時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
一番美しく ~ 手塚治虫考(3)
手塚治虫に「ダスト8」という作品がある。8つのストーリーからなる連作長編であるが、そのひとつを紹介する。
ヒロインは人気のあるラジオDJ。彼女は、独裁国家で政治犯として囚われているキムという青年を救うため、ラジオで聴衆に呼びかける。キムは彼女の元恋人であり、今も尚、かたい友情で結ばれている間柄であった。
彼女の活動に激怒した社長は、彼女を降板させると脅しつけ、「あなたはただのアナウンサーなのだぞ!」と告げる。実に、既視感のある風景である。
結局彼女はDJの職を失うが、街頭でのアピール、署名を続け、キムの解放に向けて尽力する。彼女はさる事情から、あと一週間の命を宣告されているのだが、限られた時間を全てキム青年の救援活動に注ぎ込む。
やがて工作員からの妨害が入り、拉致・密殺寸前のところでキムが解放されたとのニュースが入る。目的を達した彼女は、安らかに死を迎える。約束の一週間が過ぎたのだ(彼女の死の理由については本作の設定から説明しなくてはならないのだが、煩瑣になるのでここではしない)。

この作品の背景として、朴正煕政権時代の韓国が念頭にあったことはうたがいない。金大中事件や金芝河救援活動が話題となり、大江健三郎や小田実が積極的に運動に携わっていることに、手塚も思うところがあっただろう。
ラジオという媒体で、ここまで露骨に政治犯の救援を訴えることが、正当なことかどうかは議論の余地があるだろう。私の想いを言えば、それが「殺すな」というメッセージならば、踏み込んでも良いと思う。人権に国境は、ない。
だが、ラジオでの呼びかけの是非などはどうでもいいのだ。ここで描かれているのは、ひとりの女性が、友人の命を救うために全てをなげうって尽力する姿である。好きなこともせず、遊ぶこともせず、ヒロインはただひたすら救援活動に没頭する。その姿は限りなく美しく、私などではちょっと真似出来そうにない。本作の主題はそうした人間の強さを描くことにある。

さて、この度幾人ものニュースキャスター、ジャーナリストがテレビのレギュラー番組から姿を消した。偶然の一致などと、とぼけた振りをするのはやめてもらいたい。上からの圧力がかかったのは明らかである。舐めるのもいい加減にしたらどうだ。
降板したキャスター達は、いずれも特別に左翼的傾向を持っていたというわけではない。寧ろ保守派の論客さえも含まれている。公権力とジャーナリズムの関係で言えば、そこには当然に距離が存在する。権力者が愚劣な政策を取れば、批判的な論調が表われるのは当然である。これは政治的立場の左右を問わない筈である。
にもかかわらず、今回の降板劇である。日本の国家権力は、当たり障りのない原稿読みを求めたのである。考える人間である以前に、意思を持たない人形であれというのが彼らの意向だった。高村光太郎風に言えば、「これはもうキャスターぢやないぢやないか」である。
「意見を言う主体ではなく、一個のスピーカーたれ」、これは今日の日本において、社会規範として共有されつつある、余計なことを言わない、考えない、公権力の批判をしない。それが「中立公正」という、市民としての模範的な態度である、と。
だが、中立を標榜する者に碌な人間がいたためしはない。この種の手合いは、中立公正を旗印に、ひたすら物言う他者の意見を潰しにかかる。そもそも一人の人間が客観的で中立公正などということがあり得るだろうか。AIでさえ、環境においてはネトウヨ化するものだ。必要なことは、自分は何者なのか、自分はどうありたいのかを問うていくことである。
岸井キャスター降板後の「ニュース23」は、ワイドショーかと見まごう程に無残な様相を呈していた。私はこの岸井という人物を左程高く評価しないのだが、それでもこの体たらくである。ますますテレビを観る機会が減ってきた。

IMG_1709.jpg

スポンサーサイト

テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

標的の海~手塚治虫考(2)
手塚治虫のマンガに、「海の姉弟」という作品がある。主人公は沖縄に暮らす、二人の姉弟。彼女達は村から離れた海辺に暮らし、珊瑚に巣食うオニヒトデの駆除を生業にしている。街に出れば村人たちの陰口が絶えない。この姉弟は村八分の存在なのだ。
原因は戦時中、彼らの母親が米軍に騙されて村に兵を呼び込んだ事にある。その結果、村が丸ごと焼き討ちされ、多くの村人が虐殺されることとなった。その経緯もあり、戦後になって、彼女が白昼米軍に何度も強姦された際にも、村人が彼女を助けることは無かった。彼女に対するこうした憎悪と、混血児への蔑視感情から、姉弟は今も尚、村人に受け入れられることは無い。
ある日、この姉に対して縁談が持ち上がった。相手はヤマト(内地)の大企業の社長である。ヤマトンチュを信用するな、と主張する弟の反対を振り切って、姉は結婚を決意する。
その後暫くして、姉弟の暮らしていた珊瑚の海の埋め立て工事が開始される。開発による利益をもくろむ夫の差し金であった。母親は米軍に騙され、娘はヤマトに騙されたのである。夫の裏切りを知り、彼の元を飛び出した姉は、工事車両の前に立ちはだかる。
「さー、くるならおいで!死んでもうめさせないわ」
しかし、破壊作業は止まることなく、彼女はそこで命を落とす。姉の亡骸を発見した弟が叫ぶ。
「だれも彼も出ていけーっ。人殺しめーっ」
荒々しく工事が継続されるシーンで作品は幕を閉じる。

あまり目立たない短編なのだが、米兵による強姦問題等も描かれ、かなり社会問題に切り込んだ内容となっている。尤も、これには手塚の敗戦直後の記憶も反映されているのだろう。だが、手塚が沖縄にこだわりを持っていたのは確かなようである。ブラック・ジャックが、集めた高額な医療費で沖縄の島々を購入し、自然保護に尽力していた(註)のはファンにとってはよく知られているし、「MW」のモデルは在沖縄米軍のサリン漏洩事件である。この他にも、さりげなく作品の背後に沖縄を忍ばせたものは意外と多い。沖縄とは手塚にとって回帰すべき大自然の象徴であり、一方で戦争の傷跡を今も尚残す、生々しい場所でもあったのだ。
手塚は嘗て、沖縄海洋博にプロデューサーとして携わった(「海の姉弟」にも言及がある)。開発によって齎される環境破壊に対し、忸怩たるものがあったに違いない。「我々は沖縄に対して負債を負っている」というのは大島渚の言葉だが、手塚も同じ思いを共有していた筈である。

作品の内容に戻る。オニヒトデとは、沖縄を破壊するヤマトンチュたちのメタファーであることは疑いない。オニヒトデは生存の為に捕食を行うが、ヤマトの資本家達は、際限なく利益を貪るために珊瑚の海を破壊する。姉弟たちは、戦争、環境破壊、そして米国とヤマトからの蔑視に苛まれる、沖縄の現代史を象徴的に表している。
ストーリーだけを素直に追ってもいい。これは今も尚、沖縄で行われていることなのだ。リゾート開発と米軍基地建設の違いはあるが、両者の間に本質的な差はない。前述のように本作には、戦争、環境破壊、沖縄蔑視と、必要な要素は全て詰まっているため、今日の辺野古の事態にストレートに重なってくる。

高校生の頃に初めてこの作品を読んだときは、主人公の分離主義的な傾向(ヤマトとウチナーは相容れない)と、救いのない結末に閉口したものだった。だが、最近読み直してみて、涙が溢れて仕方がなかった。手塚の社会派作品の中でも、鋭い切れ味を持った一編である。

(註)彼は身寄りの無い、貧しい老人達の養護施設も設立している。

IMG_1856.jpg

テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

四半世紀ぶりの邂逅~手塚治虫考(1)
このところ、手塚治虫について考える機会が増えた。少年期にかなり熱中して読んだ時期があるのだが、未読の作品も多いので、少し腰を入れて読んでみようかとも思っている。一人の作家の作品群とある程度付き合えば、それなりにその作家の限界も自ずと見えてくる。手塚にも、どうしようもない愚作があるもので、途轍もない作家だという認識は変わらないが、ある程度自分なりの評価は定まっていた。さらに手塚の死後は、偶像崇拝に嫌気がさしたので、改めて作品にアプローチする機会も減っていった。
さて、この度手塚の最晩年の作品である「ミッドナイト」の最終回を手にする機会があった。この作品はリアルタイムで折に触れて読んでいたのだが、終盤は休載が多くなり、著者の体調が気にかかっていた。「少年チャンピオン」を毎週購読していたわけではないので、最終回の掲載を気付かずに見逃してしまい、間もなく著者も帰らぬ人となってしまった。
単行本にもこの最終回は収録されていないため、私も長いこと未完の作品と思い込んでいた次第である。興味のある方は文庫版の第4巻を手に取っていただきたい。
作品の内容を述べると、これは無免許のタクシー運転手が、行く先々で出会う様々な人間模様を描いたものである。一方で、この主人公には交通事故で植物状態になったマリという恋人がおり、彼は彼女を救うべく日夜奮闘する。ストーリーはこの恋人との関係を主軸に、一話完結形式で進んでいく。
物語が進むにつれ、無免許医ブラック・ジャックの協力、遺産をめぐり対立する双子の妹の登場など、主人公をめぐる人間関係がかなり錯綜してくる。また、妙にオカルト色の強い話が多いのもこの作品の特徴で、手塚が自らの死期が近いことを悟っていた節もある。
終盤の展開はこんな具合である。ある日、日米合同軍事演習の最中にミサイルが誤って市街地に投下されてしまう。主人公の車も巻き添えとなり、周囲を火に囲まれ、炎上する車の中で彼は何とか活路を見出そうとする・・・これが私が雑誌で読んだ最後の場面であった。
最終回で、主人公は瀕死の状態で救出される。だが、もはや危篤状態で手の施しようの無い段階であった。そこでブラック・ジャックが登場する。彼は植物状態にあるマリの救済を断念し、脳死と判定、主人公の脳をマリに移植することで、彼の生命を救う。女性の体となった主人公は、やがて記憶を失い、新たな人生を送ることになる。

衝撃のラストと話題になったらしいが、最大の問題はマリの救出を断念したことにあるだろう。彼女が脳死状態か否かの判断は作品を貫く重大なテーマであり、ストーリー上の必然からすると、やがて彼女が意識を回復するであろうことが期待されていた。おそらく手塚は自らに「時間が無い」ことを悟り、やむなく彼女の救出方法を案出することを放棄したのではないか。「おれは生まれてはじめて、恐ろしく冷酷な決定をくだすぞ」とブラック・ジャックに語らせているように、それはあまりにも痛ましい決断であった。
だが、個人的にこのラストはそれ程嫌いではない。まず、男女の性別の入れ替えは手塚作品ではお馴染みのテーマである。「リボンの騎士」、「どろろ」、「MW」等、枚挙に暇が無い(個人的には幼少期に読んだ「キャプテンKen」の女装が鮮烈だった)。いかにも手塚らしい纏め方である。
次に、この作品がその結末において、完全に「ブラック・ジャック」のスピンオフとして位置づけられた点である。これまで本作ではブラック・ジャックはゲストキャラクターとしての位置に留まっていたのだが、この結末によって、「ミッドナイト」という作品自体が「ブラック・ジャック」の一連のストーリーの中に吸収されることになった。ファンにとっては、にやりとする事柄だろう。
だが、何よりも注目して欲しいのは、戦争がここでも大きく影を落としていることである。先にも述べたように、主人公が危機に陥った原因は、軍事演習によるミサイルの誤射である(ミサイルの誤射は戦争ではないという意見は無視する)。模擬弾とはいえ、そんな代物が市街地に謝って射出されるというのは、かなり強引ともいえる。だが、一見突拍子も無い設定を、敢えて持ち込んだ理由について考えると、ここには手塚の遺言があるような気がする。手塚治虫は戦中派として、戦争に対して強くこだわり続けた作家だった。少年期における大阪空爆の経験は、終生彼の脳裏に焼きついたに違いない。その手塚が最後に完結させたマンガが、戦争を背景に示しながら幕を閉じるというのは象徴的であり、実に感慨深い。
手塚の没後、長い時を経て漸く本作の結末に辿り着いたのだが、様々な思いが溢れ出るような読書体験だった。

IMG_1690.jpg

テーマ:最近読んだ本 - ジャンル:本・雑誌

或る「和解」劇
先日予告した、「美味しんぼ」のストーリー上の問題点を述べる。
鼻血騒動で掻き消えてしまったが、本作の骨子は、山岡と雄山の和解劇である。物語当初には、徹底的に父・雄山に反撥した山岡だったが、次第に父の立場を理解し、心を開き、福島編で完全に和解するというもの。
だが、率直に言って山岡のファザコンぶりが気持ち悪い。そもそも、不和の原因は雄山の周囲に対する傍若無人な態度、妻に対する甚だしい家庭内暴力にあった筈である。後者については妻も納得ずくであったと後に説明されるが、あまりにも個人的過ぎる事情であり、息子である山岡の立場で怒り心頭に発するのは当然である。
雄山のキャラクターは北大路魯山人に由来すると言われる。そのため、彼の専門バカ的な人間的欠陥を併せて描くことにより、山岡が否定的に乗り越えるべき対象として造形されていたわけである。だが、いつしか作者は雄山に自らの姿を重ね合わせるようになった。初期の性格付けは忘れ去られ、今や、雄山は雁屋哲自身の投影された像である。父子の和解は確執の乗り越えではなく、人格の入れ替わりの結果としてなされた。物語に即して言えば、これは「山岡が大人になった」という外見の下になされている。初期の頃と整合性を取ろうとすれば、ここで無様な転向が行われたということになる。
志賀直哉の「和解」は、「もうやめよう、いいじゃないか」的な情緒的な雰囲気の下、日本的封建制との対決をなあなあの形で回避してしまった。そのため、主人公の転向(和解)が「何故、いかに」という重要な要素を欠落させてしまっている為、深刻な問題性を孕んでいる。これに対し、「美味しんぼ」の和解は、いってみれば歴史の修正によって行われたわけである。和解劇として、お話にならないことは厳しく指摘しておきたい。

テーマ:漫画 - ジャンル:アニメ・コミック

地に足のついたファンタジー
太田昌国「極私的60年代追憶」、奥平康弘・木村草太「未完の憲法」を購入。レビューを書くとしたら、もう少し後の話になりそうだ。

友人と共にアニメ「新世界より」(原作:貴志祐介)を一日かけて観る。1000年後の衰亡した世界を舞台にしたSF作品で、児童間引き(殺処分)、記憶操作、非能力者への遺伝子改造と奴隷化などのディストピア世界が描かれる。周到な伏線を張り巡らせながら、次々と予想の上を行く展開に、とにかく圧倒されたの一言だった。
怯えた大人たちが子供たちを封殺しようとする点、対立する階級(?)への非人間視など、現代社会へ寓意と取れる点も多い。叛乱軍の首領は人格的には最悪であるが、その分、家族や恋人を殺された主人公の葛藤に共感できるような仕組みになっている。結末はほろ苦いが、骨太で重厚な構成を持った作品なので、もっと評価されてしかるべきである。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記



プロフィール

のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



のわーるのつぶやき



最新記事



カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -



最新コメント



過去記事のアーカイブ



カテゴリ



最新トラックバック



2010年「国際ジュゴン年」



検索フォーム



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QR



RSSリンクの表示



全記事表示リンク

全ての記事を表示する



FC2カウンター