時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
遠い明日
職場のゴタゴタで、昨日からかなり荒んだ状態が続いていた。文章を書くにも罵詈雑言か、物騒な言葉しか出てこない。
もとより、人好きのする性質ではない。それくらいの自覚は持っているつもりである。だが、与り知らない言い掛かりをつけられたり、事あるたびに悪者扱いされればいい気持ちはしない。
…これ以上はヤバい文言しか浮かんでこないので、この辺でやめる。

パレスチナの「国家」への格上げの件、喜びはしゃぐ人々の姿が映し出されていたが、実際の彼らの心中には複雑なものがあると思う。或るシオニストが皮肉に述べていたように、現実には何も変わっていないからだ。いわば、国際社会がガス抜きをはかったように見えてしまう。
イスラエルの占領が1948年のこと。60年以上の時が経過したが、事態はいまだ解決を見ない。私たちは、既に充分すぎるほどの代償を払ってきたのではないか。


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我関わり知らず
選挙がいよいよ近付いてきた。ここ一年余り、「私達の最大の敵は無関心だ」という言葉を幾度も耳にしてきている。苛立ちはわかるものの、個人的には、無関心を積極的に非難したくない気持ちもある。誰もそんな下世話な世界に首を突っ込みたくはないし、それはよく理解できるからだ。むしろ、そうした層に訴えかける言葉を探す事が重要と思える。ただ、無関心がカッコいいことだと思っているとしたら、それは勘違いも甚だしい。
無関心もひとつの政治的立場である、という主張がある。だが、それが立場として意味を持つのは、諸個人のひそやかな心の中においてである。人間論的には意味を持っていても、現実社会においては、それはメッセージとはなりえない。悲しいかな、現実問題としては、無関心の持つ役割は「社会的枠組みの中で誰かを利する」というだけである。
私達の社会においては、全ては力関係であり、恐ろしく功利主義的な枠組みの中で事態が進行する。ここにおいては、表面にあらわれない個々人の内面の意思など、意味を持たない。結果が全てである。心裡留保は対抗手段たりえないのである。
誰もそんなえげつない世界には関わりたくはないだろう。だが、私たちは否応なしに、そうしたやくざな社会構造の中に投げ込まれているものである。ハイデッガーの言い回しでは「世界-内-存在」ということになる。関わりを拒否する事が、不本意な形での関わりを意味してしまう。そんな逆説的な世界に私たちは生きている。
政治が全てだと思っているとしたら、それは馬鹿者である。だが、事実として、私たちは何らかの形で政治と関わりを持たざるを得ない。私たちは生を獲得しなければならない。

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ボナパルトなんていらない
昨日紹介した本については読み始めているものの、時間が取れず。あぁ時間が欲しい。
百日天下時代のナポレオンがプロローグに登場。なにやら曰くありげな書物を入手しようと画策する。
ナポレオンというと、日本では英雄としてのイメージばかりが強調されるように思う。歴史に無知な実業家タイプにそのような傾向が強く、正直うんざりする。「ボナパルティズム」という言葉は、普通強権主義などの悪い意味で使われるのであるが…
尤も、英雄待望論は大衆的なレベルでも浸透しているものらしい。「一度目は悲劇として、二度目は茶番として」というのはマルクスの名言だが、七面倒くさい事は言わない。ただ、強権的な独裁者に何かを期待するのはいい加減やめるべきである。肉屋を支持するブタの例えもあるが、有権者も少しは学習しよう。自分の棺桶をせっせと準備してどうする。

余談だが、ナポレオン非実在説という珍説があった。詳しい事は忘れたが、「ナポレオンの名はアポローンの変形であり、フィクショナルに作られたものである」云々というものだ。花田清輝がどこかで引用していたので、興味ある方は調べてみるといいだろう。

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死後の「新作」
会社に行くのが苦痛。周囲の態度から露骨な嫌悪感が窺われ、完全にアウェイ状態の日々が続く。もとより、2,3ヶ月で社員が続々と辞めていくような会社だ。半年以上居てやっているだけありがたいと思え。

暫く前に購入したまま未読になっている本に、「ルパン、最後の恋」というものがある。作者は勿論モーリス・ルブラン。一体アルセーヌ・ルパンシリーズの最終巻はどれになるのかと戸惑う人も多いと思う。当初は「カリオストロの復讐」が最終巻かと思われたが、その後に「ルパン最後の事件」というものが現れた。そしてこのたび新たに発見された遺作である。一般に、遺作というものは中途半端な出来栄えになるもので、読むのを躊躇していたが、ほったらかしても仕方がない。カタい本にうんざりしていた事もあるので、そろそろ眺めてみるとしよう。精神のウォーミングアップにもなろうかと思う。尚、本作もストーリーは形を整えているが、推敲不足であるのは事実らしい。
南洋一郎訳のルパン全集は、ボワロ&ナルスジャックによる二次創作を含め、小学生の頃に全て読み通してしまったものである。このシリーズは、改作ともいうべきものが少なくなく、殆ど丸々南の創作というものまで存在する。しかもそれが一番面白かったりするのだからややこしい。文庫版ではこれら南色の強い作品が排除されてしまっているようで、実に残念だ。
ルパンシリーズの決定版ともいうべき邦訳は、偕成社版だと思う。他に堀口大學訳の傑作選や、創元推理文庫版などがあるが、網羅的に揃えたものとしては、偕成社版を措いて他に無い。辰巳四郎の凝った表紙も魅力的だ。
個人的には、ルパンシリーズを通して二十世紀前半のフランス社会誌を考えてみたい気もしている。

尚、誰もがご存知の二次創作のマンガ作品については、今日は割愛する。

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映画が遠くなる頃
昨日の忘れ物が無事に手元に戻ったのでほっとする。大したものではないとはいえ、変な形で紛失したとなれば寝覚めが悪い。

暫くぶりに武蔵野市民学校の上映情報が届いたので、紹介する。このところ、映画を観ることも殆ど無くなった。これは必ずしも私の怠惰のせいばかりではないような気がする。結局は、心に余裕がなくなってしまっているということだろう。これはきっと、よくない事なのだ。

武蔵野

文集を受け取っておきたいので、どこかで顔を出したいのだが、遠いためオフ日でも儘ならない。困ったものだ。

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滑稽と悲惨
仕事帰りに仲間と軽く飲むが、すぐにグデングデンになる。この半年あまり、妙に酒に弱くなった。帰りに電車に忘れ物をするわ、碌な事が無い。家に到着する頃にはだいぶ酔いは醒めていたのだが。

バルザックの「艶笑滑稽譚」を購入。この所岩波文庫はバルザックに力を入れているようだ。こちらとしては、ちょうど関心が向いていたこともあり、渡りに船というところ。
本作は人間喜劇とは別の系譜に位置する作品かと思われる。このたび購入したのは、全三巻の刊行予定のうちの第一巻にあたるが、収録された図版も実に素晴らしい。それにしても、この人はよくもせっせと書いたものである。

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やれることをやる
23日。巣鴨駅前の反TPP街頭アピールに向かうが、山手線に乗ったところで池袋に移動との情報が入る。人が少なかったらしい。池袋駅西武口周辺で一時間ほどアピールを行った後、サンシャイン通りを通って乙女ロードに移動。アピールを再開する。
夜は経産省前での対話集会。休日で庁舎にも人が少ないのだが、選挙期間に入ると運動の方法も変わらざるを得ない。その前段階としての意思の表明の意味合いがあった。
怪しいだの胡散臭いだの、その他意味不明の罵詈讒謗を浴びせられ、人間関係を絶たれることも少なくないのだが、好き好んでこんな事をやっている人は少ないと思う。単に民主主義を求めたいだけである。この国には民主主義が無いだけでなく、今やそれを封殺しようとしている。そのことに皆、気付いてしまったのだ。

都知事選に出馬する宇都宮健児氏の姿も見えた。この人はまだまだ知名度が低い。
「橋下は嫌いだ→橋下は弁護士である→よって弁護士の政治家には碌なものがいない」
「坊主憎けりゃ袈裟までも」だが、こうした三段論法的な公式を信奉している人が存外多いのが気掛かりである。誰を支持するかどうか以前に、こんな意識で人選を行ってきた事が問題じゃないのか。

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不毛さの果てに
朝日新聞に鈴木邦男のインタビューが掲載されている。
鈴木によれば、今は政治が「大声コンテスト」になっているという。相手の意見を聞くのではなく、異論を潰す事が主眼となってしまっているということである。私も太宰治ほどではないが、言い合いをすれば必ず負かされる自信はあるので、鈴木の問題意識は共有する。
プラトンの対話編に「ゴルギアス」というものが存在する。例によってソフィストのゴルギアスがソクラテスに論破されるという筋立てだが、ここで描かれるゴルギアスはディベートの専門家という事になっている。言葉を操って如何に相手を論破するか。これは既にディアローグではない。勝つか、負けるか、それが全てである。
個人的にはソクラテスこそ、この道のエキスパートなのではないかという気がするが、それはともかく、討論ゲームをめぐる環境は、今も昔も変わりがないらしい。そこでは議論自体の残した内容や成果は二の次になるか、あるいはどうでもいい問題になってしまうものである。
ディアローグ(対話)とディアレクティケー(弁証法)は語源を一にする。相手の意見に耳を傾けることにより、高次の結論に至ろうとする。それが対話の本来の目的である。大声コンテストにはそれは無い。只の潰しあいのマウンティング劇である。そもそも、そんな事で勝ち負けを決めて、何が面白いのだろう。

尚、史実のゴルギアスは絶対的不可知論を説いた人物。対話編の登場人物とは性格を異にするようである。

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「生殖器には美」 W.ブレイク
人間嫌いがますます酷くなり、あまり文章を書く気が起こらない。それでも気になるニュースがあったので、紹介する。

 「「週刊現代」(講談社)と「週刊ポスト」(小学館)に掲載された、女性器をかたどったアート作品の写真が、わいせつ図画公然陳列罪などにあたる可能性があるとして、警視庁が両誌に対し今後の掲載をやめるよう口頭で警告していたことが21日、同庁への取材で分かった」(毎日新聞)
くだんの写真がどのようなものか私は知らないが、女性器をかたどった作品といえば、ダダの大御所、マルセル・デュシャンの彫刻作品を思い出す。ハンス・ベルメールの人形にしても然り。肉体の存在をオブジェとして、日常性とは異なった視点から捉えなおすのがこれらの作品のモチーフだった。こうした試みは「猥褻、猥褻」とワメき散らすバカの一つ覚えとは対極に位置するものである。
人間性の完全なる支配を目指すためには、モノを考えないようにすることが最も手っ取り早い。余計な事を考えるな、国の決めた事だけを唱和しろ。国が良いといえば、心の底からそれを誉め讃えよ。国が悪いといえば、ありったけの罵詈讒謗を投げつけよ…。
考える事をやめた時、人は機械となり、もっといえば「怪物」となる。

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社会を「予言」するという事について
今日も夜になって悪寒が酷くなり、体がやたらだるくなる。例によって「会社にいたくない病」らしい。取り敢えず早々に帰宅しようとするが、こまごまとした用件が終わらないため、結局は遅くまで残る羽目になった。

引き続き、バルザックの話をしようかと思ったが、もう少し思考を練り込みたいので、別の機会に回す。昨今の話題と共通する事がありそうなのだ。まあ、私の思索など大したものではないのだが。
バルザックの作品に今日的な課題が見出されるという事は不思議な事ではない。彼はまさに勃興期のブルジョワ(市民)社会、資本主義社会を活写したからである。そして、今日の新自由主義が、資本主義のむき出しの、原初的とも言うべき形態を晒け出している以上、そこに類似性が表れるのは当然であった。勿論、作者の透徹した人間洞察がこうした「予言性」の主な要因ではあるのだが、社会が先祖返りを起こしているということも、視野に入れておくべきだろう。
何だ、後日に回すと言いながら、言おうとしていた事を殆ど書いてしまった。

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ぼんやりと思う
やたら寒い一日だった。仕事は何やかや言って遅くまでかかる。どうにも頭が回らない状態が今も続いている。酷いものだ。
バルザックについて書かれた文章を少し読む。彼が「セラフィタ」や、「サラジーヌ」といった、毛色の変わった作品をものしていたことは興味深い。とりわけ前者に見られる両性具有とは「完全なる存在」の謂いでもあり、古来より神秘主義者達が夢想した象徴的な存在であった。これらが「ゴリオ爺さん」や「幻滅」といった、重い人間劇と共に共存しているのが人間喜劇のユニークな点である。

思考力が限界に近いので、この辺で…

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選挙近付く中
西東京の脱原発デモがあったが、今日は仕事。心残りだが、体はひとつしかない。
同僚に「ヱヴァQ」の感想を聞いたところ、「帝国の逆襲」を観た後の感じと同じだという。「これで終わり?続きはいつになるの?」ということだ。ネタバレになるので詳細は聞いていないが、作品自体は上出来。中には鬱展開と受け取る人もいるかもしれない、ということだった。

仕事帰りに中野のACTA街頭アピールに参加する。職場から近いのだ。私が着いたのは16時前。宇都宮健児氏を推しながら、TPP/ACTA反対を訴える方向をとったが、初回なので手探りの雰囲気があったと思う。あまり個人名をプッシュすれば嫌らしくなる。秋葉原との勝手の違いもあり、苦労があった。
本当を言うと、精神的にダウナー気味だったが、皆と意見交換が出来たので、少し元気が出た。

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休日に思う
久方ぶりに休日らしい休日。会社にもデモにも行かない日は数ヶ月ぶりだと思う。

昨日今日と、衆院選を見据えたわけのわからない動きが続く。
政党の対立構図を磁石にたとえると、民主党がN極で、自民党がS極。そして第三極はそのどちらでもない。つまりS極にくっついたり、N極にくっついたりするということである…これはいしいひさいちの古いジョークだが、あまりに言いえて妙だ。寄らば大樹の陰。上手に立ち回って旨い汁を吸おうという根性ばかりがむき出しになっているが、こういう手合いに票を入れる連中など…いるんだろうな、やっぱり…

イスラエルのガザ空爆。パレスチナでは今も尚戦火が巻き起こっている。どちらを向いてもそんな話ばっかりだ。

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帰ってきて欲しいもの、帰ってきて欲しくない奴ら
安倍晋三の再稼動宣言。TPPの件といい、権力亡者の生態が明らかになってきた。亡霊たちの群れ。
16日午前中、熱っぽく、悪寒がしたため、解熱剤を飲んで社畜に励む。普段より一時間程早く帰宅。帰宅した後調子がいいのは「会社に行きたくない病」か。

ヱヴァンゲリヲンの公開は17日。友人が初日に観にいくらしい。本作のやり直しストーリーは、大島渚の「帰ってきたヨッパライ」のパターンか。あれは前半、トイレの中で主人公のフォークル達が殺されそうになったところで話が振り出しに戻るというものだった。後半では主人公達がやり直しを自覚しているのだが、最終的には脱走兵たちの処刑という破局に至ってしまう。
これ以上踏み込むと日韓関係史の話になるので、話を戻す。アニメでは「ひぐらしのなく頃に」がこのやり直しパターンを踏襲していたのは周知の通り。「解」で強引に結末をつけたことには不満の声もあるようだが、あれはあれでいいんじゃないか。
「ヱヴァ」がどのような方向性をめざしていくのかは判らないが、陰惨にすることが自己目的となったような、所謂鬱アニメにありがちな陥穽には陥って欲しくない。庵野監督はその点充分自覚していると思うが。

追記:柳下毅一郎によれば、ヱヴァQは良作のようだ。

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ポリティカル・コレクトネス?
ドラえもんの設定から「原子炉」の表記が消えたのは以前から指摘されていた。作者が故人である以上、著作権上の同一性保持権の侵害に当たるのではないかと思える。わかりやすくいうと、オリジナルの改竄ということだ。ここにはイメージの悪い事は隠してしまおうという、浅ましい了見が垣間見える。「高々マンガなのだから書き換えたっていいだろう」という、文化的蔑視感情も見受けられる。
言うまでもなく、ドラえもんにウランやプルトニウムは動力源として登場しない。原子炉という設定は、「未来のエネルギー」としての象徴的な役割を持っていたと考えていいだろう。浅はかではあるが、原子力技術に希望を見た時代があったのは事実である。藤子・F・不二雄もまた時代の子であった。今日、そのことを隠蔽するというのはあまりにも醜悪である。
嘗て、スターリンはロシア革命の記録からトロツキーの存在を悉く抹消しようとした。わが国でも歴史修正主義者たちが、過去の歴史を無かったことにしようと躍起になっている。共通するものがありはしないか。
この調子だと、「罪と罰」のソーニャの職業も変更されるかもしれない。「教育上の配慮」だの何だのと言い出す連中がいそうである。しかし、あれが女工か何かだったらいくら何でも変だろう。

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気を抜けない日々
残業で帰宅が遅れたので簡潔に。衆議院解散・・・あの野田とかいう男のやる事はまるで信用できない。解散後にTPP交渉参加表明を行うのではないか等々、色々な憶測が取り沙汰されている。問責決議中にACTAを強行採決した外道だ。何が起こってもおかしくない。
人権擁護委員会設置法案にしても、装いを変えて新たに復活する可能性はある。この法律の目的は、様々な局面で私達の口を塞ぐ事にあるので、別の大義名分で同工異曲の法律を作り出すことは充分考えられる。
政権が自民党に移ったとしてもまた同じ。むしろ、尚一層の警戒が必要だろう。どちらの政党が悪質かというより、勢いで図に乗ってくる危険性があるからだ。

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民主化を恐れる者たち
今日、大阪で4人が逮捕された。「ガレキ受け入れ住民説明会」の最中、飛び込んできた公安が、こいつとこいつと・・・と指示を出し、身柄を拘束したという。監視テントの活動家を狙い、計画的に仕組まれた逮捕劇だったといえる。今回の逮捕劇にあの市長がどこまで絡んでいるかは知らない。だが、警察の思惑とあの男の意向が見事に合致したものである事は確かだ。当人は「反対派もルールは守ってください」などと、すっとぼけているが。
前回の不当逮捕劇、日比谷公園の使用不許可、反原発潰しに狂奔する公権力の、剥き出しの暴力性が露骨になってきた。何でもありの状況が生まれつつある。つまり、公権力が明確に、民主主義を敵視したという事だ。果てしなく劣化が進んでいる。

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太陽肛門
「太陽の党」…岡本太郎か大川隆法のイメージばかり浮かんでしまうのは私だけではないと思う。「センスが悪すぎて、突っ込みようもない」という形容が最も相応しい。

気分が悪いので、岡本太郎の話をしよう。
岡本の「太陽の塔」が万博の理念に対するアンチテーゼとして提出されたのは、岡本の文章に触れた事のある人ならお分かりと思う。洗練されたモダニスムの潮流に対抗して、プリミティヴな、ベラボーな物を作ってやろうと思った、それが岡本の動機だった。岡本お得意の「対極主義」の典型である。
だが、この試みは果たしてうまくいっただろうか。むしろ、「太陽の塔」は万博の戦略にうまく吸収されてしまったように思える。万博側にとって、岡本の作品はその意図とは裏腹に、格好の宣伝道具となった。太陽の塔は、万博の風景によく溶け込んで、バラ色の未来を宣伝する事に一役買った。この敗北は痛ましい。
いうまでもなく、左翼がよく言う「岡本は太陽の塔で万博に協力した、ナンセンスだ」という図式は、モノを考えない人間に典型的な思考パターンである。岡本がその主観的意図としては、万博に一応の抵抗を試みたということは記憶しておきたい。だが、それが功を奏したかどうかはまた別の問題である。
資本主義は貪欲である。それは如何なる対立物もその内部に取り込むことを可能にしてしまう。私はここに資本主義のおぞましさを見る思いがした。

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雨の巷に
仕事の時間を調整してもらい、16時で業務終了。霞ヶ関に向かい、抗議行動に参加する。
何しろ雨が酷い。ヤッケと傘を用意していたが、示威行動には不向きなコンディションだ。それでも参加者達の思いは熱く、かなりヒートアップしていた。途中、警備員と言い合いになる場面があったが、無事にやり過ごす。要は敷地内にはみ出してくるなということだ。「国有地だもん、いいじゃない」のコールが一斉に鳴り響いた。
終了後、暫く立ち話などするが、流石に寒いので程々にして帰宅。家に着いたのは21時半過ぎだった。
警察の警備は思ったほどエグくは見えなかった。雨のせいで動員が予想を下回った(らしい)ことも影響しているのだろうか。逮捕者もなく、昨日の不安が杞憂に終わったのは良い事だが、舐められたとなると複雑な気分だ。
反原連に対する批判が相変わらず取り沙汰されているが、本当を言うと、それは本質的なことではない。あまり悠長な事を言ってられないが、次の各地の行動で巻き返しを図っていくだけである。

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「神曲」から「人間喜劇」へ、「人間喜劇」から「神曲」へ
一時期から、バルザックやゾラの再評価が始まっているように思える。
昔、ミシェル・セールが神話学的な観点からゾラを再評価した事があるが、それとも違う。むしろ、ベタな観点、奇を衒わない、オーソドックスな読解から読み直しを行う動きが行われていた。この潮流が今も続いているかどうかわからない。
シュルレアリスムの運動は、人間喜劇的な作劇と徹底的に対立した。20年程前には、「このところ、人間を描く事がつまらなくなってきた」と言われたものである。だが、これは今考えると早計ではなかったか。むしろ、貧弱なドラマ作りが横行した結果、人間劇はつまらない、という潮流が生まれたのではないか。その昔、花田清輝は「もはや人間喜劇(コメディ・ユメイヌ)の時代は終わった、これからは神曲(ディヴィナ・コメディア)の時代が始まる」と記したが、そう単純な話ではない。逆もまた然りである(もっとも花田も二元論を嫌うので、相変わらず留保がついているのだが)。
ヌーヴォ・ロマンによる、物語を壊す試みが一通り終了した後、物語を新たに創造する志向性が生まれている。これは確実だろう。「カラマーゾフの兄弟」の新訳がよく読まれたのもその流れの延長にあると思われる。「大きな物語」だか何だか知らないが、骨太な作劇がどこかで求められているのは確実だろう。
勿論、単に陰惨な話を書けば、深みが出るというわけではない。登場人物を魅力的に造形しておきながら、絶対的に逃げ場のない状況に追い込み、イジメ倒した挙句、破滅させる・・・こんなものは只の悪趣味である。サドの「ジュスティーヌ」の優れた価値は、これを人間劇として作劇しなかった点にある。まともにドラマとして扱っても仕方がないのだ。仮にそれを行い、読者や視聴者が主人公の悲劇性(それも人工的な)に涙するとすれば、これを「衰弱」と呼ばずして何と呼ぼう。
結論を言うと、「神曲」の時代も「人間喜劇」の時代も終わっていない。先程の花田の主張もそれに近い筈である。

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自由を求めて
昨晩は仕事から帰宅後、深夜まで手製のプラカードをシャカリキになって作っていた。おかげで睡眠時間を大分削られた。そろそろいい加減、ちゃんと寝る時間を作らないとまずい。
午前中、脱原発デモがあったようだが、腰痛のため参加を見合わせ、午後の秋葉原TPP/ACTA街宣行動一本に絞る。体調と相談しながらの行動となった。

明日の日比谷公園界隈で脱原発お散歩ウォークを考えている人は、くれぐれも注意して欲しい。これまでの経緯を考えると強硬な弾圧もあり得る。なるべく一人だけにはならないように。杞憂に終わればいいのだが。

救援連絡センター03-3591-1301(サアゴクイリイミオオイ)

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味方を装う詐術について
猪瀬直樹がデモについて下らない能書きを垂れていた。「日比谷公園なんかでやらず明治公園でやれ。要はやる気の問題」云々。この男は都条例の時も似たような事を行っていた。猪瀬の言論トリックの特徴は、弾圧を加えておきながら、あたかも中立を装ったり、「本当は味方」であると、相手に印象付けるところにある。弾圧した下手人=加害者でありながら、「弾圧されて駄目になるようではまだまだだ」などと、あたかも檄を飛ばしているかのような振る舞いをするのである。好意的に解釈してやる必要はない。はっきり言うが、人間の屑である。

そんな中、都知事選に弁護士の宇都宮健児が立候補するという。週刊金曜日の編集委員としても名を連ねている人物である。暗黒の石原都政の時代に終止符を打ち、少しはマシな社会を築く力となり得るか、注目してみたい。尤も、他の候補(予定)者が酷すぎるのであるが・・・

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「僕は彼らに多くの不幸の借りがある」
「創」今月号は若松孝二の追悼特集。足立正生や寺島しのぶの追悼文が寄せられているが、流石に気分がへこむので、こちらの感想は遠慮する。
その他には、生活保護バッシング問題の記事が目をひいた。BPOがどちらの方を向いているか、よくわかる。
絶対に破滅する心配のない、裕福極まりない人間に限って「守りにはいるな」だの「破滅を恐れるな」だのと、偉そうに能書きをたれたがる。自分達が世間の標準であり、代表であると信じて疑わない者達の群れ。
一方、私達にとって、破滅とはすぐそこにあるか、既にその中にあるか、のいずれかである。「普通」である事が見果てぬ夢となった。今や世界に希望はなく、未来は既に閉ざされているように見える。せめてカメラの前にふんぞり返るキャスターやコメンテーター共の、幸福そうなツラをひん剥いてやりたいものだ。

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贋作ラプソディ
フランソワ・ラブレーの「パンタグリュエル物語」が同時代の「ガルガンチュア大年代記」(作者不詳)の二次創作として書かれた事は文学史上の事実である。「偉大なるガルガンチュアの息子、パンタグリュエルの物語」というわけだ。この成功に気をよくしたラブレーは、元になったガルガンチュアを主人公としたストーリーを自ら作り上げ、発表した。これが今日知られている「ガルガンチュア物語」である。
文学史上に名を残す、偉大なる二次創作作品であるといえるだろう。尤も、「大年代記」をもラブレーの作とする研究者も存在する事を申し添えておく。
セルバンテスの「ドン・キホーテ」もまた、ヒットした結果、様々な二次創作を生み出した。これに業を煮やした作者自らが、この模倣作を劇中に取り込んで料理してしまったのが「ドン・キホーテ 続編」である。
このように正規版と二次創作の関係はなかなか業が深い。
日本に目を向けてみよう。今日残っている「源氏物語」が紫式部一人の手で書かれた物であるとする研究者は少数派だと思う(瀬戸内寂聴は作者一人説を採るが、これは学説というよりもロマンチックな「願望」である)。写本が重ねられていくうちに、何らかの手が加わっている事は疑いないだろう。
二次創作が文学史上、大きな役割を担ってきていることは実に興味深い。「二次」だから抹殺するべきであるとするならば、私達の文化は随分と貧相なものになってしまった筈である。著作権ビジネスなど、ゼニ儲けの発想からは、文化など育まれるべくもないゆえんである。

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権力は牙をむき出す
反原連の100万人大包囲の件だが、高裁で上告棄却。11日は日比谷公園が利用できない事になった。よって、「健康広場」での集会については白紙となっている。
実は私自身は当日の行動はそもそも未定。仕事のシフトをどう調整するか考えていたら、今回の使用不許可である。私の都合はまだ融通は利くが、あまりギリギリになっても面倒だ。
ここまで書いていたら、田中龍作氏から以下のツイートがなされた。とうとう潰されたか。反撃をうっていく必要がある。




追記:15時からの国会大包囲は予定通り行うそうだ。

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大きな声で
所沢で脱原発デモ。駅前の集合場所で屯していると、通りすがりの若い男性から因縁をつけられた。原発推進派の人だが、言っていることが支離滅裂なので、紹介しても仕方がない。
デモは一時間程度で緩やかなペースで行われた。所沢周辺は人通りは左程多くなかったが、よく声を響かせる事が出来たと思う。終了後、秋葉原にてACTA/TPP街宣行動。いつもの事だが、マイクアピールは馴れていないと話の内容が頭から飛んでしまう。私も結論の部分が頭から飛んでしまい、ちょっと苦労した。「大企業は他人の権利は規制するくせに、自分の利権には浅ましくしがみ付く」と言いたかったのだが。
帰宅すると、流石にへばる。2件のハシゴはちょっとキツい。体力が落ちているのか。
昨日も記したが、K察の横槍が露骨になってきたような気がする。日比谷公園の件といい、キナ臭い情勢が続く。

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社会は誰のために
東京都が11/11の「反原発1000000人大占拠」に関し、日比谷公園の使用を却下したのは周知の通り。反原連主宰によるこのアクションに対する異論は多々あると思うが、ここは露骨なデモ弾圧に対する抗議の声を上げることが先決だろう。当日は公園の出入りすら制限される可能性もある。公園の入口周辺に機動隊がズラリ、職質と違法検問といった事態もあり得ない話ではない。
同様の弾圧は各地で報告されている。例えば、11/3の大宮デモについては、<埼玉県警がデモ申請人に、「デモ後即解散しないと逮捕する!」と恫喝>というツイートが回って来ている。この国にはいつの間にか「集合罪」というものが出来たらしい。
巷間語られるように、権力者達が焦りを感じてきているのか、それとも「もう潮時だし、いい加減潰してしまおう」と考えているのか。どうも政府の姿勢を見ていると、反対の声など一顧だにしていないし、「はい、おしまいおしまーい」と幕引きを図ろうとしているように見える。舐められたものだねぇ。
いつの世でも、権力者の手口は不細工極まりないが、そろそろこの日本という国を民主化しないと私達の生存すらおびやかされる事になりそうだ。

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今すぐデモクラシーを!
仕事が長引いたため、今日も霞ヶ関はパス。昨日、強引にテント前まで足を運んだのはこうした事態を見越してのことでもある。
「世界」11月号の「メディア批評」(神保太郎)に、霞ヶ関の抗議行動のことが取り上げられていた。なかなかよくまとまったいい記事なので、一読をお勧めしたい。既に運動は首相官邸前にとどまらず、テント村を中心に各官庁前で抗議行動が持たれ、いまや脱原発運動は民主主義の根幹を問う運動に広がりつつあるというもの。
やや過褒な気もするが、見る人はちゃんと見てくれているものである。

その他、平田オリザ・想田和弘の対談もなかなか読み応えがある。とりわけ「アーチストとしていちばん困るのはファシズムである」という言葉は、もの作りに携わる人間は肝に銘じておいたほうがいい。政治なんぞに関わりあうのは無粋な話に違いないが、火の粉は否応なしに向こうから降りかかってくるものである。

テーマ:本読みの記録 - ジャンル:本・雑誌

官庁街を祝祭空間に
仕事が早く上がれたので、経産省テント前のイベント、「霞ヶ関の中心で、愛を叫ぶ!」に顔を出す。
精神面での調子は今イチなのだが、こんな時しか行く機会がない。
私が着いたときは、20人程度の人がいた。取り敢えず、みんなの元気な顔を見てホッとする。

イベントの趣旨は脱原発/反原発であるが、副次的な要素として、堅苦しく無機的な官庁街の空気を人間化するという意味がある。もっといえば、公権力の支配する空間を、私達の手に奪還するわけである。週末や平日、霞ヶ関に有象無象が集まるということは、そのような意味を持っているということを、再度確認する思いだった。

CAPAH669.jpg

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

コピーライト・ウォーズ
ディズニーが「スター・ウォーズ」の権利を取得した。浮かれ騒ぐ声も聞かれるが、左程思い入れもない身としては、冷ややかにならざるを得ない。私が観たのは最初の三部作(ややこしいが、マーク・ハミル、ハリソン・フォードの出ている方)と「エピソード1」のみである。
ニュー・シネマに対抗しようとした意気込みは買うものの、ガキの映画の域を出ていないのは事実である。尤も、私はこうしたガキの映画が決して嫌いなわけではない。深刻なのは、それが支配的な価値として君臨してしまった事である。「これも映画」には違いないが、「これこそが映画」なんて、冗談じゃない。

スター・ウォーズが様々な模倣作を生み出した事はよく知られている。邦画をとっても「惑星大戦争」や「宇宙からのメッセージ」を私たちは擁している。私が観たのは深作欣二監督による後者だが、安っぽく、チャチい造りにもかかわらず、何故かそれはそれで楽しめる作品だった。マンガに目を向けてみても、例えば藤子・F・不二雄の入れ込み具合などは記憶に新しい。
気がかりなのは、これらの模倣作が、著作権の名の下に全て根絶やしにされはしないかということである。ディズニーといえば著作権亡者。一般に資本というものは、利権のためならば文化を破壊しつくす事も躊躇しない。スペース・オペラ全般がその渦中に投げ込まれる可能性は大いにある。そのうち松本零士あたりと、真似をした、しないのと泥仕合を演じることになるかもしれない。ディズニーを愛してやまない松本だが、著作権への妄執ぶりは両者ともに引けを取らない筈である。「スター・ウォーズ」自体が、黒澤の「隠し砦の三悪人」を下敷きにした作品なのであるが・・・

テーマ:映画関連ネタ - ジャンル:映画



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のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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