時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
人類は救うに足る存在か
ちょっと息抜き。いよいよ七色星団。ドリル・ミサイルも健在の模様。
「人類は救うに足り得る存在か」という台詞が心に残る。この日本社会の現状を考えると、お世辞にもそれに値するとは言い難くなってくるが。


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人格は裁かれるべきか
例の気味の悪い法律案について。これが児童保護という趣旨から大きく逸脱したものとなっていることから、批判が集中している事は周知の通り。ここでは「心の問題」について漠然と考えた事を記してみたい。

今回の一連の流れの背景には、児童性愛という性的傾向そのものに対する憎悪感情があると思われる。換言すれば、人格への断罪である。気持ち悪い、危険だ、さっさと取り締まれ云々。だが、これを「危険」と言うならば、成人性愛もまた危険性を孕むことになるだろう。また、そもそも人格や精神性を裁く資格が誰にあるのだろうか。「良心の自由」への違背は言わずもがなである。

下世話な話だが、だれも法律に命ぜられたから「巨乳好き」になるわけでも、「熟女好き」になるわけでもない。「法律が決めたからあなたを愛するようになりました」などと告白されたらどう思うだろうか。こんな馬鹿げた事を大真面目にやりたがっているのが、今回の動きの背後に潜む者たちである。
性的傾向そのものは、断罪されるべき性質のものではありはしない。「あなたはなぜ倒錯者(児童性愛だけではない)になったのですか」と聞かれて、だれが答えられるだろう。「正常に大人と付き合えないから代わりに倒錯者の道を選んだ」というのはウソである。想像力の貧困なテレビ局が撒き散らすデマでしかない。現実には、「好きだから好きだ」という、トートロジカルな回答しかそこにはありはしない。否応なしにそう決定付けられるのだ。「聖ジュネ」において、サルトルは「それ(性的倒錯)は一人の子供が窒息の瞬間に発見した一つの出口なのである」と述べた。人生の様々な蓄積の過程において、もがきながら、辿りついた場所がそこだったのだ。

(中途半端だが、時間も押してきたのできょうはここまでとする。大事なテーマだと思うので、いつか再論してみたい)

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或る齟齬感について
今までの反動か、朝寝と昼寝を繰り返す。非生産的な一日。まるで、民話のザントマン(砂男)にでも魅入られたようだ。

時折、自分のよって立つ場所がわからなくなることがある。幼少期よりそんな感覚はあった。何処にいても、何かしら、「拒絶されている」という感覚がどこかに付き纏う。元より人好きのする性質ではないが、これは具体的な事柄には限らない。
例えば、文学なり、映画なりといった概念を取り上げてもよい。そこに自分を投企しようとするとき、自分が偽者でしかない、という齟齬感が残る。この齟齬感は、本物たらんと努力すればするほど大きくなる。結局、何者にもなれないまま、挫折するか、中途半端のままだらだらと関係が続いていく。自分の至らなさ、情けなさは充分承知の上だ。
世界は必ずしも居心地のいい場所ではない。その中を、異郷感や齟齬感を抱えながら私達は生き続けていかなくてはならないのだろう。わかってはいるが、時折やりきれない気持ちになる。

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近所のライフが改装工事中で、当分営業休止。ライフ以外の小店舗が次々と潰れていったので、こんな時は身動きが取れなくなってしまう。規制緩和の成れの果てがこのざまだ。

マイナンバー法とかいう国民総背番号制、何の話題になることもなく、あっさりと成立してしまった。「国政の舞台で行われている事が、自分達の生活に直結する」と言う感覚が、一切失われているのがこの国の特徴である。合言葉は「関係ねー」だ。
民主主義社会では、まつりごとを行うのは「国民の代表者」である。この社会では、「選挙で選ばれた支配者」がまつりごとを行ってしまっている。この辺りに原因があるような気がする。

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無知という権力
「知は力なり」と唱えたのは確かベーコンだったと記憶する。いかにも、尊大ぶった態度には違いないし、私もあまり好きではない。もっとも、グノーシス主義的な世界観となると、また別の興味が涌いてくるが、それはまた別の話である。
だが、「無知が栄えたためしは無い」(マルクス)のもまた事実である。無論、まともな社会においては、だ。こと公権力に携わる者にとって、これは重大な意味を持つ。道を踏み外した社会においては、論理的、分析的思考は徹底的に蔑視され、無知と偏見、思い込み、決め付けが、社会を動かす原動力となる。いかがわしい法律が何の疑問も持たれずに、次々と立案される。これが新自由主義と利害を等しくする。監視体制の一層の強化を伴って、専制と隷従、圧迫と偏狭こそが、新社会の基本原理となる。オーウェルの描く、「無知は力」となった社会である。
現在の日本社会はこの道を着実に歩んでいる。折りしも、「子供の権利」を僭称した、気分の悪くなるような法案が国会に上程され、審議に付されようとしている。悪質な騙りであり、名前を出すだけで吐き気を催すのだが、大方の反応は鈍い。この社会は間違いなく終わろうとしている。

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太陽を待ちながら
レイ・マンザレクが亡くなった。ドアーズは聴くことは聴いていたが、のめり込むという程ではなかった。むしろギターロックに惹かれていたので、テイストの近いジョイ・ディヴィジョンの方に入れ込んでいた。無論、イアン・カーティスがジム・モリソンに憧れ、強く意識してていたのは事実であるが。
最初にドアーズを意識したのは映画「地獄の黙示録」だろうか。終盤の暗殺シーンに「ジ・エンド」が流れるシーンは忘れがたい。心に残っている曲といえば、他にブレイク・オン・スルー、まぼろしの世界、そして、太陽を待ちながら、のあたりか。こちらもいい加減、年を食ってきたのだが、今聴いてもやはり、色褪せない力強い響きを感じる。何やかや言って、やはり大したものだ。

「あれが見つかった。 何が? 永遠。海と溶け合う太陽が」(ランボー)

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アカウントの設定をいじくっていて半日が潰れる。午後からジャズ喫茶で時間を過ごし、ナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」を眺める。人々の動向の監視・記録→データベース化→公権力の意向で恣意的に運用する構造が、徹底した民営化政策と相俟って、巨大なビジネスを作り出す仕組が不気味だ。思い当たるふしは色々ある。

夜、池上彰司会のTPP番組がひどい。原発事故報道の再来か。「直ちに危険性は無い」、「悪い影響があるとは限らない」言葉に既視感がありすぎる。

維新の会はもう終わった、というか、終わってくれなければこの社会の水準が疑われる。そういえば、先日軽く目を通した「ニコライ日記」に閔妃暗殺のくだりが記されていた。天網恢恢、うまく誤魔化したつもりでも、ちゃんと見抜かれているものである。外からの眼差し、そして、「死者の眼差し」を甘く見るな。

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疲労が溜っているのでゆっくりしようと思っていたのだが、何やら早起きさせられて、グダグダになってしまった。やるべき事はまるで出来ず、明日、と言うか今日も忙しくなりそうな気がする。とにかく眠い。

維新の会は、さらに輪をかけて訳のわからない存在になってきている。今度は石原翁が「侵略ではない」発言で物議をかもしている始末。オリンピックの可能性がなくなったのはいいとして、どこまで恥を晒すつもりなのかねえ。こんな連中に代表者ヅラをされたくないぞ。
あと、発端となった自民党の歴史修正主義が霞んでいるのだが、埋もれさせてはならない。可視化させることが必要だ。無かったことにしてのさばりかえるのは最悪である。

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近代史の爪痕
安倍晋三が「731」の番号の入ったブルー・インパルスに搭乗したことが話題になっている。これに対し、日本政府はあくまでも偶然と突っぱねている。おそらくその通り、「偶然」ではあるだろう。だがそうなると、搭乗の際にこの一致に全く気付かなかったということになる。これはどういうことなのだろうか。
つまり、安倍とその取り巻き達は、近代史の常識に対して全く無知蒙昧で、自覚するところが一切無かったという事になる。愚かさを曝け出してしまっているわけで、「偶然」という反論は、何の弁明にもなっていない。

私自身のことを語ろう。私が731部隊について知ったのは、遠い学生時代のことである。当時立川市で催されていた731部隊展に行き、元少年兵の証言を聞き、関連書籍を読み漁ったものだった。映画「黒い太陽」を観たのもこの頃である(この映画は少年兵に寄り添うような視点が特徴で、人が言うほど「反日」色のきついものでは無いと思われた)。おそらく、隊員たちはアブノーマルな人間というわけではなかったのだろう。だが、或る条件下に置かれる事によって、人間性というものはどこまでも頽廃する。戦争とは、まさにそういう場所である。
余談だが、このブログのアドレスにも「731」の数字が入っている。開設する際に偶然割り振られたアドレスなのだが、前述のような経緯があるので、「宿命」と言っては大袈裟だが、敢えてそのままにしておいた。

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5.15に思う
昨日(5/14)、上野界隈で7.8人ほどのデモ隊が、沖縄基地撤去を訴える行進を行っていた。規模が小さいのは平日の昼間ゆえ致し方ない。とにかく、これを見た私は「ああ、15日は沖縄「復帰」の日なんだな」と思い至った次第である。米軍基地を抱えているのであくまでも括弧付きの復帰ではあるが。
5/15というと、受験生的には(いつまで引き摺っているのだ)1932年の5.15事件を想起してしまう。だが、さすがに今年はマスコミレベルでも、例年に比べて「沖縄復帰の日」としての注目度が高いようだ。オスプレイ配備、「主権回復の日」創設、橋下発言等々、理由は多く挙げられるだろう。月並みだが、今一度、この現実を正面から見つめよう。「基地の中に沖縄がある」と言われるこの現実を。


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高市早苗、橋下徹と、政治家の舌禍が止まらない。よくもこんな代物が当選したものだ。
考えただけで気分が悪くなるのだが、このところ睡眠不足が続いているので、今日はパス。実際、こうして書いているうちにも胃が痛くなってきた。

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戯画としての権力
話題の橋下発言。簡単に言うと以下の通りだが、まともに考えると意味不明だ。

1.従軍慰安婦制度が必要だったのは明らかだ。
2.侵略戦争によって周辺諸国に多大な苦痛と損害を与えた事は反省しなくてはならない。

普通、2の主張を本気で考えているのなら、1の発言は出てこない。論理構造上、あり得ない事である。となると、1の発言こそが本音であり、アリバイ的に2の発言を付け加えたと見るのが自然である。
「チャップリンの独裁者」にこんな台詞がある。「民主主義は香り高く、自由は憎むべきで、言論の自由は好ましくない」(註)。独裁者ヒンケルの語る支離滅裂な演説だが、今回の橋下発言は、まさにこれを思わせるものだった。これこそ独裁者の滑稽かつ醜悪な戯画というべきか。

尚、例のコスプレの件を取り沙汰する向きが一部にあるが、個人の性的嗜好を断罪することには同意しない。

註:江藤文夫「チャップリンの仕事」参照

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朝起きるのがやたらと辛かった。眠気が取れない。
新宿で反TPPのアクション。今日は用事があったので、挨拶程度に顔を出す。

経産省前テントで一人逮捕された模様。以下、経産省前テントひろばのブログより転載する。

【情報共有】経産省前テントひろばスタッフの逮捕に関して

金曜日に経産省前テントひろばのスタッフ1名が、経産省の警備担当者との間で
発生したトラブルが原因で、任意同行を求められた上で、
逮捕、拘留されるという事態が発生しました。
現段階で解っている事と現段階で決まっている対応について以下にてご報告します。

① 逮捕迄の経緯(現場にいて、状況を見ていた複数のスタッフの話)
金曜日には、三度警備担当の職員が撮影に来て、(いつもはこんなには頻繁に来ない)監視カメラの台に腰かけていたスタッフの顔を超近距離で撮影したという事です。
何度も「肖像権の侵害だから、止めて欲しい」と要請したにも関わらず、撮影を止めなかったので、手でカメラをどけ、「こうやってやられたら、あなたも嫌だろ」と経産省の職員の顔をなでるようにした行為が、
器物破損と暴行という事で訴えられたようです。
(詳細な内容は不明ですが、経産省はカメラが壊れたと主張しているようです)
警察から、任意同行をもとめられ、経産省が主張するような暴力を振るった事は、一切ない事から、本人が同意の上、同行して、取り調べを受けたところ、逮捕、拘留されるに至ったようです。


② 経産省前テントひろばとして、13日(月)に経産省に正式に抗議をします。
13日(月)に経産省前テントひろばとして、正式に抗議を行います。
電話で抗議をされる方は、こちらで確認出来ている事実関係を元に、逮捕自体が不当であり、本人は心臓に持病がある事を伝え、即刻、釈放するように要請をして下さい。
土地明け渡し訴訟への影響も考えられますので、冷静な対応をお願いします。


やり口がこれまでにも増して露骨になってきた。警戒が必要だ。

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ラファエロとその時代。そして私達の時代。
上野のラファエロ展に行く。といっても、実際は「ラファエロとその周辺作家」展である。まあ、ルネッサンス期の作家だ。展示内容がこうなる事は事前に予測済みである。
内容的には比較的良質な催しだと思う。絵を見ているよりも人の頭を見ている時間の方が長かった点を除けば、だが。「大公の聖母」の黒バックが、後世に塗りつぶされたものであるとは初めて知った。修復の際に塗りつぶしてしまったらしい。キリスト像をサルにしてしまった例のアレよりはマシかもしれないが。

ルネッサンスとは再生を意味する。花田清輝の言い回しを借りれば、復興期(転形期)ということになる。花田は現代を転形期とみなし、ルネッサンスや室町時代にそのメタファーを追い求めたわけであるが、はたしてわれわれの時代はどうか。度重なる規制、健全化で私達の精神活動はますます貧しくなっているように見える。ランボーの言うように、道徳とは脳髄の頽廃だ。官製の「健全な文化は」復興の名に値するのか。

午後は池袋の脱/反原発デモに足を運んだ。雨の中、皆大変な思いをしながらの行進。沿道の反応も厳しかったが、諦めたくないという思いがある。ここでも転形期という概念がつきまとう。私達は転形期を生きているのか、それとも強固な支配体制の内の蟷螂の斧に過ぎないのか。いずれにせよ、やる事は変わらないのだが。

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均質化された「風景」について
膝の痛みが思わしくないが、先日の続きを記す。

出張で仙台を訪れる。早起きが少々こたえた。新幹線に乗るのは10年ぶりくらいか。出張の理由というのは突発的な思いつき…、もとい、オトナの事情によるものだが、終わる頃には夕方になっていた。時間が中途半端なので、仙台駅周辺を少し散策。率直にいうと、新宿辺りを歩いているのと大差ない。大都市の町並みは、どの地域でも均質化されているのだろう。「地域性」という美名の下に、異質なものを求めたがるのは観光客の悪い癖(オリエンタリズムなど)だが、それを差し引いてもこれは辛い。
均質化とは風景の死である。映画「略称・連続射殺魔」は、永山則夫を追い詰めたのは均質化された「風景」そのものである、と喝破するものだった。つまり、「ここじゃない場所」を求めて脱出したら、同じような空間がまた広がっていた、という具合である。
これは巨大資本の進出によって、より顕著となる。どこにでもある大手百貨店が林立し、どこにでもある町並みが完成され、どこにでもあるライフスタイルがそこに生まれる。便利なようでいて、お仕着せの文化しかそこには生まれない。この空間は窒息をもたらすだろう。
中傷する意図は無い。どこでも同じ困難を抱えているという意味である。こうした均質化現象は東京の繁華街で散々目にしていたが、全国どこの都市でも同様の危機を迎えているのを実感した。

暫く街を散策した後、牛タンを食べて帰る。月並みだが、奇を衒って何もせずに帰るのも馬鹿馬鹿しい。

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出張で仙台へ。漸く帰宅するも、流石にぐったりしている。まあ、出張といっても非常に下らない経緯があるのだが、それはともかくとして、語る事は色々ある。だが、ちょっと今日は限界なので後日に回したい。

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女性手帳も男性手帳も要らない
いわゆる女性手帳の問題については、「余計なお世話だ」の一言に尽きている。「男性手帳も作れ」という声もあるのだが、同意しない。おそらく政権側も落とし所として、そこを狙っているのだと思う。「夫婦相和シ、朋友相信シ」といった具合である。
だが、この問題の気持ち悪さは、公権力が私人のライフスタイルや性生活に至るまで介入しようとするところにある。これは、例の道徳の教科化にも通じる問題だと思う。あるべき女性像、あるべき男性像、冗談じゃない。そんなセンシティブな領域まで、とやかく言われる筋合いなどありはしないのだ。
公権力は、隙あらばその汚らわしい手で私達の人生を引っ掻き回そうとするものだ。私達の生を、私達の手に取り戻さなくてはならない。

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一日中、スポーツにかこつけた政治宣伝番組が鬱陶しい。為政者とはあくまでも公僕であり、メディアは監視機能を果たさなくてはならない筈である。だが、現実に放送されている番組はどうか。救世主扱いというか、もはや神格化に近い。どんな国だ。

膝の痛みが回復しないため、漠然と本など読みながらすごす。「生物から見た世界」(ユクスキュル/クリサート)なのだが、あまり卒読を意識せず、のんびりと読むのがいい。子供の頃、生物図鑑を眺めて過ごした頃の記憶が甦る。

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昨日から腰痛と膝痛に悩まされる。そのため、午前中は家で安静・・・と言うほどではないが、静かにはしていた。よって新宿でのLOVEデモには参加せず。
水道橋界隈でなにやら騒いでいたようだ。誰かの政治パフォーマンスらしいが、全く興味ないのでスルー。そういえば、最近は野球も見なくなってしまったな。スポーツ観戦は時間の融通が利かないので、どうも疎遠になってしまう。われわれの人生は限られているので、短い時間の中で何を選び、何を断念するか、どうしても迫られる局面がある。致し方ないこととはいえ、これは悲しい事だ。
石神井公園にて脱原発のイベントがあったので、挨拶程度に顔を出す。今は無理のない範囲で行動する。

久方ぶりに寺田寅彦「柿の種」を取り出して眺める。軽妙、というのとはちょっと違うが、肩の凝らないエッセイ集。ああ、こういうのもありなんだなぁ、と妙に感心する。それでも関東大震災前後の記述は、私達にとって生々しい。

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この島に生きて
ジョン・ミリントン・シング「アラン島」(岩波文庫)読了。
アイルランドの作家、シングの4度にわたるアラン島滞在記。アラン島はスコットランドとアイルランドの間に位置する島嶼群の中にある。本書には地図が掲載されていないので、イメージが湧きにくいのが難点である。
語られるのは島の様々な民俗、風習、伝説など。古い伝承の中には「ヴェニスの商人」とそっくり同じようなものもあるのだが、どちらがオリジナルだろうか。
ここで「昔はよかったなぁ」式の礼讃をしても仕方が無いが、本書の時点では、この地域社会には精霊が生きていた。魔物や妖精たちが当たり前のように村々の生活の中に出入りしていたのである。石川淳の言うように、幽霊を否定するよりも、信じる方が、人生を面白くする秘訣というものだ。
幾分ゴチャゴチャしていて読みにくいのだが、読み終えた印象は悪くない。

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侵すことの出来ない永久の権利
憲法記念日、である。私は天皇条項については異見を持つ者だが、基本的には護憲派の立場である。
自民党の改憲案は、明治憲法の劣化版である。論ずるに値しないような拙劣な代物だが、メディアによる改憲ムードを背景として、大手を振って罷り通りかねない状況が出来上がっている。
率直に言うと、「九条守れ」の一点突破主義ではかなり厳しいと思う。自民党による改憲案の内容を見ると、これは人権条項に様々な「法律の留保」を設けていくものとなっている。早い話、私達の諸権利が絵に描いた餅と化してしまうわけであり、民主主義そのものを崩壊させるような性質のものである。想田和弘の言い回しを借りれは、「そろそろ日本は民主主義をやめましょう」ということだ。
憲法は公権力に対する命令である。権力者は人々の権利を侵してはならない。そこには、公権力は何をするかわからない危険極まりない存在であり、法律で厳しく取り締まらねばならない、という強固な意思が働いている。以前にも述べた事だが、憲法99条に記された「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」は、人権侵害のブラックリストなのだ。改憲のハードルが高いのは、公権力にやりたい放題をやられては困るからである。

今日は都心をはじめ、各地で様々なアクションが繰り広げられた。私も某所の行動に参加したが、なかなかうまく発言出来なかった。難しいものである。

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「他人の不幸は蜜の味」・・・
この所胃酸過多気味だったが、今日は一日中胃痛に悩まされる。仕事中は結構辛かった。

先日、図書館でナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」を借り出した。おおよその内容はあちこちで耳にしており、今さらと言う感は無きにしも非ずだが、取り敢えずは目を通しておきたいと思ったのである。
「災い転じて福となす」という言葉があるが、この場合、「他人の災いを活用して自らの福となす」と言い換えればわかりやすい。大惨事の到来→茫然自失の状態→プロパガンダの刷り込み→大切な諸権利の自主的放棄、といったパターンが語られるのだが、どこかの国を思い出さないか。
特にトンデモ論とは思わない。「それくらいは当たり前にやるだろう」というのが正直な感想である。事実、震災直後にいかがわしい法律をネジ込もうとし、今尚それをゴリ押ししようとしている某与党のこともある。
こんな事を書いているが、この本、まだ冒頭を少し読んだだけなので、きちんと読み終えてから感想を記してみたい。

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プロフィール

のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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