時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
嵐は続くよいつまでも
何とも酷い風である。
午前中、清瀬の反原発デモに行く。集合場所の清瀬市役所が駅からやたら遠い。もう少し場所を考えたらどうか。しかしそこは日共系のデモである。動員力はしっかりしており、250人の参加となった。
それにしても、「戦争を知らない子供たち」の演奏は勘弁して欲しかった。私は頭脳警察バージョンを口ずさんでいたのだが(「第一羽田、第二羽田、10.21、三里塚」とやるアレである。尚、「10.21」とは国際反戦デー闘争の意であるので、念の為申し添えておく)。
デモコースは市役所から再び清瀬駅まで向かうというもの。秋だというのにやたら暑い。これが逆のコースだったら、帰りがかなりキツかったと思う。
午後からACTA/TPP抗議行動が予定されていたが、台風のため大事をとって中止となった(中心メンバー数名で独自にアピールはしていたらしい)。渋谷のツイッターデモに向かう事も考えたが、無理をするのも考え物と判断。この間の疲れも溜っているので、今日は自宅で養生を決め込んだ。
Uストで普天間の動向を見る。オスプレイ導入阻止のアクションである。警察のやり方が相変わらずというか、かなりエグい。例によって反対派の強制排除だ。
金と力でゴリ押しすれば何でも解決する、そうしたやり口が3.11で完全に破綻したのがまだわからないのだろうか。
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台風接近中。それで無くても大荒れ中。
職場のゴタゴタが解決しないまま土日に入る。あまりにも不細工な話なので詳細はパス。
台風が接近している。本州を縦断するようだが、明日の各地のアクションはどうなるのだろう。尤も、それよりも福一の状況が気になってはいる。毎回、台風が接近するたびに心配になるが、どうなのだろう。
そういえば昨晩の「朝まで生テレビ」には反原連のメンバーが出演していた。あまりよく観ていなかったが、推進派の品の無さが目立っていたように思う。

今日は江古田の反原発写真展の打ち上げに参加。秋山理央氏の映像を眺めながら、和やかな歓談となった。

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旅立ちと胎内回帰
先程漸く帰宅。といっても、週末の抗議行動に参加したわけではない。金にならない残業を続けていたせいである。
色々と自己嫌悪も積み重なっているので、今日も簡潔に。

ジョン・チンダル「アルプス紀行」を漠然と読み進める。出だしからややゴチャゴチャしている感があり、時間がかかりそうな気配。馴染めれば勢いで読めそうな気もするが、疲れた頭には少々辛いかもしれない。
あまり一般的な名称ではないが、ジュール・ヴェルヌ・コンプレックスというものがある。「失われた楽園」を求めて旅立とうとする心理であり、胎内回帰願望の変形であるという。どこかに脱出しようとするのだから、一見逆のような気もするが、同じ根拠に基づいているというのは興味深い。
まあ、旅を夢想することや、実際に旅をする行為全てをコンプレックスに還元するつもりは無い。軽い与太話として聞き流して頂ければと思う。ただ、「ここでないどこか」を求める、映画監督の足立正生のような人には、この概念は当てはまりそうだ。何せ、「胎児が密猟する時」(監督:若松孝二)という、そのものズバリの胎内回帰映画の脚本を担当しているのだから。

※尚、コンプレックスとは心理学でいう「複合観念」のことなので、念のため。

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「死」を活用する手段
仕事で先程帰宅したばかり。よって、今日はパスしたいところだが、少しだけ。
二人の死刑が執行された。政局に利用される死刑。一方、領土問題をめぐる勇ましい言説で人気を取る為政者共。
この両者の意味を今一度考えた方がいい。人間の生殺与奪権を握る国家権力が、これを如何に自らの利益のために活用するか。私たちはそれをまざまざと見せつけられている。

死んだものは、死んだものだ
生きてるものは、生きてるものだ
殺せ、というやつを、殺せ・・・・・・
殺せ、というやつを、殺せ・・・・・・  (埴谷雄高)

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どいつもこいつも・・・
「あのなー、どれだけあんたは自信過剰なんだ。あんたのスチュワーデス姿なんて場末のラウンジのお化け祭り以下だぜ。絶対に着て来いよ!」
これが現職の大阪機長、もとい、大阪市長の発言である。
このケダモノに対して贅言を費やすつもりは無い。一刻も早く表舞台から消え去って欲しい。

「ギララの逆襲」(監督:河崎実 脚本:右田昌万、河崎実)という映画があった。内容は毒のある政治風刺を盛り込んだ怪獣映画。バカバカしくも愉快な作品であり、「日本以外全部沈没」の河崎実の面目躍如であった。当時首相だった「安倍晋三」役も登場するが、映画の序盤で腹痛を起こして退場してしまう。
さて、この男が再びみっともなくも自民党総裁とやらに返り咲いた。またぞろ強硬路線で外交を台無しにするつもりか。今日もいけ図々しく能書きをたれていたが、不快でたまらなかった。NHKを恫喝して、女性国際戦犯法廷を扱った番組の改変を迫った事も記憶に新しい。この男には情報統制のれっきとした前科があるのだ。
何やら勘違いしている人がいるようだが、今一度、よく思い出して欲しい。

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さまざまな場所で
新宿で自民党の街頭演説があったようだ。自民党の支持者に阻まれ、残念ながら、抗議の声はあまりパッとしなかった。敵が巧妙だったのと、根強い自民党信者(自称愛国烈士)が幅を利かせていたためか。連中の向かっている方向性は民主党と全く同じなのだが。
経団連で反原連の抗議行動があったという。「遅きに失した」という批判は差し控える。抗議のカラーの問題はともかく、向かう方向性としては正しい。取り敢えず、持ち前の動員力で新しい方向に火をつけたということは評価すべきだと思う。
「経団連への抗議を行えば、自動的にマルチイシューになる」といっている人がいたが、言い得て妙だ。消費税、ACTA、TPPと、ここは現代日本の諸問題が凝縮されている場所である。
さて、同じく諸悪の根源に対する抗議行動が、アメリカ大使館で行われた模様。原子力空母への抗議と、脱原発路線妨害への抗議であるが、こちらもグローバル資本主義の拠点への抗議という意味に転化しうる。
毎週の官邸前でのTPP抗議行動を含め、今日は平日にもかかわらず、様々な取り組みが行われていた。大きなうねりに繋がって欲しい。私は21時過ぎまで不毛な仕事に追われていたが。

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自らを語るという事について
「自伝」というジャンルがある。愚劣な自慢話は論外として、優れた自伝を物した人は数多い。サルトル、大杉栄、トロツキー、クロポトキン、リチャード・ライト等々、他、太宰治などの小説作品を含めれば数限りない。
率直に言うと、こうした自伝作家達の気持ちは、私にはよくわからない所がある。自らの人生を語るという事は、いわば「精神のストリップ」(澁澤龍彦)を演じるようなものだ。日々のブログなどの比ではない。己の痛ましい過去を直視し、傷口を曝け出すのは辛い事だ。
確かタルコフスキーは「幼年時代を悪く言う事は不可能です」と語っていた。そんなもんなのかねえ、と意地悪を言ってみたくもなる。勿論彼は、辛い思い出、嫌な思い出を含めながらこのように語っているのだろう。だが、彼のように達観するのはなかなか難しそうだ。あまり過去を直視すると目の前が真っ暗になる。、
サルトルは「幼年期は乗り越えがたい地平である」と述べたものなのだが。

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踏み潰される事には同意しない
一日中雨模様で、急に気温が低くなった。そのせいか、腰痛が酷い。昼過ぎまで無理をせずにのんびりする。
江古田の脱原発写真展に顔を出す。小ぢんまりとした画廊だが、雰囲気は悪くない。事故の直後から今日に至るデモ、抗議行動の写真を展示したもの。こうしてみるとなかなか感慨深い。私が参加したものも少なからずある。自画自讃に陥るの愚は避けたいと思うが、自分達の足取りを確かめるのは有意義である。
一応、展示期間は決まっているが、この後も写真を入れ替えながら、展示を続けられれば嬉しいと思う。
大分遅れてACTA抗議行動に顔を出す。悪天候に悩まされるが、事情あって参加できなくなった仲間もいるため、意地を見せておきたい。皆も同じ思いだったようで、参加者は思ったよりも多かった。負けられない。

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雑想
へネップ「通過儀礼」を少し読む。途中で飽きてきたため、ほったらかしになっていた。本を読むのにも、なかなか根性が要る。疲れた頭には内容がまるで入ってこないのだが、最後まで読まないと気が済まない、困った性分なのである。
よって、本書の直接の感想ではないが、思いついたことを少し。通過儀礼といえば、日本では結婚式や葬式は当然として、七五三や、成人式(元服)などがこれに相当する。これらの儀礼が行われる動機は、原初的な観念、無意識のどろどろした部分に根ざしていると思う。そうした中から、対象世界をロゴスの世界に秩序付ける必要性が生じた。以前、「先生を流産させる会」のレビューを記したのはこうした着想に基づいての事だった。
いかにテクノロジーが発達し、イデオロギーが声高に叫ばれようとも、個々の人間性なんて早々変化するものではないらしい。
「無意識の原初的な観念」というテーマをもう少し敷衍してみると、「文化が何故生まれるのか」にも関わってくると思う。長くなるのでここでは割愛するが、財界人の算盤勘定や、教条主義者のマルバツで、文化や人間性を語って欲しくない。

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届かない声
土砂降りの中、派手に転んでズボンの膝が裂けた。碌な事が無い。

民主党の総裁選だという。どこの国の話だろう。この国の政治状況は、私達の参加を許さないらしい。私たちはただ眼前で起こる出来事を観客として眺める事のみが許されている。そのくせ、理不尽な義務と罰則だけは蒙るのである。

イグ・ノーベル賞は「スピーチ・ジャマー(発話阻害銃)」だそうだ。詳しい構造などはよく判らないが、私などの感覚では、デモ隊の鎮圧に利用されはしないかと気になってしまう。実際にそうした利用法が可能かどうかは別として、発話を阻害する道具が持て囃されるというのは、いかにも象徴的だ。さなきだに私達の発する声も、常に阻害され続けているのだから。

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キル・ザ・プア
ブルー・ウォッシュという言葉がある。人道主義の仮面をかぶり、ゼニ儲けのための政策を進める事である。児ポ法しかり、ACTAしかり、障害者自立支援法しかり。就中、小泉構造改革はその最たるものだろう。
「人権救済機関設置法案」もまた同断である。上っ面だけの美辞麗句をエサに、反対の声が出しにくい雰囲気を作り、為政者に都合よく活用できる法律を作る。権力者の常套手段といっていい。
重要な立法が行われる時、私たちはそれがどのように悪用可能であるかを考えなくてはならない。「まあ、大丈夫だろう」では済まされないのである。最大の敵は味方の顔をしているものだ。

虫の声が聞こえる。日中は暑いとはいえ、もう秋だ。秋は夕暮れ。だが、夕方の情緒を楽しむ余裕など、すっかり無くなった。ひたすら仕事に追われる日々が続く。

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何が彼を突き動かすのか
新宿で野田首相の街頭演説。「原発やめろ、野田やめろ」の怒号の溢れる中、行われたらしい。原子力寄生委員会発足、エセ人権擁護法案の閣議決定など、いかがわしい政策をゴリ押しし続けている現状を考えれば、むしろ罵言で済む事の方が不思議なくらいだ。
それにしても、これだけ多くの人々の怨嗟の的となっていながら、よくものうのうとしていられるものだ。普通なら、とても神経が持つものではない。背後に米国の影があるとの説も、根拠なしとしない。似たような前例は世界中いくらでもある。興味のある方はウィリアム・ブルム「アメリカの国家犯罪全書」などを繙いて欲しい。

この厚かましい男は、夜の報道ステーションにも出演していた。不愉快で虫唾が走ったが、一体彼の胸のうちには何かしら葛藤するものが無いのだろうかと、訝しく思えて仕方がなかった。



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雷鳴轟く
柳条湖事件のあったこの日、やたら物騒なニュースばかりが飛び込んでくる。石原慎太郎や、野田佳彦の行った行為は、外患誘致に近いものである。老い先短い知事が自らの醜い我欲のために、国際紛争に繋がりかねない重大な挑発行為を行い、その尻馬に総理大臣が乗った、これが今日の構図である(アメリカが背後にいるという興味深い説があるが、確証がないため、ここでは触れない)。
自分が誰かを殺害し、誰かに殺害される。戦争を期待する勇ましい言説には、こうした事柄へのリアルな想像力がひとかけらも見られない。「国のために死ぬ」といえば聞こえがいい(らしい)が、これはすなわち「霞ヶ関のために死ぬ」「経団連のために死ぬ」といっているのと変わらない。「わしら何としても喧嘩したらいけんのです」という「仁義なき戦い」の台詞が心に沁みる。
こうした騒動の間にも、着々と新自由主義経済への土台作りは進んでいる。またの名を奈落への道程という。原子力(エセ)規制委員会の発足も、その一つの表れである。大手メディアが騒ぐ時、それが何かしらの煙幕として行われている場合が往々にしてあるものだ。伝えられない、隠されようとしている真実があることに警戒するべきだと思う。

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崩壊感覚
漠然としたまま一日を過ごす。仕事やら世相やらの影響で、心身ともに疲労が蓄積していたらしい。
この所、自分が21世紀の社会に生きているという事に、現実感が感じられなくなる事がある。
別に精神に変調をきたしたということではない(多分)。嘗てはあり得なかったようなとてつもない変事が、いとも簡単に巻き起こっているためである。正確に言うとこれまでの日本社会のひずみが、震災を機に一挙にはじけたというべきだろうか。ある程度は磐石と思われた、私達の社会が、最悪の形で脆くも崩れつつある。TPPや治安維持立法等、具体的な事柄はこれまで散々記してきたので、いまさら繰り返そうとは思わない。
何が劣化を招いたのか。個々の為政者の責任もさることながら、おそらくは、先に述べたひずみを数十年にもわたって放置してきた、私達自身に原因があるのだろう。自己懲罰的に過去を省察するわけではない。この現代をどう生きるかの問題である。この点の考察を、今後の宿題としてみたいと思っている。

9/18は柳条湖事件の日だ。キナ臭い匂いがするが、こちらも過去のツケである。

↓先日の経産省前対話集会から。折角なのでUPする。
20120914

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特効薬などありはしない
アキバで三度目の反ACTA行動。
一向にメディアが報道しないこの協定だが、ここまで見事に封殺されていると、正直、奇妙な世界に住まわされているような気がする。なにか観念的な主張をしているわけではない。諸外国で完全に総スカンを食い、なぜかわが国の国会であっさり可決された、現実の国際協定である。
私は人を誘い入れるよりも、自分が動きたがる方であるが、「動く人は動くが、動かない人は動かない」という状態はさすがに厳しいと感じている。
誰もがジレンマを抱えている。「論語」に「由らしむ可し、知らしむ可からず」という言葉がある。「可」は可能を表し、「従わせる事は出来るが、理解させる事は難しい」という意味である。「言葉が相手に届かない」という事は、あらゆる運動がぶつかったアポリアである。
一朝一夕に解決するような問題ではない。時間はあまりないとは承知しているが、特別な処方箋があるわけではなく、厳しいが、地道なたたかいを繰り広げていくしかない。そんな中、少しずつ耳を傾ける人が現れていることは、大切な事柄である。まずはアキバを動かす事を続けよう。

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断片的な記録
仕事の後、友人と深夜までバカ話。たまにはいいか。
太田昌国「国家と戦争異説」を少し読む。大部分がweb上で公開されたものなので購入が遅れたが、書物の形でまとまったものを読むと、また印象が違う。そもそもweb上で読んだ文章は、あまり記憶に残らないような気がするのだが、如何なものか。

石原Jrのサティアン発言。基本的に福一跡に処分場を作ること自体はおかしな発想ではないし、「地獄の釜」などという形容に比して、「サティアン」という例えが特別に奇矯なものとも思えない。問題があるとすれば、それが自民党製の「サティアン」であることに、彼が全く無自覚な点である。無論、「脱原発は集団ヒステリー」などとのたまう輩に何を期待しても無駄には違いないのだが。

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くそくらえ節からコラージュまで
ムハンマドをコケにした映像が波紋を呼んでいる。数年前にも風刺画が国際的大問題になったのは私達の記憶に新しい。「悪魔の詩」事件を思い出した方も多いと思う。この種の事件が起きると、私達宗教的門外漢は「西欧中心主義によるイスラム世界への蔑視感情の表れである。許せない」といったステレオタイプの思考法に陥りやすい。「週刊金曜日」などの左派メディアは特にそうだろう。
勿論、多くの部分においてその批判は正当なのであるが、仮に「ムハンマド」を「天皇」と置き換えてみたらどうだろう。「天皇を風刺の対象にするのは、左翼の日本人民に対する蔑視感情の表れである」とでもいうのだろうか。「ムハンマドの風刺はダメで、天皇の風刺は良い」などというのでは、まるで論理の一貫性が取れない。
第三世界を先験的に善とする、「第三世界主義」は既に思想として破産していると思う。どの世界も固有の問題性や、欠陥を抱えているし、それは拉致問題ひとつとっても理解される事だろう。むしろ、そうした欠陥と真摯に向き合うことにこそ、新しい関係性へのヒントがあるように思う。
今回の騒動には、アメリカという覇権国家に対する積もり積もった感情が背景にあるように思う。その怒りに対しては大いに共感するものの、無批判な礼賛に陥るような事はしたくない。常に複眼的な思考法を身につけていたいと思った。

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暴走する政治、暴走する報道
古い話題だが、漸く頭の整理がついたので書き記す。

「週刊文春」の反原連記事についてはいまさら説明するまでもないと思う。「便所の落書き以下」(火炎瓶テツ)と評するに相応しい、最低のレポートだった。
多くの人が語るように、反原発の活動を理由に、実家まで探られるような事があってはたまらない。甚大なプライバシー侵害を犯している事も事実であり、擁護する余地はない。ならば、一体報道はどこまでであれば取材を許されるのだろうか。
一般には、その対象が「公人」であるか、「私人」であるか、によって、線引きがなされると思う。だが、私人であるとはいえ、取材を自粛するかといえば、必ずしもそういうわけではないと思う。必要があれば、これを追いかける事も充分にある。安田浩一が在特会の「桜井誠」と名乗る人物の実家を取材した事を思い出して欲しい。
実際には、こうした取材の是非には客観的な基準など存在しないと思う。仮に法律などで基準を設けようとすれば、ジャーナリズムにとって、甚大な被害をもたらすことになりかねない。角を矯めて牛を殺すわけである。
結局、取材する記者には「自らの取材行為が人を破滅させるかもしれない」という自覚と、それに基づく慎重な配慮が必要だろう。一体、本当にそれを記事にする必要があるのか。そうした葛藤を経た上で尚、それだけの必要があると判断した時に初めて、その情報を提供する事が許される。それが報道する側の原点である。元をただせば、ヤクザな商売なのだ。
さて、「週刊文春」の報道姿勢には、このような誠実な配慮はひとかけらも見られなかった。これはあくまでも暴露主義的に人を傷つけ、貶めるために作られた代物である。反原連の人々に対し、悪しき印象を社会に与えようとする、印象操作のために発表されたプロパガンダだったのだ。
報道としての力を徹底的に悪用し、特定の勢力に奉仕するためになされたのが、「文春」の反原連記事であった。だが、頽廃しているのは「文春」ばかりではない。ACTA、秘密保全法、瓦礫拡散等、一向に報じない他のマスコミも五十歩百歩である。私達の社会は、このまま座して死を待つのか。

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従ヒマセン勝ツマデハ
北九州では瓦礫受け入れに対する抗議行動が続いているらしい。なかなか情報を拾えなく、断片的なツイートのみしか入ってこないので、流れがよく判らない。「空調と照明を切った」等の記載があることから、市の側はかなりエグい手に打って出ているようだ。日中は仕事中でIWJの中継を見られなかった。今見ても何がどうなっているのかよく判らない。勿論テレビニュースでは私の知る限り、報道など一切していない。

一方、坂本龍一の政治活動に対し、山口市が「配慮」を要望したという。何とも間抜けな事をいう連中だが、勿論、結論は決まっている。国や市から金をふんだくった上で、どんどん反原発の活動を続ければいい。それが気概というものだ。寺山修司が言っていた。「国家の金を使って国家を壊してゆくくらいのバイタリティーがないと思想の具現ははかどらない」(「死者の書」)
活動は厚かましく続けよう。

付記:北九州の件、警察が高圧的な態度で強制排除の警告を行っているところで中継が切れた。

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鉄条網を切れ~9.11に現代の日本の姿を透視する
今年もこの日がやって来た。しかも、昨今の様々な情勢から、今年は特にこの日に思いを致すべき理由がある。
1973年9月11日のチリ、アウグスト・ピノチェトはアメリカの支援の下に軍事クーデタを決行。大統領サルバトーレ・アジェンデを殺害し、自ら政権の座に着いた。アジェンデ政権はは民主的な選挙で選ばれた社会主義政権であり、世界中から関心と注目を集めていたさなかだった。この間の希望と落胆は、映画「ぜんぶ、フィデルのせい」をご覧になった方にはお分かりと思う。
ピノチェト率いる軍事政権は、反対派を容赦なく殺害、投獄し、経済的には徹底した新自由主義的政策を断行、圧倒的な貧困層の増大をもたらした。新自由主義とは、今日知られているように、大国と多国籍企業への一方的な従属関係を強いるものだからである。
さて、翻って、今日の日本を見てみよう。現在首相の座についている野田佳彦という男は、まさにピノチェトの相似形である。徹底した対米従属路線。ACTA、TPPといった新自由主義政策(原発推進もこの流れにある)、ネット規制などの監視社会化と、この政権は民衆弾圧の武器をほしいままに作り出している。ブラック企業が大手を振って罷り通るさまにも、両者の性格の共通性は垣間見られる。競争原理という名の出来レースにより、多数の貧困層が産出され、やがて絶望と死に直面させられるのは時間の問題だろう。
今日も出勤途中に人身事故があった。こちらの詳細はよく判らないが、何かしら暗示的なものを感ぜずにはいられない。止めるなら今のうちである。

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華やかな食物誌
通勤時に人身事故。痛ましい出来事には違いない。苛政は虎よりも猛し。目的地に着くまで一時間程度かかったが、その間眠る事が出来た。どうも昨日の疲れが取れていないようだ。
安田 節子「自殺する種子」を半分ほど眺める。グローバリゼーションと「食」の問題を扱った論稿だが、とにかく食欲がなくなる本だ。ターミネーター・システムについてはATTAC(反グローバリゼーション民衆運動)に関する書物を通じ、知識はあったのだが、改めて詳細を聞くと不気味極まりない。
以前、チキンナゲットの製造法を知った時、しばらくこれを口に出来なくなったものだ。拒み続ければトラブルになるので、やむなく食してはいるのだが。
セシウム汚染についてもまた同じ。高齢者など、「ベクレル」というと何か高級感が増したように思ってしまうらしいので、困ったものである。例えばウチの親・・・

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いくつかの反省点
日比谷で反ACTA/反TPPデモ。100人程度は集まったか。それでも、まだまだ動員数は多いとはいえない。
続けて、秋葉原で反ACTA街宣行動。今日のコンセプトは、反原発のスタイルではなくアキバの人たちに寄り添うようなアピールを行う、という事だった。結果として、なかなかの盛況に終わったが、課題も残ったと思う。一口に言うと、あちらを立てればこちらが立たず、ということで、私自身、結論を出せていない。

太田昌国は、「TPP反対の論理にナショナリズムが入り込む余地をなくすべきだと考えている」と述べている。ACTAについても同じことが言えると思う。事実、ネットの自由や創作活動の危機を正当に訴えるとき、つい「日本を守れ」といった意識に傾きやすい。
ACTAが発動する時、被害をこうむるのは日本ばかりではない。他の参加国も同様に甚大な被害を受ける事は間違いない。そして、その場合、非難の矛先は提唱国であり、最初の批准国でもある日本にも必ず向けられる事だろう。
愚かな権力者を野放しにしたばかりに、私達が他の国々に迷惑をかけてしまう、加害者となってしまうという事に対する危機感がもっとあっていいように思われた。それが自己批判を含めた今日の感想である。

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悪徳の栄え
仕事から漸く帰宅。明日の準備に入る。
明日は各地でオスプレイ、ACTA/TPP、原発と様々な抗議行動が予定されているようだ。体力のある人は幾つも梯子する予定だというが、流石にそれはちょっときつい。

これらの諸問題を総じて眺めてみると、やはり「資本主義の悪」というテーマに行き着いてしまう。本当を言うと、このように大上段に構えた言い方はあまり好きではない。だが、企業体が利潤追求のために、むき出しの姿で暴走する時、途方も無い破壊と荒廃がもたらされる。これはまぎれも無い事実である。「血と汚物にまみれて生まれた」という修辞を思い起こしてもいい。決して野放しには出来ないのである。
過去にも述べたが、経済的自由と政治的自由は別の問題、もしくは対立する概念である。私達の求めるのは人間的自由であることを忘れるべきではないだろう。

(参考)
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2012/08/post-7aa1.html

尚、創作物規制を含めた児ポ法(本当に気持ち悪い名前だ)改悪案は今も衆議院で「審議中」のままとなっている。表現規制に携わっている人は、今後も警戒する必要がある。政局次第でどうなるか判らない。

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明日なき暴走
金曜の霞ヶ関アクションには長らくご無沙汰しているので、ここ最近の動向はよく判らない。私はというと、今日も金にならない仕事を続け、抗議行動が終わる頃に退社。一体自分は何をやっているのか、つくづく疑問に思う。マルクスなら「疎外された労働」とでもいう所だ。

この所、野田とかいうバカの悪口ばかり書いていたら、いい加減飽きてきた。だが、このたびの原子力規制委員会の一件といい、相手が次から次へと暴走を続けていく以上、付き合わざるを得ない。この連中は「選挙とは白紙委任状を渡す事」とでも思っているらしい。「やりたい放題」がここまで露骨に示された事は、歴史上嘗て無かったように思う。
一方、維新とかいう集団は、政権をとった暁には竹中平蔵を閣僚に招聘するという。この男が小泉純一郎と組んで、何をやらかしたか。私たちは絶対に忘れるわけにはいかない。大向こうウケを狙った新自由主義が、これ以上幅を利かせるようになったら今度こそお終いだ。

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民主党よ、永眠なれ
衆議院でACTA可決。所要時間は4分程度だったという。野田政権は国際条約を単独採決で決定するという、破廉恥極まりない大罪を犯した。このことは誤魔化しようのない事実である(因みに、この協定の提唱者は小泉純一郎である)。
「ACTA賛成、TPP反対」などというロジックはありえない。ACTAに賛成の議員は、隠れTPP賛成派とみなしていいし、よしんばそれが底知れぬ無知に起因するとしても、それだけ罪深い選択を行ったことは事実である。

インターネットを活用した社会運動は、サパティスタの蜂起からアラブの春、オキュパイ運動に至るまで、今日無視できない勢力を形成している。私達の反原発運動もそのひとつである。そうした中で、今回のACTAという協定が、これらのネットコミュニケーションを権力の監視・統制下に置くための、有効な道具となっている事はまぎれも無い事実である。
謀略論として述べるのではない。そのようにいくらでも恣意的に利用できる事が問題なのだ。海外で猛烈な反対運動が沸き起こったのはそのためである。危険に晒されているのは著作権をめぐる問題ばかりではない。様々な局面から人々の活動が阻害されるのである。
「ネット規制は誤解」などというのは、「直ちに危険性は無い」だの、「ゾーニングであり、表現規制ではない」などというレベルの稚拙な言い訳でしかない。何度も書くが、「言うだけならタダ」なのだ。
私達の闘いは、新たな段階に入ったと思う。厳しいが、諦めるわけにはいかない。

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決めてはならない事がある
首相官邸裏のACTA抗議行動に参加。明日本会議で強行採決が予想されるが、日中は仕事を抜けられないので、仕事が終わってすぐに駆けつけた。こんな事しか出来ない自分がもどかしい。
公平に見て、野田という男は戦後最悪の宰相として、後世に名を残すに違いないと思う。小泉時代にさえ出来なかった悪行を、次々と遂行し続けているのがこの政権である。民主主義の礎を徹底的に破壊してしまえば、残すは憲法改悪のみである。野蛮な復古主義運動と、新自由主義の奇怪な混合物が行く手には控えている。結果として、この社会が第三世界化することは必定だろう。誇張ではない。利潤追求のために、それが効率の良いと判断すれば、資本はあらゆる手段を惜しまない。最後に高らかに笑うのはグローバル資本の担い手達である。
何が「決められる政治」だ。やってはならない事を着々と断行していくのならば、ケダモノ以下の専制君主と変わらない。この国はどうやら、選挙付きの奴隷国家であるようだ。

acta

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著作権は誰のためのものか
ACTAが漸くネット言論の中ではかなり広まってきたように思う。だが、「オタクが騒いでいるだけ」という偏見が一部で発生している事も事実だ。勿論、オタクは直接の利害関係を持っており、反対する正当な理由を有している。だが、ACTA/TPPがグローバル資本主義の枠内で形成された、支配の道具であるという面を見落とすべきでない。
資本が「好きなものを自由に創作する自由」を簒奪するのみならず、「必要な情報を自由に提供する手段」を奪い取る、私達の諸活動を「著作権」を口実に網羅的に包摂・拘束する、それがACTA/TPPの目論むところだと思う。よって現在の動きは、反グローバリズムと、身近な歓び、楽しみを守りたいという素朴な願いの交錯点にある。無論、根本において両者は深く繋がっている。ぶっちゃけて言ってしまえば、人間的自由を求めるたたかいだ。
A.ネグリ/M.ハートがその著作「帝国」の原文をフリーで公開している事を想起しよう。私は彼らについてあまり詳らかにはしないのだが、著作権という概念に対する抵抗の意志の表明である事は間違いない。また、カストロが特許権について激しく批判していた事を思い出してもいい。
今一度、著作権という概念について丁寧に検討してみる必要があると思う。現行のままでは巨大資本に全てを持っていかれてしまう。

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カルト教団を笑えない
文鮮明が漸く死んだらしい。桜田淳子騒動の最中、勧誘してきたバカがいたが、今思い出してもぞっとする。私の知人はT大時代に原理のメンバーをボコボコにしたとの事。それ以来、何故か仲間内から散々からかわれる羽目になったというが、まあ誰もが、碌な思い出は持っていないようだ。

さて、日本の政治と報道機関を見ると、どうもいけない。カルト教団を笑えない。何度もいうが、原発、ACTA、TPP、秘密保全法と、あらゆる方面において、危険な方向が目指されている。明日の本会議は延期されるという情報があるが、今の政権はいくらでも騙し討ちをやりかねない。憲法理念や、政治倫理が絵に描いた餅となっている。
こうなると、一種の自爆攻撃といっていい。この国に一応は存在した「民主主義」を根こそぎ浚った上、野蛮な超権力が統べる社会の土壌を築いていくわけである。次期総理として嘱望されている人物は誰かと考えると、そら恐ろしくなる。

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AKIBAとACTA
秋葉原で反ACTA緊急行動。本会議での採決を火曜日に控え、緊急の呼びかけにもかかわらず、多くの仲間が集まった。みな危機感を抱いている。
秋葉原に来るのは久方ぶりで、駅の様子ががらりと変わってしまった。微妙な気分だ。
抗議行動は駅前の一角で、情宣とシュプレヒコールを組み合わせる形で行われた。ACTAはテレビニュースでも全く触れる事がないので、「暴露」という左翼用語が文字通りの意味で相応しい。それにしても報道は、この期に及んで「大人の事情」でやり過ごすつもりなのか。世界中で反対されているんだぞ。
秋葉原という場所柄、こういったアクションが珍しいせいもあって、注目度はかなり高かったと思う。なかなかカオスな雰囲気があった。
「あれはオタクじゃない人達だ」「オタクを理解していない」などと早くも中傷する声がちらほら見受けられる。だが、違いがある人同士、異質の人同士が一緒に集まって合流していくからこそ意味があると思う。この点は誤解しないで欲しい。

acta

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政治災害というものもある
土日で気が抜けてしまう。仕事に殆ど手のつかない一日。空模様までが不安定だ。

この所、為政者達の下らない政策に振り回される日々が続いている。原発をはじめ、ACTAだのその他諸々のトンデモ立法だのである。
本当ならこんな益体も無い事柄に関りたくは無い。だが、降りかかる火の粉は振り払わなければならない。歩く災害の様な権力者達のおかげで、今しばらくは心を汚染される事になりそうである。
映画監督の想田和弘が、橋下について興味深い分析を行っている。こちらについても、近々まとめて感想を記してみたいと思う。

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のわーる

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首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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