時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
私生活も社会も、ますます閉塞に向かいつつあるようだ。
この所精神的に失調気味。今日もかなり辛い。

昔購入したコリン・ウィルソンの「クローリー伝」が見つかったので、何となく眺める。
オカルトに積極的な関心はない(文学として以外は)し、現在は著者に対する興味も失われているのだが、折角金を出して買った本なのだから、一応目を通しておきたい・・・早い話、貧乏人根性である。
この著者は資料の扱いが杜撰だし、人間洞察も浅薄なので、その辺りがどうしても引っ掛かる。小説の方は、何編かそれなりに楽しんで読んだものだが。
途中で投げ出さなければいずれ感想を記すつもり。

「週刊金曜日」を購入。暴排条例の記事が秀逸で、問題点をよくまとめている。みかじめ料を、払えば犯罪になるし、断れば身に危険が及ぶ。どうしてくれるんだ。
上関町原発については、「誰が当選しても原発建設は困難なので、選挙の争点にはならなかった」との地元の事情があるという。だが、実際はどうだろうか。心裡留保の如何に関わらず、結果だけで白紙委任状と見做されてしまうのではないか。また、この投票結果が他の地域における原発推進の根拠として悪用されはしないか、気掛かりである。つまり、「原発推進は選挙で示された民意。反原発は民主主義の破壊だ」というわけである。
「電力会社というのはとても獰猛な相手で、しぶとさ、大量の金、そして攻撃力を持っている」(現代思想10月号)この鎌田慧の警告は決して大袈裟なものではない。

現代思想2011年10月号 特集=反原発の思想現代思想2011年10月号 特集=反原発の思想
(2011/09/26)
鎌田 慧、吉岡 斉 他

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アメリカにおける闘争
ウォール街占拠の件だが、逮捕者が大勢出ている模様。やたら既視感のある映像だ。権力のやる事はどの国も同じ。アメリカの資本主義がもはや臨界点に達し、限界状況を呈していることの証左だろう。




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デモは文化である。
大江健三郎「河馬に噛まれる」の感想を記す。
アフリカに渡った連合赤軍事件の元兵士(一応、加藤元久がそれに該当する)と、小説家の主人公とのフィクショナルな交流を描いた作品。アフリカ行きの部分を含め、交流記録自体はすべて創作と考えていいだろう。時折大江の私生活の出来事が挿入されてはいるのだが(エッセイの記述と重複する)。

相変わらず大仰な調子で、破滅と再生が描かれる。下品なまでに鼻につくペダントリーは意識的なものだろうが、うまく機能しているかどうか疑問である。読み終わっても小説的な感動はあまり残らない。こちらから何かヒントを汲み取ろうと、意識的にアプローチしないと厳しいと思う。
さて、以前も言及したが、本書半ばに登場する文句「祭りは必ずその時代の精神、恐怖と希望をなんらかのかたちで反映している」について(行文を読む限り、どうも実際にフランスの歴史家が述べた言葉らしいが、詳らかにしない)。大江の主人公は「あさま山荘事件」にこのアナロジーを見出そうとするが、私はこの半年間行われてきた反原発運動を思い起こした。
デモを祭りとして捉える事には異論があると思う。だが、デモや運動には必ず祝祭としての要素が含まれていることは事実だ。足立正生もまた、「革命はお祭りだ」と述べているが、同じ事情を指していると思われる。
だが、ここまで考えてきて気が付いた。フジテレビ前で行われた愚劣極まりないデモ、排外主義集団の一連のデモ活動は、どのように位置づけられるのか。
結論から言えば、こちらも今日の時代の精神を負の形で表しているということになるのだろう。考えただけでげんなりしてしまうが、こうした連中が我々の暮らす社会に存在する事は、紛れも無い事実である。昨日、現代が困難な時代であると記した所以である。無論、こちらとしては時代精神もへちまも無い。外部から、或いは後世からどのような分析を下されようと、原発に対しては立ち向かうし、排外主義に対してははとことん突っぱねてやるだけだ。
デモは文化である。これからも権力者達が仰天するような、豊穣な文化を育てていこう。

それにしても、壊す人というゴチック活字だけはやたら凄みがある。この辺りの記述だけやたら騒々しさが際立っていて、作品世界の息吹を感じる。「同時代ゲーム」のキャラクター(?)だが、あの長い小説、もう一度挑戦してみようか。

kabanikamareru

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万里の長城がどうのこうの
大江健三郎「河馬に噛まれる」読了。
連合赤軍事件を題材に取ったフィクションだが、読書の醍醐味があまり感じられない本。詳しい感想は後日に。
作中の「祭りと時代精神」の部分についてあれこれ考える。現在の状況に照らし合わせて考えられないかと。だが、考えを進めるうちに色々と負の側面が露わになってきたため、うまくまとまらない。わかっている事は、現代が困難な時代であるということ。これも後日、記す事があると思う。

夜に入り、鬱状態が酷くなってきたため、今日はここまで。

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日本ペンクラブからの声明~大阪府条例を巡って
大阪府条例案に対する日本ペンクラブからの声明。都条例といい、表現の自由を抑圧する動向が続いているため、さすがに危機感を覚えているらしい(都条例の方も出版社の動向、運用の方向を巡って緊張状態が続いているのだよ)。
本当に、権力者とは人の心を弄んで已まない存在だよ。


「私たちは大阪府教育・職員基本条例案に反対します」

 教育は息の長い仕事です。多種多様な人間を育み、それによって社会と世界を豊かにする仕事です。
 そこから「常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に対応できる」人も生まれてくれば、「そんな目先のことより、自然や文学や歴史のほうが面白い」「自分の暮らしや趣味や家族のほうが大切」という人間も育ってくる。いずれにしても教育は、人間をひとつの型やルールにはめ込んで管理するものではありません。
 さて、大阪府の橋下徹知事が代表を務め、府議会の最大会派である大阪維新の会は九月二十一日、「大阪府教育基本条例案」と「同職員基本条例案」を議長に提出しました。同様の内容の条例は、大阪、堺両市議会にも提出予定と報じられています。
 その案は多岐にわたりますが、こと教育に関して中心となるのは、知事が教育目標を定め、その下の教育委員会―校長―教職員を指揮命令系統のように序列化し、そこから外れると見なした教職員を一律に排除することでしょう。この条例が成立すれば、例えば学校行事では起立して君が代を斉唱する、というような職務命令に三回従わなかったり、勤務評定が二年連続して悪かった教職員をほぼ機械的に免職できるようになります。
 これはまるで工場の品質管理です。工業製品であれば一定の品質確保は大事ですが、それが人間に向けられると、不適格とされた人が生活を奪われるだけでなく、教育の場に均質の教職員だけが残り、均質の教育が行われ、均質の子供たちが育ってくることになる。果たしてそんなことで、「常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に対応できる」人が育つでしょうか。
 失礼ながら、右に二度も例示した、いささか時代がかった人物像は教育基本条例案前文から引用させてもらいました。この前文に他の人間像についての言及がまったくないところに、まさに指揮命令系統や規律・規範好きにありがちな、人間や世界についての均質な見方がすでに現われています。
 日本ペンクラブは平和を願い、言論・表現の自由を何より大切にする文学者や文筆・編集関係者の集まりです。私たちの思想信条はさまざまですが、思想信条によって人が序列化されたり、差別・弾圧されたり、また職場や地域や国から追われることには、これまでも反対してきましたし、これからも反対します。
 よって私たちは、大阪府教育・職員基本条例案に反対します。

           二〇一一年九月二十六日
                               日本ペンクラブ会長        浅田次郎
                                同 言論表現委員会委員長  山田健太

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世代的な責任~精神のリレー
何だか夕方から悪寒がする。風邪っぽくは無いので、多分自律神経の方か。まさか下らんニュースばかり入ってくるせいとは思わないが。
陸山会事件については、山下幸夫弁護士の以下のツイートが全てを言い表している。それにしても、有罪となった案件について、「不当判決」という発想がまず生まれないのがこの国の民度の貧しい所だ。

陸山会事件の今日の判決。ここまでひどいとは思わなかった。結局、被告人らの供述調書を却下したのも、それがなくても有罪にできると考えてのもの。検察批判も単なるリップサービス。しかも、ほとんど求刑通りで執行猶予付けることで弁護人のメンツも保てると。何の覚悟もない最悪の判決と言える。

昔、ある仲間が「俺たちには世代的な責任というものがあると思う」と私に語った事があった。
上関町の選挙で投票した人は、どれだけこの「世代的な責任」ということを考えていただろうか。事はこの地域の問題にとどまらない。我々の社会は原発を容認するのかという、意思表示に関わる事柄だったのだ。
これは表現規制問題にもいえることである。私自身は澁澤龍彦作品の薫陶を受けて以来、これらの規制に断固反対の立場を取っている。これは私の信念であるといっていい。だが昨今、私より年下の人たちが理不尽な規制に深く傷ついている姿に、新たに目を見開かされた思いだった。
次の世代の人たちが、公権力に与えられた、心の牢獄の中で一生を過ごすのかと思うとぞっとする。後の世代に私達は何を残すのか、伝えていくのか。「子供を守れ」では絶対に解消できない問題がここにある。

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もう一度、会いたい死者がいます。
「わたしたちの夏」(監督:脚本:福間健二)を観る。
「急にたどりついてしまう」や「岡山の娘」もそうだったが、この人の作品は思弁を喚起する所があるので極めて刺激的だ。作品に奥行きを感じる。
8.15から9.11を越え、現代に至るこの世界において、私達は、何を見てきたのか、何を失い、何を獲得したのか。様々な詩、小説、言説が引用され、ここにヒロイン達の人生の、死と再生の物語が交錯する。「水を下さい」。水。大岡昇平は水への偏愛を語り、埴谷雄高は「好きな食べ物は、水」と答えた。ヒロインはどん詰まりの危機的状況の中で最後に水を受け取ったが、再生への祈りは届くのだろうか。

思うに、我々は多くの出来事を忘却の淵に沈めてきた。敗戦、連合赤軍、オウム事件と全てを忘却し、無かった事にしてきたのではないのか。忘れよう、考えるな、結論は国が出してくれた、もう解決済みなんだ、etc・・・
この「忘却への意思」は3.11についても繰り返されようとしている。恥知らずな原発推進派の圧力は、現在進行中のおぞましいカタストロフさえ忘却の彼方へと追いやろうとし、それは半ば成功しつつある。
いかに表面上の解決を迎えようとも、起こってしまった事が封印されるわけでは無い。その意味では、いかなる事件も終結する事はない。私達にできる事はただ、それを思考し、生き抜くだけだ。
優しい顔をした「忘却」という暴力。これからも抗い続けよう。




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素手による叛乱
渋谷で脱原発ツイッターデモ。この所短期間内にデモ参加を続けていたので、今回は参加を迷ったが、思う所あったのでやはり参加することとした。
参加の理由は先日の9.19デモである。この行動自体は大成功だったが、ああいった大きなイベントがあると、大衆心理として「もう、一段落した」という気分に陥りやすい。冗談じゃないよ。まだ始まったばかりじゃないか。
「ポスト9.19」に大きな行動を続けていくことが重要である。その意味で、今日のデモは大事な意味を持っていると考えた。

さて、そんなわけでデモの報告。
宮下公園に来るのも久しぶりだ。ナイキ公園化でだいぶ変わってしまった。最初は早く来過ぎたせいか、やや閑散としていたが、徐々に人が集まり、相当な人数に膨れ上がった。
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デモコースは昔ながらの渋谷一周デモ(「あっち行ってそこ曲がってずーっと行って、降りていって・・・」で通じるアレw)にとどまらず、青山通りを大きく回るコース。
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↓国旗損壊罪なんか出来たら、こんなユニークなパフォーマンスも出来なくなるぞ。
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暑さもあってさすがに体力を消耗する。それでも、デモ自体は大きく盛り上がり、獅子舞も飛び出すてんやわんやとなった。みんな、よく頑張ったと思う。
924demo

デモ後、少し時間を潰してからポレポレで映画「わたしたちの夏」(監督・脚本:福間健二)を観る。ヤバい。詳細は後日に譲るが、今年最高の映画かもしれない。

たかじんの番組に出演した山本太郎の動画。多分 すぐ消されると思うので必見。






(追記)デモ終了後、参加した仲間と表現規制問題について話す機会があった。その際、連絡手段の不足を痛感したため、これを契機にツイッターを始めることにした。活用法については試行錯誤しながら考えていくつもり。

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世界を返せ
漸く涼しくなってきた。ここの所、勉強事に時間を取られているため、まともに本を読めていない。「ダールグレン」もひとまず頓挫。主人公が引越しの手伝いをする辺りからなかなか話が動かなくなった。そうしている内に私自身が引越しをするというメタな状況に陥ったため、読書どころではなくなった次第である(「メタな」と言った理由は、本書を読めばお分かりと思う)。
それにしてもテレビのもたらす悪煽動は凄まじい。我が家でもしばしばこれが家庭内不和の原因となっている。家族がワイドショーの情報で、政治の真実に目覚めたと思い込んでしまうのだ。
私が検証の必要性を主張すると、「お前は民主党をヨイショしているんだ!」などと悪罵を投げつけられた。いっそのこと反/脱原発運動で、テレビ局にデモをかけるというのはどうだろう。どこかのデモより遥かに真っ当と思うが。

「週刊金曜日」を買う。編集後記が実に身に沁みる。
「日本でも権力の線引きにより息苦しさが増し、私たちの去勢は加速している。芸人から路上を奪って首輪をつけ、灰色な境界を認めず社会風俗を破壊し、共通番号制を導入して納税者としての国民だけを許す。市町村合併を繰り返し、血も通わない名称と行政区画で集落を線引きし直す。最近は強制避難民と自主避難民の分断を強いる。日本国民は気づかない「肩書き」を大量にはりつけられ、生かされている」

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勝利まで
9.11デモの件。拘留中の仲間たちが全員釈放されたという。釈放された人達には、まず、ゆっくり休んでほしい。お疲れ様でした。
さて、今回は彼らの自宅への家宅捜索まで行われた。背後関係とやらを探ろうというのだろう。
警察サイドは感覚が麻痺しているのだろうが、逮捕(不当だが)理由を考えるとこの種のガサ入れには何の正当性も無い。「いつもの手口」とこちらまで容認しては向こうの思う壺である。慣れることを拒絶し、不当性を訴え続けるべきだろう。当事者にとっては、家族、交友関係まで掻き回されるのだから。

先日のさよなら原発集会・デモは最大級の盛り上がりを見せた。これはひとつの成果であるが、原発事故は何ら終わっていない(台風の影響がどうなったか気になる)。今後も継続的な取り組みが必要となるだろう。

脱原発系イベントカレンダー
http://datugeninfo.web.fc2.com/index.html

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いやな感じ
そうこういっているうちに、また京都の話題。
http://www.47news.jp/CN/201109/CN2011092101000895.html
http://ameblo.jp/kyoutotouin/entry-10988512900.html
何だ、この「京都党」って。
この人物が原発をどのように考えているか知らない。もしかしたら、只の法律オタク的な書士かもしれないし、或いは純粋な気持ちで行ったのかもしれない。だが、告発する前に、彼は事実関係の把握に努めたのか。仮にテレビのニュースに脊髄反射したとしたら、恥ずべき事である。

私も本件の事実関係については詳らかにしないので、告発の是非をここで述べ立てる事はしない(無論、山本太郎については支えていくつもりだ)。だが、原発にしろ表現規制にしろ、「文句を言うな、黙ってろ」という雰囲気が京都から湧き起こりつつある事は象徴的な気がする。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

治安立法は危険なものである
例の気味の悪い条例の件だが、京都とかいう所は、パラノイアの巣窟なのだろうか。
既に指摘されているように、単純所持禁止には遡及処罰的な要素がある。これまで法を遵守する善良な市民だった人たちが、犯罪者として断罪されるわけである。人を犯罪者として処罰することは、一人の人間の一生を台無しにするという事である。このことに対し、謙抑的な姿勢が全く見られない。「言う事をきかないからだ」などというふざけた居直りは許されない。
これら一連の法案の根底にあるのは、人格権の否定であり、「人格罪」への希求があると考えられる。この状況では、規制が創作物に波及する事も時間の問題ではないだろうか。早い話、「朝憲紊乱」「国体を否定」といっているのと何ら変わりが無い。規制派の暴走は、あらゆる自主的な創造活動を根絶やしにするまで続く事が予想される。この国にはその前科があるのだ。
埴谷雄高の言いまわしを借りれば、本来生活によって支えられている筈の政治が、私生活、とりわけ精神活動にまでズカズカと土足で踏み込んでくるわけだ。私達は為政者の人形ではない。私達の人格は私達自身のものだ。

「この絵は素晴らしい。何故なら、これは行政が認めた作品だからだ」
「私はこの映画に感動した。何故なら、この映画には政治家の意向が見事に反映されているからだ」
「我々はまさに作品の中に描かれた、政治家の意向に感動するのである。それこそが文化の価値なのだ。それ以外はどうでもいい」
「作品はどうでもいいんだ、作品の中の道徳の正しさだけが重要なんだ」
京都では、こんな文化政策がとられるのだろうか。
↓参考:「純正芸術」(教養文庫「ヒトラーとナチス」より)
junsei
この所、奥平康弘の「治安維持法小史」を読み直しているが、現在の状況と類似点が多い。船戸与一の「満州国演義」についても同じ感想を覚えた。決して偶然ではないはずである。

この手の醜悪極まりない法案の件は考える度に気分が落ち込むのだが、とにかく反原発デモと同じで、騒ぐだけ騒いでやろう。

※本文で「法」という場合、下位法である「条例」を含めていることをお断りしておく。

永久に凍結せよ!
chirunobyl

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スタアを巡る滑稽な風景
昔サルトルが自らのスター性を逆用し、「人民の大義」の編集長を買って出るなど極左運動の先頭に立った事があった。「人民の大義」はマオ派の機関紙で、歴代の編集長が立て続けに逮捕された経緯がある。
「今度は私が編集長だ。私を逮捕してみたまえ」とサルトルは言う。警察は「サルトルには手を出すな」というド・ゴール時代からの指示があるため、彼を逮捕できない。
若い連中に何かしてやりたいという思いもあったのだろう。その頃から彼のアンガジュマン(政治参加)は、「殉教者願望」と揶揄されるまでに、より露骨に挑発的なものとなっていく・・・
昨日の反原発デモにおける警察の姿勢から、そんな事を思い出した。ノーベル賞の威光で、一日遅れでテレビでも取り上げるようになったようだ。大江健三郎のスター性も中々馬鹿に出来ない。無論、サルトルと大江ではタイプが違うし、大江がそこまでアンガジュマンにのめり込むとは考えにくいが。
それはともかく、警察もセコいものだねえ。だったら最初から無茶しなけりゃいいんだよ。こちらのやっている事は同じなんだから。とっとと仲間を返せ。でも、著名人のいないところではまたエグく弾圧するんだろうな。

余談になるが、サルトルはノーベル賞(辞退)はおろか、賞と名のつくものには生涯無縁で通した人物であることを申し添えておこう。

sartre

9.11デモの逮捕者への救援活動が、今も尚取り組まれている。
今日、勾留理由開示公判があった筈だが、どうなったのだろう。
原発やめろ、仲間を返せ。
http://911nonukyuen.tumblr.com

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people have the power
明治公園の「さよなら原発集会」に参加する。12時過ぎに千駄ヶ谷を降りたら、ホームからぎっしりと人、人、人!只事ではない。知り合いの護憲運動の人も出向いているはずだが、これでは判ったものではない。
暑い中、テクテクと会場まで歩く。それにしても、労組の幟ばっかりだな。
何故か革マルまで来ていた。間違えて「解放」を受け取ってしまう(地べたに座るとき下に敷いたw)。

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集会場に着いたが、こちらもぎっしり人で埋まっている。個人参加はステージに向かって左だと。向こう側だよ、やれやれ。

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適当に開いたスペースに陣取る。比較的前の方だ。鎌田慧、落合恵子、澤地久枝のアピールは相変わらず力強い。困ったのは大江健三郎で、ブツブツと何か読んでいるのに終始していた。噂には聞いていたが、こういう場所は向いていないのだな。でも頼むから、聞こえるように言ってくれ!

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山本太郎の発言には会場が沸いた。「子供を守れ!大人を守れ!命を守れ!地球を守れ!」いいね。昨日記した疑念を吹き飛ばしてくれる爽快なアピールだった。
その後、ドイツからの連帯アピール、福島の人たちの訴えが続いたが、代々木公園発のデモ隊が近くを通った模様で、元気な声が聞こえてくる。楽しそうだ。こちらも負けていられない。
暫らくたって漸くデモに出発するが、中々会場の外に出られない。どうなっているのか。人いきれで窒息しそうになる。とにかく一刻も早く道路に出たい。結局、隊列を規制するから大人数のデモ隊が何時までたっても外に出られなくなっていると判明。相変わらずだが、警察、いい加減にしろよ。我慢しながら行列が流れるのを待つ。出口付近に山本夜羽音がいた。

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外に出てからシュプレヒコール。にしても、人通りが少ない。大丈夫か?暫らく歩いていくと漸く人通りが増えてきて、デモらしくなってくる。ただ、この隊列、特に党派がらみということではないようだが、デモの形式が旧態依然としている。決まりきった形式でコールに応じてデモ隊が復唱するだけ。「子供を守れ」という文言をひたすら繰り返す方式にもうんざりし、飽きてしまう。さっきの山本太郎は立派だったなあ。途中からはコールを無視し、黙って行進していた。
生理学的に子供が弱い立場にいるのだから、保護対象にしようというのは理解できる。むしろ当然である。だが、このコール内容を見ていると、この人たちはそもそも子供を対等な存在と見做していないのではないか、愛玩動物か何かとしか考えていないのではないかと思えてしまう。こんなベタベタした口調で「子供を守る、子供を守る」などと言われたら、子供の方こそ辟易してしまうだろう。もっと意地悪く見れば、自分たちの主張のために子供をダシにしていると言う事も出来るが、それはともかくもう少し何とかならないか。
終盤になって、後ろの方から賑やかな掛け声が聞こえてくるのに気が付いた。何だ、あっちの方が楽しそうだ。少し後ろの方に移動してみる。こちらの方は、活き活きと楽しげに、踊るようなデモを続けている。加わってみると、実に楽しい。最初からこちらの方にいればよかったのか。デモのあり方について、改めて考えさせられた。昔は前述の堅苦しいデモに違和感を感じていなかったのだが、今ではもはや馴染めない。「素人の乱」の影響もあると思うが、やはりこういう活動には生命力が必要だと、再認識する。同時に、生命力を吹き込むために何が出来るかを考えてみたい。白けたときには自分が盛り上げていけばいいのだから。
NHK前で流れ解散。その後も続々と後続のデモ隊が到着していた。

チルノブイリからの提言
chirunobyl

夜の報道ステーションではほんの僅か放送しただけ・・・まあ予想通りだろう。これから、これから。

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各地より、「反原発」を発信する。
東京郊外での反原発集会・デモに参加する。太田昌国だったと思う(いつも思うが、この人帽子を被ると判りにくい)が、国際的な観点から見た福島原発問題について発言していたのが印象的だった。
150人くらいの小規模な行動だったので、警察の規制もあまりやかましくは無い。無論、9.11があまりにも異常すぎたのだが。
それにしても、「子供を守れ」というコールには何か引っ掛かるものを感じる。同じ大義名分が、表現規制問題で散々悪用された前例を知っているからだ。守られるべきは子供だけではない。例えば原発労働者などにしても、依然として生命の危機に晒されている。判りやすいとはいえ、「子供を守れ」だけを強調すると、大切なものが抜け落ちてしまうと思う。
デモ終了後、発言を求められたので、以前記した反原発運動の合理性について述べておいた。小規模の集会だとこういうことがあるので、経験の無い人はあらかじめそのつもりで準備しておいた方がいいだろう。

(追記)ツイッターで確認した所、やはり太田昌国さん本人だった。講演を何度も聞いており、話をしたこともあるのだが、何故か帽子を被ると違う人に見えてしまう。
918demo
918demo2
918demo3

9.11デモの逮捕者への救援活動が、今も尚取り組まれている。
原発やめろ、仲間を返せ。
http://911nonukyuen.tumblr.com/

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もう一度、「夢を奪い返そう」
「原発問題と表現規制の問題は共通する」というダムドさんからの提起があったので、私なりに考察した所を記しておきたいと思う。過去の主張と重なる部分も多いが、何度でも繰り返しておきたい事柄である。

原発問題と表現規制問題の共通点。それは宮台真司の言い回しを幾分借りて言えば、「良さげな装いの下に、浅ましい政治的意図を実現しようとすること」である。
・「原子力は未来のエネルギー。その先には薔薇色の未来が待っている」
・「表現規制は犯罪撲滅に不可欠。その先には薔薇色の未来が待っている」
この手の印象操作は過去に幾度も繰り返され、権力者の常套手段ともいえる。だが、この悪循環にはもう終止符を打たなくてはならない。
さらに、私達の固有の「身体性」とでもいうべきものを、を公権力が収奪するという点でも共通すると思う。
原発は肉体を破壊する。表現規制においては精神を生理的なレベルまで管理下におき、封殺する。ここで作り出される支配関係は、私達の身体に関わる事柄であり、最悪の水準であるといえる。
「私は、あなたの人形ではない」このイプセンのセリフは、女性問題のみに限定されて解釈されるべきではない。権力に簒奪される人間性の姿を普遍的に表しているのだ。
私達はかかる支配関係を断固として拒絶しなくてはならない。

先日のデモの逮捕者への救援活動が今も取り組まれている。
http://911shinjuku.tumblr.com/
http://911nonukyuen.tumblr.com/

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不当逮捕その後
週刊金曜日のツイッターより。「イタリア人」は「フランス人」の誤り。

玄葉外相会見。「 反原発デモでのイタリア人逮捕にイタリア大使館から申し入れはあるか、逮捕の動画がネットで5万6000回以上再生され、日本はデモの自由がない国かとの見方が広がる恐れがあるが、外交に与える影響は?」→外相「いまはじめて聞いたので、回答は控えたい」(浩)

この件、もはや国際問題になりつつあるが、今後の動きはどうなることか?
やり過ぎを指摘されて謙抑的になるか、あるいは警察組織が独自の判断で、強硬に暴走を続けるか。
昔は判例ひとつで警察の態度がやたら慇懃になった事もあったが、ここ最近、急速に環境が変わった。反原発運動を潰すため、今後もなりふり構わない手口に出てくるかもしれない。油断せず、心して構えるべきだろう。


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いつもながら、気が付いたら終わっていた。
渡辺文樹の映画はまだ観る機会に恵まれず、今回の千歳烏山の上映会も見逃してしまった。残念。

鈴木邦男のツイッターより引用。
「あの過激な映画監督渡辺文樹さんの新作「金正日」を観てきました。すごい映画です。政府のやり方に我慢できず、日本の民間人が泳いで北朝鮮にわたり拉致被害者を救出するのです。驚きの映画でした」

泳いで・・・「らんま1/2」では主人公が泳いで中国まで渡っていたな。今回の上映会は右翼の妨害こそ無かったものの、公安が貼りついていたらしい。

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まず、運動や一連の流れを文化として根付かせる事だろう
ノンセクト系の雑誌「インパクション」で、この間の反原発運動が取り上げられているので、パラパラと眺めてみる。

まず、「原発の問題とポルノの問題は同じ」などと血迷った事を平気でのたまっている自称フェミニスト、死んでしまえという他無い。自分の政治目的を実現させるために、今回の原発問題を利用するな。
人の身体、意識の問題に管理、支配の手を及ぼそうとする政治理念は全てダメである。政治活動家達はどうしてこういう支配願望に取り憑かれるのだろう。自分たちは真理の体現者と信じ、エロ規制を声高に叫ぶ事により、他者の心の問題に介入しようとする徒輩、そんな代物と共闘する価値は無い。

天野恵一達が座談会で、右翼との共闘に一定の釘を刺しているくだりは、一般論としては謙虚に受け止めたい。6.11の集会で手を出したのは「左」の側なのだが。
つまり、相手方に遠慮して批判の自由を封印するようでは運動として正常ではないということである。過去の反原発運動がそれでグダグダになって消滅していったという歴史的経緯は事実としてあるので、私なりの理解において、参考にはしておきたい。無論、相手を突き飛ばす事は到底批判とはいえない。これは自明の理である。
ただ、もう過ぎてしまった人たちの繰言のように見えてしまうのは私だけだろうか。

個人的には素人の乱のカオス的な空間を大変興味深く思っている。この運動がどこに向かっていくか。新しい潮流が形成されていけば面白いと思う。これからも注視していきたい。

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反原発は合理的である
先日釈放されたフランク氏夫妻のインタビュー。フランク氏はフランス人で、9.11新宿デモの際、在特会に抗議して逮捕された人。
「暴言を吐きながら」って、警察官は余程フランス語が達者なんだなあ。しかも防護服のコスプレのマスク越し。どんな「暴言」を吐いていたのだろう?逮捕した警官に聞いてみたい。
そういえば、「地下鉄のザジ」では「どんな事を言ったの?~いやらしくて言えないわ」なんてやり取りがあったな。





それにしても、日本の権力者の危機感の無さには恐れ入る。これだけのおぞましい災厄も政争の具としか考えていないのだろう。「新しい原発は安全」などとホザいている人物がいるが、原発推進派は昔から「安全、安全」と繰り返し語ってきたのではなかったか。で、結果はこの有様だ。
フィジカルな「死」が現実に差し迫っているのだ。机上の空論で我々の人生を振り回すな。

あと、中々興味深い記事があったので、参考までに。日本の管理されたデモの異様さがよく判る。
http://alt-movements.org/no_more_capitalism/modules/no_more_cap_blog/details.php?bid=135

付記:上述の逮捕の件、フランス語のニュースサイトでも取り上げられていた。在特会は「極右の反・反核グループ」と紹介されている。
http://www.rue89.com/2011/09/13/fukushima-un-heros-francais-envoye-au-tapis-221835

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これはいただけない
ここ暫らくは映画を観る環境にないため、書物の話が中心となってしまいそうだ。文学青年時代の自分に戻った感じで、色々研鑽(何ぼのもんじゃい)を積むつもり。
図書館で荒正人の「第二の青春」を読む。文学史の教科書には必ず名前が登場するテクストだが、手に取るのは初めて。率直に言って、読みながら悲しくなってきた。どうしてこんなものを書いてしまったのだろう。
私は過去の先人達の業績を徒に小馬鹿にする趣味を持たない。後知恵で揚げ足をとることは厳に慎みたいとさえ思う。とはいうもののこの一文、やたら過剰な修辞と、必要以上に浮かれた調子が目立つ。それが敗戦直後の解放感と言ってしまえばそれまでだが、当時既にいい大人であった以上、より慎重に自分自身、そして社会を見つめながら思考を推し進めていく必要があったのではないか。
読み進めるうちに、結局彼は、文学の立場を取ると標榜しながら、実は政治主義をあまりに信頼しすぎていたのではないかと思えてしまう。「偉大の中に卑小を認め、卑小の中に偉大を認める」この正当な命題は、荒自身において実践して欲しかった。
当時の社会的雰囲気、そして人間の陥りがちな陥穽について、ある意味色々考えさせられる文章だろう。

荒正人著作集〈第1巻〉第二の青春 (1983年)荒正人著作集〈第1巻〉第二の青春 (1983年)
(1983/12)
荒 正人

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先日のデモの逮捕者のうち、6名が今も拘留中。救援活動が取り組まれている。
http://911shinjuku.tumblr.com/
http://911nonukyuen.tumblr.com/

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タチムカウ
引越しの後始末の件でゴタゴタしているため、少し鬱状態。気を取り直して、昨日の報告とする。多少不細工な言い回しはあるが、憤りを覚えたのは事実なので、敢えてそのまま残しておいた。尚、デモの参加者については全て「仲間」と表記した。諒とせられたい。

既に知られているように、9/11のデモコースは直前になり、警察から変更の指示が出された。出発点もアルタ前から中央公園に変更となった。よって一旦アルタ前に集合した上で、中央公園まで移動、デモを開始しようというのが私達の計画だった。ところがアルタ前に集合した時点で警察は強硬に立ち退きを指示する。恫喝口調で居丈高に移動する警官に冷たい視線を浴びせながら、皆それぞれ西に向かって移動していった。
さて、中央公園に移動した後、デモ開始。だが、行進が始まって間もなくして、何やら揉め始める。見ると、仲間の一人が警察車両に押し込められていくところだった。
91101
怒りのボルテージが一気に上がったのはこのときである。皆一斉に、口々に抗議の声を上げる中、更なる逮捕者が現れた。「どうなっているんだ?」の声も上がった。
91102
ふと後ろを見ると、隊列がすぐそこで途切れている。警察による分断工作である。ヤロー!やりやがったな!こうなったら、意地でもこのデモを貫徹させるしかない。
その後もデモ隊の両脇を警官隊が執拗に囲む。ふと警官と仲間とのやり取りの声が聞こえた。
警官曰く「一旦隊列を出たら、デモには戻れませんよ」
はあ?何をほざいているんだ?そんな決まりがどこにある?言うまでも無く、法的根拠は全く無い。明らかに請願権、表現の自由の妨害だろう。制服を着たダニ共は憲法を守れ!
甲州街道を東に進み、新宿駅南口を少し過ぎたところで再び逮捕者が続出した。立て続けの逮捕に暫らく辺り一帯が騒然となる。皆、警官達に詰め寄り、怒りをあらわにする。緊張状態はこの日一番のピークを迎えた。見ると、道路の向こう側まで引き離して連行された仲間がいる。奴ら、何でもありだな。
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伊勢丹のあたりでは、在特会が「チョーセン人は帰れ!」などと喚いていた。あまりにもイタ過ぎるので、思わず吹き出してしまう。だめだ、笑いが止まらない。手を振ってあげよう。後のほうの隊列では連中に抗議しようとした仲間が逮捕されたらしい。警察とレイシスト団体との親密な関係が窺われる。
91104
靖国通りに入った所でトイレを巡り、警官とやり合う場面があったが、それ以降は逮捕者も無く(私のいた隊列では)、比較的平穏にデモは進む。街頭に人が少なくなると手を出さなくなるという点に権力の意図を感じた。逮捕をアピールしたかったのだろう。普通は逆なのだが。
ただ、警官が後ろからテープで押してくるのには苛々した。こいつらは普通の歩行すら邪魔するのか?

中央公園まで戻ると「こちらは新宿警察署(長?)です!デモ隊の参加者は早く解散して出て行きなさい!」などと居丈高な声。皆、当然のように無視。後続の仲間たちを出迎える。学生の頃からデモの経験はあるが、終わった後に「早く解散しろ」などと命令された事は無かったぞ。
91105
落ち着いた後、再びアルタ前に移動。地下道から上がるとき、警官が通行規制をしていた。無視して広場に出る。雨宮処凛のアピール、SKi(制服向上委員会)のライブの後、柄谷行人のアピールがあった。柄谷の発言は極めて平易で、一般に通じる言葉で語りかけていた。正直、意表を突かれる。「デモをする事によって、社会は変わります。「デモをする社会」がそこで生まれるのです」この発言に心を動かされた人は多いと思う。
91106
昔、柄谷が大嫌いで多くの場合反撥しか覚えた事が無かったのだが、10年ほど前からこの人は物言いが変わって来たように思える。それ以降、積極的に著作に触れる事はしなかったが、少なくとも近年の著述活動に対しては、いたずらに嫌悪することも無くなった。
圧巻はいとうせいこうのアピールである。「廃炉せよ!廃炉せよ!」の力強い訴えに、アルタ前の盛り上がりは最高潮に達した。警官隊の弾圧で、鬱屈した雰囲気を吹き飛ばす迫力に満ちていた。
流石に疲れたので私はこのあたりで切り上げたが、帰宅したら、Tシャツに塩を吹いていた。暑い/熱い一日だった。

※不当逮捕の場面はうまく撮影できなかった。抗議の方が先走っていたためである。どうも私はケヴィン・カーターにはなれそうも無い。逮捕者数は12人~17人と諸説あるが、現段階で私にはよくわからないという事を付言しておく。

付記:そうこういっているうちに、今度はフランスの核施設で爆発事故が起こった。放射能洩れは無いと言っているが、そうそう鵜呑みには出来ない。原発事故というとひた隠しにするのはどこの国でも共通。旧ソ連や日本に限った事ではない。フランス、イギリス、アメリカ、隠蔽はどの国でも行われてきた。

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ふざけるんじゃねえよ、動物じゃねえんだぜ
新宿デモから帰宅。流石に疲れたので、報告は明日ゆっくりまとめる予定。
警察の弾圧はかなり悪質で、目の前で仲間達が続々とパクられていった。結局、逮捕者は17人に上るらしい。「デモには途中から入れません」などと、堂々とウソついて一体どういう了見だ?

昼間、アルタ前から排除しようと躍起になるイヌ。勝手にデモコースの変更をゴリ押ししておいて、よくも偉そうな口が叩けるものだよなあ。
inu

あと、途中で流血してた人、やっぱり警察にやられたらしいね。連中は今回、暴力装置としての本性をむき出しにしてきたと思う。隊列の分断も酷かった・・・まあ、ここから不当逮捕への流れが出来ていったわけだが。
尚、途中で見かけた自称愛国烈士サマ達はバカ丸出しだったので腹も立たない。

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廃墟の街 Desolation Raw
鉢呂経産相辞任。しかし、「死のまち」(朝日新聞表記)って、別におかしな表現では無いよなあ・・・

引越しの際に発掘した、埴谷雄高対話集「微塵と出現」を読む。この本、買った後殆ど読まずに放り出してあった。埴谷の本はかなり熱心に読んだのだが、たまにこういう本も残っていたりする。
内容は中々充実していて面白い。
「事物の本質に迫るべく、思索につぐ思索を重ねる」という方法は、私達にとっても学ぶ事が大きい。「本質に迫る」などというと実体主義などと言われそうだが、言葉尻を捉えてみても意味が無い。絶えず外界の出来事や自己自身を凝視するという姿勢こそ重要である、と埴谷は説いているのだ。早分かりと思い込みで識者ぶっている連中が多すぎる昨今、自戒を込めて、胸に刻みたいと思う。

mijintoshutsugen

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野暮な喧嘩も、売られりゃ買うさ♪
アルタ前の白い壁、「反原発のメッセージを映すフリー・スクリーンとして利用しよう」と呼びかけたら、今度は透明の壁に張り替えているらしい。ここまで来ると、もはや茶番だな。笑えてくる。
無論、こんな事でトーンダウンするくらいなら、わざわざ休みの日にデモ行進に出向いたりはしない。参加者達は、意地でも盛り上がってやろうと考えている筈だ。
相変わらず古いセリフだが、「誰にケンカ売ったか、教えてあげる」だ。当日は大いに盛り上げて、原発推進派を口惜しがらせよう。
http://yfrog.com/klm5lswj
http://mkimpo.blog.shinobi.jp/Entry/1249/

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埴谷雄高は埴谷全集の中にあり
福島県には埴谷島尾記念文学資料館がある。埴谷雄高は台湾の出生だが、本籍は福島県にあったので、この地に建設されたのだろう。残念ながら、原発事故のため到底訪れる事の出来ない地域となってしまっている。
当ブログのタイトルにしてもそうだが(元はランボーだが)、私は埴谷雄高から大いに精神的恩恵を受けてきたつもりだ。埴谷雄高、花田清輝、澁澤龍彦、吉本隆明の存在は、青年期の私にとって別格だった。「死霊(しれい)」は幻想文学として私の心に響いたし、そこから醸しだされる不思議なイメージの奔流は、今日の読者にも充分通用するはずである。
無論、彼の「自同律の不快」という概念は転向を一般的な概念として適用してみせたものである。つまり具体的にいうと、「共産主義者である自分が、共産主義者ではなくなった」ということである。このような「自分が嘗ての自分ではなくなる」という体験は、自同律の破綻といえる。
埴谷はここから更に推し進めて、転向は全てのあらゆる事象において不可避的に発生する、と仮定したと思われる。自分は不可避的に自分ではなくなり続ける。これは、「永劫の虚無も、ついに自らを持ちきれなくなり、いつしか微光を発するようになる」という美しいイメージに昇華されることになる。
埴谷の本にはすっかりご無沙汰してしまっているので、記憶違いも多いかもしれない。また、彼の政治論文についても追々触れる事があると思うが、今日はこれくらいにしておこう。

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破壊力はメガトン級?
バカバカしい話題には違いないが、これは凄い。
「わかりやすい原子力発電コミック・陽子さんの愛はエネルギー」
http://ameblo.jp/fudo-chan/entry-10868153402.html
タイトルからして脱力感満載。絵が下手なのは別に構わないが、こうなると諸々の要素が加わって変な化学反応を起こしている。ある意味「シベ超」に近い親近感すら抱いてしまうのだが・・・
敢えて「原爆級」とは言わない。洒落にならないので。

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ここでもか
引越しの片付けで、古い書類を整理していたら、「沖縄で劣化ウラン弾使用」の切り抜き記事が見つかった。10数年前の記事だが、勿論その程度の期間で無害化しているわけもないだろう。そもそも微粒子化した分は回収不可能である。
結局、日本中どこへ行っても汚染はついて回るのだろうか。ならば、今いえる事は「これ以上の汚染はやめてくれ」ということだろう。正直、もううんざりだ。



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天罰男の豪遊記録
天罰男の話題。過去の話になるが、画像の存在をはじめて知ったのでリンクを記しておこう。
小松左京は惜しまれて逝ったが、年齢の近いこの男が何故のうのうと生きながらえているのか不思議でならない。死んだら祝杯物だろうが、その前に権力の座から引き摺り下ろす必要があるだろう。「倒れる前に、倒すべき」とは、立花隆が田中角栄について語った言葉だった。
http://twitpic.com/3fi3te
http://twitpic.com/3fs9uh
http://twitpic.com/3fsano

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アルタ前にベルリンの壁出現!
昔、パレスチナ問題について広河隆一の講演を聞きに行った時、やたら「壁が、壁が」と連呼するので、一体何を言っているのだろうかと不思議に思った。スライドを観て仰天。何だこのベラボーな代物は!・・・まだ分離壁が一般に知られていない頃の事だった。
さて、この度新宿に「花壇の壁」なるものが作られたが、やはり同じような驚きを感じた。手口が露骨過ぎる。東京都よ。お前らはイスラエルか。
http://twitpic.com/6fahyl
折角なので、いとうせいこうの提唱するように、反原発メッセージを映すフリー・スクリーンとして利用させてもらおう。

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プロフィール

のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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