時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
撤回なんかしていない
前回記事にした内容についてだが、カトリーヌ・ドヌーヴ本人が「リベラシオン」宛書簡にて謝罪したことが話題になっている。
しかし、ドヌーヴが謝罪したのは実際に性暴力を受けた被害者に対してであり、内容は「我々の声明によって傷つけてしまったのであれば申し訳ない」というもので、声明自体は撤回したわけではない。また、「人はレイプのとき快楽を感じることもできる」というブリジット・ラーエのごときたわ言については厳しく批判を加えており、むしろ、声明の「性暴力は犯罪である」という部分を補完した形になっている。前の記事でわたしも触れたが、彼女は自分がフェミニズムの立場に立脚していることを強調する。
その上で改めてメディア・リンチや、芸術の浄化政策を批判する。プレイヤード版のサドを焚書するのか?ダ・ヴィンチの絵画を小児性愛として拭い消すのか?と。
このように、彼女の立場は一貫して変わっていない。あたかも鬼の首でもとったかのように、「ドヌーヴは主張を撤回したぞ」とウソをつき、居丈高になるエセ反差別が横行していることから、ここに補足しておく。

Catherine Deneuve : «Rien dans le texte ne prétend que le harcèlement a du bon» http://www.liberation.fr/debats/2018/01/14/catherine-deneuve-rien-dans-le-texte-ne-pretend-que-le-harcelement-a-du-bon-sans-quoi-je-ne-l-aurais_1622399

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グ・ロ・テ・ス・ク
「殺戮モルフ」の黒塗り事件については、誰が本当のことを言い、誰が嘘をついているかよく判らないので(およその想像はつくが)、犯人探しは控えておく。出来の良し悪しはともかく、こうしたホラー漫画が人間性の一面を抉り出していることに変わりは無い。花田清輝曰く、生の豊かさがあるように、死の豊かさもまた、あるのだ。人間性を直視する勇気も無く、お上の顔色を伺うのであれば、出版なんかやめてしまえ。
現代の日本でもっともグロテスクなものはといえば、政治家や官僚、軍需産業、御用マスコミ、差別主義・歴史改竄主義、規制パラノイアなどである。どんなグロ表現も、これらのグロさの足元にも及ばない。笑わせるのもいい加減にしろ。
「ニュース女子」なる番組は、「基地反対運動の参加者は日当を貰っている」などと、反吐が出そうなデマゴギーを撒き散らし、今も尚傲然と居直っている。わたし自身、現闘に参加するには至らなくとも、反対運動には参加してきた。勿論、鐚一文貰っていない。エロ・グロと呼ばれる文化がどんなに氾濫しようが一向に構わないが、嘘やデマゴギーが真理性を標榜し、罷り通るのは許されないのだ。
真に醜悪なものは何か。明らかに捉え損なっているのが、今日の社会状況である。

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弾圧は味方の振りをしてやってくる
ミニストップのアダルト本撤去問題において、「これはゾーニングの要求であって性を規制したいのではない」という言説が飛び交っている。
端的に言って、嘘である。もしくは、無自覚な弾圧である。
安倍晋三の戯言を見るまでもなく、わたしたちはこの種の甘言が悪辣な騙しの決まり文句であることを知っている。おためごかしに騙されると思うな。
「ゾーニングです、協力してください」
妥協の後に来るのは、
「よし、敵は己の非を認めたぞ!次の矢を放て!」である。
かくして、「コンビニに置くな→本屋に置くな→アダルトショップを設けるな→どこにも置くな」、要求がこのようにエスカレートすることは目に見えている。

「敵は「性」という邪悪な欲望に取り付かれた異常者であり、存在そのものが強姦魔と同等だ。そして我々は究極の正義の執行者だ。真理の体現者である我々が、価値を専制支配する!今こそ「性」から脱却した純潔の専制を!究極の正義である以上、そこに何の問題性もありはしない。これこそが新しい時代の幕開けだ。異論を持つものは全て悪辣な異常性格者であり、強姦魔なのだ。殲滅するに如くは無い」
ここでは生きた人間に向き合い、人間とは何なのかを見据え、そこから出発しようという意思は一切存在しない。目指されているのは、「よき訓育」と従順な家畜化。それだけである。社会の構成員が、「価値の指導者たる我々」の唱える「真理」のみを考え、行動するだけの世界。余計な事は思いつきさえしない、思考なき人形のユートピア。

今、たまたま「フランス・プロテスタントの反乱(カミザール戦記)」という本を読んでいるところである。ユグノー戦争が終結したとされた後も苛烈な弾圧と反乱は絶えることが無かったが、「真理」の名のもとに、ひとはいくらでも卑劣・狡猾・残忍になれるものである。
この似姿は今日においても再現され、増殖し続けている。ゾーニングというもっともらしい美名のもとに行われる弾圧を認めてはならない。

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愚かさに国境は無い
「夢見るテレーズ」撤去請願運動の話題を聞いて、この連中の狂気も来るところまできたかという思いである。そのうち自分の肉体に生殖器が付いているのを見て卒倒するのかも知れない。
何度も言うが、この種の手合いが人間性の抑圧と抹殺以外の何者をも志向したことが無く、これからもするつもりが無いのは火を見るよりも明らかである。そこに妥協の余地など生まれるべくもないのだ。
いかに尤もらしいごたくを述べようとも、愚劣な運動は愚劣なだけである。海外も日本もありはしない。この種の政治的文化警察の決めた価値綱領などを、世界標準などと奉る義理など存在しないのだ。

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「良き社会秩序」の番犬たち
イオン-ミニストップ騒動から、コミックLOのツイッター凍結と、もうあほらしくなった。

こと「性」にまつわる事柄になると、多くの自称リベラルは馬脚を現すものである。本田勝一や広河隆一の時点からその萌芽はあった。この者共は、「エロはいけないのだ、だめなのだ」という、旧態依然たる価値観をそのまま運動圏に引き込んできた。差別だの何だのといった理由は全て後付けである。「清く、正しく、美しく」といった、途轍もなく陳腐で退嬰的な人間観がこの根底に据えられている。一口に言って、只の政治主義者である。人間には全く興味がなく、どうでもいいと考えている連中である。その点、自民、公明、維新などと何ら選ぶところがない。あるいはむしろ、誰かを糾弾し、社会的に叩き潰すことで嗜虐的快楽を享受しているのではないか。そうわたしは睨んでいる。「糾弾している自分は偉い」という醜怪な自己陶酔。
リベラルの正体見たり保守反動。この種の自称リベラルの運動など、ろくな結果を齎すことはない。鼻を摘んで支持する必要などはない。倒すべき存在なのだ。

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のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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