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埴谷雄高は埴谷全集の中にあり

2011.09.08 (Thu)
福島県には埴谷島尾記念文学資料館がある。埴谷雄高は台湾の出生だが、本籍は福島県にあったので、この地に建設されたのだろう。残念ながら、原発事故のため到底訪れる事の出来ない地域となってしまっている。
当ブログのタイトルにしてもそうだが(元はランボーだが)、私は埴谷雄高から大いに精神的恩恵を受けてきたつもりだ。埴谷雄高、花田清輝、澁澤龍彦、吉本隆明の存在は、青年期の私にとって別格だった。「死霊(しれい)」は幻想文学として私の心に響いたし、そこから醸しだされる不思議なイメージの奔流は、今日の読者にも充分通用するはずである。
無論、彼の「自同律の不快」という概念は転向を一般的な概念として適用してみせたものである。つまり具体的にいうと、「共産主義者である自分が、共産主義者ではなくなった」ということである。このような「自分が嘗ての自分ではなくなる」という体験は、自同律の破綻といえる。
埴谷はここから更に推し進めて、転向は全てのあらゆる事象において不可避的に発生する、と仮定したと思われる。自分は不可避的に自分ではなくなり続ける。これは、「永劫の虚無も、ついに自らを持ちきれなくなり、いつしか微光を発するようになる」という美しいイメージに昇華されることになる。
埴谷の本にはすっかりご無沙汰してしまっているので、記憶違いも多いかもしれない。また、彼の政治論文についても追々触れる事があると思うが、今日はこれくらいにしておこう。
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破壊力はメガトン級?

2011.09.08 (Thu)
バカバカしい話題には違いないが、これは凄い。
「わかりやすい原子力発電コミック・陽子さんの愛はエネルギー」
http://ameblo.jp/fudo-chan/entry-10868153402.html
タイトルからして脱力感満載。絵が下手なのは別に構わないが、こうなると諸々の要素が加わって変な化学反応を起こしている。ある意味「シベ超」に近い親近感すら抱いてしまうのだが・・・
敢えて「原爆級」とは言わない。洒落にならないので。
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