時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
乗り越えられた<虚構>
ここ一ヶ月程、体調を壊していたため間が開いてしまった。扁桃腺が腫れて夜眠れなくなり、数日経って収まったと思ったら咳が止まらずにまた夜眠れなくなり、さらに数日を経て酷い頭痛と嘔吐感に苛まれた。病院で貰った薬を飲み続け、漸く落ち着いてきたがまだ完全ではない。

「長嶺大使がまた韓国へ行く。慰安婦像を容認したことになってしまった。あの少女は可愛いから、皆で前まで行って射精し、ザーメンまみれにして来よう」
話題の筒井康隆のツイートである。これに対して、「筒井は歳をとって劣化した」という意見も見られた。
だが率直に言う。筒井康隆は劣化しているわけではない。相変わらず気を衒うことに終始し、裏の裏が表であることに気付けない男である。昔からまるで変わってない。
わたしは中高生の時分、筒井に入れ込んでいたので、作家としてのかれの基本的な姿勢は理解しているつもりだ。パロディ化し、ドタバタ喜劇の世界に放り込み、ブラックな笑いを掻き立てる。それが筒井の作風である。やがてこの作家は徐々に前衛文学へと接近していったが、一方で価値相対主義の最悪の面をいつも携えていたと思う。それがブラックユーモアとして機能する時は強みとなり得たが、危うい側面も備えていた。今日、その奇抜さはネット右翼に追いつかれ、劣化した体制側、支配層に都合のよい言説として受容されるに至った。取り込まれていくことの怖さについて、あまりにも無防備といえる。
小説「虚航船団」のあたりから、彼は「現実の虚構性」について屢々言及するようになった。私達の生きるこの現実さえも虚構・フィクションとして見做すこと。わたしがこの作家に違和感を覚えたのはこの頃である。彼の言い分は別に真新しいものではない。世界を、認識主体が作り出す虚構として捉えるものである。今ここにある現実は、自分と言う主観を通したフィクションなんだ。客観的な視点なんて存在しない。全て主観によって汚染されているのだ。
そこまでは間違っていない。だが、わたし達は何らかの関係性のうちに構築された、間主観的な約束事の世界を生きている。認識論としては世界は虚構と言っても差し支えないが、素朴な意味で世界は堅固な現実であるとみなしてよい。ただ、それが絶対的なものではないことを忘れなければよいのだ。わたし達は夢物語を生きているわけではない。
もっとも、わたしが当時覚えた違和感はもっと単純なものである。いじめや貧困、差別を面白おかしいフィクションとして見做されたらたまらないというものだった。この生理感覚は間違っていないと思う。
筒井はフロイトにかぶれたおかげで政治の魅力にとりつかれずに済んだと記している。政治は愚劣である、そんなものに振り回されて溜まるか。そうした姿勢はわたしも嫌いではない。だが、彼は政治・社会と対決することによってそれを成し遂げるのではなく、政治・社会をかわし、やり過ごすことで現在に至ってしまったといえる。早い話、無知なまま過ごしてしまったのだ。
彼の頓珍漢な社会意識は、例えば永山則夫の文芸家協会加入問題についてもいえることだった。「作家なのだから、自分が殺人を犯す可能性があるということに想像力を及ぼさなくてはならない」と彼は言う。だが、永山問題の本質は、わたし達が作家であるかどうかではない。人権の問題である。死刑囚だからといって、協会加入を拒否するのはどういうことか。不当な差別ではないかということである。これについては柄谷行人が正当に筒井を批判していた。
筒井が奇抜な「無茶振り」をするのは今に始まったことではない。「戦争は人口抑制のためと考えればよいことなのではないか」とも彼は記していた。勿論、真面目に捉える必要は無い。問題は、この底の浅い価値相対主義にある。根を持たない。絶対的な足場を設けない。突拍子も無い思い付きを並べたような、筒井的ポストモダニズムが、ネット右翼の思考にぴったりと重なってしまったのが今回の事件である。
わたしたちが目の当たりにしているのは、筒井的なポストモダニズムが反知性主義によって乗り越えられた瞬間なのだ。そして、これはこの社会が途方も無く劣化したことの表れでもある。奈落の底は、もうそこに見えている。
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旗のある風景
1945年8月15日、日本は敗戦を迎えた。私の母が10台半ばの頃である。空爆の恐怖からも解放され、庶民の間では敗戦の口惜しさと相俟って、安堵感と解放感が広がったに違いない。やがて来る進駐軍(占領軍)への不安はあるにしろ、である。
そんな中、母の証言によれば、近所のチョウさんが旗を立てたという。どんな旗だったかは母は覚えていないが、およその想像はつく。ゴチャゴチャ詮索するまでもないだろう。母たちはそれを見て「チョウさん、何、旗なんか立ててるのー?」とケラケラ笑っていたとの事だった。母はそこに込められた意味を知らなかったし、今現在も知ろうとはしない。だが、多くの日本人の感覚は同じようなものだったと思う。
敗戦の時、殆どの日本人はその植民地主義や、民族差別を反省などしなかった。ただひたすらひどい目にあったという、己が身の不幸を嘆くのみだった。繰り返すが、日本人は反省も謝罪もしなかったのである。
さて、ある創作において、ここで日本人が深く反省して見せたというエピソードを加えたとする。勿論、そこには作者の願いや祈りがあるに違いない。だが、そうした善意とは裏腹に、それは虚偽による免責を行うことに繋がらないか。日本人は敗戦のときに民族差別や植民地主義を深く反省したのだという、偽りの美談を作ることが、まさに歴史修正主義になるのではないか。船戸与一のいうように、歴史は作家の玩具ではない。
勿論、これは意地の悪い見方であるには違いない。だが、安易に歴史記述に手を加えることにもまた、陥穽があることは事実だ。すくなくとも、「反省と謝罪が描かれていないからこれは右翼的な改変だ」とするのは、歴史的な現実も作劇上のリアリズムも無視した、短絡的な言い掛かりではないのか。多くの日本人は反省も謝罪もしなかったという事実からは、逃げようがないのだから。

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欅坂の白日夢
今月の下旬まで忙しいので、あまり更新する余裕がないのだが、黙っていられないので触れておく。
セルジュ・ゲンズブールに「ナチ・ロック」という曲がある。アルバム「第四帝国の白日夢」に収録され、シングルとしても発売されたものである。内容はナチスをテーマにした、言葉遊びとナンセンスのオンパレード。このアルバム全体がそういった確信的な悪ふざけに徹しており、「ナチ・ロック」から「S.S.イン・ウルグアイ」までそれは一貫している。
勿論、本作を手の込んだナチス批判と受け取ることも出来るのだが、そうした糞真面目な政治性の枠に収まらない、精神の渇望がここにある。鹿爪らしい良識に喧嘩を売った、いかにもカウンター・カルチャーの牽引者にふさわしいスキャンダラスな作品だが、当然、発表当時は喧々囂々たる非難の嵐だったという。本人も、全て覚悟の上だろう。
ゲンズブールはユダヤ人である。ナチスに迫害され、苦しめられた当事者であり、ナチスに傾倒する余地はない。その彼が敢えてナチスをポップな主題にする。これは彼が投げかけた問いかけであり、よく考察されるべきである。

さて、長々と書き記してきたが、わたしの言いたいことは他でもない。欅坂46とかいうグループのことである。ナチス親衛隊を模したコスプレは、どちらかというと映画「ナチ女収容所」を連想したくなるのだが、この問題点はやはり、「何も考えていない」「考え無しに行っている」という点に尽きると思う。あの制服を「格好いい」(当然だ。ナチスはその最高の美意識を徹底的に悪用したのだから)と評価したいのならば、それだけの理由と覚悟が必要なのだ。喧嘩する覚悟があるのか?無いだろう。その程度の意識で扱えるような代物ではない。
デヴィッド・ボウイにしろYMOにしろ、覚悟があった筈である。

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※ついでにシド・ヴィシャスの写真も挙げておく。この人の振る舞いについても、色々考えてみると面白い。

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作品が政治的になることを恐れるな
フジロックに関し、「音楽に政治を持ち込むな」などという珍提言が、ネット上を賑わした。
言うまでも無く、ロックはしばしば政治と交錯してきたし、ボブ・ディランからジョン・レノン、クラッシュ、レイジと数え上げればきりが無い。「アンガジュマン(参加)の芸術」などという仰々しい物言いには同意しないが、創作活動が社会と切り結ぶ契機は常に存在するのであり、作品が政治に踏み込んだとしても、それ自体は何ら不思議なことは無い(勿論、政治的な作品がすなわち良い作品になるというわけではない)。
だが、この種の潔癖主義は今に始まったことではない。近い例では「美味しんぼ」騒動が挙げられる。このときも、「風評被害」「福島差別」という出鱈目な罵詈雑言に交えて、「マンガに政治を持ち込むな。マンガは読者を楽しませるものであり、作者の意見を述べるものではない」という言説が現れた。
おそらく、この手の論者は手塚治虫も読んだことが無いのだろう。彼が生み出した今日的なマンガ表現は、敗戦から産声を上げたのであり、そこには草創期において既に、戦争・貧困・差別が生々しく刻印されていた。勿論、ここには同時代の映画の影響もあるのだが、映画もマンガも、共に社会と向き合い、伴走していたのである。
作家とは自らの世界を表現する者である。たとえそれが生のままの主張ではなくとも、そこには必ず作家の<自我>が何らかの形で表出される。そこを蔑ろにして、「鑑賞者を楽しませることだけを考えろ」というのは、倒錯した論理である。これは作家に表現をやめろというに等しい。
わたしたちは、今日までの歴史において、「政治に役立つ作品こそがいい作品だ」などとぬかすバカから、創作の自由をかち取ってきた。この種の文化スターリニズムに対しては断固として闘わなければならないが、同時に、わたしたちは「作品が政治的であることを恐れる必要は何も無い」と言わなければならないのだろう。作家は自分の内的必然性に従って創造活動を行うのだ。下らない枷を設けるな。

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舐めるな!
はたしてしからば、すでに一歩を踏み出しているはずの日本革命は、いったい、いかなる「歌」をもっているであろうか。 
(花田清輝)


「ラブライブ!」と題するアニメ作品がある。所謂美少女アイドルアニメの一環であり、今も根強い人気を博している作品である。
私は、この作品の歌と踊りには一切興味を惹かれないのだが、ストーリー的には「そこそこ」という評価をしている。序盤の数話は観るのに些か苦痛を伴うが、それを乗り越えると話の流れに馴染めるようになる。
ただ、第一期クライマックスにおける、メンバーの留学をやめさせてしまう件りは、幾ら何でもいただけない。リアリティ及びドラマ作りの常識双方に鑑みて、それはないと思う。そこは気持ちよく見送って「感動」の第一期最終回で良かったのではないか(私は別に感動しないと思うが)。
その他、ダメ主人公の生徒会長就任など、妙な箇所もあるのだが、細かい所にごちゃごちゃ絡んでも仕方がない。全体を通して緩いスポーツ物的な感覚で楽しめる作品だった。ダイエットの話では腹を抱えて笑ったものである。
劇場版における、田舎者根性丸出しのお登りさん振りには閉口したが(NYと思しき街を「世界の中心」と連呼する)、主人公が「何故歌うのか」を問うていくあたりは悪くない。
ドラマとして傑作とは思わないが、「萌え」と相まって、人気を獲得する理由はよくわかる。結論としていえば、私も左程嫌いではない。

以上は前置きである。過去記事との重複もあり、些か長過ぎた気もしないではないが、ここから本題に入る。
馳浩という元プロレスラーの文部科学大臣がいる。先頃、体罰自慢で話題になった男だ。この人物がこのたび、何をとち狂ったのか、「ラブライバー大臣」などと自称するようになった。既視感のある風景だ。麻生太郎がローゼンメイデンを賞賛したときのあれである。
麻生が札付きの表現規制派であるにもかかわらず、多くのアニメ・マンガファンがいいように乗せられていったのは記憶に新しい。「肉屋を支持するブタ」という言葉が私たちの間で忌々しい思いと共に語られるようになったのもこの頃である。
そこで今回のラブライバー宣言である。まさかこんなパフォーマンスに乗せられるお目出たい人間もそうそういるまいなと思ったら、ネット空間上にそのたぐいがぞろぞろ現れて来たので唖然とした。視聴者層から考えて、必ずしも世間知らずのお子様ばかりとはいえないだろう。自民党はさぞかし、「こいつらチョロいもんだ」と思っている筈である。いい加減、学習しないのか。これだけ幼稚なパフォーマンスも見抜けないのか。
わが国の政治家が文化を活用しようとする場合、金と欲にまみれた汚い手で作品を引っ掻き回し、台無しにすることになるのは必定である。この国の文化環境は、それ程までに、低い。今回の件についても、せいぜい利用されるだけで、最終的には手痛い目を見るだろうということは、目に見えている。それが自覚できなければ、マンガ、アニメ文化に展望などありはしない。
ここまで書いてきたところで念の為確認したら、流石に冷静になったのか、ファンの間からも批判的な意見が現れるようになってきた。良い傾向である。ラブライバーを自認するファン達は、「舐めるな!」と思いっきり言ってやれ。


プロフィール

のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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