時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
いつもの映芸
荒井晴彦の雑誌「映画芸術」を購入。若松孝二追悼特集が組まれているためである。論者の顔ぶれはほぼ「文藝 別冊」と同じ。違いといえば、松田政男が寄稿しているくらいか。収録された座談会は案の定というか、若松の悪口ばかり。別に石川淳の「敗荷落日」を気取ったわけでもあるまい。何というか、「いつもの若松プロ」だ。生前から事あるたびに文句を垂れていたのをここでも再開して見せているのだろう。まあ、神妙に故人を偲ぶよりも、ワイワイ悪たれをつきながら送った方が、若松プロらしくていいんじゃないか。

既に発表されているが、2012年のワースト1、2位は園子温が独占。「希望の国」と「ヒミズ」である。まあ、何と言うか、糞味噌にやられているな。「愛のむきだし」は確かに素晴らしかったのだが。
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先日の戦争反対周知パレードの動画が上がっている。手前味噌になるが、やはりこの時期にこのアクションをぶつけた事は実に有意義だったと思う。


「文藝別冊 若松孝二 闘い続けた鬼才」を購入。足立正生、沖島勲、荒井晴彦、秋山道男、といった嘗ての若松プロの面々から、おネェこと朝倉大介、日本赤軍の重信房子、他に山下洋輔といった強烈な個性を持った人々が寄稿している。ちょっと読んだところ、昔のかなり無茶な話が可笑しい。後日、感想を記してみようと思う。

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或る省察
どんよりと意識が濁ったような状態が続く。こんな日常を繰り返していると、思考が硬直化するものだ。仕事をして、食べて、寝る。それだけが全てとなる。二本足の家畜として、私達は絶えざる馴致化の中を生きている。それが私達の生の基本形態である。そこでは目の前に与えられた事柄こそが「真実」である。ヘーゲルの言い回しを借りれば、現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的であるということになる。そこからはみ出すものは何も存在しない。
言うまでも無く、これは偽りの調和である。やがてこうした世界観は否応なしに破綻する。3.11はその典型だった。だが、破綻した傷口は再び糊塗され、何事も無かったかのようにこれまで通りの日々が再開する。何かおかしいと気付いていても、私達の自己意識は日々の業務に忙殺され、やがて繰り返される「馴致化」の下に埋没する。
いい加減、まずくないか。

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亡霊たちの群れ
話題の記事。
森美術館における「会田誠展」の性暴力展示に抗議を
http://paps-jp.org/action/mori-art-museum/


「ポルノ被害と性暴力を考える会」という徒党は、定期的に頭のおかしさを暴露したがる団体らしい。とにかく人間の精神活動を支配下におきたいという点において、このスタ団体は悪質な復古主義勢力と軌を一にする。芸術がどうのという問題ではない。この連中にはそもそも「人間」が理解できないのだ。人間性をマルバツでしか判定できないような輩に文化、政治、社会を語る資格などありはしない。「良い教条主義」など、存在する余地は無いのである。

会田誠については、手元に彼が挿絵を担当したD.A.F.ド・サドの「ジェローム神父」があり、作風は承知していた。初めて目にした時、その独特の秀逸な残酷絵に目を奪われたものである。それ以来、非常に気になる作家として意識はしていたが、画集が高額だったせいもあり、それ以上接点を持つ事は無かった。
このたび展覧会が催されている事も知ってはいたが、肉体的、精神的な不調もあり、ぐずついていた矢先にこの騒動である。こうなったら、いよいよ観にいかないわけにはいかなそうだ。

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ここ数日、ドン底の状態だったが、昨日は仲間達に会えて、かなり気分的に楽になった。その反動というわけでも無いだろうが、また以前の状態がぶり返しつつある。オスプレイ抗議集会とデモが日比谷であったようだが、今日は仕事。尤も仕事抜きでも今日は辛い状態だったので、参加できたかどうか。
昨日、古書店でサルマン・ラシュディ「ジャガーの微笑」(現代企画室)を購入。ラシュディといえば、「悪魔の詩」の著者だが、こちらはニカラグア訪問のルポルタージュ。調子のよい時にじっくり読んでみたい。

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戦争の親玉
渋谷で反戦パレード。今回は裏方に徹し、機材の運搬を担当する。人数的に大規模なものではないが、よいアピールになったと思う。

シモーヌ・ヴェーユの言い回しを借りれば、戦争とは他国民と自国民を大量死に送り込むことである。基本的にこの点に変わりは無い。そして、戦争において最も勇ましい発言をするのは、自らが死地に赴く事の無い、為政者達や官僚、財界人たちである。このことの意味を考えてみたほうがいい。「国家のため」「公のため」を標榜しながら、現実には霞ヶ関や永田町、もっといえばウォール街のために兵士達は戦地に送り込まれる。
公権力は軍事に関する宣伝活動に余念が無い。国際貢献だ、人命救助だと、戦争に参加すれば全て解決するかのように報じられる。湾岸戦争のときのように、「戦争に参加しなければ日本は孤立する」といった言説さえまことしやかに語られる。諸外国に顔向けできないということだ。馬鹿も休み休みにして欲しい。戦争に参加しない事は、道義的に何ら恥ずべきことでは無いし、現実に非難を受ける事などあり得ない。
例えば、人種差別国家と友好関係を築く事などは極めて恥ずべき事柄である。世界中から白い目で見られてもおかしくは無い。日本はアパルトヘイト下の南アフリカの良き友人であったが、何故か国際的に孤立したという話は聞かない。奇妙な事である。

徴兵制が敷かれるのか、貧困層が「自発的」に兵役志願に追い込まれるのかは判らない。だが、戦争や、軍事に対する敷居が日々下げられている事は事実だ。アルジェリア事件のような出来事さえ、都合よく悪用されつつある。戦時体制とは最大の抑圧体制である。マルスの歌は聞きたくない。

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今日は無理。落ち着いて文章を書くのも辛い。
久方ぶりにアルチュール・ランボーの「イリュミナシオン」を眺め直したことを報告しておく。

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エッカーマン「ゲーテとの対話」(上)読了。だらだらと読み進めていたため、やたら手間取った。殆どが演劇論、詩論に費やされ、時折科学論(色彩論など)が語られる。主立って論評されるのはシラー、バイロン、そして時折カントである。悪く言えば高踏遊民的であり、鼻持ちならないセリフも少なくないのだが。
作品の性質上、継続性はあまり問われないので、少し中断して他のものに手を出してみようかと思う。

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「気分」を巡る問題
連日報道される、アルジェリアの人質事件。ここで、自衛隊を出せば何とかなるんじゃないか、軍拡すれば何とかなるんじゃないか、といった雰囲気が一部で形作られているのが無気味だ。いうまでもなく、こうした発想には根拠など無い。これは先日触れたとおりである。だが、この社会にはこの種の無根拠な政策を求める風潮が根強く存在する。厳罰化すれば何とかなるんじゃないか、規制を強化すれば何とかなるんじゃないかといった具合に、必要の無い規制や罰則が続々と作られているのはその典型である。
目的と手段がここでは一致しない。強硬な軍事作戦によって犠牲者が生まれた事に対し、より一層の軍事力を求める。凶悪犯罪が減少している事実に対し、更なる厳罰化と、社会活動への規制を求める。あたかも奇妙奇天烈な不思議の国に迷い込んだような気分である。
華々しく、派手な政策を打ち出せば、何かを達成したような気分になる。無論、そこで現実に何か解決するというわけではない。下手をすれば、より事態は悪化する。ここでひとつの選択が行われる。より現実に即した解決方法を模索する(あるいは解決すべき問題などそもそも存在しないと認める)か、あるいは更なる「何かを達成した気分」を求めていくか、である。どうも昨今の風潮を見ると、後者の方に比重が傾いているような気がしてならないのは、気のせいだろうか。

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或る軌跡
どこぞの入試中止騒動で、今が受験シーズンである事を思い知る。どちらに転ぶにしろ、権力者達は当事者を振り回す事に余念が無いらしい。

受験にはいい思い出が無い。「勉強して成績を上げていれば薔薇色の人生が待っている」という甘言に騙され、子供達は瞞着の犠牲となる。気付いた頃にはもう遅い。上手に生きる方法を学ぶには既に手遅れである。生き方の不器用さを糊塗するために、成長した子供達ははますます勉学にいそしむだろう。こうして壮大な無が完成する。社会に出た彼らには、もはや居場所は無い。彼らは一個の無能人だ。憎まれ、蔑まれ、自らが人生に失敗した事を思い知る。誰のせいでも無い。ここに至っては全て自己責任となる。人並みの人生を夢見ながら、彼らはますます泥沼に転落する。もがき、絶望しながら、後は年老いていくだけである。
もうやめてくれ、こんなことは。

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精神状態が不調なので、今日は簡潔に。

昨日から引き続きの仕事。大まかな作業の目途はついたが、小さなバグが生じてうまくいかない。我慢すればそのまま使えるのではあるが。それに、何とかしろといわれても、ちょっと私の手には負えそうに無い。

アルジェリアの件。またぞろ「憲法九条が原因だ」などとワメくバカが湧いている。空爆まで行った挙句、人質に死者が出ているというのに、この上何をやるつもりか?

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大鵬と大江健三郎
昔、大鵬と大江健三郎が対談を行った事がある。大江が同世代の人物と対談を行うシリーズで、この回は「樺太ひきあげの相撲界のスター」と題されている。当時、大鵬は二十歳の大関だった。
何しろ、畑違いの二人である、対談の内容が全く噛み合わない所が楽しい。
大江「戦後の日本はものすごく変わったし、相撲の社会もずい分違ってきていると思いますが?」
大鵬「さあ、ワシにはわからんです。そら、違うでしょうね」
選挙については「わからない」「あまり関心が無いから」と逃げの一点張り。
自民党による、戦後教育批判(当時からあったのだよ)についても「ワシら、戦前を知らんもん。だからいちがいにはいえないでしょう」と、完全に肩透かしの格好だった。
ただ唯一、「再軍備」という言葉に対しては、「そういうことはいかん!」と強く回答していたのが印象に残っている。
立場上、あまり立場を明言する事が出来なかったのだろう。対談でも触れられているが、大鵬は安保闘争当時、岸信介から化粧回しを贈られている。微妙な部分もあったようだ。

対談後、二人で写った写真が何とも微笑ましかった。もう半世紀前の話である。

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精神的にグチャグチャなのだが、取り敢えず、書き記す。

先日「ヤマト2199」を観に行った友人と、ヤマト&ハーロック談義。自分で言うのも何だが、この世代の拘りは並ではない。ところで、公平に見て、ヤマトは純然たる松本作品ではないので念のため。作風からして異質なのは大方のファンはお気づきと思う。まあ、「2199」にハーロックが出てきてもちょっと困るので、松本御大を絡めなくてよかったんじゃないか。
後年になって、大将は「大ヤマト」なんていうけったいなものを作り出したが、あれだったらアルカディア号で十分だろう。どうせ無敵なのだから。
因みに私は松本作品は嫌いではない。彼が著作権裁判で醜態を晒し、また原発の広告に関わった過去を持つ、という事実を差し引いたとしても、である。

アルジェリアの強行突入。埴谷雄高がいうように、政治権力はその手の内に、常に「死」を携えている。その目的が自らの権力の保持であり、そのための方法として、今回の方策が採られた。そういうことになる。権力は人道主義では動かないのはどこも同じらしい。

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長時間にわたるパワハラから先程帰宅。不安定な精神状態が続き、何もやる気が起こらない。

アルジェリア情勢は今も情報が混乱している。人質も犯人も見境なく皆殺しにした、ミュンヘン・オリンピックが思い出されてならない。イキがって勇ましい事をホザくバカは論外。

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人質事件に思うこと
アルジェリアでの拘束事件。無責任で勇ましい言説の吹き荒れる中、遠い海のかなたに、戦争のリアリズムが見えてくる。
事の詳細についてはよく判らないのだが、フランス軍のマリ侵攻のこともある。まさか「アルジェの戦い」を今も地でやっているわけでも無いだろうが、背後に何が存在するのか、マスコミ報道ではうかがい知れないものが、まだ存在するかもしれない。
人質事件といえば、ペルーのMRTAによる日本大使館公邸占拠事件を思い出す。あの「解決」方法は最悪だった。ミュンヘンの「黒い五月」事件を思い出してもよい。今回も武力突入に喝采を送るような事にはなって欲しくない。
気になることがもうひとつ、もしも人質になったのがボランティアの人々だったとしたら、また「自己責任」だの「恥を知れ」だのといった罵言が荒れ狂ったろうと思う。今日の私達の置かれている言説の状況を考えると、色々と複雑な思いを禁じえなかった。

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夜と霧の街
大島渚が亡くなった。若松孝二が亡くなってから、何か嫌な予感はしていたのだが、現実のものとなってしまった。実相寺昭雄と佐々木守、深作欣二と笠原和夫など、不思議と近しい人の間同士では連鎖的な訃報が生ずるのである。

「愛と希望の街」では階級対立の非和解性を鮮明に打ち出し、「日本の夜と霧」では、徹底した討論を中心とした、類を見ない政治劇を描いて見せた。「日本春歌考」「帰ってきたヨッパライ」「絞死刑」では、在日韓国・朝鮮人というテーマに大きく切り込んだ。私はTVドキュメンタリー「忘れられた皇軍」をいまだ観るにいたっていない。内容を考えれば、今日極めて重要な作品であるはずなのだが。

以前も記したと思うが「夏の妹」での沖縄批判はあまりにも性急だったと思う。大島達は観光地化した沖縄に我慢がならなかったのだろうが、その内に潜むポテンシャルを測り損ねた。本人も忸怩たるものがあっただろう。「我々は沖縄に負債を負っている」という彼の言葉は、今も尚、私達の肩にのしかかっている。

私が大島作品で最初に観たのは「東京戦争戦後秘話」だったろうか。古い記憶であるのと、屈折したストーリーである事から、ちょっと感想を述べる事が出来ない。「黒寛の社探」という業界用語が妙に印象に残っているが(同様に「白昼の通り魔」も何故か印象が漠然としている)。
テレビのコメンテーターとしての活躍は周知の通りである。小泉訪朝で拉致問題が明るみに出た時、私は大島の不在が実に残念でならなかった。あの狂乱報道の最中、どうしても大島の発言を聞きたいと切に願っていた。彼のこれまでの仕事を考えれば、何か一言あって然るべきだと思ったのである。当時、大島が脳梗塞の再発で全く表に出られない状態と知ったのは、ずっと後の話である。

皮肉な事に、大島の初期作品のテーマは今日極めて生々しい。「戦メリ」以降、「世界のオーシマ」という名声ばかりが広まってしまった感があるが、松竹~ATG時代の作品こそ今一度検証してみる価値はあると思う。

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罪の刻印
「宇宙船艦ヤマト2199 第四章 銀河辺境の攻防」。情報量の多い作品なので、うまく整理できたとは言い難いが、内容を忘れる前に感想を記す。

冒頭、ガトランティス帝国軍(「さらば」の白色彗星のアレ)と激戦を繰り広げるドメルが登場。ここからガミラス帝国内部の政治的、軍事的な内部事情が描かれる。様々な確執があるのだが、少々複雑なので初見では判りづらい。尚、ガミラス星は旧作のような異様な姿はしておらず、平和な時代の地球上を思わせる町並みが存在する。社会体制は完全にナチス・ドイツをモデルにしており、政治劇としてはかなりマニアックでさえある。
一方ヤマト艦内ではガミラス人メルダの告発により、乗員達は大混乱に陥る。一方的に先制攻撃を仕掛けたのは地球の側だったのだ。この設定変更はかなり大きく、結末にも重大な影響を与えそうである。ヤマトと戦艦大和を完全に別物とするなど、旧作の危なっかしい点を注意深く排除していた本作だが、ここに来て大きく踏み込んできた。こうなると、終盤にガミラス星を滅ぼす事も無くなりそうだ。どのように落とし所を見つけるつもりだろうか。
さて、艦内の混乱の中、新見薫は移民計画のためのオルグ活動を密かに進める。藪が手先となっているのは予想通り。渦中のメルダは平和裡(むしろ友好的)に解放されるが。この後のキーパーソンとなりそうな予感がする。
やがてヤマトⅢにも登場したフラーケン達の特殊部隊が、ドメルの部下となって登場。イメージとしてはUボートにワイルド7が乗っているようなもので、かなり無茶であるが、独特の凄みと存在感があり、悪くは無い。「狩りを始めよう」という台詞には脱力したが。
結局、小惑星地帯を利用しながら(つまりアステロイド・ベルト)何とか逃亡に成功するのだが、ここも先々に含みを残している。
終盤のエピソードはかなりホラーチックである。古代と雪が任務から帰還したところ、艦内は無人。必死に皆を探す二人に、奇妙な幻影が現れ、地球への郷愁の世界にいざなう。ガミラスからの精神攻撃(旧作の相原錯乱事件に相当するのか)なのだが、ここで作戦を担当する「魔女」と呼ばれるミレーネルは「完結編」に登場したアクエリアス星の末裔である。このエピソードは元ネタが色々ありそうなので、ソースを辿るつもりは無いが、個人的には「電脳コイル」のいくつかの場面を思いだした。
森雪の過去がいくつか暗示されるが、謎はまだ残されている。岬百合亜が名前からしてユリーシャと関係があるのか、霊媒体質なのかはよくわからない。また、多民族国家であるガミラス社会の姿がより強調される挿話でもある。
細かいファンサービスには事欠かない。ハーロックのトリさんを思わせるドメルのペット、「バルス」という台詞、旧作のエピソードの回収(古代と島の喧嘩、写真の場面)など、その気で探せば色々見つかるだろう。
本作は派手な戦闘シーンは影を潜め、伏線をやたら張り巡らせた分、やや「つなぎ」的な部分があるのは事実である。だが、出来は決して悪くない。知名度がまだ低いのが嘆かわしいくらいである。

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実は傑作
日曜日だが、仕事である。これまで作成していたデータがイカれてしまったため、往生する。大幅に後退したところからやり直さなくてはならない。正直、見通しはかなり厳しい。
仕事の後、仲間と一緒に映画館に行く。硬い映画ではない。「宇宙戦艦ヤマト2199 第四章 銀河辺境の攻防」である。相変わらず客席は40~50代の顔ぶればかり。こちらも苦笑せざるを得ない。
作品の詳細なレビューは後日に譲りたいが、旧作に大きな変更が加えられた点をひとつ述べておきたい。それは、先制攻撃を仕掛け、戦争の発端を切り拓いたのは主人公達地球人の側である、という点である。旧シリーズは、これまで好戦的な右翼マンガとして見做されてきたのだが、ここに来て大きく様相を変えることになった。元々、今回のリメイクでは旧作の危うい要素を注意深く排除してきていた。これは炯眼な鑑賞者なら既にお分かりだったはずである。
・・・どうも語りだすと熱くなってしまうようだ。世代的にこれは致し方ない。もう少し、頭を整理してから改めて纏める事にしよう。


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或る種の不毛な対立について
高校生の頃、澁澤龍彦にかぶれたものだった。古今東西の文献を渉猟した上で、独自のミクロコスモスを作り出す、類まれなるエクリヴァンであった。
澁澤といえば、異端文化の発掘・復権という一面において、人々の記憶に残っていると思う。異端として蔑まれてきた文化遺産を復権させ、聖性に対して汚穢を、理性に対して狂気をぶつけていく事には、かつて一定の意味があった。人間にはこんな暗黒面があるのだ、それを受け入れてこそ、人間を全体性として捉える事ができるのだという事である。だが、この試みは一歩間違えば、鬼面人を驚かすような、自己目的化したゲテモノ趣味に転落する。この手のクリエイターは後を絶たないが、どうも違和感を禁じえない。
ミシェル・フーコーは「言葉と物」において、エピステーメーという概念を用いながら、人文科学の共時性という観点を強調した。この論理に従えば、所謂正統も異端も大した違いは無い、両者の対立はコップの中の嵐に過ぎないという事になる。
異端も正統も同じ土俵に根ざしていたという文化史観は、今日かなり一般的になっていると思える。たとえばサド侯爵は18世紀の啓蒙主義精神を大きく引き継いでいる事はよく知られているし、ノストラダムスがルネサンスの人文精神の申し子であった事は、文学史においては常識的な事柄である。
一般に、実証主義的な研究を深めるほど、「異端」を支えるものが極めて正統な、オーソドックスな思考法である事が見えてくるものである。そうなるともはや、異端と正統を対立させる理由は存在しない。むしろ全てをひっくるめた総合的なまなざしが前提として求められている。後年の澁澤の著述も、こうしたことを理解したうえでなされていると思われる。澁澤は単なる異端好みの作家ではない。
ところが或る種の公権力は、こうした流れを逆行させようとする。彼らは文化に或る公的基準を設け、これが美でこれが醜であると厳格に定める事を要求する。これは人間性の中に、しかじかのものがあってはならないということであり、人間を規格化しようとする試みである。都合のいい一部だけを取り出し、それのみを認めていく。アナクロニズムも甚だしく、あまりにも貧弱な発想である。実に無様ではないか。

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イスタンブールのオリンピック
オリンピックではイスタンブールが注目されている。かの地が注目の的になっている事は興味深い。東ローマ帝国時代をはじめ、歴史的に由緒ある町である。資本の食い物にされないような形を望みたいが、まあ、無理だろうなぁ。また、所詮はメダル獲得数を巡る代理戦争という事を考えれば、複雑な気もする。東京の立候補についてはそれが露骨に表れていたが。
「オリンピックが国家の金メダル獲得競争であるあいだは、政治化をまぬがれることはできないだろう」と述べたのは寺山修司である。私もこれに同意する。私は、ある種の人々が好む「全てが政治的だ」という言い方は好きではない。だが、狭義の意味において、既にオリンピックは政治的な存在である。
トルコ国内のクルド人問題については最近はニュースを聞かないが、火種は残っている筈である。東京にオリンピックは全く必要ないが、翻ってみて、イスタンブールに必要なのかというと、どうも単純に結論を下すわけにはいかないようだ。本当にトルコの人々のためになるのだろうか。

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命をわれらに
山手線のホームに柵が設けられている事に気が付いた。「ホームドア」とか言うらしい。地下鉄ではだいぶ以前から設置されているものである。安全対策ということだが、どうも窮屈で、あまり好きではない。それでも酔っ払って転落する人のことを思えば、一定の意義はあるのだろう。
このご時世、ホームへの転落事故といえば、偶発的な事故よりも、自殺のケースを考えてしまう。柵が設けられていれば自殺への敷居が高くなり、こちらの件数も減少するかもしれない。だが、自殺の対策に必要なのは、「死にたくても死ねないようにする事」ではなく、「死のうと思わない状態にすること」である。昨今の状況を見ていると、どうも前者の方に比重が傾いている気がしてならない。「自殺の名所」にパトロールを増やして監視体制を強化する事など、その典型だろう。死ぬ事すら出来ないように追い詰めていく事が抜本的な解決に繋がるとは思えない。対症療法も大切だが、まずは生きさせるための条件が必要なのだ。
自殺の件数が減少したと聞くが、怪しいものだ。数字をいじくって見栄えを良くする事など、幾らでもあり得る話である。「死なせない事」以上に、「生きさせる事」が重要である。

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うまくは言えないのだが・・・
体罰の問題が波紋を呼んでいる。子供への体罰を語るのであれば、同時に大人へのパワハラも俎上に乗せるべきではないかと思う。原始的な暴力性による主従関係の確立という点において、両者は一致する。要は相手方を、言う事を聞く人形にしたいのだ。
一方で、馬鹿の一つ覚えのように、何でもかんでも厳罰化を求める社会的風潮がある。「ゼロ・トレランス」などと称する、力の支配の構図が持て囃され、「もっとビシバシやってくれ」という一連の潮流が存在する事は事実である。
頭が回らないので、あまり掘り下げる事は出来ないが、暴力性や不寛容性に、教育的効果への歪んだ期待感を抱く発想が日本社会にはあるような気がする。もっといえば、誰かの意図にうまく乗せられているような気もしないではない。
今回の問題が、例の如く暇潰しの娯楽として消費されてしまうのでは、あまりにも痛ましい。私達の精神性を今一度検証してみる必要があると思える。

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勤務先の社長とかいう奴が、社保の料率の仕組みに納得いかないらしい。「誰が決めたんだ」と恫喝口調で怒鳴り散らし、挙句の果ては、私が勝手にルールを決めた事にされた。変な毒気に当てられたため、仕事が手につかず、不安定な精神状態が続いている。あんなケダモノ、早く×ねばいいのに。

考えてみると、大学卒業以来、ブラックな会社ばかり転々としていたような気がする。今時、仕事に就こうとしてもそんな会社しか残っていないのは事実だ。聞けば誰もがドン引きするような話も多い。挙句の果て、辿りついたのが現在の会社である。バカバカしくてやってられねェ。
変な会社にいると、自分の基準が下がってくる。わが国で労働運動がなかなか根付かないのは「世の中甘くない」「人間、辛抱だ」という倫理が内面化されるからで、この点、私も例外ではない。少し真剣に考えてみようと思う。

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醜悪なるもの
「創」最新号を購入。今月の連載陣は選挙の反省会だ。結果は予め予想できた、ヤバいというのは判っている、しかし、止める手立てが無い。多かれ少なかれ、誰もが抱いていた歯がゆさである。

帰宅後、「報道ステーション」を観るが、あまりの醜悪さにチャンネルを変えてしまった。「アベノミクス」なるものの偉大さを褒め称え、ひたすら無批判に称揚する番組と化していた。もはや御用番組などという生易しいものですらない。メディアの使命は、時の権力者を無条件に礼讃し、宣伝活動を努めることにあるらしい。寄らば大樹の陰。既に情報操作は始まっている。

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力の祭典、資本の祭典
東京オリンピック誘致。いい加減にしろとはこのことだ。電車の中吊り広告といい、センスのなさには呆れ返る他は無い。
オリンピックといえば、ハタ迷惑な環境浄化政策が採られるのが常である。国家の代理戦争を行う以上、その威信を汚すようなものは認められないというわけだ。しかも、この政策を率先して行う連中の美的感覚が、あの広告であるのだからたまらない。
文化問題を語りだすと、やたら軽蔑した眼差しを投げかける運動屋を見かけるが、文化を殺すという事は、人間性を殺す事と同じ事である。マンガ規制にしろ、ダンス規制にしろ、全て人間性の根幹に繋がる問題である。軽んじてよい問題ではない。
それにしても、オリンピックの話は語り飽きた感がある。誘致のために使われた莫大な費用といい、多くの人が語りつくしている。何が国威発揚だ。だが、黙っていると黙示の承諾と見做される。そんなものは衆院選でうんざりだ。

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始動
バカみたいに寒い日が続く。高田馬場で今年初めての脱原発デモ。私は仕事があるので、出発前に軽く手伝いをするにとどまった。参加人数は280人程だったという。なかなか賑やかで、よいデモになったようだ。

仕事帰りに本屋に立ち寄り、プリーストリー「イングランド紀行」、カロッサ「美しき惑いの年」などを購入。
何故か松本零士の「999」の小説版(和智 正喜著)が平積みされていた。エターナル編の続編だという。あれは雑誌の休刊で中途半端になったし、内容的にもあまり誉められた出来ではなかった。あの人はもう自分では描けないと思うので、この形が正解かもしれない。但し、軽く立ち読みしたところ、文章の出来は悪い。アニメ化を待つべきだろう。実写版は論外。

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現実のやりきれなさについて
除染に関する朝日新聞の記事については既に周知のことと思う。正直、あまり驚きは無かった。東海村JCO臨界事故の一件を挙げるまでもなく、こうした事柄は誰もが最初から予想していた筈である。
山林や田畑の除染が不可能であるという事は、各方面より指摘されていた事柄だった。正直、途方に暮れてしまう。認めたくはないのだが、元通りにはならないという事が否応なしに突きつけられる。「覆水盆に帰らず」は映画「ヱヴァQ」のテーマでもあるのだが、あの映画がこのあたりの事情を踏まえている事は間違いない。誰にも過去を取り返す事は出来ない。それは時として、あまりにも残酷な事である。




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三が日の終わり
三が日も終わった。初夢もへったくれもなく、某氏が逮捕される夢だの、会社でコキ使われる夢だのと、夢見からしてひどいものだった。
箱根駅伝では、出身校が散々な結果。別に母校意識というものは全く無いのだが、やはり気になってくるものである。

経産省前のイベント「霞ヶ関の中心で愛を叫ぶ!」に3時間ほど顔を出す。夕方、寒くなってきたところで早々に離脱するが、むしろこの後盛り上がっていたらしい。行き帰りの電車の中で、長い事ほったらかしになっていた、エッカーマン「ゲーテとの対話」を漠然と眺める。基本的に、どこから読み始めてどこで終えても良いような本なので、ブランクを気にせずに読めるのがいい。
この所どうも眩暈が続くので、風邪でも引いたのかと体温を測ったところ、不自然な低体温。どうしたのだろう。寝正月を決め込んで、不規則な生活リズムになっていたためか。明日は仕事なので、安静にする。

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続・アメリカの民主化運動
昨日の続き。堤未果「ルポ 貧困大国アメリカ」を読む。
平易に書かれた本なので、かなりとっつき易い筈である。内容は、タイトルから想像されるとおり。国内に第三世界を生み出してしまった巨大帝国=アメリカの実態を曝け出したもの。マイケル・ムーアの一連の映画を観た人は、読みながら大いにうなずく点が多いと思う。
民営化、自由主義経済の名の下に、健康、医療、生命を悉く蔑ろにし、蕩尽してきたのが、この国の現代史であった。資本とは、利潤を上げることを最大の目的とする。安全や、健康、生命、文化は収益に繋がらなければ、コストとして徹底的に排除される。人間性など、そこでは入り込む余地は無い。巨大な利益を作り出すことのみが最大の関心事である。そして、政治や社会はこの資本に奉仕するために存在する事となる。
医療活動は患者を救う事ではないし、メディアの目的は真実を伝える事ではない。あくまでもより利益を上げることが目的である。戦争さえも、ビジネスの延長上に存在するのである。
企業がより多くの利益を生み出すためには、格差はあったほうがいい。労働者が窮乏状態に陥れば、食い詰めた者達はどんな劣悪な労働条件でも文句を言わずに受け入れる。企業は労働者を部品としか見做していないので、過労死のような事態が起こっても、また代わりを雇えばよい。そして同じ事を繰り返しながら回転させていく。多くの貧困層が軍隊に取り込まれていることは何ら不思議な事ではない。軍隊はいわば、最大のブラック企業なのだ。ここではもはや、徴兵制さえも必要ない。飢えさせればよいのだ。
甘言を弄し、必要な情報を与えず、騙し討ち的に危険な労働に従事させられる。そんな事例はアメリカに限った事ではない。わが国でも原発作業員の募集において、事故前から指摘されていた事柄である。そして、現在も事故の収束作業に同じ手法が使われ続けていることが報告されている。
資本の論理とは、収奪の論理である。そして、生命に関わる事柄に資本の論理を導入すれば、社会は巨大な圧搾機と化す。人々は骨の髄までしゃぶりつくされ、そこで利益を享受するのは、1%である。
アメリカの事例は、日本で行われようとしている事の、行く末を示している。既得権益バッシングと民営化礼賛の行き着く先がこれである。野放しにすれば、私達の生存そのものが、金儲けのダシにされていく。地獄への道を呼び込むな。

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アメリカの民主化運動
ロナルド・レーガンが成した成功のひとつは、福祉の概念を悪魔じみたものに仕立て上げた事でした。レーガン主義のレトリックによれば、福祉とは、金持ちの黒人女性が運転手つきのキャデラックで福祉事務所に乗りつけ、国民が一生懸命稼いだ金をふところに入れて麻薬か何かに使うということなのです。
(N.チョムスキー「アメリカを占拠せよ!」)


このレーガン主義のプロパガンダ手法が、わが国の生活保護問題に適用されている事はご理解いただけると思う。「黒人女性」を「朝鮮人」「ヤクザ」と置き換えれば、ネット上を席巻する醜悪な言説と一致する。日本はアメリカの辿った道を、正確に後追いしている。

アメリカのオキュパイ運動が、アラブの春と連動して、国際的な話題になった事は記憶に新しい。現在、この運動がどのような形態をとっているのかは私は知らないが、彼の国の事情が何ら好転していない事から、収束に至ったという事はない筈だ。アメリカ国内においてさえも深刻な被害をもたらした新自由主義は、もはや臨界点に達している。
チョムスキーのこのインタビュー集は、アメリカのオキュパイ運動について著されたものなので、いわば「内輪向け」の要素が多い。私達がこれを読む際はむしろ、そこに私達の映し鏡を見出すべきだろう。先の福祉のことについてもそれは言える。他山の石から学ぶ事は、小さくない。

※遅ればせながら、「ルポ・貧困大国アメリカ」を読んだ。評判に違わない好著。こちらも近々感想を記す予定。

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のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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