時を告げない大時計
映画やら書物やらをめぐる、つれづれなる断想など
急げ!
豪雪で交通網がズタズタの状態にある。特に山梨県、および隣接する奥多摩地方が危機的状況であると伝えられる。
にも拘らず、テレビ局はオリンピックにうつつをぬかし、一切これらの被害を報告することは無い。日本政府が何か対策を講じたという話も聞かない。行政とメディアによる棄民政策が続いている。
「入院患者の食材が届かない」等、深刻な訴えがSNSを通じて伝えられている。現地の危機は現在も進行中である。
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安倍が戦車でやって来る
今日は色々盛り沢山な一日だった。無理はしないつもりだったが結果的にやたらあちこち飛び回っていたので、この時間になるとさすがに眠い。詳細は後日に。

帰宅して、この写真を見てのけぞった。本人は何の疑問も抱いていないのかねぇ。こちとら合成かと目を疑ったのだが・・・どこの将軍様だよ。
http://mainichi.jp/select/news/20130428k0000m010065000c.html
( ゚д゚) ・・・(つд⊂)ゴシゴシゴシ (;゚Д゚)

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魔女の宴
角田栄子の児童小説「魔女の宅急便」が実写映画化されるらしい。宮崎駿の監督作として、一世を風靡した作品である。こちらのイメージが強い人にはちょっと…というのが正直なところだろう。
今回の監督は清水崇。「呪怨」シリーズでホラー映画界の第一人者となった人で、私も好きな監督である。このブログでも何度か取り上げた記憶がある。まあ、言ってみれば、つのだじろうがホームドラマを描くようなものか。まさかキキが怨霊となって家に地縛するわけではあるまいが(それはそれで観てみたいが)、どのような形になるか、興味津々である。これが清水崇の黒歴史にならなければいいのだが。

アニメ版が公開された当時、荒井由美の主題歌と相俟って「優しさ」がキーワードとして一人歩きした感がある。当時、この優しさブームにイラッとした記憶があるが、その捌け口を白土三平の「カムイ伝」あたりに委ねていたように思う。過酷な運命の中を生き抜く峻厳たる存在に憧れていた。その一方で、「魔女の宅急便」を観るために二回も劇場に足を運んだ事も事実である。おそらく、両方とも私には必要だったのだ。

閑話休題。とまれ、宮崎駿テイストとは大きくかけ離れた作品が成立する事を期待したい。尤も、ファンタジー作品という性格上、危険な賭けであることには変わりないのだが。

尚、五月一日の前の晩には魔女達がブロッケン山に集結し、乱痴気騒ぎを行うという。これが世に言う「ワルプルギスの夜」なのだが、おや、あと一週間足らずだよ。

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断章
4月23日というと、ペルー大使館公邸占拠事件を思い出す。中島みゆきは「この国は危ない 何度でも同じ過ちを繰り返すだろう 平和を望むと言いながらも」(「4.2.3」)と歌ったが、この言葉は今日の日本にこそ深く突き刺さる。あの事件から、ここまでこの社会は劣化してしまった。暗澹たる思いだ。

「現代思想4月号 就活のリアル」を読み進めていると、就活自殺ならぬ、就活他殺という概念を呈示している人がいた。なかなか重要な概念である。秋葉原事件などはその典型だが、ひょっとするとボストン事件にも当てはまるかもしれない。新自由主義の生み出したひずみは、隠しようもなく社会の至るところにあらわれている。

映画「東京原発」(監督・脚本:山川元)を観る。原発誘致を巡るブラック・コメディ。感想は時間を充分に取れる日に委ねたい。

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アトムの善用のための祈り
東京新聞に「アトムの涙 手塚治虫が込めた思い」という連載が三回にわたってなされた。鉄腕アトムと原子力開発との微妙かつ痛ましい関係を論じた論稿である。

手塚が作品の中枢に生命倫理やエコロジー、反差別といったテーマを据えていた事はよく知られている。それが屈折した現れ方をする事も多いのだが、基本はそれで変わらない。手塚作品に親しんだ事のある者にとって、これは常識である。
だが、一部の自称脱原発派は、鬼の首でも取ったように「アトムは原発推進漫画」とワメき散らして已まない。一体、こんな事を言い募って何の意味があるのだろう。「鉄腕アトムは悪い漫画だ。そして、それを知っている俺は偉いのだ」という自己顕示と自己陶酔がそこにある。早い話、マウンティングをしたいのである。そして異論は全て「言い訳」として片付けられる。
文化芸術や知の遺産が全て「俺の方が偉い」という精神的自慰の道具にしかならないのは実に醜悪である。「ジャングル大帝」がある一家によって「差別漫画」として槍玉に挙げられたのは記憶に新しい。「ブラック・ジャック」にも単行本に収録できない作品があるという(余談だが、「奇子」の終盤は単行本化に際し、大きな差し替えが行われているという。この理由についても詳細を知りたく思う)。

ここで思い出すのだが、嘗て89年以降、マルクス葬送論が声高に叫ばれた。これに対し、頑迷な護教論者は論外として、何とか生産的な形で読み解いていこう、或いは古典として学ぶべきところを学んでいこうといった、様々な試みが行われた。その試みは今でも続いている。知を扱う領野において、これは当たり前の事である。マルバツをつけて何か判ったようなポーズをとるのは知性の放棄であり、精神の頽廃である。

萩尾望都は自らが考えたアトムの最終話の構想を語っている。原発の事故直後、アトム、コバルト、ウランの三人が除染のため福一に向かう、三人は発電所内で除染を終えた後、壊れて動かなくなる、というもの。「除染」という概念に誤認があると思うが、この萩尾版アトムは是非とも実現させてほしいと、真剣に考えている。

atom.jpg
(東京新聞より)

付記:私自身、手塚治虫護教論者ではない。例えば、手塚の「ノーマン」という作品についてはどう考えても擁護のしようがない。思い出しても腹立たしいのだが、別の箇所でも論じたような気がするので繰り返さない。

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のわーる

Author:のわーる
首都圏に生息する一介の映画バカ。といってもまだ映画歴は浅いため、大家の作品をあまり見ていなかったりする。
たまに衝動的におかしな絵を描いたりもする。
尚、この「のわーる」という名前は同名の素晴らしいアニメ作品とは直接関係は無く、サド侯爵の登場人物の名に由来するものである。



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