時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
あれも迷惑、これも迷惑
迷惑防止条例が大詰めを迎えている中、どうしても気になっていることがある。

A「エロ本を公共の場に出すな!」
B「デモは迷惑!」

A「ポルノは暴力!
B「デモはテロ!」

両者の主張は同じ穴の狢である。「自分たちの主張だけは正義だからいいのだ!」などといった虫のいい話は通用しないのだ。
この種の政治/弾圧団体は、昨今もあるマンガの内容に対して威迫・強迫活動を繰り返しているらしい。いい加減につけ上がるな。
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その条例こそ、迷惑です
東京都の迷惑防止条例改悪の件。わたしも都庁前に顔を出したが、その後ウィルス性腸炎でぶっ倒れてしまい、街頭行動がままならない状態である。

改悪案では
「みだりにうろつく」
「監視していると告げる」
「電子メール(SNS含む)を送信する」
「名誉を害する事項を告げる」
「性的羞恥心を害する事項を告げる」
などの行為が規制の対象となる。直截的な逮捕・拘束などはもっての外であるが、萎縮効果も決して莫迦にできるものではない。

尚、本日の都議会警察消防委員会においては、都民ファーストの会、自民党、公明党、民進党の議員が賛成。日共が反対に回った。
これが事実関係である。勘違いする向きが多いが、「立憲民主党の議員」はここにはいないことを指摘しておく。
それにしても、これに反応する世論の反応は、相変わらず低い。「黙っていればいい」「文句を言わなければいい」「当たり障り無く発言して生きればいい」というのが、相変わらずのこの社会の風潮である。だがこれは、運動圏にとっても他人事ではない。「我々は真理の体現者だ!我々の決めた範囲でだけモノを言え!」などといった、虫のいい話は通用しないのだ。スターリニスト諸君、少しは自戒したらどうか。しねぇだろうな。こいつらは。

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当たり障りの無い表現
アッキード事件、森友問題、文書改竄問題、呼称は色々あるが(「佐川問題」では断じてない)、抗議活動が連日国会周辺を賑わしている。
「改竄許すな!」
「安倍はやめろ!」
「麻生はやめろ!」
だが、ここ最近のSNSで、「激しいコールやプラカードが人心の離反を招く」と主張するひとが散見された。映画評論家の町山智浩もそのひとりである。わたしは映画評論家としての彼の活動には好意を持っているし、「一人ひとりの抗議の声を拾って欲しい」という部分には完全に同意する。だが、過激なコールが人々の離反を招くというくだりはいただけない。周回遅れの議論なのだ。
これについては反原連からシールズに至るまでの運動の過程をみればよく理解されると思う。ルールを守れ、マナーを守れ(要は警察に従え、言うことをきけ)、といった主催者の締め付けが参加者の萎縮、離反を招き、その挙句の果てが、「中核出てけ」、「お巡りさんこいつです」に繋がっていったのではないか?
また今の国会周辺の運動自体もこの流れを汲むものであり、問題性も共通している。だが、先の批判は、こうした萎縮を更に大きく後退させようというものである。この調子では「まともな反対者はデモにも選挙にも行かない」「まともな反対者は文句を言わずに黙って従う」ということにまで行き着くだろう。事実、日本人の多くはそうした意識を持っている筈である。

さらに、この動向にはまた別の既視感がある。昨今も太もも展、百合展中止があったが、性表現にまつわる糾弾と封殺の動きに繋がるのだ。
「規制ではなく公共の場で行うなと言っているだけだ」などといけしゃあしゃあとうそぶき、民間検閲官を気取る者達。その本音は確実に「清く正しく美しく。既存の秩序を壊さない、傷つけない、汚さない表現活動を心がけましょう」にある。只の弾圧者だ。
これらに共通するのは、「尖った表現を公共の場から締め出せ」という主張である。「シュルレアリストのもっとも単純な行為は、拳銃を手に通りに出て、群衆に向かってできるだけ無差別に撃ちまくることだ」とブルトンは言ったものだが、銃の乱射はともかく、ひとの心を揺さぶり、衝撃を与えることが表現である。そもそも違法行為を行えと言っているわけではないのだ。国会周辺の人たちはパイプ爆弾を持っていたとでもいうのか?
こうして当たり障り無く、穏便に、口当たりのいいものだけが許されていく。権力者に何らダメージを与えない、安倍や麻生をいたわり続ける抗議行動、見るものに何ら衝撃を与えない創作活動。秩序と道徳を説き、ほのぼのした牧歌的な日常風景だけが持て囃される文化活動。一体、そんなものを通して何がしたいのか?
齎されるものは、社会の「死」でしかない。

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(もはや警官の姿しか見えないが、官邸前の写真である)

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撤回なんかしていない
前回記事にした内容についてだが、カトリーヌ・ドヌーヴ本人が「リベラシオン」宛書簡にて謝罪したことが話題になっている。
しかし、ドヌーヴが謝罪したのは実際に性暴力を受けた被害者に対してであり、内容は「我々の声明によって傷つけてしまったのであれば申し訳ない」というもので、声明自体は撤回したわけではない。また、「人はレイプのとき快楽を感じることもできる」というブリジット・ラーエのごときたわ言については厳しく批判を加えており、むしろ、声明の「性暴力は犯罪である」という部分を補完した形になっている。前の記事でわたしも触れたが、彼女は自分がフェミニズムの立場に立脚していることを強調する。
その上で改めてメディア・リンチや、芸術の浄化政策を批判する。プレイヤード版のサドを焚書するのか?ダ・ヴィンチの絵画を小児性愛として拭い消すのか?と。
このように、彼女の立場は一貫して変わっていない。あたかも鬼の首でもとったかのように、「ドヌーヴは主張を撤回したぞ」とウソをつき、居丈高になるエセ反差別が横行していることから、ここに補足しておく。

Catherine Deneuve : «Rien dans le texte ne prétend que le harcèlement a du bon» http://www.liberation.fr/debats/2018/01/14/catherine-deneuve-rien-dans-le-texte-ne-pretend-que-le-harcelement-a-du-bon-sans-quoi-je-ne-l-aurais_1622399

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グ・ロ・テ・ス・ク
「殺戮モルフ」の黒塗り事件については、誰が本当のことを言い、誰が嘘をついているかよく判らないので(およその想像はつくが)、犯人探しは控えておく。出来の良し悪しはともかく、こうしたホラー漫画が人間性の一面を抉り出していることに変わりは無い。花田清輝曰く、生の豊かさがあるように、死の豊かさもまた、あるのだ。人間性を直視する勇気も無く、お上の顔色を伺うのであれば、出版なんかやめてしまえ。
現代の日本でもっともグロテスクなものはといえば、政治家や官僚、軍需産業、御用マスコミ、差別主義・歴史改竄主義、規制パラノイアなどである。どんなグロ表現も、これらのグロさの足元にも及ばない。笑わせるのもいい加減にしろ。
「ニュース女子」なる番組は、「基地反対運動の参加者は日当を貰っている」などと、反吐が出そうなデマゴギーを撒き散らし、今も尚傲然と居直っている。わたし自身、現闘に参加するには至らなくとも、反対運動には参加してきた。勿論、鐚一文貰っていない。エロ・グロと呼ばれる文化がどんなに氾濫しようが一向に構わないが、嘘やデマゴギーが真理性を標榜し、罷り通るのは許されないのだ。
真に醜悪なものは何か。明らかに捉え損なっているのが、今日の社会状況である。

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プロフィール

のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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