時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
大きな音だよ、まだまだ大きくなるよ
山本太郎の姉の件。公権力は抗議行動に寛容なふりを装う一方で、徐々に切り崩しの工作を進めてきていると考えられる。貶下的な意味ではなく、薬物中毒は病気として捉えるべきなので、周囲の理解と適切な治療が必要となる。これに対し、「悪い奴だ」「やっつけるべきだ」という、感情に訴える手法で扇動を行っているのが体制側のスポークスマンと化したマスメディアである。この「感情統治」の手法が大阪において、今も尚暴威を振るっているのは周知の事柄である。
さて、この国の総理大臣は昨日の抗議行動に際し、「大きな音だね」とのたまったらしい。「蛙の面に小便」という言葉があるが、この男にとっては「再稼動反対」も「野田やめろ」コールも、「バケラッタ」と言っているのと何ら変わりないのだろう。勿論、この種の「鈍感力」はあらゆる為政者、権力者が兼ね備えているには違いない。東電がクレーム「処理」を外注しているのを見ても判るように、こうした非難の声は処理すべきノイズとしか映らないのである。
だが、私達はお願いする立場ではないし、「わかっていただこう」などとはさらさら思わない。理解を示さないのであれば、死亡宣告を下すまでである。もうあなた達の椅子はないよ、とっとと出て行きなさい、というだけだ。
私達の底力が試されている時だろう。
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幻視の中の<六月>
予想通り仕事でへろへろになって帰宅。首相官邸前は凄かったようだ。60年安保闘争以来の規模とも聞く。だが、ここで「大勝利」と浮かれてしまうのはちょっと怖い。まさか壮大な「挫折」の再来に終わるなんて信じたくもないのだが、先はまだ長い。このポテンシャルをどれだけ持続させるかが問われる筈だろう。たたかいはまだ端緒についたばかりだ。権力側は、運動が<収束>するのを待っているのかもしれないが、そうは問屋が卸さない。相手側の度肝を抜くような潮流を生み出せればと思う。
疲労で頭が回らないので、一連の「六月行動」に関する省察は別の機会に委ねたい。

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荒廃の季節
バカのおかげで仕事が進まず。刺してやろうかと思う。かなり精神的に荒んだ一日だった。

電力会社の株主総会、猪瀬にしろ、橋下にしろ、ウケ狙いのパフォーマンスにしか見えない。心が別の方向を向いているのがはっきりと見て取れる。彼らのロジックを真に受けたとしても、電力会社を綱紀粛清し、「安心の原発社会」を作ろう、ということにしかならない。目指す方向が根本的に私達とは違うのだ。

益体もない話ばかりでは芸がない。今読んでいる本の話をしよう。船戸与一「雷の波濤」についてはこの前触れた。時間が取れないので、なかなか読み進まないのだが、期待にはこたえてくれる本。毛沢東が江青を愛人にしたのはこの頃だったか。
先日、図書館から現代詩集のアンソロジーを借りてきた。折を見てはパラパラと眺めている。中桐雅夫や黒田三郎から田村隆一、関根弘といった、戦後詩人の作品集だが、なかなかいい。

↓色塗ってみたw 昨日の絵と組み合わせて使ってます。
nodame01

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ひとつの日常
1時間ほど前に仕事から帰宅。この所、あまり心の休まる暇がない。
東電国有化・・・何だよそれ。何かやったつもりか。私達は東電に落とし前をつけたいのであって、体裁作りを望んでいるわけではない。今日も抗議行動があったようだが、この流れがやむことはないだろう。

団藤重光の訃報。著作は読んだことがあるが、なぜかあまり印象に残っていない。いくつか疑問に感じたことがあったように思うが、どんなことだったか忘れた。法律関係では、むしろ奥平康弘の憲法学の著作の方を熱心に読んでいた記憶がある。

saikado

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原発退治を大拡散
取り敢えず、日曜日の報告から。
朝霞台で脱原発デモ。同日に船橋で野田退治の大きな行動が予定されていたが、遠隔地である関係上、こちらに駆けつけた。
動員が大分向こうに流れてしまうのではないかと懸念されたが、予想以上に人が多く、安心する。
朝霞台駅から住宅街を練り歩き、志木駅に向かうコース。駅前を除き、あまり人通りのない場所ばかりだったが、こういうデモもありなのかなという気もした。少なくとも、家の中にいる人には声は届いているはずだ。声を上げることが身近な行為であるということを身をもって示すこと。また、そういう環境を地域レベルで整えていくことは大切だと、認識を新たにした。
今回のデモは最終的に250人が集まり、元気に終了した。愚昧極まりない再稼動方針が決定したが、何度もいうように、結果の如何に関わらず、ここで運動を継続できるかどうかが勝負どころだ。消耗することも多いが、厚かましく続けていくことが大事だろう。頼むから、不毛な内輪揉めだけはやめてくれ。

ウルトラマンも見守っています
asaka01

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黒いうた
昨日から体調がおかしく、今に至るも軽い頭痛が続いている。かといって、仕事に穴を開けるわけにも行かず、結局は残業。この会社は仕事が一段落するということがないので、今日は無理、と諦めたところで引き上げる。
いつもながら、何をやっているんだろうなぁとつくづく思う。そうこうしているうちに、胸の奥にずっしりと重たいものが溜まってきたので、取り敢えずもう寝よう。
政治のこと、運動のことなどを考えると精神衛生上よくないので、昨日の報告は見送ることとしたい。

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地方から討つ
朝霞台で脱原発デモ。250人の参加で、まずまずの規模となった。
打ち上げで、したたか飲んで帰宅するが、排尿失神やら何やらで、起きられなくなる。どうなっているんだ、この体。よって、詳しい報告は体調が整ってからとしたい。
にくきもの
土曜だが、仕事の打ち合わせ。今日も新宿で脱原発デモがあったようだ。ちなみに明日は以下のアクションが予定されている。
・『そうだ、船橋行こう。電車でGO!野田退治デモ!!!再稼働はダメなノダ!』6月24日(日)14:00集合。
・『原発さよならデモ@朝霞台』6月24日(日)開催。15:00朝霞台駅前集合、15:30出発。
前者の野田退治に対して、後者は「枝野退治」とも評されている。個人的には複雑な気分。

昨日、船戸与一の「満州国演義7 雷の波濤」を購入した。病気の件があるため、続編の刊行は諦めていただけに、感慨もひとしお。前巻の「大地の牙」ではノモンハン事件前後を背景にしていたが、今回はとうとう日米開戦・・・の筈である。まだ冒頭の部分しか読んでいないのだが、以前から作中で予告されていた731部隊も序々にストーリーに絡みつつあり、どこまで描ききるか、楽しみである。

久々に描いた風刺・・・というより、ただのバカ絵。似ないな・・・

damedame


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・・・・・・
22時過ぎて仕事から帰宅。前任者が社会・労働保険関係の書類をどこかに隠したらしく、どうしても見つからない。捨てちまったんじゃないのか。可能性は大いにある。引き継ぎも碌になく、全部丸投げ。もうじき空中分解するぞ、この会社。もう知らん。
今日も首相官邸前で抗議行動があったらしいが、ツイッター以外の情報が入らないのでよく分からない。報ステはテレビをオキュパイされているため観るに至らず。変なドラマが延々と映っている。不愉快なので、寝る。

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「汝この門をくぐる者、一切の希望を捨てよ」
ニュース・新聞で報道されたように、原子力基本法が改悪された。①軍事への転用 ②核燃料サイクルの延命、が目的と指摘されている。どちらに転んでもおぞましい。絶望的な計画であることには変わりがないからだ。
もはや悪行に取り憑かれたとしか言いようがない、民主・自民・公明翼賛体制。以前私は、「彼らは原発事故を無かった事にしようとしている」と記した。だが、実際はそうではなかったようだ。この連中は、事故をきっかけに、より一層の原子力帝国化を推し進めようとしているのである。あたかも、「怯んではならない!恐れてはならない!敵に背を向けるとは何事か!」と、特攻主義的に言い募るように。
事態は既に原発問題と言う枠組みを大きく逸脱している。これは核開発の問題である。行政のあらゆる局面において、倒錯した事態が湧き起こっている。

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神々は渇く
何でもかんでも違法、犯罪、と規定するような暴走立法が繰り広げられている。いったいどこの国の話なのだろうかと思うほど、現実感がない。統治権力による、想像を絶する破壊活動が現実に行われているのだ。
一方、大阪を暴走し続けるあの市長が、「御堂筋をシャンゼリゼに」などとわけのわからないことを言っている。上っ面だけを猿真似すればいいと思い込んでいる、野蛮な経営者に相応しい発想だ。
試みに手元のフランス語辞典の付録に載っている、パリ市の地図を眺めてみた。凱旋門のあるエトワール広場から、シャンゼリゼをテュイルリー公園に向かっていくと、コンコルド広場に行き当たる。嘗ては革命広場と呼ばれ、ルイ16世からマリー・アントワネット、果てはロベスピエール自身もギヨティーヌの刃にかけられた場所である。何となく橋下政治の行く末を暗示しているように見えるのは気のせいだろうか。

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腹を立てずにおれません
その一 猥褻イラスト逮捕の件。いい加減にしろとはこのことだ。権力者達はよほど歪んだ性意識に取り憑かれているらしい。サド裁判の当時から再三指摘されているように、「猥褻」なんてものは存在しない。澁澤龍彦は述べたものである。「猥褻意識がふかく滲み込んだ人間の心には、セックスの問題をあつかったすべてのものを、猥褻だと判断する準備があらかじめ来ております」
そして、社会の善良な風俗の庇護者であるという思いあがった意識が、猥褻妄想を世の中にはびこらせている、と説く。いかにも猥褻と言う概念は権力と親和性が高い。権力は人間の規格化を求めるものだからである。「ロボット化」と言い換えてもいい。だが、人間精神、人間性というものは、不可避的に規格をはみ出していくものである。
そのうち美術館の裸婦像にも洋服を着せるようになるのだろうか。

その二 中之島図書館廃止。「自由とは隷属であり、無知は力である」というオーウェル的世界を地で行っているような、橋下帝国。想田和弘の指摘する「感情統治」の行き着く先がこれである。論理的な思考、内省する「知」というものを、徹底的に侮蔑してきたのがこの芸人市長だった。先の猥褻問題とも通じるが、思考の制限、人間の規格化は公権力の常に目指してきたところのものだろう。現在、こうした野蛮な諸政策が、かの地では革新的な装いのもとに堂々と行われてしまっている。もはや一刻の猶予もならない。ただちにこの動物を政治の舞台から葬り去るべきである。

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「私の言うことは変である」
知人に頼まれて、映評をしたためる。疲れているためあまり気分が乗らず、少々難渋。取り敢えず大雑把に形をまとめたので、少し寝かせてみよう。
この所、映画を観る機会もめっきり減った。怠惰のなせる業と言ってしまえばそれまでだが、DVDを観るにしても、なかなか自分を動員できないでいる。
特にここ最近、心の落ち着く余裕がない。それだけならまだしも、やたら心がささくれ立ってくるのを自覚する。実にイヤだ。「この山を越えさえすれば何とかなる筈だ」と思うが、そうしているうちに徒に年月ばかりが経ってしまう。百年、河清を待つ。漱石の言い草ではないが、世の中に片が付くことなどそうあるものではない。茫漠とした不安感は自らの裡に燻り続けるが、この中を生き抜いていくしかないのだろう。

湿っぽい話になってしまった。仕事の方の作業が残っているので、差し当たりそちらを進めることにする。

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事実は小説よりも・・・
今日は仕事絡みで打ち合わせ。各地で原発・消費税と色々な取り組みがあったようだが、取り敢えずパス。それでも大飯町の動向は気になる。何でも参加者は4000人と、かなり大規模なアクションが行われたようだ。
本屋で安田浩一「ネットと愛国」を購入。途中まで読み進んだが、期待以上に良質の本である。読了したら感想を記すつもり。

以前、記事にした内容と重複することだが、少し詳しく述べる。私が失業していた半年くらい前のこと、登録していた派遣会社からこんな連絡があった。「お仕事のご紹介ですが、よろしいですか?(お願いします)会社名が、株式会社TEPCO。業務内容は、コールセンターで原発事故のクレーム対応のお仕事。時給1450円。(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)」
一瞬、耳を疑った。丁度その時、脱原発デモから帰宅したばかりである。何の巡り合わせか、よりによってそこか。一瞬、スパイとして潜り込もうかとも考えた。だが、そんなに甘いものではないだろう。第一、たとえ一時的にせよ、電話を掛けてきた被災者を傷つけることになる。その結果、これまでの自分自身に対して、また、一緒に行動してきた仲間達に対して、裏切りを働くことになる。自分の行ってきたことが全て嘘になる。実際、クレームを受ける立場になれば、カッとなって相手に罵声を浴びせてしまうことも充分考えられるだろう。
結局、断固として拒絶した。流石に後悔はしなかった。ひとつ判ったこととしては、東電に電話攻勢を仕掛けても、非難の矢面に立たされるのは臨時雇いの派遣社員でしかないということだ。立場の弱い失業者に自らの尻拭いをさせる辺り、相手方も相当知恵を回している。筋金入りのブラック企業と呼ぶに相応しい。兵隊をコキ使う、戦争の親玉と同等である。

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レミング・ラプソディ
池袋デモに参加。中池袋公園を出て、ジュンク堂方面に向かい、明治通りをテクテク南下するコース。動員数は30人ちょっとか。ローカルな雰囲気のデモだったが、何とか貫徹。但し、コールはもう少し考えた方がいい。また、途中からどんどん人通りが少なくなっていったのは少し残念。サンシャイン界隈など、賑やかなポイントを押さえるようなコースを選択した方がよかったと思う。折角の池袋デモだ。土地柄を活かすことがこれからの課題だろう。
撮影に参加した秋山理央氏はこの後、京都、福井に向かうという。かなりの強行スケジュールだ。今日発表される再稼動について意見を交わした。原発が止まった時も私達のやることは変わらないし、再稼動が行われたとしても、やはり私達のやることは変わらない。これからも運動を盛り上げていくだけだ。
さて、その再稼動決定という茶番劇を演出する野田政権。日本中、否、世界中からバカにされているのがわからないのだろうか。「安全最優先」といいながら、「利権最優先」と言っているようにしか聞こえない。オーウェルのいう、「ニュースピーク」の世界が現実のものとなっている。

616bukuro

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蒲田行進曲
今日も官邸前で大規模な抗議行動。私は行けなかったので、集まった人々に思いを託す。不毛な残業をしているうちに、気が付いたら20時をとっくの昔に回っていたのだから、どうしようもない(しかも仕事はまだ沢山残っている)。体力的にも限界であった。明日も池袋で行動があるらしいのだが。
で、帰宅してみると、テレビ新聞はどれをとっても高橋容疑者逮捕。知性の完全な欠落を浮き彫りにした。消費税、再稼動、ダウンロード法等、全て吹っ飛んでいる。タイミングを見計らったかのような逮捕劇だが、謀略かどうかはともかく、少なくともテレビ・新聞が確信的にこれら重要な課題を覆い隠していることは間違いが無い。
また、社会全体が「人間狩り」に狂奔するような状況は、どう考えても異常である。「悪い奴だ!悪い奴だ!やっつけろ!悪い奴だ!許すな!悪い奴だ!」そんな声が身近でも聞こえてくる。本当にグロテスクなのは、この一報に際してむき出しの憎悪を容疑者にぶつけている自分たち自身である。

そんな中、スウェーデンの「非実在青少年」裁判での無罪判決は朗報だった。ただ、規制側の論調の中ではこの判決自体が「無かったこと」にされそうな気もするのだが。

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悪い奴ほどよく眠る
仕事からの帰宅途中で人身事故。飛込みだろうか。この所多くないか。
「迷惑だ」「死ぬなら一人で死ね」といった立場を私はとらない。理由は先日散々述べたとおり。「夢は六本木ヒルズで自爆テロ」などと、出来もしないことを呟いていた時期もあった。
さて、気が付いたら、民・自の大連立的な翼賛状態が既成事実として出来上がっている国会。愚かなマスコミがオウム絡みで探偵ゴッコに打ち興じている間に、原発再稼動も消費税増税も着々と押し切られようとしている。おそらくは確信犯なのだろう。マスメディアもまた、体制翼賛の一角を担っているのだ。
違法ダウンロード刑事罰化など、危険な課題が俎上に載せられているというのに、殆ど報じられる動きは無い。こちらの採決は明日である。
碌でもない奴らに限って、民草の屍をコヤシに、のうのうと生き延びていくものらしい。

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「いざ起て、マルス、勇ましく」
この所、届出などややこしい作業に追われている。なかなか心の休まる暇が無い。
他に、ちょっと色々抱えている事柄があるので、今日は簡潔に。
先日の板橋、練馬方面の自衛隊行軍。行動自体の問題もさることながら、これにともない「今日も学校へ行けるのは 兵隊さんのおかげです」的な言説の飛び交うのが気持ち悪い。「軍」の存在に市民権を与えるという、公権力の思惑が着実に成就しつつあるように見える。ヤクザ漫画の販売規制?悪影響だのゴチャゴチャぬかす連中は、それよりもこっちの方を何とかしろ。マルス(軍神)の歌が着実に聞こえている。

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三島映画おぼえがき
「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」(監督:若松孝二 脚本:掛川正幸・若松孝二)の感想を記す。なかなか面白くできた作品で、出来映えは悪くない。中央線が新型車両であることなど、いくつかの点が気になったとしても、である。

ただ、これが「実録・三島」かといわれると、どうしても戸惑いがある。作品を通して、もの書きとしての三島に少しでも触れてきたことのある人なら、だれでも違和感を抱くだろう。だが、三島という固有名詞を外した、ひとつの精神史としてはおそらく正確なのだと思える。尚、実質的な主人公は満島慎之介演ずる森田必勝である。
私は右翼にはどうしても馴染めないらしく、何とか登場人物に感情移入しようとしても、どうしても入り込めないものがあった。どこか、遠くの世界の人たちの話に見えてしまうのである。この点は最後まで払拭できなかったことはお断りしておく。
ところで、脱退者をデマゴギーで陥れようとする精神性は、右翼にも存在するらしい。この種の悪しきメンタリティは左翼とも共通する。だが、これは「両極端は一致する」などという俗説とは関係がない。「組織」というものに普遍的に見られる病理なのだ。

この映画で最も心に響く場面は森田が三島に手紙を渡す場面だろう。「三島先生のために、自分はいつでも命を捨てます」、この場面は圧巻である。ここから、この映画を衆道映画として捉えてもいいと思う。勿論性的な要素は一切ないのだが、精神的な衆道関係はしっかり描かれている。この辺りはBLに親しんだ腐女子の意見も聞いてみたい。

また、全共闘との討論シーンは異様に生々しい。何故?と思うほど雰囲気がよく出ている。ただ、やたらわかりにくい言い回しではあるものの、「三島にとって天皇が幻想上の存在であり、行動によってそれを埋め合わせようとしても、やがて破綻する」という指摘は正当であると思えた。
三島の小説に触れてきた人なら周知のことであるが、彼の作品は徹底的に観念劇である。観念性を政治運動のリアリズムに導入しようとする時、それは決定的に現実と齟齬をきたす。結果、必然的に敗北することとなる。これは自明の理である。
象徴としての日本刀への異様な執着もそのひとつといえる。いうまでも無く、軍事のリアリティとは、完全に無縁である。あまり心理分析を弄しても仕方が無いのだが、これは一種のファリック・ナルシシズムと捉えてもよい。

尚、本作で描かれる「死の美学」のようなものには一切共感しない。「死」が絶対的な事象である以上、そこに価値的な優劣など存在しようがない。三島の唱える美意識は、所詮観念上の操作でしかない。切腹しようと畳の上で死のうとそれは等価である。個人的な印象を問われれば、むしろつまらない死に方だったと答える他ない。

ジャン・コクトーは自作の「山師トマ」について、「お馬さんごっこを続けているうちに馬になってしまった者の悲劇である」と述べていた。三島の場合もそれに近いような気がする。だが、三島がコクトーを愛読したことはよく知られており、この辺りも充分に自覚的であったと思われる。澁澤龍彦に「近頃、兵隊ごっこはいかがですか」と問われて、「ラクロのように軍務に励んでおります」と冗談で返す余裕を彼は有していた(「危険な関係」の作者コデルロス・ド・ラクロは本職が軍人であった)。本作において、「仕方が無かったんだ」と呟く場面にどこか醒めた三島の意識が描かれていた。愚行であることは本人が百も承知だったのである。「いくら死を賭しても愚劣な思想は愚劣なだけだ」という井上光晴の指摘を思い出してもよい。

冒頭でも述べたように、最後まで感情移入できない部分が残った作品だった。ドラマとしては面白く作っているだけに、奇妙な感覚である。いずれ再見して色々考えてみたいと思えた。

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集団自殺の傍観者達
就職難で自殺する学生が急増しているという。他人事とは思えない。私も昨年、6年間勤めた会社を解雇された。事業所閉鎖により、非正規雇用の社員が全て契約を打ち切られたためである。行く先々で会社が潰れるのは、現代の世相なのだろうか。
就職活動を開始するが、正規、非正規共に全く糸口が見えず。写真代と、履歴書郵送代、そして自らの精神力ををいたずらに浪費する日々が続いた。職安で申し込んだだけで50社以上、非正規を含めると倍の数は受けていた筈である。その中で面接までたどり着くのはほんの数社だった。
それでも反原発デモには顔を出していた。じっと家に籠もっていてはどんどん自分が追い込まれる。平日に職安通い、休日にデモに参加するという状態が続いた。よって、例の香山リカの指摘はある程度正しかったともいえる。ただ、結論において彼女は分析を誤ったのだ。
そんな生活も半年を過ぎ、このままでは生活保護も覚悟かなあ、などと考えていた矢先、現在の会社に収まった。条件は厳しく、むしろどちらかというとブラックとも言えるのだが、背に腹は変えられない。行けるところまで行くしかない。
冒頭に話を戻そう。こんな私であるから、自殺していく学生達にかける言葉を持たない。私も苦しい、としか言いようがない。ただ、これら自殺した者、もしくは自殺しようとする者達をコケにする奴らは許せない。この種のけだもの共に対しては教育する必要がある。

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原発安全神話こそ「精神論」である
西東京の再稼動反対の緊急行動(署名・ビラ配り)に参加。私も駅前でビラを配る。
案の定というか、予想通りマイクを握っての発言を求められる。こういうのは苦手なので些か躊躇したが、結局は引き受けた。街頭で情宣をするのは久し振り。先日このブログに記した内容と同じ「事故は無かった事にはできない」ということを話したが、詳しいことは忘れた。
デモでお馴染みのDJ・火炎瓶テツ氏の参加もあり、なかなか賑やかで活気付いたものとなった。雰囲気はツイッターデモなどと同じで、違いは移動がないということだけである。集まった面子にもよると思うが、とにかく元気に騒ぎ続けること。私の感触では、あまりビラに対する食いつきがよくないような気がしたが、駅前でこういう行動が当たり前に行われることは重要である。正直、昔ながらの堅苦しい情宣活動しか経験がないので、こういう賑やかなやり方もあったのかと改めて感心した。とはいえ、いつもいつもこういう雰囲気作りが出来るわけではないし、まだ改善の余地はあると思う。個人的にもなかなか参加が厳しい面もあるが、学ぶところは多かった。

本日、「世界」7月号を購入。大阪の「あの男」に関する特集が組まれている。興味深い論稿が多いので、一読をお奨めしたい。

kan

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「ラクロのように軍務に励んでおります」
所用で新宿まで出向く。時間が余ったので、テアトルで「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」(監督:若松孝二 脚本:掛川正幸・若松孝二)を観る。詳しい感想は後日に譲るが、若松が切り取った三島像だ。出来自体は悪いものではない。
上映中に紙袋を延々とモシャモシャ鳴らしているバカがいた。いつまでたってもやめないので、黙らせる。そのせいばかりではないだろうが、劇中の右翼青年達の心情にはどうしても入り込めないものがあった。何か別世界の出来事のように見えてしまう。この辺りは後日にまとめて考えてみたい。
俳優陣は連赤映画メンバーと寺島しのぶのほか、吉澤健、篠原勝之(クマさん)、韓英恵の名前がクレジットされている。どこに出ていたかわからない人も多かった。また、満島真之介の鬼気迫る形相による怪演も必見だろう。

mishima

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記者会見は官製のアリバイ作りである
今日も首相官邸前にて抗議行動が行われた模様。何でも官邸前の歩道は「工事中」とかで封鎖になっていたという。ふざけた真似をしてくれるものだねえ。この代償は高くつくぞ。尤も見方を変えれば、反対派の声が無視できない存在になっているということでもある。
鴻毛よりも軽い、薄っぺらな総理発言を受けて、現在再稼動への手続きが着々と進められている。勿論私達は一歩も退くつもりはないし、引き続き抗議を行っていくだけだ。
東電絡みの妙な因縁だが、ゴビンダ・マイナリ氏釈放。遠い過去に支援集会に赴いたことがあるだけに感慨深い。あの時はネパール人の発言者が無罪推定原則をうけて、「犯人が誰かなんて知る由も無いし、わからない以上は無罪を適用すべき。真実を知っている者がいるとすれば、それはお釈迦様だけだ」と語っていたのが印象的だった。改めて、私達は仏教文化の影響下にある人間なのだなと思い知らされた。

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すれ違いのブラッドベリ
ブラッドベリの作品は、あまり手に取ることもなく過ごしてきた。例の「華氏四五一度」も未読のままである。「火星年代記」は昔読みかけて中断したまま。「何かが道をやって来る」は読んでいるが、今ひとつ魅力を感じなかった。三島由紀夫のように「センチメンタルだから嫌い」というわけではない。ファザー・コンプレックスというか、「よき父親」への憧憬が、スピルバーグの映画みたいでどうしても好きになれなかったのである。
それでも萩尾望都の「ウは宇宙船のウ」は好きだったし、竹宮惠子「私を月まで連れてって」に見られたオマージュ(むしろパロディ)は愉快だった。もしかすると、変なボタンの掛け違いのようなものかも知れないので、いずれまた主要作品に向き合ってみようかとも思っている。

尚、ジョン・ヒューストン監督の「白鯨」の脚本をブラッドベリが担っていたのはよく知られていることである。グレゴリー・ペックのエイハブ船長という、明らかなミスキャストにも関わらず、アクションに徹した点など、今にして思えば中々のものだったと思う。これこそ「原作とは別物映画」の典型で、未見の人は心してかかって欲しい。「鯨学」など映画化されたら溜まったものでは・・・いや、それはそれで見てみたい気もするな。

kasei

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無かったことにはできません
今日は日比谷で「さようなら原発1000万人署名」の集会とデモが行われたようだ。私は都合が付かず参加できなかった。勿論AKBの総選挙とも関係がない。
再稼動に向けた圧力が日増しに強まっている。権力的な圧力もさることながら、「全て無かったことにしよう」という、心理的な忘却作用に訴えかける部分が大きいように思える。この「嫌なことは忘れよう」という「忘却への埋没」は、どうもいささか厄介である。日本社会の風土に根強く残る問題と絡んでいるらしいからだ。
記憶違いもあるかもしれないが、ひとつ例を挙げる。志賀直哉に「和解」という小説がある。父親と敵対していた主人公が、最終的に父と和解を果たす話だ。テーマは「転向」である。以前も述べたが、私は転向自体を悪いとは思わない。何故転向するか、いかに転向するか、が問われるだけだ。「和解」においては、「もういいじゃないか、やめようじゃないか」という、情緒的な理由で、なし崩し的な転向が行われていたと記憶する。そこには、敵対構造自体を問い直し、自らのあり方をも問い直すという課程は一切無い。考えるのをよそうじゃないか、それだけである。ここに日本の近代性の桎梏があるような気がする。
「もういいじゃないか」では済まされない問題は、確かに存在する。言い換えれば「落とし前」をつけなくてはならない問題である。原発事故は、そうした問題のひとつである。傍目には依怙地に見えようとも、拒絶の意思は示さなくてはならない。

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遺された足跡
澁澤龍彦の初期の文章を少し読み直している。つまり、サド裁判の頃のものである。初めて手に取ったのは、中学生の頃だったろうか。生前の澁澤がこの時代の著述をひた隠しにしたがっていたのは有名な話で、一読すればわかるように、パクリというか、剽窃が多い。バタイユ、アルトー、ブランショと、今日ではすぐにソースが知れるものばかりである。しかし、これら一連のエクリチュールが様々なカウンター・カルチャー・シーンに重大な影響を与えたことは事実である。また、焼き直しとはいえ、内容的には今日も尚、刺激的な部分が多い。
猥褻狩り、ポルノ狩りは、規制側の浅ましい精神構造をむき出しにする。自分の頭でモノを考えない人間は、パターン化された発言を繰り返す。これら通り一辺倒の駄弁と、被害者ぶった脅迫的言辞で、規制論者達は極めて権力的に振舞う。
自らの理念を究極の真理と信じ、これに従いさえすれば、理想社会が実現する(歴史の終焉)と信ずる者達。澁澤龍彦はこの種の手合いを道徳的白痴と呼んだ。
三島由紀夫没後、澁澤の書くものは変わっていったが、初期の澁澤が文化史に与えた意義は忘れるべきでは無いだろう。

sinseijutai

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ヴェーユの戦争論に関する考察
やたら、振り回される一日だった。思い出すとムシャクシャするし、罵詈雑言で埋まってしまうので、取り敢えずパス。
過去に書き散らした文章を整理しているうちに、シモーヌ・ヴェーユに関する文章が見つかったので以下に紹介する。堅苦しい語彙はヴェーユ自身の文章(翻訳だが)に見られるものなので、ご容赦願いたい。

シモーヌ・ヴェーユの戦争論は、以下のように纏められると思う。

戦争は経済競争の延長上にある。そこにおいて兵士達は国家機関、すなわち自らは戦わない者達によって動かされる。彼らは自国の兵士達を強制的に死に追いやることによってはじめて敵に打ち勝つことが可能となる。この強制力を維持するために兵士達に対しては常に権力による処刑の威嚇がつきまとうこととなる。すべて戦争を行う国家は敵がこの方法を用いる以上同じくそうした方法を用いざるを得ない。兵士達は死に身をさらすのではない。大量殺戮に送り込まれるのだ。この殺戮こそ、権力によるあらゆる抑圧の中でも最たるものである。
無論、そこに人民を駆り立てるためには国家はすさまじい強権を行使しなければならない。その過程、すなわち戦時体制において、国家はきわめて抑圧的、反人民的な存在となる。
戦争とはある種の戦略行為を指導する機関を大衆の上に押し付け、かれら大衆を無理やり戦闘行為に駆り立てるものである。
こうした抑圧機関はひとたび出来上がれば破壊されるまで生き続けるものだから、戦争というものはたとえ革命家達に指導されるものであっても、すべて反動の一要素とみなさなければならない。

ヴェーユの主張には基本的に反駁すべき点はない。だが、植民地の解放などを語るとき、彼女の平和主義はひとつの困難を迎えることとなる。こうした課題に如何に答えるべきか。これが我々に残された宿題である。

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わが道
昨日から作業に忙殺される。タマコロガシも菊地直子逮捕も意識の上を素通りしていった。とはいえ、明日辺りのワイドショーでは大騒ぎになるだろう。ついでにAKB総選挙を放り込み、大飯原発再稼動へのちょうどいい煙幕というわけだ。幾らなんでも出来過ぎていないか。
それでも下らんセミナーのニュースなどは耳に入ってくる。あらゆる場面で、とにかく誰かを処罰したいという感情が先走っているように思える。生活保護について、朝の番組でデカい顔を晒していた片山さつきにしても同断である。
夜、一段落したところで、実に久方振りに「仁義なき戦い」を観る。「ワシら、どこで道を間違えたんかのう」近頃、ますますこの台詞が身に沁みる。

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存在困難
今日明日と、仕事絡みでかなり忙しくなりそうな見通しである。この一週間で周囲の環境が急激に悪化したため、現状のままのほほんとしていては生活が破綻しかねない。何とか血路を切り拓く必要があるので、そちらに専念する。
この一年間、生活保護の話を決して他人事でないと感じていた。詳しい話は後日に語ることもあるかと思うが、最近になって漸く落ち着いてきたかなと思った途端の急展開である。毎度のことなのだが、波乱万丈もいい加減にして欲しい。
今のうちなら何とかなりそうなので、この正念場を乗り切って見せるつもりだが、片山さつきや世耕弘成をはじめとする本物の血税寄生者に対しては、何らかの形で裁きの鉄槌が下されるべきと考えている。

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今月の武蔵野市民学校
映画上映会「武蔵野市民学校」の案内が届いたので掲載する。
遠方のため中々顔を出せないでいるが、何とか地道に頑張っているようだ。この上映会は基本的に無料。理由は先日述べたとおり。どんなに生活に困っていようと、映画くらい観る権利はあってしかるべきだ。とはいえ、カンパくらいは気持ちだけでも包んであげて欲しい。
過去には「フツーの仕事がしたい」の上映も行われた。あの時は土屋監督のトークショーもあり、なかなか盛況だった。
いささかお行儀のいいラインアップが目立つが、上映会自体は別に堅苦しいものではない。それでもたまには不良性感度抜群の映画や、ゲテモノホラーでもやってくれないかと思う。まあ、無理だよなぁ・・・

musashi

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のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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