になると気付く。全ての仲間を救うため、岡部は最後の挑戦を試みる・・・というもの。
劇場版はこの続編である。全ての時間改変の記憶を保持した岡部が、その能力が災いとなって、この世界から突如消滅してしまう。つまり、初めからいなかったことになってしまうのである。テレビ版の最後で命を救われた「牧瀬紅莉栖」は、異変に気付き、岡部に関する記憶を取り戻す。大切な仲間を救うべく、紅莉栖は過去へとさかのぼって行く・・・

劇場版として大々的に取り上げる程、大掛かりなものではない。クオリティー的にはテレビ版と同等の水準だろう。これは良い意味として捉えてもいい。元々よく出来た作品なので、これと同じ水準ならば、御の字ともいえるからだ。だが、より劇的なものを期待する人にとっては肩透かしかもしれないことは申し添えておく。ともあれ、きれいにまとまった作品だった。
この作品のもうひとつのテーマは、秋葉原という街に対する愛情である。正直に言うと、私はこの地には左程馴染みがない。せいぜいACTAの街宣活動を行った程度であるが、それだけでも「ああ、あの辺だ」と思わせる程、街の描写は緻密である。いわば、ご当地アニメの一種であり、当初はアキバ系を意識しすぎかと思われた。だが、次第にそれはどうでも良くなってくるものだ。製作者達のこの街への思い入れが、よく伝わってくるからだ。嘗て若松孝二は頻繁に新宿の風景を映画の中に組み込んだものだが、それに近いものが感じられないか。こちらは予算の都合という事情があるのだが、それだけでもあるまい。一種の都市批評でもある筈だ。
そういえば、アニメ「はたらく魔王さま!」でも新宿近郊の町並みが描かれていた。新宿には仕事で5年以上通いつめたので、個人的にはとても親しいものを感じている。


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呪縛の構図
コアマガジン社で逮捕という、忌々しいニュース。なぜあそこが狙い撃ちされるのか。業界関係者がこれだけ困惑していることから、巷間噂されるモザイク云々は関係ないだろう。おそらく、標準的な「消し」が施されていたものと推察される。
真相はまだよくわからない。だが、権力サイドが自民党大勝で調子付いているという感は、どうしても否めない。

中核騒動がしつこく続いているので、一言。運動圏の人間にとって、内ゲバとは自分達自身の問題として真摯に向き合うべき課題である。誰も手を汚さないという保証は無い。あらゆる人が当事者の資格を持つ。それを、あたかも鬼の首でも取ったように他団体を殺人集団呼ばわりし、自らを誇示するための肴として利用するのは人間の屑のなせる業である。「あいつらは異常な人間だ。我々は真理を体現した輝ける前衛だ」こう言い募る手合いが、「K=K」だの「走狗」だのと喚き散らすのにそう時間は掛からない。私達の歩んだ歴史はそう教えている。
何度でも言う。スターリンの亡霊は自分達自身の内にある。忘れるな。

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赤本渉猟録
選挙の話ばかり続いたので、少し別の話題に切り替える。

・この間読んだ本。京極夏彦「ルー・ガルー 忌避すべき狼」、「ルー・ガルー2 相容れぬ夢魔」(いずれも講談社ノベルズ版)、和ヶ原聡司「はたらく魔王さま!」1~8および5.5巻
読みかけの本としては、ブルース・スターリング「スキズマトリックス」。こちらは20年近くツン読になっていた本。鬱陶しいのでさっさと消化してしまおうと、途中まで読み進めている。
・観た映画。劇場版「シュタインズゲート」。こちらは熱狂的なファン向けのロングラン上映。内容は時間改変物のSF作品だが、説明すると長くなりそうだ。
いつも通り、レビューは時間のあるときに譲りたい。

一見してわかるように、ラノベ系、娯楽アニメ系が多いのだが、とにかく元気になれるような作品を追い求めている。また、この手のジャンルには、「物語の喜び」のようなものが生き続けているような気がしている。馬鹿にはしたくない。

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選挙その後
結果として、私が票を投じた三宅洋平氏は落選。今回もジンクスを敗れなかった。
話題のミヤネ屋の醜態(江戸時代発言、唐突なCM切替等)には腹を抱えたが、笑ってばかりもいられない。自民党(和民党)が大勝した事は歴然たる事実である。東電の居直った態度など、様々な箇所に影響は表れている。

先日も述べたように、貴重な収穫は確かにあった。これを足掛かりに闘いを切り拓くべきであることは、云うを俟たない。だが、勝ったと思うな。敗北を自覚したところから、次の一歩が生まれるのである。


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血路を拓くために
眠いので簡潔に。

所用で一日家を空ける。勿論、投票は午前中に済ませた。投票所がガラガラだったのが気掛かりである。最終的な投票率は何パーセントか。
帰宅途中、山本太郎当選の報。電車の中で思わず大声を上げそうになった。全体的には厳しい情勢だが、朗報には違いない。数少ない勝利を足がかりに、巻き返しを図るしか道は無いのである。とまれ、関係者の皆さん、お疲れ様でした。
もっとも私は都民ではないので、山本太郎には投票していない。私が投票した候補者は、必ず落ちるというジンクスがあるのだが、今回は破られるだろうか。選挙区では既に落ちているので、比例区の結果を待ちたい。
まあ、革新派に投票する人は皆、同じ思いを味わっている筈なので、ジンクスという程ではない。だが、あまりこのパターンが続くようなら、今度は自民党に投票してみようか。デスノートみたいに。

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明日に向けて
昨日(金曜日)、出勤前に突然買い物を言い使い、コンビニまで全力疾走。その際、激痛が走り、不安のあった膝関節を完全に痛めてしまった。あまりPC前に座れないので簡潔に記す。

選挙戦もいよいよ最終日。楽観的な情報については取り敢えずスルーする。見たいものだけを見ようとしていると、とんでもないしっぺ返しを喰らうものである。
池袋で山本太郎の演説を聞く。原発、TPP、過労死など労働問題等、多岐に渡る問題だが、論旨は明快で首尾一貫しており、心に残るものとなった。
原発で「直ちに危険性は無い」と人々を見捨てる。若者を低賃金と超過労働で見捨てる。両者はいずれも形を変えた「棄民」である。この「見捨てられた」という感覚が山本の原動力になっているという。
また、この超過労働が多くの人々にとって、社会参加を阻む元凶となっている、との指摘には唸らされた。仕事疲れでぐったりしている人々にとって、原発がどうの、人権がどうのと言っても、なかなかアプローチできるものではない。これは私自身の皮膚感覚と合致するもので、よく洞察していると感心した。
握手の際に、「表現の自由を守ってください」と申し伝えた。彼も表現活動を弾圧された身。しっかり受け止めてくれたようだ。
怪我の事もあり、無理をせず帰宅。明日の選挙の整理券を引っ張り出そうとするが、どこにもない。どうやら母親が棄ててしまったらしい。問い質すと、「そんなもの知らねぇ!関係ねぇ!」の一点張り。整理券を棄てられたのは、これで3回目だ。念の為申し添えておくが、整理券が無くても投票は出来る。この点、勘違いなきようお願いしたい。

そろそろ膝が痛み出してきたので、この辺でやめておこう。とにかく明日は選挙に行こう。何の行動もせず、悲劇の主人公ぶってみても始まらない。「勝ったものが正しい」と嘯くこの社会において、棄権はメッセージにはならないのである。

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自由をとれ
「対談集 若松孝二の時代を撃て!」を購入。
今となっては晩年というしかないが、若松は「怒りたい時は怒っていいんだよ」と説いたものだった。愚かなヘイトデモは論外として、「怒り」に正当性を与えた、貴重な表現者の一人だったと思う。
この人が、「警官を殺したい、しかし、現実に殺したら犯罪者になってしまう。だから映画の中で警官を殺す事に決めた」と映画監督の道を選んだ事は有名である。私生活での切った張ったはともかく、正しく怒る方法を彼は知っていた。

「短気は損気」などという、隷属的な人生訓が幅をきかせている昨今である。「社会的に怒る」ということが、これほどまでに、とことん卑しめられてしまった時代があったろうか。
だが、己の心、己の生命を蝕む者に寛大であってはならない。まさしく、怒るべき時には怒るべきだ。腹いせに窓ガラスをぶちこわすことなど、怒りでもなんでもない。本当の怒りをうたえ。魂の奥底から湧き上がる怒りを。

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何度でも言う
コンタクトレンズを紛失してしまったため、ちょっと立ち直れないでいる。まぁ、耐用年数を遥かに越えているので、来るべき時が来た、とも言えるのだが。しかし、ワープアの身には、この出費はこたえる。

ワタミ擁立、シャラップ、動員拒否は死刑、9条も改悪宣言、原発再稼動、児ポ法改悪等々、危険な情勢が続いている。全て、オープンになっているような事柄である。つまり、これで自民が圧勝すれば、全ての課題において主権者の快諾が得られた事になる。棄権をすれば、まさに「黙示の承諾」だ。今の情勢では、何もしないことが事態の悪化に繋がってしまう。私達はそんな追い詰められたところまで来てしまっている。
説教臭い事は重々承知だ。しかし、選挙を目前にして、敢えてくどい事をいう。いまや、私達の私生活、趣味の領域に至るまで、公権力の魔手が忍び寄っている。下手をすれば生存条件すら危うくされかねない。自分らしく生きるためには、まず行動しよう。難しい事を求めているのではない。少なくとも、選挙には必ず行こう。

※本当なら、サブカルの話題などのんびりと語りたいところだが、今しばらくは選挙モードでいく。

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いつか来た道を歩いている
石破茂の「出動命令に従わなければ死刑」発言。来るところまで来たというしかない。自衛隊だろうが国防軍だろうが、彼にとって隊員は「いくさをする家畜」なのだろう。国家の都合で、当然に大量死の渦中に送られる存在なのだ。「従わない者は死刑」という文言が、かくまでに平然と語られる事実に慄然とする。
実はこの発言は、4月の段階でなされたものである。なぜ今まで話題にならなかったのだろう。理由は単純だ。アベノミクスのバカ騒ぎで掻き消えてしまったのである。上げ潮に乗っているときは、こんな病的な世迷言さえも問題にはならないらしい。
参院選は余裕で乗り切れると考えたのだろう。安倍晋三の「九条「改憲」」発言もこの文脈で考えるべきである。平たく言えば、私達はナメられているのだ。放置すれば、この連中に白紙委任状を渡す事になる。「関係ない」では済まされないのである。

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選挙に向けて、その先に向けて
とりあえず、写真を貼っておく。
山本太郎の演説。巣鴨にて。「3.11が僕の生き方を変えた。マスコミは真実を伝えない」
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渋谷での選挙フェスの写真。
この直後土砂降りになり、私は撤退を余儀なくされた。病み上がりで、流石に粘り続ける根性は無い。
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選挙のある風景
日曜日、「選挙2」(監督:想田和弘)を観た。劇場の前に長蛇の行列が出来る盛況ぶりで大変なものだった。
映画は「山さん」こと、山内和彦の選挙運動を追い続けるドキュメンタリー作品。前作では自民党から立候補した彼は、今回は無所属で「脱原発」を掲げての出馬である。
とはいっても、選挙運動らしい活動は殆ど無し。前回のドブ板的手法は完全に封印し、車で移動しながら、各候補者に挨拶に回る日々である。
映画は山さんを追いながら、候補者達の姿を映し出す。想田監督のこれまでの活動を意識しての事だろう。自民党の候補者からは撮影を拒絶される場面も見られた。「許可も無いのに撮るんじゃない!」。撮らいでか。カメラは挑発的に候補者の顔を追い続ける。選挙活動を撮るなというのは奇妙な話だ。先日のTBSの問題でもそうだが、権力者は「まなざしを向けられること」を、激しく恐怖するのである。

こうした選挙の風景を切り取る一方、映画は人々の日常や、はしゃぎまわる子供達の姿などを映し出す。改めて思うが、街の人々がせわしない日常を繰り返す中、街宣車で練り歩き、辻立ちで演説を続ける各候補者の姿は異様というほか無い。はっきりいって「イタい」のである。尤も、作中でも語られているように、これは公選法の締め付けが原因のひとつとなっているようで、必ずしも候補者の責に帰する事は出来ないらしい。敬遠されている事は重々承知なのだ。選挙活動など、町の人々にとっては只のノイズなのである。
同時にこれは、あらゆる社会活動がノイズとしてしか受け取られていない事を意味する。反原発、反TPPで情宣活動、ビラ配りを経験した人にとっては、決して他人事ではない。「鬱陶しがられているな」という思いは、私達も散々経験した筈だ。
終盤で山さんがタイベックスを装着し、辻立ちを行う場面は象徴的だ。語られている内容は、放射能汚染と子供達の健康の問題である。反原発運動に携わった人にとっては実に耳慣れた事柄であり、真っ当なものだろう。しかし、耳を傾ける人の姿は皆無である。それでも声を上げ続ける。負けずに訴え続ける。

ラストに表示される字幕によって、山さんが落選したことが伝えられる。しかし、投票率の低さには唖然とするほか無い(確か44%だったか)。海外で公開した場合、最も衝撃的に受け止められるのはこの投票率の表示ではないだろうか


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雑音を越えて
中核派(革共同全国委)が山本太郎支持に乗り出したと聞いたとき。そりゃそうだろうなぁと思った。別に驚く事でもなんでもない。党派団体が「妥当」と判断する候補者を、組織として支持するのは珍しい事ではないからだ。ナニワ節と揶揄される連中の事なら尚更である。
断っておくが、彼らは本気である。本気で山本太郎に惚れ込んで、全力で応援しようとしている筈である。勿論勝手連だろうが、これは疑いないことだと思う。ただ、彼らのラブコールが山本太郎の集票に繋がるかどうかは別問題で、「ズレ」があるのはまさにここなのだが。
だが、一部で主張されているような、「ちゃんと断れ」「付き合いには注意しろ」といった意見には私は与しない。唾棄すべき小市民主義そのものだ。これを認めれば、「左翼団体は選挙に関わってはいけない」などという、歪んだ社会通念を拡大再生産する事になる。
勿論、中核派には他党派を暴力的に排除、抹殺してきた過去がある。よって、支持を表明するのなら、「他団体を排除しようとしない」「攻撃的態度で接しない」「独善的に振舞わない」といった原則を守って欲しい。これが守れなければ、勝手連としても参加する資格はない。
それにしても、山本の対応は立派だった。「勝手に応援する分には自由だと思う」「ネガティブキャンペーンにワクワクする」。まさに模範的な回答で、外野から何も付け加えるべき事は無いと思う。

しかし、「情況」にインタビューが載った時には何も騒がなかった癖に、選挙前になったらこれか。つくづく露骨なものだと思うぞ。

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遠慮なく言えば・・・
選挙が間近いが、いまだに「誰がやっても同じだから投票に行かない」という人が後を絶たない。一体何故だろうか。
この背景のひとつには、「誰が権力者になっても、いい結果は望めないが、悪い方向にも行かないだろう」という、根拠の無い信頼感がある。この国が戦争という「悪い方向」に行ったという事実が、多くの戦争体験者の間でも忘れ去られているという事は、恐ろしい事である。
もうひとつは、「誰が為政者になっても、どうせその後に起こる結果(破局)は止められない」というものである。これは一種の運命論であり、有権者としての自らの責任を放棄するものである。「われわれは歴史に責任を持つことが出来ない。なぜなら、誰に投票しても、どんな運動を起こしても何も変わらないのだから。われわれは、この社会の成り行きには無関係な存在なのである」云々。
そして、その後には「われわれは運命の被害者である」という、被害者意識のみが残されることになる。自らは何の落ち度も無いのだから、何度でも同じ失敗を「運命」という名目で繰り返す。
この人達は被害者意識の塊なので、与党を支持することこそ無いものの、ひたすら野党勢力を憎悪する。「何も出来ないくせに!」というわけだ。歴史に参加しない者たちは、只のクレーマーとして、「無垢な被害者」としての物語に酔い痴れる。
だが現実には、歴史に参加しない、無関係な存在として生きる事は不可能である。ハイデッガーの概念を借りれば「世界-内-存在」ということになる。人は既に「世界」の中に投げ込まれており、或る社会的関係性の中に存在するのである。
投票に行かないということ、政治に一切関心を持たないという事は、既にひとつの社会的行為である。それは、如何なる意味を持つのだろうか。率直に言おう。投票に行かなければ組織票を持った勢力に圧倒的に有利な状態が作り出され、政治に一切関心を持たなければ、時の権力者を喜ばせる。誇張ではない。これは理の当然であり、否応なしに齎される結果である。そして、その結果を選択したのは他ならぬ自分自身だ。誰のせいにも出来ない。

政治とは下世話な領域である。こんなものにのめり込む必要などありはしない。だが、野放しにすれば、これは私達の人生を振り回し、果てには大いに狂わせる。部屋が汚れていれば、せめて掃除をするのが人の務めというものだ。苛政は虎よりも猛し。暴走した政治は、ゴミ屋敷どころの騒ぎではない。

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私達の「覚悟」
「選挙」(監督:想田和弘)の日比谷図書館における上映会が、中止するのしないのと騒がれた事は既に知れ渡っている事だろう(結局、指定管理会社が共催から外れ、単独開催という形で決着を見た)。
映画の内容に千代田区側が懸念を示し、その結果、指定管理会社が上映中止を余儀なくされたというのが真相のようだ。無論、当の千代田区の弁明が聞かれない以上、憶測の域を出ない。
いうまでも無く、映画を上映し、選挙について考え議論する事は、公選法に抵触するわけでもなし、何の問題性も無い事である。それどころか、こうしたアクションは今の日本社会に必要な事ですらあるだろう。何らかの圧力が掛かったという見方もあるが、私はむしろ、原因は「過剰な自主規制」にあるのではないかと考えている。
一般に大きな民間企業などにおいて、コンプライアンス遵守という事は「法令以上に厳しい、独自の倫理基準を設ける」ことを意味する。これは個人情報保護法などにおいて、その猛威を振るった。これを公選法に当てはめて考えれば、法令以上の自粛現象が発生する事は不思議なことではない。
だが、表現活動においてこれを適用すればどうなるか。ひたすら公権力の顔色を伺い、際限ない萎縮を余儀なくされ、当たり障りの無い作品のみを生み出す事に腐心する、そんな状態が生み出される事となる。すなわち、表現活動の死であり、精神の終焉でもある。
日本における民主主義の頽廃は、予想以上に進んでいる。表現活動に携わる者は、直接のクリエイターのみならず、発表の場や機会を提供する者を含め、相当の覚悟を必要とされる、そんな時代に突入しているのだろう。

事実、こうした萎縮の心理は、根拠の無いものではない。話題になった片山さつきの発言を引用してみよう。
「初音ミクがある日突然引退したり、亡くなったらあしたのジョーの力石のお葬式並みになると思うんですけども。そういうアイコンが作られてるなかでね、その中にどんどん若い人が入ってしまった中で、児童ポルノ的な、扇情的なものをしょっちゅう見せられて、それが犯罪に走らないと言い切れるのかどうかと」
寺山修司が聞いたらさぞかし嘆くような妄言だが、こんな訳のわからない横車を押すような為政者がのさばっているのは歴然とした事実だ。論理的思考、分析的な精神が、行政の場においてこれ程までに蔑ろにされている事に、私は慄然とする。そんな現在、上映関係者や、出版社などが怯えだすのは理解できない事ではない。だが、怯えて自粛に走れば、それは自らが言論弾圧の共犯者となることを意味する。
頽廃は、おそらく一線を越えているのだ。繰り返しになるがが、私達は言論活動、ひいては民主主義を守るために、真剣な覚悟を強いられているのかもしれない。

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風邪は順調にこじれ続けている。
アルブレヒト・デューラー「ネーデルラント旅日記」を購入。あまり根を詰めず、さらっと読み流していきたいと思っている。その前に、読んでおくべき本が溜っているのだが。

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プロフィール

のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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