時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
ふと思うこと
戦車小僧とKGBの親玉が話題になっている。

いわゆる北方領土なるものを考える際に、そもそもそこはアイヌ・モシリであるということに思いを馳せて欲しい。そして江戸期~現代に至る、かの地とその住民の辿った道を歴史的文脈において考えて欲しい。これらの断層を抜きにした、「日本固有の(つまり和人の)領土を取り返せ」という立論は、あまりにも暴力的ではないだろうか。
国後、目梨の蜂起は1789年の事。かのフランス大革命と同年である・・・
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貞子を待ちながら
一日オフにしたが、やりたい事の半分も出来ず、やれやれだ。
どこかの首相のせいで「馬鹿が戦車でやって来る」が話題になっているのだが、山田洋次作品の中では、あれは一番良い出来だと思う。特に、終盤に死んでしまう知的障害の少年が良い味を出していた。マドンナ崇拝が鼻につくのはいつもの通りだが。

貞子3D(監督:英勉 脚本:藤岡美暢 英勉)を観る。期待通りの凡作。オチも中途半端。「世の中みんな作り物」という台詞も、ありきたりで、塚本晋也の「妖怪ハンター ヒルコ」を模倣したようなモンスターには苦笑せざるを得ない。
橋本愛演ずる少女時代の貞子は悪くないし、むしろ好感が持てるのだが、真打である筈の「死後の貞子」というキャラが充分に活かしきれていない。一作目のラストシーンの凄みには及んでいないのだ。
率直に言うと、リング・シリーズは感心した事が無い。貞子という素材を如何にして画面上に開花させるか、製作者の手腕が問われるところである。


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チェルノブイリから27年、フクシマから2年
土曜日の話から。
反西連(反原発西武線沿線連合)の100駅アクションに顔を出す。西武鉄道の各駅ごとに100箇所を目標に一斉に反原発の街宣活動を行うというもの。私も数箇所をハシゴした。尤も、途中で燃え尽きたというか、終盤は思うような語りが出来なくなったのが情け無いが。
とにかく、どかんと大きな(ベラボーな!(笑))イベントをぶち上げる事には成功したと思う。派手に騒ぎ続ける事は大切だ。反西連のスタッフ達の功績を素直に讃えたい。ただ、いつものことだが、やはり街頭の反応は今ひとつの印象。「まだまだだぜ」という意識は自分への戒めとしても残しておきたい。

終了後、「カフェ百日紅」のダーティー・松本展に向かう。店主のご厚意で、ダーティー・松本氏ご本人にお会いすることが出来た。また、他の作家さん達(こちらも高名な方)との歓談の場に同席させて頂いた。・・・淡々と書いているが、感動が強すぎたせいか、ちょっとこの時の事はどう書いても陳腐な表現になってしまい、うまく言い表せない。とにかく、色々貴重なお話を聞く事が出来た。ただただ、ひたすら感謝するのみである。

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安倍が戦車でやって来る
今日は色々盛り沢山な一日だった。無理はしないつもりだったが結果的にやたらあちこち飛び回っていたので、この時間になるとさすがに眠い。詳細は後日に。

帰宅して、この写真を見てのけぞった。本人は何の疑問も抱いていないのかねぇ。こちとら合成かと目を疑ったのだが・・・どこの将軍様だよ。
http://mainichi.jp/select/news/20130428k0000m010065000c.html
( ゚д゚) ・・・(つд⊂)ゴシゴシゴシ (;゚Д゚)

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魔女の宴
角田栄子の児童小説「魔女の宅急便」が実写映画化されるらしい。宮崎駿の監督作として、一世を風靡した作品である。こちらのイメージが強い人にはちょっと…というのが正直なところだろう。
今回の監督は清水崇。「呪怨」シリーズでホラー映画界の第一人者となった人で、私も好きな監督である。このブログでも何度か取り上げた記憶がある。まあ、言ってみれば、つのだじろうがホームドラマを描くようなものか。まさかキキが怨霊となって家に地縛するわけではあるまいが(それはそれで観てみたいが)、どのような形になるか、興味津々である。これが清水崇の黒歴史にならなければいいのだが。

アニメ版が公開された当時、荒井由美の主題歌と相俟って「優しさ」がキーワードとして一人歩きした感がある。当時、この優しさブームにイラッとした記憶があるが、その捌け口を白土三平の「カムイ伝」あたりに委ねていたように思う。過酷な運命の中を生き抜く峻厳たる存在に憧れていた。その一方で、「魔女の宅急便」を観るために二回も劇場に足を運んだ事も事実である。おそらく、両方とも私には必要だったのだ。

閑話休題。とまれ、宮崎駿テイストとは大きくかけ離れた作品が成立する事を期待したい。尤も、ファンタジー作品という性格上、危険な賭けであることには変わりないのだが。

尚、五月一日の前の晩には魔女達がブロッケン山に集結し、乱痴気騒ぎを行うという。これが世に言う「ワルプルギスの夜」なのだが、おや、あと一週間足らずだよ。

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断章
4月23日というと、ペルー大使館公邸占拠事件を思い出す。中島みゆきは「この国は危ない 何度でも同じ過ちを繰り返すだろう 平和を望むと言いながらも」(「4.2.3」)と歌ったが、この言葉は今日の日本にこそ深く突き刺さる。あの事件から、ここまでこの社会は劣化してしまった。暗澹たる思いだ。

「現代思想4月号 就活のリアル」を読み進めていると、就活自殺ならぬ、就活他殺という概念を呈示している人がいた。なかなか重要な概念である。秋葉原事件などはその典型だが、ひょっとするとボストン事件にも当てはまるかもしれない。新自由主義の生み出したひずみは、隠しようもなく社会の至るところにあらわれている。

映画「東京原発」(監督・脚本:山川元)を観る。原発誘致を巡るブラック・コメディ。感想は時間を充分に取れる日に委ねたい。

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人間性の彼方を直視せよ
コアマガジン社へのガサ入れについては、容疑等の詳細がわからないので、具体的な事は語れない。ここでは、あくまでも一般的な事柄を述べる。
一体、性表現は何故先験的に悪とされるのだろう。おそらく、返ってくるのは「そのように決まっているからだ」というトートロジカルな回答だ。「悪いから悪いのだ」というわけだ。
だが、それが娯楽であろうと、クソ真面目な創作動機であろうと、「性」を描くという事は、人間性とは何であるかということを、不可避的に突きつけるものである。これは作者が自覚的であるか否かを問わない。
「清く正しく美しいものこそが人間だ」とするドグマが、近代におけるイデオロギー的偏向であるということが暴き出されたのが20世紀の人文科学の大きな意義であった。人間は奇麗事によってくみ上げられた機械人形ではない、肉体を持った有機体であり、息づいた生臭い存在である。性交し、排泄し、繁殖するのである。人間はのっぺりした凹凸の無い平面のような存在ではなく、複雑な形状をした、とらえどころの無い存在なのだ。現代思想の用語を用いれば、大文字の他者(Autre)の問題が立ち表れたのである。そして、如何に目をそむけようとも、「性」はまぎれもなく存在するのだ。
性表現に対する司法官憲の介入は、こうした人間にまつわる思考を放棄せよ、よき人形たれ、闇の中に退行せよというに等しい。人間は精神である必要は無い、公権力の決めた事を鸚鵡返しに反復する録音機たれということだ。このような動向は決して許されてはならない。

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アトムの善用のための祈り
東京新聞に「アトムの涙 手塚治虫が込めた思い」という連載が三回にわたってなされた。鉄腕アトムと原子力開発との微妙かつ痛ましい関係を論じた論稿である。

手塚が作品の中枢に生命倫理やエコロジー、反差別といったテーマを据えていた事はよく知られている。それが屈折した現れ方をする事も多いのだが、基本はそれで変わらない。手塚作品に親しんだ事のある者にとって、これは常識である。
だが、一部の自称脱原発派は、鬼の首でも取ったように「アトムは原発推進漫画」とワメき散らして已まない。一体、こんな事を言い募って何の意味があるのだろう。「鉄腕アトムは悪い漫画だ。そして、それを知っている俺は偉いのだ」という自己顕示と自己陶酔がそこにある。早い話、マウンティングをしたいのである。そして異論は全て「言い訳」として片付けられる。
文化芸術や知の遺産が全て「俺の方が偉い」という精神的自慰の道具にしかならないのは実に醜悪である。「ジャングル大帝」がある一家によって「差別漫画」として槍玉に挙げられたのは記憶に新しい。「ブラック・ジャック」にも単行本に収録できない作品があるという(余談だが、「奇子」の終盤は単行本化に際し、大きな差し替えが行われているという。この理由についても詳細を知りたく思う)。

ここで思い出すのだが、嘗て89年以降、マルクス葬送論が声高に叫ばれた。これに対し、頑迷な護教論者は論外として、何とか生産的な形で読み解いていこう、或いは古典として学ぶべきところを学んでいこうといった、様々な試みが行われた。その試みは今でも続いている。知を扱う領野において、これは当たり前の事である。マルバツをつけて何か判ったようなポーズをとるのは知性の放棄であり、精神の頽廃である。

萩尾望都は自らが考えたアトムの最終話の構想を語っている。原発の事故直後、アトム、コバルト、ウランの三人が除染のため福一に向かう、三人は発電所内で除染を終えた後、壊れて動かなくなる、というもの。「除染」という概念に誤認があると思うが、この萩尾版アトムは是非とも実現させてほしいと、真剣に考えている。

atom.jpg
(東京新聞より)

付記:私自身、手塚治虫護教論者ではない。例えば、手塚の「ノーマン」という作品についてはどう考えても擁護のしようがない。思い出しても腹立たしいのだが、別の箇所でも論じたような気がするので繰り返さない。

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アウン・サン・スーチーが来日した。ビルマの民主化運動の象徴的な存在であり、その経歴については改めて説明するまでも無いだろう(但し、徒に偶像視することは避けたいと思う)。かたや、この国の政権与党は民主主義を全力で放棄しようとしている徒輩共である。この時期に彼女が来日した事は、もはや皮肉を通り越して、情けないという他ない。

「現代思想 特集:就活のリアル」を購入。私も就活では辛酸を舐め続けているので、身につまされる。
自己責任論と若者バッシングに埋もれてしまう失業問題。詳細については稿を改めたいが、高度成長期の幻影にどっぷり漬かったバブル脳が、この問題を長年にわたり忌避し、放置し続けた事は罪深い。

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三國連太郎逝く
三國連太郎が亡くなった。今村昌平から釣りバカ日誌まで、幅広い演技を見せた俳優だった。今村の「神々の深き欲望」については私もこのブログで触れた事がある。正直、好きな映画ではないが、ムラのはみ出し者を演ずる三國の姿は強く焼きついている。

三國と言えば、徴兵を巡るエピソードがよく知られている。戦時中のこと、三國は「戦争で死ぬのは嫌だ」と、徴兵を忌避して逃げ回っていた。だが、母親の密告により警察に捕まり、敢え無く入隊させられた。珍しい話ではあるまい。世の親達の大半は同じように振舞うのだろう。とにかく、三國は母が亡くなるまでその時の事が許せなかったと言う。
折りしもバカが「集団的自衛権」だの「武器使用の緩和」だのと、戦争できる勇ましい国づくりを目指しているところだ。三國はこのことをどのように考えていたのだろう。90歳と言えば大往生の筈だが、こんな世の中が生まれてしまった事は、大いに心残りだったような気がしてならない。

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あなどりがたし
(承前)惑星に残された遺跡から、古代たちは亜空間ゲートの情報を入手。400年前に放棄された装置を起動させるため、真田、古代、森の3人が出動する。記憶喪失の森雪=ユリーシャ・イスカンダルという噂が流れている事に対し、真田は古代たちに真実を告げる。ユリーシャは確かに乗艦している。しかし、その正体は森ではなく、岬百合亜でもなかった。
ユリーシャは自動航行装置の中に体ごと組み込まれていた。イスカンダルの場所が特定できないため、交通事故で昏睡状態となったユリーシャの脳を航行装置に接続し、道案内代わりとするためである。人道上許されない事である点、また、行き先も不確かな出たとこ勝負の航海方法である点から、ヤマトの最高機密となっていたが、ここに至ってとうとう真相が乗組員全員に周知されることとなった。同時に岬百合亜の奇妙な言動も、その霊媒体質ゆえ、ユリーシャが憑依するようになったことが確認された。
亜空間ゲートに話を戻す。真田が装置と格闘するうちに、その起動時に高濃度の中性子線が一時的に放出される事が判明。真田は制御室の扉を中からロックし、古代達を締め出す。危険な目にあうのは自分ひとりで充分ということである。扉の向こうから、自分はメ号作戦(第一話の戦闘)が囮である事を知っていた。しかし、それを親友である古代守に知らせなかった、古代が戦死したのは俺のせいだ、と真田が懺悔する。
ここで中原中也の「汚れちまった悲しみに」が朗読される。ひょっとして新見を含めての三角関係の含みを持たせているのでは、と推測したのだが、考えすぎのようだった(中原のこの詩は一人の女性を巡る小林秀雄との確執が背景にあるのだが)。システムの起動後、苦心の末に古代と雪は外側からロックの解除に成功。真田が水中に避難して無事である事を知り、ほっと安堵するのだった。
言うまでもなく、旧作で真田の過去が語られるシーンの再現である。例の遊園地事故の回想に相当するのだが、義手義足設定はなし。勿論爆弾も内蔵していない(当たり前だ)。結果、旧作以上に大人の苦しみが語られる優れた展開となった。尚、真田は本人が思っているよりも遥かに文学青年である。
さて、亜空間ゲートの再稼動に成功したヤマトクルーだが、ここで調査が必要となる(旧作のオクトパス星団の調査が重ねあわされる)。航空隊の篠原がそれを買って出るのだが、ゲートを抜けた先のバラン星には一万隻のガミラス艦隊が終結。ガミラスNo.2の最高幹部、ゼーリックが重大発表のために召集したものである。篠原は迎撃を受けながらもかろうじて生還する。
一方ゼーリックはデスラーの急死を公表。自らが後継者となることを宣言する。とそこへ、死んだ筈のデスラー本人からの入電。殺害されたのは影武者であり、全てゼーリックを炙り出すための罠だったことが明かされる。逆上するゼーリックだが、腰巾着であるゲールにより射殺。あえなく最期を遂げる。
篠原の報告を受けた沖田は敢えて強行突入を決断。1万のガミラス艦隊の前に姿を現し、マゼラン銀河に通じる第二の亜空間ゲートを目指して遮二無二突っ走る。ここで波動砲をバラン星に向けて発射。爆縮を誘起させた上で、全速力で第二のゲートに突入。ガミラス艦隊もろとも亜空間ゲートの入り口を破壊し、完全に振り切る事に成功する。ゲートを抜けたヤマトの前には広大なマゼラン銀河が広がっていた。
ゲールが銃をとったのは保身のためか、怯えによるものか、どっちとも取れるだろう。この辺りの小物ぶりは、さしあたり人間的ではあるので悪くは無い。
それにしても激闘シーンに始まり、激闘シーンに終わる一編だった。目くるめく展開に翻弄されるような印象だが、一方で「地球-ヤマトの原罪性」というテーマが提示されていることにも着目したい。先制攻撃の件、ユリーシャの扱い、波動砲という「大量破壊兵器」(しかも劇中の台詞だ)の危険性、地球人の手もまた汚れているのである。この点の洞察が今後も継続されていくかどうか、本作の成功の可否はそこにかかっていると思われる。

CALG31WQ.jpg

付記:亡くなった三國連太郎については、後日記す予定。

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専制と反乱、そして裏切り
戦争映画の面白さは、断じて「戦争の面白さ」ではない。この違いを理解できるものだけが、戦争映画を楽しむ資格を持つ。そんなわけで、昨日観た「宇宙戦艦ヤマト2199第五章 望郷の銀河空間」の感想を記す。勿論、容赦なくネタバレ全開。あっという間の二時間で、圧巻の一言だった。

旧作では頓珍漢な愚策を乱発した迷将・ドメルだが、本作では名将の名にふさわしい活躍ぶり。ヤマトの先を読み、裏をかき、二段、三段構えの攻撃で撃沈寸前まで追い詰める。いよいよ止めを刺そうというところで、突如本国から召還命令を下され、已む無く撤退。ドメルが気の毒になるが、このまま続けていればヤマト撃沈、ストーリーが終わってしまうので、まあ仕方が無い。
召還されたドメルはデスラー総統暗殺の事実を告げられ、容疑者として拘束される。政権内部の権力抗争に起因する謀略だが、一方的に裁判が進められ、死刑判決を下される。一方、反政府活動の支援をしていた妻(こちらは冤罪ではない)も拘束され、収容所に送還される。ここでメルダ・ディッツが再登場、口惜しげな表情を浮かべながら送還される人々を見送る。
ドメル夫人達反政府グループの描き方はナチス物の映画などで散々描かれてきたものを参照している。やたら既視感のあるのはそのためである。
危うく難を逃れたヤマト内部では反乱が勃発。首謀者はイズモ計画(移民計画)派の新見と伊東。イスカンダルへの航海を断念し、ビーメラ星系の惑星を第二の地球として、移住計画を遂行しようとする(勿論、藪は反乱側の手先として参加している)。しかし、山本玲の奮闘や、星名の暗躍により、形勢が逆転。新見も伊東のマキャベリストぶりについて行けず、反乱計画はあえなく潰え去る。
一方、惑星の調査に乗り出した古代、岬百合亜達は、滅亡した遺跡内部に波動コアを発見。ここにも地球と同様、イスカンダルからの「救済」の手が差し伸べられていた。
生きた昆虫人間が登場しないのは、松本零士への配慮なのか。そのかわり巨大な節足動物が登場し、パワードスーツを装着したアナライザーが大活躍をする。百合亜がキャッキャッとはしゃいでいる姿が可笑しい。
尚、本作の冒頭では反乱を起こした植民星をデスラーの親衛隊が滅亡させるシーンがある(この親衛隊とデスラーの関係もかなり微妙である)。旧作のビーメラ星人の反乱はここに消化されているのだろう。

以上で第五章の前半の解説になるのだが、これだけでも情報量が多い。旧作を観ていない人はさぞかし大変だったろうと思う。後半部も波乱万丈なのだが、解説は次回に回す。


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クリスタルナハト
メディアは相変わらず北朝鮮祭り状態。バカ丸出しである。誰もがお祭り騒ぎに気を取られているうちに、為政者は悪事を着々と進めていく。この社会は彼らにとってバラ色の天国だ。都合が悪ければウソをつけばいい、隠してしまえばいい。景気回復、魔法の言葉だ。親衛隊の声が、瞬く間に異論をかき消していく。
ミサイルが来る…標的は日本だ…わが国が狙われている…脅威だぞ…武器をそろえよ…もっと、もっとだ…金に糸目はつけない…軍事大国を目指すのだ…毎度ありぃ…いいカモがやってきた…もっとやれ、もっとやれ!…あいつら何も考えちゃいない…怯えて騒いでバカ踊り…こいつは傑作だ!…

「東条の背後に、何かあるのかと思ったら、格別のものもなかった。からっぽであった。怪談に似てゐる」(太宰治「苦悩の年鑑」)

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や、死んだ!
昨日の続きになるが、こんな記事があった。
サッチャー死亡祝賀パーティがロンドンで開催、ネット上にはコラも多数
まあ、サッチャー政策に相当批判的な意見が紛糾するだろう事は予想していたけどね、流石にここまでやるとは予想しなかった。やるもんだねぇ。UKロックの底力はこうした土壌に育ったわけか。そりゃ、生半可なJ-POPじゃ歯が立ちませんわ。
死んだことを喜べとは言わない。ただ、日本人も少しはこうした反骨精神を見習った方がいいんじゃない?

kenpo.jpg

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一日中漠然とした不安感やら罪悪感やらに苛まれる。ちょっとまずい。

マーガレット・サッチャーが死んだ。鉄の女といえばサッチャー。ちなみに鋼鉄の男といえばスターリンになる。
80年代新自由主義の立役者の一人。フォークランド紛争の下手人。ややこしい事は言わない。ブリティッシュ・ロックに少しでも馴染みのある人なら、「偉大なリーダー」などという薄気味悪い賛辞がどれだけ空疎なものか理解される筈だ。これだけミュージシャンから目の敵にされた政治家もそうはいない。
そういえば、ヒッピーから嫌われていたレヴェラーズが、フォークランド紛争での反戦デモをきっかけに、彼等と意気投合したというエピソードを思い出した。それにしても、こうしたカウンターカルチャーをめぐる、彼我の環境の違いはどう理解すればいいのだろう。必ずしも当事者の意識の問題だけではないと思うのだが。

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取り立てて書く事も無い一日。図書館でアランフェス協奏曲のCDを適当に借りる。フェイルーズが「愛しきベイルート」で自らのレパートリーとして歌い上げていたのを思い出す。マイルス・デイビスの「スペインのスケッチ」にこの曲が使用されていたのも忘れがたい。
しかしひどい雨だな。

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事理ヲ弁識スル能力ヲ欠ク議員達
成年被後見人(禁治産者)の選挙権制限について、先日「違憲」とする判決が出たのは周知の通りである。
なぜこのような制限が設けられていたのか。おそらく、「判断能力に著しく欠缺のある者に公正な人選を求める事は現実的で無い」ということだったのだと思う。だが選挙において、公正な判断能力を持つ日本人がどれだけいるかというと、いささか心許ない。「テレビに出ているから」、「有名人で何かかっこいいから」というくらいの理由で、いかもの的な政治家が続出してしまうのがこの社会の現状である。
では、被選挙権についてはどうだろうか。著しく事理の弁識能力を欠いているような人間が、「国民の代表者」として振舞うというのはさすがに問題があるだろう。だが、残念ながら、どう贔屓目に見積もっても、正常な判断能力を有していないような人間が、知事や代議士の座におさまってしまうのもこれまた日本の現実である。4/5付の朝日新聞を見てみよう。
「日本は強力な軍事国家、技術国家になるべきだ。国家の発言力をバックアップするのは軍事力であり経済力だ。経済を蘇生させるには防衛産業は一番いい。核武装を議論することもこれからの選択肢だ」(「石原慎太郎氏インタビュー」)

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このところ更新が滞っているのだが、現在睡眠時間がかなり削られており、このままでは身がもたないと判断したためである。本来ならば、その日、その時どんな事を考えていたかを記録しておきたいのだが、致し方ない。

取り敢えず今日の記録。ジャズファンの間で話題になっていた、アニメ「坂道のアポロン」のサントラを購入。久しく読み止しになっていた、カロッサ「美しき惑いの年」を読み終える。疲れた頭には読書はかなり辛いものだが、自分の場合、このまま放置すれば精神が死ぬ。どうも私の頭の中は人一倍脆弱に出来ているらしい。
さて、もう眠くなってきた。

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悲しきピエロ
えーと、くだらない話題だが、一応触れておく。長嶋茂雄と松井秀喜の国民栄誉賞受賞。利用できるものは全て利用するという政治的野心がが見え見えである。私達の事を、完全にバカだと思っているのだろう。こと松井に対しては、その活躍をそれなりに注視していただけに、このやり口には尚更憤りを感じる。ここまで露骨なマネをされて、黙っていていいのか?まあ、当分の間はベタベタの賛辞がメディアを賑わすのだろうが。

人がみな
同じ方角に向いて行く
それを横より見てゐる心 啄木

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プロフィール

のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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