時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
ヴィヨンを歌う
仕事が尾を引いて、眠れない日々が続く。昨晩は何度も不安になって目が覚めた。正直、身がもたないと思うが、耐えるしかない。空元気を振り絞ってみる。

急にモニク・モレリの歌うヴィヨンが聴きたくなり、収納箱を漁る。奥の方に潜っているのを漸く見つけた。
ヴィヨンとはいうまでもなくフランソワ・ヴィヨン。15世紀のフランスに泥棒詩人として名をはせた人物である。殺人や窃盗を繰り返し、殆どゴロツキのような男だが、その作品が今日も尚、愛唱されているのは周知の通り。
ヴィヨンといえば、ジョルジュ・ブラッサンスの「そのかみの貴婦人をうたえる」がよく知られている。「さはれ、さはれ、去年の雪、今はいずこ」。彼に較べるとモレリは日本での知名度は劣ると思うが、本国ではかなりの大物だったはずである。
さて、このアルバムだが、LP版では丸々一枚ヴィヨン作品に当てられている(CD版では「ロンサールを歌う」とカップリング)。しかも朗読ではない。歌われているのはどれも有名な作品ばかりで、「でっぷりマルゴー」や、「絞首罪人のバラード」といった詩も収録されている。独特の低音をきかせた渋い歌声は、一度耳につくとなかなか離れない。手にする機会があれば聴いていただきたいものである。
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俗情との結託~石原批判の作風について
正直、頭にきた。どうせ大方からはスルーされるだろうが、敢えて言う。
石原慎太郎の小説がピカレスクな暴力を描いていることは、何ら非難に値する事ではない。

そもそも攻撃するポイントが違う。「三国人騒擾事件」発言、ババア有害論、障害者差別、同性愛差別、天罰発言、オリンピック招致の使途不明金、新銀行東京、国際関係の険悪化、等々、彼を批判する材料には事欠かない。
にもかかわらず、真っ先に語られるのはまず彼の小説作品の話題である。ペニスで障子を破るだの、輪姦殺人が描かれるだの、殺人プレイが描かれるだのといった事柄をセンセーショナルに語ろうとする。こうした非難の手法には、表現活動、創造行為に対する無理解と性・暴力表現に対する、恐ろしく退化した蔑視感情が見受けられる。東京都青少年健全育成条例の時にも、この種の非難が巷に跋扈した。
最も安易な批判方法は、体制側の、マジョリティーに乗っかった立場からの批判である。都条例の時も、今回の辞任劇に際しても、「石原は不道徳極まりない小説を書いていた最低の人間だ」という、規制推進側の言説に則った非難が席巻した。どうしたことか?この人たちは本当に表現活動の自由を守りたいのか?本当に強権的な支配から自由になりたいのか?単に自分の気に入るものだけを守り、気に食わないものを排除したいというのが本音ではないのか?これは規制推進派などの精神構造と全く同じである。

石原の小説のレビューはこのブログでも何度か行った。私の印象では、作家としては二流といったところである。だが、それはあくまでも作品論の範疇である。このことは、彼の政治家としての評価を上げもしなければ下げもしない(尚、政治家としての評価はマイナス∞である)。
敵を攻撃するにも正確さが要求される。問題を取り違えてはならない。

(慎太郎小説の感想記事)
http://noir731.blog106.fc2.com/blog-entry-271.html
http://noir731.blog106.fc2.com/blog-entry-272.html
http://noir731.blog106.fc2.com/blog-entry-274.html
http://noir731.blog106.fc2.com/blog-entry-289.html
http://noir731.blog106.fc2.com/blog-entry-329.html

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日暮れて道遠し
急に寒くなった。腰痛が酷いが、取り敢えず仕事に行く。
ヤマトファンの同僚とまたもや松本零士談義。お互い、「古代守=キャプテン・ハーロック」という設定を記憶している世代だが、今や知らない人、多いんだろうなぁ。

先日、「ガラスの仮面」49巻を購入したが、相変わらずの停滞振り。動きそうで動かないのは誰もが知るとおりである。この後もあまり期待しない方がよさそうだ。ゼノンの逆説を地で行っているというのは前にも書いたと思う。
未完に終わった大作はいくつもある。漱石の「明暗」、山本有三「路傍の石」、中里介山「大菩薩峠」、埴谷雄高「死霊」、栗本薫「グイン・サーガ」、半村良「太陽の世界」、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」(「大いなる罪びとの生涯」として発展させる予定だった)、カフカ「城」、「アメリカ」、サルトル「自由への道」、評論「家の馬鹿息子」、カミュ「最初の人間」等々枚挙に暇がない。尚、井上光晴の作品群は未完なのか完結しているのかよく判らないので別枠に考えたい。
マンガでは石ノ森章太郎「サイボーグ009」、石川賢「ゲッターロボ」シリーズなどが未完作として有名である。永井豪や、前述の松本零士は作品を中途で放棄してしまう事でよく知られているが、白土三平の「カムイ伝」のような作品が未完のまま放棄されてしまう事は憂うべきことである。
作家は作品製造機ではないので、一概にこれを非難するつもりはない。また、無理に完結させてぶち壊しになるケースもあるだろう。ただ、残念な事には違いないし、文化的な損失を悲しく思う。

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みんなの力で
新座市で脱原発デモ。志木駅近辺の市街をぐるりと回るコースで、ゆっくり歩いて1時間ほどである。
当初はどれだけの人数が集まるか不安だったが、参加人数160人程度と、ローカルデモとしてはまずまずの規模となった。
とりわけ、馴染みの人たちが続々と来てくれたのには感激した。私は主催者ではないが、参加者としてはとにかく盛り上げたい。人が少なく盛り下がるようだったら、一人でも火ダルマになって騒ぎ続けようかと考えていたが、流石にそれはキツかったと思う。決して依存的な意味ではないが、仲間の存在は貴重であると改めて実感した。

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帰宅後、「けいおん!カレッジ」と「けいおん!ハイスクール」を買ってきたが、腹立たしいニュースが多いので素直に楽しめない。のんびりとマンガや映画、読書を楽しめる世の中にしたいと思う。

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奇妙な報道
ふーむ、確かにこいつは怪しい匂いがするな。いくらなんでも不条理過ぎる。フランツ・カフカの小説並みだ。そのうち「殺人未遂」とか言い出しかねん。




付記:よくよく見たら、記事の出元はKKK(産経)。ホント懲りない連中だな。

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no title
仕事が終わって帰宅途中である。土壇場になって、いきなり多くの業務が回ってきたため。何か評価が上がるわけでも何でもないが、目の前の仕事はこなさなくてはならない。
乗り換え電車がまだ走っているか、些か不安なところである。まぁいざとなったら漫喫という手もあるが、取り敢えず家には戻りたい。帰巣本能のようなものか。
それにしても、どこで道を間違えたのかとつくづく思う。
天罰党あるいは外患誘致党
権力亡者と化した老人が、更なる権力を目指して知事を辞任した。これは既に報道されている通りである。今日のタイミングを選んだのは、小沢新党の報道をさせないためであるが、実に判りやすい(別に私は小沢シンパでも何でもないが)。この国では強欲な亡者が権力争いをする事を「政治」と呼んでいるらしいのだ。
巷では、「誰がやっても同じ」と発言する事で、何か判ったようなそぶりを見せる人が存在する。勿論、人徳者に権能を与えたとしても良い社会がすぐに生まれるわけではない。だがロクでもない輩に権力を与えれば、社会は確実に悪化する。「誰がやっても同じ」ではないのである。
良い方向に物事が進む事はなかなかないものだが、最悪の事態の到来は一瞬のうちに行われる。何としても防がなくてはならない。

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終わらなかった少年期
松本零士がフランスで芸術・文学勲章を受けたという。松本マンガで育った世代としては、取り敢えず祝福したい。ハーロック、999など主要作品のほか、「ワダチ」、「大純情くん」、「とらじまのミーメ」などの作品群にはお世話になってきた。時折マッチョ主義が鼻につくところはある(緑色の方のアルカディア号のデザインは象徴的だ)が、積極的に評価していいと思う。まさに私達の少年期を彩ってきた、大いなる存在であった。
現在入手が容易かどうかわからないが、松本作品の世界観を総括したものが「ミライザーバン」だと思う。輪廻転生、永劫回帰の時間の輪といった主要なテーマが、全てここに描かれている。松本作品に関心のある方は繙いてみるといいだろう。
実を言うと、つい先日、友人と松本マンガの話題で延々と話し込んでいたところである。かなりコアな作品論を語った後の結論が、「あの人は何で今、あんなになっちゃったんだろうねー」だったのだが。

松本作品は、ある時期から急速に絵柄、内容共に劣化していったように思う。「四次元世界」「男おいどん」の素晴らしさはどこに行ったのか。「999」の続編、「ワルキューレ」(「ニーベルンゲンの指輪」の二巻目)、「無限海漂流記」の最終話などは、それまで作り上げたストーリーを完全に台無しにしている。何よりも、空回りした演説が多い。「男おいどん」の大山少年は、演説などしなくても充分に自己を主張していた。
著作権がらみの醜態はいうに及ばず。「ヤマト」騒動、槇原騒動をはじめとする一連の事件を見ると、ますます心が遠のいていくのを感じた。苦労が多かった分、屈折したのかもしれない。
ACTAについてはどうなのだろう。西欧の優越主義をあれだけ憎悪していたところからすると、かなり微妙な気がするのだが。

999

↓ちょうど今、レンタル中のCD。怖いくらいにタイムリーだ。
matsumoto

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人間ぎらい
この所、人間というものがつくづく嫌になっているが、だからといってどうにかなるものでもない。何かこの先に人生の展望が開けるわけもないが、とにかく今を生きるしかない。ニーチェのように「運命愛」とほざくような気負い方もあほらしい。やってられねぇ。いい気なもんだよ。

政治家の舌禍が著しい。よくもここまで劣化するものだと思う。その西の代表格である大阪市長が得意とする科白に、「文句があるならお前がやってみろ」というものがある。誰もが呆れ返る発言には違いないが、これに近い事を筒井康隆が書いていたのを私は記憶している。つまらないというならお前が書いてみろ。勿論、作家がこんな事を言い出したらお仕舞いである。「お前」に書けるかどうかではなく、凡庸な作品が凡庸である事には変わりがないからだ。
中高生の頃、筒井作品に夢中になった事があった。だが、「家族八景」を巡り、知人と議論になったことをきっかけに、私の熱は冷めていった。このときの知人の指摘(作品批判)は鋭く本質を突いたものであり、今でも感謝している。詳細についてはその他の事柄を含めて、きちんと考察してみたいので、別の機会に譲ろうと思う。かなり大事な事だと思うからだ。

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思考がうまくまとまらない。色々断片的な文を書き散らしてみたが、まるで文章として成立しない。よって、今日は何もなし。

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やがて宇宙の意識が意識されよう
まだ気力が回復していない。昨日購入したブランキの本を眺める。途中まで読んだ印象を言えば、天文学・宇宙論の書物であり、決して政治的な書物ではないようだ。埴谷雄高が死ぬまで宇宙論にのめり込んでいたのを思い出した。
激越なアジテーションを繰り広げる一方で、ブランキが心の奥底に詩的イマジネーションを保っていた事は重要な事と思える。埴谷を引き合いに出すならば、カントとドストエフスキーの関係に相当するのかもしれない。

午後、用件を済ませた後、大分遅れてACTA街宣行動に顔を出した。AKBカフェ、ガンダムカフェの近くである。私自身はあまり元気にコールをする事はできなかったが、まあ、いいんじゃないか。

akb

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「借りは死んだやつに借りている」
今日のバイトは早々に終了。同僚がマクロスの映画を見に行くためである。お互いに適当なもんだ(尚、完全に販促映画だったらしい)。

ブランキ「天体による永遠」を購入。いつ読むかまるで判らないが、取り敢えず手元に置いておく。なるべく早急に読むつもり。
昨日書き忘れたが、若松孝二監督/出口出(足立正生)脚本の「天使の恍惚」に登場するグループの名は、ブランキの政治結社から借用したものである。その名は「四季協会」。映画の内容は爆弾闘争の青年達が、内紛を乗り越え、多くの逮捕者・犠牲者を出しながらも日本革命に向けて邁進していくというもの。決して能天気な内容ではなく、孤立していく青年達の痛ましさをよく活写していたと思う。
運動圏で「ブランキズム」というと、ハネッかえりの冒険主義というくらいの意味合いになる。確かにそういう側面もあるのだろうが、彼の著作も既に古典である。デカルトやモンテーニュにアプローチするくらいの姿勢で接する必要があると思う。

↓拡散を頼まれている件、折角なので貼っておく。
niizanukes

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ブランキの時代、そしてわれらの時代
精神的に低迷したままであるが、仕事は待ってくれない。退社した頃には霞ヶ関の抗議行動などとっくに終わっていた。尤も、早く終わったとしても現地まで行ける精神状態ではないのだが。

帰宅が遅いので本屋を覗く余裕がない。今月はブランキの「天体による永遠」が岩波文庫から刊行されているという。ブランキの「革命論集」を過去に購入しているのだが、あまり目を通す事もなく押入れの奥に保存されている。
ジェフロワのブランキ伝「幽閉者」はまだ本棚にある。こちらは途中まで読んで放置されたまま。何ともぐうたらで情けない限りだが、
いうまでもなく、足立正生の映画「幽閉者」のタイトルはこのブランキ伝を意識したものである。件の「天体をめぐる永遠」も劇中に登場するし、ブランキ役はPANTAが演じていた。
それはともかく笠井潔が指摘するように、様々な政変の嵐が吹き荒れた、激動の19世紀という時代を象徴する人物には違いない。彼が何者であったのか、今一度掘り起こしてみるのは有意義であると思う。

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時効なき反権力
若松孝二の訃報。出来事の意味がまるで掌握できない。事実関係は理解しているが、「意味」として掌握できない。昨晩は口惜しさからよく眠れず、今に至るもわけがわからない状態が続いている。さしあたり、思い出話をする。

私が若松孝二の存在を意識し出したのは十年以上前のこと、映画通の上司から「ピンク映画に凄い人がいる」と教わって以来である。その時は若松の名はすぐに忘れてしまったが、ピンクを通じて反権力を描くシネアストの存在は、深く心に刻印された。
やがて足立正生がパレスチナから帰還する。足立の「映画/革命」と題する書物を手にしたとき、再び若松の名が目に飛び込んできた。伝説の「赤-P」がこの二人の共作である事もその際に知った。
ビデオデッキを所持していない私は、若松の作品を見る機会に恵まれなかった。わざわざ亀有あたりに出向くのも大儀に思えた中、時代はDVDに移行した。足立の「女学生ゲリラ」を観た後、若松作品への関心は次第に高まった。そんな中、前述の上司から借り出したのが「天使の恍惚」である。爆弾闘争にひた走る青年達の姿は、当時の私に充分に衝撃を与えたものだった。
「十七歳の風景」が公開されたときは、気にはなっていたものの、劇場に足を運ぶには至らなかった(後にDVDで鑑賞)。だが、次回作が「連合赤軍」であると聞かされれば、黙ってはいられない。私は若松の著作「俺は手を汚す」と「時効なし」を読み耽った。中古でDVDを集めたりもした。
初めて若松に会ったのは、「実録・連合赤軍」の公開直前のイベントである。青山でのトークショーで彼の姿を目にしたとき、俗に言うオーラのようなものをはっきりと感じた。それだけこちらの思い入れが強かったということだろう。
元ヤクザの経歴を持つこの人物は、予想に反して実に穏やかな語り口で私達に接してきた。彼は決してインテリではないが、時折カストロを思わせるような鋭い洞察を見せてくれる。そこが彼の語りの魅力でもあった。結果として、機会があるたびにトークショーに足を運んだものである。丁度その頃山口清一郎が亡くなった事から、私が表現の自由の問題について問うと、「映倫はぶっ潰すべきだと思う。俺は四〇年も映倫と喧嘩してきたんだぞぉ」と誇らしげに語っていた。並々ならぬエネルギーがそこには漂っていた。
その後の彼の旺盛な創作意欲は誰もが知るところである。このブログでもレビューを記した。彼の映画が高評価を得るたびに自分のことのように嬉しく思っていた。次回作に731部隊や原発問題といったテーマを準備していると聞き、楽しみにしていたところである。

繰り返していう。まだ出来事の意味が掌握できていない。私生活で行き詰まりを迎えているさなか、止めを刺すように訪れたのがこのニュースだった。Everything must go.であることは重々承知だが、頭の中の整理がつくまでは当分時間がかかると思う。

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嵐の中で
決して調子は良くないが、何とか気力を振り絞って生きている。

「沖縄を返せ」という歌がある。「おきなーわを、返せー、おきなーわを、返せー」というフレーズでよく知られているが、私が90年代に沖縄基地問題の集会に参加したとき(あの時も強姦事件があった)は、既に「おきなーわを、返せー、おきなーわに、返せー」と歌われていた。つまり「主権を沖縄に返せ」、という内容に変更がなされているのである。昨今の情勢を考えると、著作権を口実に一悶着あるかもしれない。そこまでナメた言い掛かりをつける度胸があるならば、の話だが。

「オスプレイ問題と強姦事件は別の問題」と強調する向きが一部にあるが、決してそうではない。いずれも米軍基地の存在をめぐる問題であり、「中央政府のために沖縄が犠牲になるのは当然」という、沖縄蔑視政策の結果である。
日本政府としては、これまで通り問題をグズグズにしたまま、既成事実を積み重ねていこうとしているのだと思う。東アジアをめぐる情勢は「渡りに船」と考えているのかもしれない。
だが、こうした彌縫策がいつまでも続けられるとは思えない。沖縄独立論は過去から何度も沸き起こっているが、ヤマトが名実共に沖縄から見放される事も、決して起こりえない話ではない。

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寂滅
若松孝二監督が交通事故で重症という(10/12)。命に別状はないというが、情報が入ってこないため、気がかりだ。

精神的にガタガタなので、あまり多くを語れない。どこにいても自分が余計者に思えてしまうのはどういうわけか。少し静かに自分を見つめ・・・ると辛くなるので、とにかく静かにしていようと思う。
今日は陣野俊史「フランス暴動」を購入した。

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次に名前を呼ばれた男がカーテンの向こうに消えていった。灰色の壁に囲まれた暗い部屋の中、十数人の人間がひしめき合い、皆じっと息を殺していた。程なくして、何かが落下する大きな音が房内に響き渡った。誰もが緊張に体を堅くしている。また一人処刑されたのだ。
ここは死刑囚の集められた監房である。何故私がここにいるのか判らない。私の順番まではあと少しだ。また一人名前を呼ばれ、房から連れ出されていった。
もう少しで私の番が回ってくる。私の首に絞縄が巻きつけられ、床板が外される瞬間が目に浮かぶ。縄がピンと張り、骨が砕かれる感触と同時に、一切が終わりを告げる。私の時間はそこで終わってしまうのだ。何もかもが終わる!そこから先は存在しない!「無」という概念さえも存在しない!この壁と同じ、行き止まりだ!そしてそれはすぐそこにある!
また大きな音がした。暫くの沈黙の後、さらに一人呼ばれていった。次は私の番だ。獄吏の合図で全てが終わる!いやだ!こんなところで死にたくない!やめてくれ!何故私がこんな目に!?お願いだ!夢なら覚めてくれ!

――夢から目覚めたのはその瞬間である。作り話ではない。実際に昨日見た夢である。夢の話が馬鹿馬鹿しいのは重々承知だが、異様に生々しいものだったので、敢えて記してみた。疲れが溜っているのだろうか。よく古い自我を脱皮する時にこのような夢を見ると言われるが、あまり思い当たる節がない。


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拒絶の思想
秋葉原ACTA/TPPデモに参加。場所柄もあり、コスプレ大歓迎という触れ込みが功を奏し、かなりカオスな雰囲気となった。よいことである。
出発前の準備中にプラカードを踏んづけられたのは心が痛んだが、気を取り直して隊列を組む。コースは西神田公園から白山通りを南下、靖国通りを秋葉原方面に向かうというもの。沿道の雰囲気を確認する余裕があまりなかったが、やはり「ACTA」という名詞は耳慣れない人が多かったようで、コスプレの新奇さも相俟って、「何だろう」という表情をしていた。
終了後はいつも通りラジオ会館前アピール。雨の関係もあり、16時ごろに切り上げる格好となったが、道行く人の反応は悪くないと思われた。
人間とは精神である。精神が文化を生む。しかし、資本には精神がない。発言する機会はなかったが。そんな事をあれこれ考えていた。

まだ頭に靄がかかったような状態が続いており、思考がうまく回らない。よって、今日はこれくらいの記述にとどめておく。

actademo

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老いたる霊長類の星への讃歌
一日中頭に靄がかかったような感じで、今現在に至るも調子が出ない。体の調子自体は悪くないのだが、よくわからない状態が続いている。それでも職場では何とか気力を振り絞って、最低限の仕事はした。
同僚と馬鹿話をするうちに、今日が「宇宙戦艦ヤマト2199 第三章」の公開日である事を知らされた。以前にも記したと思うが、このシリーズはリメイクとしてはかなり高水準に達しているため、決して馬鹿に出来たものではない。
どういうわけか突発的に観にいこうという話になり、そのまま新宿へ向かった。劇場ではグッズの販売に長蛇の列が出来ていたが、世代的に気持ちがわかるので、あまり馬鹿にしたくない。こんな糞つまらない世の中、それくらいの楽しみが無くてはやっていけないだろう。
映画の評価はもう少し頭のはっきりしている時に譲りたいが、大満足であった事は記しておこう。ディテールのこだわりは並大抵ではないし、人間ドラマとしての掘り下げも実にしっかりしている。アシモフやディックの作品のタイトルで遊んでいるのも楽しい。「エヴァンゲリオン」でハーラン・エリスン等のタイトルをもじっていたのを思い出す。

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素手による反抗
ノーベル平和賞はEUだという。思わず脱力してしまうようなオチだ。それなりに立派な人に贈呈される時もあるのだが、わけのわからない代物をノミネートしてしまうことも往々にしてあるのがこの賞の特徴である。下手をすれば、そのうち東電やモンサントに賞を与えてしまうこともあるかもしれない。
尚、手元に「私の名は、リゴベルタ・メンチュウ」という書物がある。グアテマラのノーベル平和賞受賞者の自伝だが、数年来手付かずのままツン読になっている。いつか読んでみたいのだが、見通しが立たないのが情けない。

今日は残業を早めに切り上げることが出来たので、経産省前に向かう。こういうチャンスは大切にしたい。寝不足と疲労でクタクタだったのだが、現場に着くと空元気が出る。気が付いたら大声で怒声を張り上げていた。火炎瓶テツ氏が、これは「直接行動によるパブリック・コメント」である旨を語っていたのが印象深い。ネットのパブコメは無視されたので、直接出向いてきたというわけだ。
締めはACTA/TPP反対コールを織り交ぜ、マルチイシューの面目躍如となった。出来る事をどんどんやっていこう。

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ノーベル賞てんやわんや
ノーベル文学賞は莫言に決まった。よって、ディランは今年も受賞を逃す事となった。まあ、別にいいんじゃないか。ノーベル賞目当てにロックを演奏しているわけでもあるまいし、第一それでは格好悪い。
ノーベル賞作家では、ちょっと前にオルハン・パムクの小説を読もうとして果たせなかった事がある。あの手の長い話は、調子のいいときでないと流石にきつい。そういえば高校生の頃、安部公房が騒いでいた影響で、カネッティだのマルケスだのといった名前を振り回していたことがあるが、前者は結局読まずじまいである。代表作は「眩暈」だが、本が高いのと、図書館が遠いのが原因。
川端、大江は別として、クレジオは挫折しっぱなし。他に読んだことがあるのは・・・マルケス、リョサ、カミュ、辞退したサルトル、ソルジェニーツィン、ジード、マン、ヘッセ、ヘミングウェイ・・・何だ、結構あるな。
チャーチルの受賞は措くとして、ラーゲルレーヴが何故受賞しているのかわからない。「ニルスの不思議な旅」は、岩波少年文庫の抄訳を読んでいるが、この一本で受賞理由になったとも思えない(アニメ版は素晴らしかったが)。「エルサレム」などはあまりにも無残な様相を呈しており、途中で読むのをやめてしまった。あれじゃ宗教的白痴だ。

大江の受賞の時に思ったのだが、何かと「日本人が、またやってくれました」とコメントするのが実に気持ち悪い。そもそも文学は個的な作業だ。マスコミや財界人が偉いわけではない。

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アルファベットの略語には警戒しようと思う
十月十日は「萌えの日」であるという。たいした理由ではない。草カンムリを旧字体で記し、字面をじっと眺めると、縦書きで「十月十日」と読めるという他愛ないものである。
この種の言葉遊びでは、松平定信の「宇下人言」がよく知られている。こちらは「定信」の文字を分解したものである。また、諸星大二郎の「西遊妖猿伝」では李元吉が自らの名前を分解し、吾こそ天下を取る宿命にある、と勝手に解釈する場面があった。どうも基になった資料がありそうだが、詳らかにしない。
ついでにいうと、晩年のソシュールの仕事にアナグラム研究というものがある。例えばスキピオの墓碑銘の一文に、無理矢理「SCIPIO」の文字を読み込んでいくというもので、言葉遊びとしてはともかく、学問的には牽強付会というほか無い。尤も、こちらは深層心理学の研究に影響を与えていた筈で、結果的には一定の意義はあったといえそうだが。

ノーベル賞にかこつけて、科学研究に対する助成金を増やそう云々という話がちらほら現れている。だが、金の話が絡むと、何やら胡散臭くなると思うのは私だけだろうか。被災地の「復興」予算の一件もある。そもそもこうした新技術は私達に還元されるのだろうか。金持ちしか受けられない医療技術のままで終わってしまうのではないか等、色々疑問は尽きない。TPP参加で国民皆保険制度が崩壊したら、元も子もないだろう。
折りしもIMF総会が開かれている真っ只中、そんな事を考えた。

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偶像の黄昏

チェ・ゲバラの命日である。過去にも述べたが、私のゲバラに対する思い入れは左程強くないので、取り立てて追悼することも無い。それでも先日の街頭行動にはゲバラTシャツを着ていった。
例えば、アジア圏においてゲバラに相当する人物と言えば誰になるだろうかと、ふと思う。どうも岡本公三あたりがそれに該当してしまいそうな気がするが、どうだろうか。
一般人が大勢いる中で、イスラエル兵と銃撃戦を演ずるということがどれだけ深刻な被害をもたらすか、その想像力の欠如については言うまでも無い。だが、ゲバラにしても、見方を変えれば大量殺人者だ。行為だけを取り上げれば、近しいものとなって来はしないか。
勿論、思想的な力量の違いと言うものはあるだろう。だが一般に、ゲバラが崇拝されるのはその行動においてである。革命のロマン主義。言い換えれば、ロマンに逃げたと言う事も出来る。
意地悪な事を書いてしまった。あくまでも私の趣旨は、偶像崇拝に対しては少し突き放した視点が必要である、ということだ。別にゲバラを攻撃したいわけではない。むしろ偶像性を解体したところから真の評価は始まると思う。

さて、視点を現代の日本に戻す。IMFの総会が東京で開催されている。グローバリゼーションの立役者。貪欲に全てを喰らい尽くす亡者の群れ。荒廃、そして多くの死がそこから齎される。
「しっ、静かに!葬列が君の側を通って行く」(マルドロールの歌)

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思い出すことなど
井上靖に「しろばんば」という自伝小説がある。中学一年生の頃、読書感想文で読まされたものだった。中間小説の大家だけあって、なかなか読ませる仕掛けになっている。だが、一方で読み進める事に苦痛を覚えていた。何かしら息苦しいのだ。この異様な雰囲気は何だろうかと疑問に思っていた。
後年になり、多少心理学の知識がついてくると、これが胎内回帰の息苦しさであると理解される。あの小説は、おぬい婆さんの巨大な子宮の中の物語であったのだ。この息苦しさは続編の「夏草冬濤」にも共通する。井上が自伝を語るとき、彼自身の胎内回帰願望が丸ごと投影されていたように思う。三作目の「北の海」は感想文の課題図書にはなっていなかったのでパスした。
私自身の少年時代を振り返る時、こうした回帰への渇望は感じない。いじめによる苦痛と、やり切れない挫折の思いがそこに見出されるばかりである。いじめというものには終わりが無い。それは一生付きまとうものである。子供は馬鹿ではない。薄々とその事は理解していたのだが、一方で、そんな筈は無いと言う淡い願望を抱いていた。
いじめについて語り出すと、悔恨の迷宮に迷い込む。また改めて述べる機会もあろうかと思うので、今回はこの辺にしておきたい。だが、一般的に楽しい思い出よりも辛い思い出の方が後に残るものだ。
それに較べると、中学一年の頃の両親の別居(後に離婚)は、あまり心に響かなかった。むしろ、それまで泥沼の喧嘩状態が続いていたので、ホッとしたと言っていい。両親がこの状態のとき、子供は代理戦争の役を担わされる。父親に連れられて、父方の実家に遊びに行っただけで、母から絶交を言い渡された事もあった。まだ小学校に上がる前の事である。
長じて後、双方共に、自分の都合のいい事しか言わないものという事を理解する。だが、もうそんなことはどうでも良かった。もううんざりしていたのだ。両親の離婚により、子供が傷つく事などあり得ない、というのが少年期の私の信条だった。勿論、家庭事情は人それぞれであり、一般的な原則を打ち立てることなど出来はしない。その事を理解するにはもう少し時間が必要だった。だが、安いテレビドラマで描かれるような「傷ついた子供」の描写には、今でも異を唱えたい。

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どうも偏頭痛がひどい。
秋葉原で反ACTA/TPP情宣活動。これまでと較べると、反応がなかなか良かったように思う。
昨日から劇場版「魔法少女まどか☆マギカ」が公開されていることもあり、ACTA/TPPへの参加はキュウベエが「僕と契約してよ」と言っているのと同じではないかと提起してみた(ちなみに、この作品(TV版)に対する私の評価はあまり高くない)。まあ、つまらない例えではあるが、自分の意見を言ってみた次第である。

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「小江戸は川越ばかり」らしい
昨日、大阪関電前で逮捕された人が、まだ身柄を拘束されている。冗談じゃない、一刻も早く釈放せよ。ここ最近になって、デモに対する警戒が厳しくなっているとの声もある。苦しいところだが、まだたたかいは続く。

諸事情で今日の仕事は中止となったため、川越デモに参加する。川越に出るのは久し振りだ。
以前参加した時とは異なるコース。人通りの少ない場所を削ったらしい。商店街のやや狭い通りを練り歩くのがこのデモの特徴。今日も異様な雰囲気が醸し出されていた。
デカいトラメガがなぜかいつも目の前にいる。場所を移動してもどうしためぐり合わせか、気付いたらまたトラメガのすぐそばに出てしまう。おかげで耳が痛くなった。耳栓の準備が必要だな。これは。

「創」11月号を購入。反原連のMISAO REDWOLF氏のインタビューが掲載。文春に対する批判の他は、これまで話された内容と一部重複する。左翼批判も相変わらずで、自己正当化の弁も見られるが、ポストの時ほど下品なものにはなっていないのは記者の力量か。
尚、脱原発運動圏の人々は、反原連を「敵」とするような言説は厳に謹んで欲しいと思う。これは敵対矛盾の問題ではなく、内部矛盾として解決が図られるべき問題である。

20121006

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オーソドックスについて
今日も残業。官邸は遠くなりにけり・・・まあ、そんな事を言っても仕方がない。
連休の筈だが、実感がまるで湧かない。ついこの間、九月になったばかりだと思っていたのだが。

脚本家・笠原和夫の「シナリオ骨法十箇条」についてあれこれ考える。結論から言えば、オーソドックスを馬鹿にするなということだ。やたら奇抜なだけのストーリーを「新鮮だ」と言って持て囃したりする風潮は昔からあるが、程々にした方がいい。安直な作劇パターンも、安直な奇抜さも、批判されてしかるべきだ。
ジャン・コクトーは言った。「僕はオリジナリテは大嫌いだ。僕は出来るだけそれを避けてきた。新調の服を着たような様子をせずにオリジナルなイデーを用いる為には細心の注意が必要だ」(阿片)

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傍観者の託宣
昨日ぶっ倒れた直後だが、うだうだ言ってもいられない。だるさが残るが、病み上がりの身体に鞭打って仕事、先程漸く帰宅する。正直、もっと自分の時間が欲しい。

話題の朝日新聞10/3付の記事。「もの言う市民、根付くか」というもので、デモ文化が今や収束に向かっている、との内容。これについては、あまり多くを語る必要は無い。運動への批判については一旦受け止めておくが、そもそも碌に報道もしてこなかった連中が何を言うのかと思う。
森鷗外の台詞が全てを物語っている。
「傍観者と云ふものは、やはり多少は人を馬鹿にしてゐるに極まつてゐはしないかと僕は思つた」(百物語)

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ウージェーヌのいざない
朝からひどい貧血。あまり無理をせず、スローペースで仕事を進める。奇妙なもので、普段通り仕事をしているつもりでも、妙にトンチンカンな行動をとっていたりする。自分で思っている以上に、頭が働いていないらしい。
夕刻になって漸く落ち着いてくるが、大事をとって定時で帰宅する。

暫く前から新潮美術文庫版のドラクロワの画集が行方不明。プラカード作りのため、模写(トレースではない。念のため)したのだが、それ以来見かけなくなっている。已む無く。古書店で「アサヒグラフ別冊」のドラクロワの巻を購入。ところが、こちらには泣き叫ぶ孤児の絵が収録されていない。やっぱり無くしたヤツを買い戻すかなぁ。
実を言うと、ドラクロワの単独の画集というものはあまり見かけない。美術全集にはアングルと一緒に収録されているのが大抵である。いくらなんでも変じゃないか。これ。
ドラクロワといえば、19世紀ロマン派美術の王道。そのため、個人的にはこれまで微妙な距離を置いてきたものだった。要するに天邪鬼なのだ。それでも、「自由の女神」が日本に来たときは頑張って観にいったものである。
ところがどうした風の吹き回しか、最近になって彼の作品群に妙に愛着が湧いてきた。詳細はまた別に語る機会があると思うが、今日は取り敢えず休む。

delacroix

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今日は手短に
さっき帰宅したばかり。この所、遅くまで仕事に追われている。

自民党本部前で反原連が抗議行動を行ったらしい。先週は経団連。もはやルーチン化した抗議行動だけでは壁は破れないと判断したのだろうか。いずれにせよ、やれる事をどんどんやっていくのはいい事である。
民主党の現状が最悪なのはいうまでも無い、だからといって原発推進、徴兵制検討の自民党に白紙委任状など渡したくはない。どちらも滅亡への道を突っ走る、同じ穴のムジナだ。

仲間から拡散を依頼されているので、ここで紹介。主催者がシングルイシューにやたら拘っているフシがあるのが気になるが。
新座市脱原発パレード(デモ)
10月27日14:00~、集合場所 志木駅南口周辺の三軒屋公園。


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のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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